【第百七十六話】その男、突き付ける
「はむッ……はむ……!」
「う、うめぇ……!!」
男女が揃って食べ物を貪っている。
それ以外のなにもかもが既に見えず、彼等は目を見開いた状態で配られたパンを口に押し込んでいた。
当然そうなれば喉を詰まらせかねないのだが、彼等にとっては一瞬でも手元に食い物がある現状が恐ろしくも感じているのだ。
持っていればそれだけで狙われる。何の対抗手段も持っていない身では奪われるだけで、奪われたくないのであれば腹に収めてしまうしかないのだ。
これまで食べていた物とは遥かに違う味を持っていることも食事の速度を上げている。
甘い物を食べた記憶が忘却の彼方に旅立った彼等にとって、菓子パンのパンチはあまりに強力だ。普段から感じることのない甘さに脳は蕩け、ただでさえ散漫とした思考が余計に溶け落ちている。
今ならば脳味噌が穴という穴から出て来ることだろう。突然のパンに腹は腹痛を訴えるも、それすら彼等には甘美だ。
そんな貪り食らう者を見ている、戻って来たばかりの子供達は少々引いていた。嘗ての自分達も最初は似たようなものだったかもしれないが、それでもここまで狂ったようにはしていない気がすると足も二歩下がっている。
欠食児童も真っ青な彼等の食欲は配る側である望愛も内心ではドン引きしていた。流石にここまで酷い状態になるとはと。
「全員分はある。 落ち着いて並べ。 勝手に前に行こうとする奴には何もやらんぞ」
「……」
そして一喜は着装を解除して並ぶ者達に注意を連続して告げていた。
傍には望愛と、彼女を守るメイドが二人。他の面々は子供を除いて列となったキャンプの人間に食事を配っている。
長蛇の列となったとはいえ、元々の数は多くはない。何の告知も無しに偶然集まっただけの集団なので元の世界で考えるよりも少なくは済んでいる。
それでも全員に満足する量を行き渡らせるのは難しく、パンは早々に全て消え去った。
事前に大鍋で用意していたカレーも既に二鍋目に移行し、そちらももうじき底をつくだろう。拠点では複数のガスコンロや焚火を用いてカレーの増産を行っているものの、果たして納得してくれるかは定かではない。
不幸中の幸いはキャンプの人間の胃が小さいことだ。食料を奪っていた体格の良い男共は大盛をドスの効いた声で注文していたが、足下を銃で撃てば途端に大人しくなる。
脅迫程度で一喜達が引く筈も無い。仮に暴力に出てしまえば、未だ食料を貰っていない群衆が一斉に悪漢に襲い掛かる。
数は力だ。実力が無くとも体重で押せば息も出来ずに窒息死する。
故に大人しく男達もカレーを貰って端っこでスプーンを動かしていた。最初は如何に短絡的な彼等も警戒していたが、一度食べてしまえばその魔力に簡単に囚われる。
美味い美味いと叫びながら食べる様は実に威勢が良かった。顔も暴力者とは思えぬ程快活な笑みに染まって雰囲気を穏やかにしている。
誰も彼もが笑って、泣いて、叫んでいた。
特に老人は食事を配る一喜達を神のように拝み、男はメイドの美麗さに見惚れている。
美しい女性が手作りの料理を、例え他と一緒であったとしても振る舞ってくれる事実に男はどうにも弱い。
見てくれが可憐なのも問題だ。線が細く、抱けば折れてしまいそうな風貌には庇護欲すらも感じてしまう。
逆に女性は一喜に視線を固定させていた。
一喜自身は体格が良い訳ではない。かといって骨と皮ばかりという訳でもなく、仕事や休日の異世界生活で程良く鍛えられている。
今はまだ見た目に現れてはいないものの、既に雰囲気は頼れる男だ。実際は違うのであるが、それを知らない者にはメタルヴァンガードを使えることも含めて畏怖と好意を抱いてしまう。
吊り橋効果とは違うが、助けてくれた者に人は好意を覚えやすい。本当に自分を助けてくれる保証が無いにも関わらずだ。
「……拠点の方に誘導して正解だったな」
「ええ、お蔭でこれ以上集まる様子がありません」
僅かに離れた場所で十黄と立道が小声で言葉を交わす。
今回の一喜の策はなるべく多くの人間を拠点に来させないことが目的だった。
食料は今後も提供される。数は今回の分以上に用意されると一喜は語ったが、その保証があるとも彼は此方側の住人に伝えてある。
であれば、いきなり過度な冒険をする訳にはいかない。かといって少人数だけを招いても大勢に影響を及ぼすには弱く、故に餌役として二人が引き込める範囲に収めることにしていた。
告知無く、突発的に現れる美味そうな匂いを漂わせる男二人。
怪しいことこの上ないものの、美味い匂いはそれだけで暴力だ。一度嗅いでしまえば終わりと二人をして断言する程の威力を持つ以上、無条件で引っ張って来れると確信を得ていた。
仮に数が増えそうな気配があれば早々に立ち去れば良い。匂いを嗅がねばキャンプの人間は同類を一瞥するだけに留めるのだから。
「今のところは食べ物に釣られてくれるお蔭で問題は無いな」
「数も後三十分くらいですかね。 配り終わって満足すれば、そこからはこっちのもんです」
「だな。 ……これから大変になるぞ」
カレーの匂いが立ち込める空間は幸せに満ちていた。
今二人が見る景色には笑顔が多くあり、争いとは無縁の世界がある。
それは極小の世界ではあるが、これを実現することは未だ誰にも出来ていなかった。
しかし、穏やか時間が長く続かないことを十黄達は知っている。
時間が流れて全員に食事が行き渡った後、全ての者が大なり小なり腹を満たした。
久しく忘れていた腹が膨れる感覚に酔い痴れ、中にはそのまま寝てしまいそうになる者も現れている。
眼前に恐ろしいと思っている相手が居るにも関わらずの態度であるが、悪いと責める気は唯一無言でカレーを作る手伝いをしていた世良は無い。
皆、それだけ満足したのだ。後のことがどうでもよくなるくらい、未練と呼ばれる最後の線が切れてしまった。
今ならば彼等は穏やかに死ねるだろう。刃を向けてくる者に感謝の言葉を述べ、自分から刺されに行ってしまう。
最後の晩餐。正に終の食事がこのカレーと賞味期限ギリギリのパンだった。
十黄と立道にとっても一喜達が用意してくれた食事は贅沢だ。二度と会えない美食を今一度目の前に出してくれた事実は万の感謝があっても足りない。
奇跡の一品がある。これを食えただけで生きた甲斐があった。なればもう、後は煮るなり焼くなり好きにしろ。
「――全員、俺の話を聞いてくれ」
死を希い、けれどそれは一喜の言葉で途切れる。
全員の視線が彼一人に集まり、逸らした者は一人もいない。メイドや望愛の目をも集め、彼は全員を見渡して胸を張る。
弱気になる必要はない。今後の苦労は確定されても、成功するか否かを疑う気持ちは微塵も無いのだから。
「お前達は今飯を食った。 その飯は、本来であれば対価を払わなければ食えない物だ。 それは解っているな?」
「……」
誰しもが頷いた。当然の話である。
「なら俺はお前達に対価を請求することが出来る立場にある。 どんな物を頼んだとて、今のお前達に逆らうことは許されない。 それも解っているな?」
二度頷いた。神妙な顔は先程貪り食っていた者の顔にはとても見えない。
「よろしい。 であれば、俺はお前達に請求する。 この街を、俺達にとっての理想の場所にしていかないか?」
三度頷くことはなかった。言われた内容を脳で咀嚼し、彼等は視線を向けた時と同じく困惑の雰囲気を抱く。
彼等の感情とは反対に一喜の顔は真剣だった。瞳に嘘を含まず、堂々たる姿勢からも真を感じざるを得ない。
そんな彼の横に望愛が並ぶ。女神と男の左右を固める形で、銃器を構えたメイド達が並ぶ。
この世界の誰もが見ないであろう、神聖さを纏う集団が今此処に顕現する。
神が如く。聖者が如く。物騒に過ぎながらも現実味の無い者達が、力無き者達に手を差し伸ばす。
――それはまるで、神話の一ページのようだった。




