【第百六十三話】その男、頼む
「これ、貰ってくれない?」
週末間際の木曜日。
明日には異世界に跳ぶ予定の一喜は、仕事帰りに店長に声を掛けられた。
既に私服に着替えた彼の前で店長は籠を持ち、その中には一人分が消費するには少々多いパンが乗せられている。
店長は困り顔だ。どうにも困ったような顔に一喜は直ぐにオーナーの件を思い出してああと内心で納得した。
これまでも廃棄を持ち帰ること自体は許されていた。何をどれだけ持ち帰っても常識の範囲であれば許され、フリーターやパート達には非常に助かっている。
とはいえ、こんな風に勧められることは皆無だ。一体どれだけの量の廃棄品が来ているのかを想像し、一喜もまた店長同様に眉を寄せてしまう。
「もしかして……結構あるんですか?」
「……うん。 実は裏の倉庫にね」
裏の倉庫と言われて一喜が思い出すのは、オーナーの私物が入っている店舗裏の倉庫だ。
倉庫までの道幅は狭く、建物と建物の間で肩をぶつけそうになりながら歩かねばならない。倉庫の中には基本的に工具類が収納され、それらは全てオーナー自身が揃えて店で使えるようにしていた。
とはいえ、工具の種類によってはパートでは使い方が解らない場合がある。そうなった際には男性従業員が使うことになり、一喜も幾つかを使った覚えがあった。
その倉庫に廃棄品が入っているのであれば、工具を取りに行かない限りは誰も気付かないだろう。
少なくとも一喜は今日までそこに廃棄品があるなんて知らなかったし、別の従業員の話題に上ったという情報も無い。
考えられるとすれば、深夜の短い時間で運び込んで店長に任せてしまった。
眼前の相手の顔を見ればその予想は強ち間違いではないだろうと思考し、一喜の目は小さい籠に入ったパン達に向ける。
ラインナップはこの店でも並んでいる有り触れた物だ。スーパーでも同じ類の商品はきっと並んでいることだろう。
時間も超過した物は避けられているようで、主に日付指定の廃棄ばかり。
これならば今日中に食べれば問題は無い。重要なのは、今日が終わるまで大して時間が残されていないことだ。
一喜の業務終了は二十二時。残り二時間では流石に多くのパンは消費出来ない。
「そうですか。 流石に全部は無理なのでちょっとだけ貰いますね」
「お、有難う。 他の方達にも渡しているんだけど、やっぱり日持ちしない物はあまり持ち帰ってくれなくてねぇ」
「家族が居れば一杯持ち帰ってくれると思いますけど、この店にはあんまり世帯持ちはいませんしね」
「お蔭でちょっと残りそうなんだよ」
夕方は学生や一人暮らしのフリーター。夜勤も夜勤で結婚をしていない男しか居らず、この店で世帯持ちの層は早朝と昼だけだ。
その数もかなり少なく、結局全消費は不可能だろう。
一度レジに赴いて袋を貰って戻り、夕食代わりのパンを選びながら入れていく。
今日も後輩である渡辺は残り、望愛は既に帰っている。明日からの異世界活動における準備を今から始めるようだ。
明日も仕事があることを考えると、メイド達との連絡は今日しておかねばならないだろう。
支援品を此処に運び込むにせよ、多くの人間が出入りしてはアパートの住人に怪しまれる。時間差による移動をスムーズにしなければ今後の活動は非常に厳しくなり、果ては強制退去になりかねない。
「残りそう、ですか……」
しげしげと一喜が眺める食品達は、当然だがまだ腐っていない。
金や銀よりも価値が高いこれらを異世界に持ち込めたなら、果たして一体どれだけの価値がこのパンに付けられるだろうか。
好待遇を引き出せるだけではない。立ち回り次第ではあの街そのものを完全な支配下に置くことも出来るのではないか。
そう考え、しかしこれもずっとは続かないだろうともしもを打ち切る。
この廃棄の量も今だけだ。いくらなんでもずっと続けば親戚が破産するし、そうなる前に此処のオーナーが指導の一つもする。
いや、もう既に行われていると考えれば――――これはあと一ヶ月くらいしか続かないと見るべきだ。
しかしその一ヶ月間に溜まる食料は尋常ではない。これを回収することが出来たのなら、子供達が食べられるラインナップも増える。
全ては流石に不可能だ。だが土日に限定すればと彼は考え、それはするりと自身の口から零れ出た。
「……あの、今日は無理なんですけど土日の分も一杯あったりしますか?」
「うん? ――そうだねぇ、向こうの状況次第だから何とも言えないけど、この調子じゃ暫くはこのままだろうね」
「でしたら、土日の分の廃棄は全部貰いましょうか?」
「……それは、またどうして?」
一喜の突然の提案に店長は目を瞬かせながら当然の質問を投げ掛ける。
一喜は一人暮らしだ。それは日々の雑談や履歴書にも示され、同棲している彼女が居るとの情報も無い。
望愛とそれらしき気配があると噂はあるものの、それ自体は噂の範囲を超えないので信用には値しなかった。
他に同居人が増えた話も聞かず、であれば土日のみであれ大量の廃棄品を消化する手段は無い筈だ。
「この近くに公園があるのを知っていますか」
「うん、そりゃ勿論」
一喜の脳内に嘘のワードが駆け巡っていく。
異世界の話をする訳にはいかない以上、どうにか誤魔化しておかねばならない。これは危険な賭けであるが、しかし成功すれば益になるのは確実。
なるべく綱吉を頼りたくないのであれば、何処かで危険な橋を渡る必要がある。ならば、今正に橋を渡ろうと一喜は嘘を吐いた。
「子供達が遊んでいるんですが、その中に……どうにも痩せている子達が居るんです」
「痩せている子? ――もしかして」
「はい。 俺ももしかしてと思って、あんまり褒められた行為ではないんですが話しかけてみたんです」
表情は暗く、語る声は重く。
どんよりとした雰囲気を纏わせて一喜は語り、店長はその表情に嫌な予感を覚えずにはいられない。
店長は長年の勤務態度から一喜が不正をする人間ではないことを知っている。怠けることもなく、昨今では珍しい真面目な人物だと信頼もしている。
断られなければ社員にとも推しているからこそ、彼の言葉を嘘だと思えない。
「そうしたら、まぁ、所謂ネグレクトでした。 母親だけしかいないみたいで、金だけ置いて家には居ないみたいです。 その金もあまり多くないみたいで……」
一喜の顔は更に暗くなっていく。
実際はネグレクトも真っ青な地獄の中を子供達は生きていた訳だが、それを薄めて伝えても店長の顔色は青くなっている。
視線をそこかしこに向け、如何にも関わり合いになりたくないといった雰囲気を纏って眉を顰めた。
その態度に一喜は何かを言う気はない。誰とて厄介事に巻き込まれたくはないし、そんな話を聞きたくもないだろう。
近年のニュースでは虐待される子供の数も増えた。親となるべきではない人間が無責任に子供を産み、そのまま軽い気持ちで放置したのである。
子供が人間なのは常識的な話だ。そして子供は大人程頑丈ではない。自分が大丈夫でも子供には駄目だった例など有り触れる程に存在し、されどそういった資格の無い人間には理解が及ばないのだ。
よく言われる免許制にすべきという言葉は、こういった子供が誕生することを考えると頷きたくもなる。
兎に角、厄介な子供を利用すれば店長は迂闊に手を伸ばそうとは考えない。これは他の社員にも有効だ。
「警察には連絡はしたのかい?」
「いえ、まだです。 それに最近は警察に連絡しても保護してくれるとは限らないとニュースで聞きまして……」
「親権の話だね。 あれは個人的にどうかと思ってるよ」
親権の力は強い。どんなに酷い親から引き剥がそうとしても、親権の力の前では例え警察でも確実に保護出来るとは限らない。
これは児童相談所でも一緒だ。事実を突き止める前に親に連絡して確認されてしまえば、元より力の無い子供に更なる理不尽が襲い掛かる可能性がある。
子供を保護する機関が親という個人よりも弱い事実。これは非常に問題ではないかと専門家が語る番組を店長は思い出し――溜息を吐いた。
「よし、一度オーナーに聞いてみる。 その結果で決めよう。 いいかい?」
「はい、有難うございます」
一先ず橋の手前は渡れたか。九十度に頭を下げる一喜は、その下で笑みを浮かべた。




