【第百七十二話】異世界の男達、代価を求められる
大の男が、女が泣いている。
辺りにはカレーの匂いが広がり、パンが入っていた袋がゴミ袋で一纏めになっている。
子供達は貰い泣きを始め、世良や十黄といった大人組はこの空間を暖かく見守っていた。
レトルトとはいえ、この世界では久方振りとなる白飯にカレーは家庭料理の中では定番中の定番だ。それが無くなってしまったこれまでを思い返し、そして戻ってきた事実に十人の男女の心は満たされた。
いや、満たされた程度では済まされない。溢れ出る感情は涙となって外に溢れ出し、無様な顔を隠しもせずにスプーンの手を動かす。
今日のカレーは子供達も食べるので甘口だった。大人になると物足りなくなるそれが、しかし今は酷く穏やかさを与えてくれる。
今だけは刺激など要らない。ただ、何も警戒せずに食事を楽しみたい。
「あの分だと俺達のは無さそうだな」
「そうですね、でも先輩がパンを一杯用意してくれましたから大丈夫ですよ」
一喜と望愛の手にはそれぞれ惣菜パンが握られている。
慣れ親しんだ味には飽きが来る程だ。大量生産されたパンは元金持ちである望愛には口に合わないのではないかと一喜は思うも、彼女自身は当たり前のようにパンを食べている。
彼女がコンビニで働き始めてからそれなりの日数が経過しているで慣れても不思議ではないが、元々の生活を知っている一喜からすればギャップを感じざるを得ない。
メイド達はそんな望愛に何やら物言いたい視線を向けているも、彼女の意思を優先して何も言えない。
本音を言えばメイド達はもっと良い物を食べてほしいと考えている。こんな何時襲われるかも解らない場所でジャンクフードを食べるより、暖かい室内で高級食材を用いた料理を食べてほしいのだ。それが彼女の望みではないと知っていても。
そんな彼女達の悩みを他所に望愛は心からの微笑みを浮かべて子供達を眺めている。
何の邪気も無い純粋な喜びは、ただそれだけで汚れた心を浄化してくれる。
特に穢れた人間を知っているからこそ、そんな純心さを彼女は尊んでいた。出来ることならばこれが消えてほしくないと願う程に。
だが、人とは汚れるものだ。純心は騙されることで不信に染まり、善は悪を知って黒くなる。
目前の子供達も何れは純真さを捨てて社会に適応していくだろう。苦しみを知り、妥協を知り、そして諦めを知っていく筈だ。
彼等が幸福に過ごせるか否かは、間違いなく一喜達にかかっている。
彼を含めた大人が社会を再構築し、そこに含まれていくだろう悪を可能な限り切除していく。
今はまだ暴力こそが世の全てとなっているが、何時かは秩序による支配を行わねばならない。そうしなければ、結局は怪物達が支配することと変わりないのだから。
食事は和やかに続き、彼等は何の不安も抱えずに終えた。
皿洗いもメイド達や瑞葉と立道が済ませることで食後の余韻に浸り、帰って来るには十分程の時間を求められた。
普段から警戒感を滲ませている十人の表情は既に崩壊済みだ。
綻び、緩み、およそ不良のような見た目とは相反している。
最初の頃は一等の警戒をしていた甲斐も頬が緩み、幸福で胸が一杯だと言わんばかりの笑みを浮かべていた。その姿はさながら少年のようでもある。
メイドの中にはそんなグズグズに崩れた男の姿に笑いそうになっている者も居た。何とも情けないものだと一喜も思わず笑みを漏らし、そんな彼の様子に甲斐は気付く。
即座に表情を引き締めさせたが、見られた時点で遅い。
「どうやら美味かったようだな?」
「……まぁな」
「そんな顔をするなよ。 皆お前みたいな顔をするさ、これを食えば」
「ッチ……」
一喜の揶揄いの含んだ言葉に甲斐は舌を打ち、隣でだらしない表情をしている男の後頭部を叩く。
突然の方向からの攻撃に男は情けなく悲鳴を上げる。次いで甲斐を睨むも、胸にある幸福感が強かったお蔭か喧嘩にまで発展することはなかった。
二人のやり取りに数少ない女性達が笑い声を発する。暫く前までであれば皮肉気に笑うだけだった表情に、純粋な笑みが浮かばれていた。
何てことはないやり取り。一喜から見れば何をしているのかと思うようなことでも、余裕の無かった暫く前の彼等であれば出来なかったことである。
穏やかな空気が流れ、一喜はわざとらしく咳払いをして注目を集める。笑い合える状況は正に一喜の望んだものであるが、そうであるからこそ今後の為に彼は口を開けた。
「今後、我々はこれをスタンダードなものにしたい。 拠点を再出発の地とし、ゆくゆくは此方の援助無しで社会が回る形にしたいんだ」
「社会っすか。 そういやぁ、東京はどうするんですかい? あそこがまぁ、日本に残ってる最後の社会ですが」
「東京は周りとの関係をほぼ断絶している。 あそこでなら再出発も比較的し易いが、向こうとの関係を構築するのは骨だ。 無視するのが一番良い」
甲斐以外の男の質問に一喜は断じる。
東京はこの日本の中で唯一まともに稼働している街だ。外部との積極的な接触を避け、最低限の接触に留めることで新しい入居者を増やさないようにしている。
接触している外部勢力もその殆どが東京内部で求められる原材料の生産者だ。選別は主に東京内に残る政治家が行い、内部では比較的安穏とした生活が続けられている。
裕福とまではいかないが、少なくとも生活する限りにおいて不便は無い。それはこの世界では天国のように思える世界だ。
一喜達は知らないものの、嘗ては此処から怪物達への反逆が始まると考えられていた。
この場所には軍も学者も数多く存在する。彼等が怪物への対抗策を講じ、何れは地方に居た者達も救済してくれると願って我慢して――――結果的には全てを裏切る形になった。
選ばれし者だけが住める要塞。頑丈とは言い難いものの、他者を排斥する東京は苦しい日々を過ごす者達からすれば憎悪の対象だ。
そことの関係を結ぶのであれば男は苦言を放つつもりでいた。どうやったとて碌な結果にはならないだろうと。
だが、一喜は無視を選択した。東京を切り捨て、此処で最初から全てを始めるのだと宣言した。
それは十人には安堵を与えるに十分で、であるからこそ最初の住人として彼等には多くの責任が付いて回る。
異世界の人間が助けるに値する人間でいなければならない。
少ない時間で彼等は一喜達の善性を知って、そして打算も知っている。
人間は善性だけでは疑ってしまう。打算や悪意が合わさって初めて納得が得られるものであり、無料で御飯を与えながらも確りと仕事を与えようとする姿はこの世界の大人からブレていた。
必要な場面以外で暴力等求めていない。欲しいのは秩序であり、平和であり、明日を安穏と過ごそうと願う希望だ。
争ってでも欲しい物を手に入れようとするこの世界の人間とは根本から異なり、彼等は実に過去の人間に近い精神性を有していた。
なればこそ、十人は自身の暴力性を内に抑えねばならない。殴って解決する場面をこれからは選んでいかねばならないのだから。
「よし、衣食住はこれで済んだな。 この後はお前達にしてほしい仕事と、キャンプの連中への対処について話すぞ」
「おう、あんまり細かい作業は期待するなよ?」
「大丈夫だ。 兎にも角にも数が必要な仕事ばっかりだからな。 手先の器用さは今は求めちゃいない」
膝を叩き、一喜は告げる。
これからは十人に代価を求め、求められた側が払っていく番だ。それが出来るか出来ないかで今後の付き合いについてを望愛や沢田を含めて話し合う。
取り敢えず、今はキャンプの者達への対処だろう。メイド達が銃器を持つ手に力を入れる中、一喜は十人に話し始めるのだった。




