【第百八十四話】男、コストに喘ぐ
バイトの日々は彼にとって今や癒しになっている。
嘗てであれば理不尽な客に対して怒りを燃やしたり、特定商品を買う為に殺到する客捌きに疲弊したり。
常識から外れた事柄に不満を抱いていたが、異世界の方が遥かに理不尽に過ぎる所為で文句を言いたい客に対しても温和な気持ちで接することが出来ていた。
それは望愛にとっても同じだ。彼女はまだまだ新人の域を超えていないが、既に動きには何処か貫禄が伺える。
狼狽える回数は極端に減り、笑顔を浮かべることで男性の常連客も無事に増加傾向だ。問題が起きればカバーしなければならないが、落してくれる金の量が多くなれば社員達も喜んで助けてくれるだろう――――そんなことをせずとも好感度を稼ぐ目的で男性社員は動くだろうが。
兎に角、二人のバイト生活は資金面の問題の解決と精神的成長がある程度進んだことで充実したものへと変化していた。
将来的にまだまだ怖くはあるものの、そうなるにはまだ時間が掛かる。
オールドベースは敵対を避けているのか接触は起きず、怪物達も街を襲う気配は今のところ皆無だ。
襲う時になっても撤退に追い込めるだけの武器は取り敢えずある。完璧とは言えずとも、出来ない程ではない。切ってほしくはないものの、最悪は世良によるカード使用で解決にまで導ける。
目を向ける箇所は複数ありはするも、少なくとも拠点を睨む程ではなくなった。であれば、外に目を向けるのが道理である。
とある日。
一喜の携帯が鳴った。仕事先からの番号ではなく、通話先の相手は先日も話した綱吉だ。
「……もしもし」
『――ああ、突然すまないね』
時刻は早朝。六時を超えた時間では陽も登り始めたばかり。
綱吉の起床時間と一喜の起床時間はあまり嚙み合わないが、夜更かしをする程の趣味を持たない二人は早寝早起きが基本だ。
そのお蔭で鳴った着信音に一喜も気付き、目覚めたばかりの気怠さを隠せない声に綱吉は形ばかりの謝罪を口にした。
「別にいい、あんたは俺に配慮なんかしないだろ」
『そんなことはないさ。 する必要があるならするとも』
暗に必要が無い相手にする気はないと綱吉は口にしているが、一喜とてそもそも丁寧語を捨てているのだ。上下関係的に考えるのであれば一喜は彼に遜るべきであるも、それさえもしていない。
互いに言葉にしていないだけで味方だと思ってはいないのだ。敵と見做していないだけで、仲良くなれる余地は最初の段階で既に折れている。
回復は望めない。例え綱吉側が本気で仲良くなることを求めたとて、一喜にその意思が無いのであれば意味がない。
一喜が求めることは絶対に無い。望愛から求められたとて、彼が友好を温める真似を了承することは有り得ない。
「用件は?」
『次の輸送物についてだ。 数が増えた以上、やはりどうしても周囲の目が気になる。 既にその物件を丸ごと此方の土地に変えるように動いているが、手続きが長引くことは往々にしてあることだ』
「物資の集積場が欲しいと?」
雑談も早々に切り上げ、話は物資についてに移行した。
物件の買い上げについては一喜にも想像がついていた話だ。今後此処で異世界との繋がりを継続する以上、関係者以外は残らず邪魔となる。
不要な人間には退去してもらい、実際に生活する人間は残らず関係者だけ。勿論、この場合の関係者は総じて望愛の会社に在籍している人間のみとなる。
綱吉側の会社に信用の置ける人間は極僅か。その僅かな人間も立場や家庭があるが故に、どうしたとて家を移すことも選べない。
命令など以ての外だ。彼の周りの人間となれば、機密情報を盗んで同業者に流すくらいの報復は容易にしてみせる。
事実が社長の下に届いて綱吉が原因となれば、当たり前だが次期社長の座は遠のく。そうなればこれまで出来ていたことが出来なくなり、それどころか妹との企みごとを親に勘付かれかねない。
隠れてこそこそとする以上、なるべく個人の範疇に抑えるのが無難だ。
今は不要な品を綱吉が捌いているとして騙し通せている。このままただ不用品を売却するに留めておけば、社長も幹部達も何も言いはしない。仮に売却先が望愛名義の会社とバレたとしても、社の利益となっているのであれば黙認するかもしれないが。
話は逸れたが、土地の占有は二人にとっては当たり前の話だ。それよりも問題は、多くなっていく物資を迅速に運ぶ為に集積場が必要であること。
幸いと呼ぶべきか、一喜達の家の周りはあまり都会的ではない。田舎と都会の中間と呼ぶべき場所であり、付近に広場の類があるのは一喜が把握している。
ではそこは買えるのかと問われれば、答えは不明の二字だ。
誰かが購入して、何かを建てるつもりなら購入は不可能。逆に土地を手放したいと考えているのであれば、広場を買い上げるのは可能だ。
『理想としては君の住まうアパートの近くだ。 大量の荷物が行き交う以上、迅速に終わらせられるようにしておきたい』
「俺も同意だ。 ……入口が移動出来たらもっと都合の良い場所に移動させるんだがな」
彼等が荷物の行き交いに広場を求めるのは、やはり一度に持ち込める量の限界が少ないからだ。
アパートの扉は家電を通す為に多少の広さはあるものの、車両が通り抜けることが出来る程には広くない。今後何百何千といった人間を養うことになるのであれば、人一人分の横幅しかないような扉はあまりにも狭過ぎた。
入口の位置を変えられたのであれば、あるいは何処かに巨大な入り口を設置してそこから車両を突入させていただろう。
試せるのであれば幾らでも試したいが、それで異世界と繋がらなくなっては本末転倒だ。メイドの一部も異世界に居る以上、どうしたとて無理は出来ない。
『せめて毎日繋がっていれば良いんだが……。 週末にだけ開くのは何故なんだろうね?』
「それを俺に聞くな。 詳しいことのあれこれなんざ知る訳ないだろ」
双方揃って溜息を零す。
別の世界に通じるこの現象は、あまりにも非現実的に過ぎる。解析するにも一朝一夕では終わらず、果たして解析出来るのかも定かではない。
今は知らないものを知らないまま使っている状態だ。それが悪いと一喜は思わないが、やはり把握しておきたい気持ちは彼にもある。
何故土日に開くのか、何故平日は閉まっているのか。何かしらの条件がそこにあるのは明白であるも、彼が見る限りにおいてこのアパートに不思議はない。
実際、空間に干渉するような技術を世界はまだ完成させていないのである。現代の世界でそれが出来ないとなれば――――やはり残るは異世界だけだろう。
「場所については貸し倉庫を活用しよう。 大量に借りて食品以外をそっちに押し込む」
『食品だけに注力させるんだね? これが間に合ったら貸し倉庫の物を運び込むと』
入口の移動について意見を交わすのは、現状では無駄な時間だ。
それならば出来る範囲のことを進めようと一喜は提案し、今はそれをするしかないかと綱吉も納得を返す。
そうして改めて思うのは、やはり異世界側を充実させねばならないということ。
運び込むよりも直接現地で用意出来た方がずっとコストも安くなる。何れは異世界側の方が多くの利益を得られれば、逆に食品を買い付けることも夢ではなくなるだろう。
尤も、全ては未だ皮算用。苦しさに息を喘ぐ時期だと胸中の不安を握り潰し、一喜達は直ぐに行動を起こす。
『手配は此方で全て進める。 ぬからないでくれ』
「当然」
短く会話を終え、通話を切った一喜は続けて望愛へと連絡を送る。
癒しの時間があろうとも一瞬でも切り離されれば頭は自然と切り替わっていた。殺伐とした思考はこの時代に相応しくなく、故にこそ彼の顔はコンビニの仲間達には見せられないだろう。
無表情で、氷の如きその顔を。




