【第百七十話】その女、ただ甘く
「本日から世話になる。 この連中を仕切る甲斐だ」
十人の荒くれ者が横並びに立つ。
顔色は悪く、傍には崩れ掛けの家が一軒地面の上に置かれていた。
宗谷達が選抜した者達は世良や十黄と同様に纏めて運ばれている。その所為で体調は酷いものであるが、一喜からすれば知ったことではない。
拠点に入る前に一喜の一声で整列をさせられ、着地音を聞いた世良達が顔を出したことでその場での自己紹介が始まった。
十人の前に立ったのは世良、十黄、糸口の三人。
糸口が居ることで遠くからメイド達が護衛として狙撃体勢で隠れており、万が一にも彼女に暴力を振るうようであれば即座に射殺される。
そんなことなど知らない十人の内の九人は眼前の美人に目を奪われ、纏め役として宗谷から任せられた甲斐は美人な女性が持つ恐ろしさを知っているので逆に警戒を強めていた。
なるべくそれを悟らせないように強く話したが、望愛からすれば解らない筈がない。
どれだけ一喜が協力の姿勢を取っていたとしても、彼等は此処に来るのが今日が初めて。しかも襲撃の予定がある以上、浮ついた姿勢でいることは不可能だ。
更にこの世界で身綺麗な女といえば、その殆どは怪物関係。彼女がそうであると確信が持てずとも、最大限に警戒するのは当然である。
実際、望愛には一喜と同様にベルトがあるのだから強ち間違いではない。出来ればこれを人に対して使わないことを願い、彼女はにこやかな笑みを意識して浮かべた。
「初めまして。 大藤先輩の後輩である糸口・望愛と言います。 本日は我々との交流を行ってくださり、誠にありがとうございます」
「あ、ああ。 いや、こっちとしても悪いことばかりじゃねぇ。 まともに生活が出来るってんなら協力することも吝かじゃない」
女神が如き美しさを前面に押し出した表情は男性陣には効果絶大だ。
七人の男性は揃って顔を赤く染め、女性も女性で呆気に取られている。
身綺麗な人物はこの世界では基本的に上位者だ。これは怪物だからではなく、東京に住まう普通の人間も他より圧倒的だ。
それ故に外の人間を下に見る傾向が強く、望愛のように丁寧な言葉を送られることなどは皆無と言っていい。
であればこそ、警戒をしていても驚嘆が胸を貫く。罵倒が隣人として存在していた彼等は、対等であることに比重を置かれた態度に心を揺さぶられるのだ。
「皆様との交流は今後の我々の活動にも大きく影響を与えます。 出来れば隠すことはせずに率直な意見をいただけますと幸いです」
彼等の意識に揺らぎが加わったことを望愛は察し、駄目押しとばかりに甲斐に向かってそっと手を伸ばす。
差し伸ばされた手に甲斐は目を見開き、望愛の顔と手に視線を彷徨わせてからおずおずと自身の手を伸ばした。
彼女の手は綺麗だ。甲斐の土や垢で汚れた手と比較すると、触ることがそもそもの不敬に思えてしまう。
せめて川で手を洗っておけば。そう思いはしても、顔を合わせた時点でそんなことをしている暇は無い。
宝石の如き手に今から触れる事実に震えが走る。やがて腕は迷いからか途中で止まり――望愛は迷わずその手を取った。
綺麗な手と汚い手が繋がる。
甲斐の心には驚きばかりが広がって、彼女の顔をまじまじと見てしまう。
望愛の顔に嫌悪の色は無かった。ただただ、優しき顔をそのままに手を三回程振って静かに離す。
彼の手と触れていた手は汚れていた。あんなにも綺麗だった手が自分の所為で汚れて、それでも彼女を含めた相手側はまったくと怒りを示さない。
何ならこの所作を当たり前だと顔色を微塵も変えず、これからの予定についてを話し始めた。
「先ずは家を決めましょう。 その間に簡易的ではありますが朝の食事の準備をして、我々の一日のルーティンと注意事項を説明したいと思います。 ……何かご質問はありますか?」
「!ッ、ああいや、何でもねぇ。 はは、良い部屋を期待してるぜ?」
意識の一部が飛んでいるのは誰の目から見ても明らかだ。
それを指摘せず、望愛は元に戻そうとしている甲斐の誤魔化しに微笑む。
一喜は横で望愛の様子を見て溜息を吐きたくなった。あれは間違いなく上手く事が運んだと喜んでいる顔で、言ってしまえばアイドルの笑みだ。
観客に振り撒く餌としての顔。自身の容姿が優れていることを明確に自覚していなければ出来ないことであり、解っている者が使うと質が悪い。
見抜けなければ骨抜きになってしまい、破滅するまで貢いでしまう。彼等が積極的に彼女の手伝いに動くようであれば、そこは一喜が止めねばならない。
甲斐の言葉の後、皆が短く自己紹介を行い動き出した。
拠点には侵入防止用の壁が無く、設置するには他から使える壁を運び込む必要がある。
これは一見すると穴だらけの砦に思えるが、拠点の様々な位置で徘徊している機械の犬や蜻蛉が監視の役目を担っていた。
壁は確かに外部への侵入を防ぐことが出来るが、脱出が必要になった時の障害にもなる。怪物にはまるで効果が無いことを加味すると、逃げ道を塞ぐよりも監視を増やして情報の伝達を早めた方が結果的には拠点を守り通せる。
仮にこの世界の人類と戦うのであれば、一喜と望愛で十分に圧倒は可能だ。銃火器があれば多少は違うが、態々銃火器を増やして誰かに盗まれるような懸念を残すことを一喜は考えていない。
怪物と戦う過程で死人は生まれるだろう。どうしたとて怪物達との戦いは規模が大きくなるのだから、この世界の人間達も巻き込まれることは解り切っている。
出来れば巻き込まれたくないと思いはしても、そうなることが常識として彼等の頭には染み付いていた。
だからこそと言うべきか。迷路の如く入り組んだ道を抜けた先にある広い空間で、十人は更に驚かされる。
「うらッ! どうだどうだ!」
「負けるもんか!!」
そこには子供が居た。
まともな服を着て、平和だった頃のように痩せていない身体を保ち、サッカボールを蹴る笑顔の子供達が。
傍には子供達が怪我をしないようにと見張る若い男女が居て、彼等もまたこの世界の基準からすれば有り得ない程に綺麗な身形をしている。
「……」
「驚いたか?」
声の出ぬ十人に、世良は笑みを含んだ声で問う。
甲斐は顔を世良に向け、しかし碌に返事をすることもなく再度子供達に顔を向けた。
甲斐達が居た場所にも子供達は居る。けれど、その子供達はこんなにも元気だっただろうか。
食い物自体はあった。子供の我儘で飽きた飽きたと喚かれることはあったが、それでも食べてくれたことで骨と皮になる事態にまで発展することはなかった。
だが、あそこには凶悪な大人が多数居て――――だから迂闊に外で遊ばせることは出来なかった。
宗谷は子供達の保護を推奨していたが、それをすることは即ちリソースを割くことに繋がる。
住める場所も、着れそうな服も、飲める水も、食える物も、あらゆる全てを削らねばならなくなるのだ。
当然、宗谷はリーダーとしての権限で無理を通すことは出来る。今更解散したところで自分達で用意する術を持たぬ以上、彼の言葉はそのまま全体の言葉になっていた。
しかし不満が無い訳ではない。寧ろ欲深い者程、宗谷の存在を疎ましく考えていた筈だ。
この場をどうにかして自分の物のしたいと考える悪人はあの場にはかなり残っていて、そういった連中が事故に見せかけて子供を殺すことも十分に考えられたのである。
その悪人達も今や殆どが一喜達との戦闘で死んだが、まったくの零になった訳ではない。今後、何かの拍子に動き出すことは十分に考えられた。
それでも。それでもこの風景を見て、懸念を口に出すことが甲斐には出来なかった。
子供はやっぱり自然体であらねばならないのだ。素直で、純粋で、大人達に愛される存在でなければならないのだ。
それが此処なら出来るかもしれない。一喜が気まぐれで口にした警備役を担うことで、自分達が直接悪人を裁いて守り通せるかもしれない。
そのもしもは、甲斐にはあまりにも魅力的過ぎた。毒にしては優しくて、甘美に過ぎた。
「――感動していただきありがとうございます」
女神の声がそっと甲斐の、他の九人の耳に入る。
優しさを含んだ声音は天国へ誘う音楽のようで、脳は多量の希望を摂取したことで一時的な麻痺を起こした。
望愛は先を促さない。十人が完全に酔い痴れるのを待ち、次へのステップへスムーズに誘導させていく。
子供達は声を出していた。普段よりも大きく、騒がしく、楽し気に。
それが果たして、彼女の用意していた策の一つだと見抜くことが十人に出来ただろうか?




