【第百六十話】その男、日常が異常になる
夜も更ける頃、一喜達は子供達と別れて何時ものアパートの扉を抜けた。
通り過ぎた瞬間に荒々しさのある景色は姿を消し、全員の視界が一人暮らしの男の空間を捉える。
今更他人に自室を見られることに羞恥心は覚えないが、掃除らしい掃除をしてこなかった為に段ボールや透明の袋が部屋の端に放置されている。
これからも段ボールは増えていくだろうし、持ち込む品物も増えるだろう。
その全てに一喜の資金が投じられるかは不明である。が、一喜の要望を望愛達は何がなんでも成し遂げようとすると彼は半ば確信していた。
「明日からは仕事か……」
「そうですね。 二日居なかっただけなのに何だか長い時間が経ったみたいです」
「同感だ。 時間の流れが一緒じゃなけりゃ時差ボケになりかねん」
持ち込んだバッグ等を床に投げ置く。
そして背後を振り返り、靴を持った沢田だけしかいない状況に彼は口を開けた。
「メイド達はどうしたんだ?」
「彼女達は現地に滞在して我々の活動拠点を構築させています。 食料や生活必需品は持ち込んでいますので心配は無用でしょう」
「……彼女達だけで守れるとも限らんが」
あの拠点では確かにメイド達が活動するには不足が多過ぎる。
望愛や子供達を守るのであれば現地に残って設営を続ける他無く、再度週末を迎えるまでは帰ることは出来ない。
彼女達は若いが、しかし未成年の人間は居ないだろうと一喜は思考する。
学生であればバイトがあるも、大企業の御令嬢の世話をバイトに任せるなんてする筈もない。やるならよっぽどの有能でなければ綱吉は納得しない筈だ。
なので一週間程度帰還しないなら問題は無い。護衛である以上は訓練も積んでいるので厳しい環境でも生きていけるだろう。
対人間であれば、あのメイド達が頼りになるのは間違いない。なのでこの場合の懸念は、やはり怪物やオールドベースについてだ。
「怪物側は一先ず足を止めてくれているが、その我慢も何時まで続くか解らない。 次に動けば此方の言葉なんて届かないと思っておけ。 オールドベースは、まぁ一枚岩ではないから襲撃される可能性は高い」
「どちらもメタルヴァンガードに登場する力を使えるのですよね?」
ああ、と一喜は首肯する。
どちらも力の大小があったとしても質は一緒だ。あれが此方を潰す目的で動くのであれば彼女達は耐え切れない。
鎧袖一触で皆殺しにされるのが関の山。だからこそ、向こうで使える武器の類は全て運び込んである。
無人機の火器では撃破にまでは至らないが、持ち込んだ中でも最強の出力を誇る剣は怪物すら撃破可能だ。ただし、それを使えば生身は千切れ飛ぶが。
「確かに、綱吉様が提供してくださる戦力だけでは不安は強いでしょう。 あの娘達が全員メタルヴァンガードになれるのであれば逆に余裕が生まれるのですが、特撮番組内の現象と同じ現象が起きるのであればおいそれと手は出せません」
沢田の眉を寄せて困った表情を見て、一喜はおやと片眉を持ち上げる。
「意外だな。 一人二人くらいは実験で使い潰すと思ったんだが」
「それは偏見ですよ。 我々は科学者ではなく護衛で侍従です。 それに行方不明にでもなれば厄介なことになりかねません。 どこに綱吉様の隙が生まれるかも定かではないのですから――どうしても出来る範囲には限界が存在します」
「まぁ……それもそうか」
危険な実験は異世界であれば実行可能だ。ベルトをメイド全員に渡して装着させ、何人がメタルヴァンガードになれるかを確かめることは今でも出来る。
かといって、それでカードが異常を起こして心身に異常を与えては労災どころではない。
即死でなければクイーンで戻せるとはいえ、即死すれば隠蔽するにも多大な労力が求められる。その過程で綱吉の敵が何かを勘付いて深く探られる不安が残ってしまう。
此方側から持ち込んだカードとベルトであればもしかすればと一喜は推測しているが、それを今此処で言葉にはしない。
それでメイド達が全員着装に成功して敵に回った未来を想像して、自身が奴隷になる姿が見えたからだ。
言わず、一喜は沢田に同調を示しておく。彼の姿に二人は何ら疑問を挟まず、それではと沢田はベランダへと歩を進めた。
「一喜様の要望については明日にでもお伝えします。 その結果については望愛様の携帯にメールにて御教えしますので、通り次第再度作成した契約書にサインをお願いします」
「解った解った。 ま、どうせ直ぐに首を縦には振らないだろうから待つさ」
「――任せてください先輩。 次の週末までに結果を揃えさせます」
作った契約書の内容を変更するとなれば、本来は顔を合わせて本人同士で話し合った方が良いだろう。
しかし、一喜達には休息が必要だ。寝れるタイミングで寝なければ過労で倒れてしまいかねない。
沢田としては本業よりも異世界に力を注いでもらいたいものだが、そうなってくれるには信頼があまりに不足している。
人を増やし、異世界の作業効率を引き上げて彼の懸念を潰していくしか今は疲労を減らす手段がない。
「身内ですので、急かすのには慣れています。 普段のバイトでももっと仕事を割り振ってくださいね?」
間近まで接近して上目遣いで一喜を見る望愛は、都合の良い彼女としては百点だ。
問題はそれで一喜が仕事の割り振りを変えることはない点である。そもそもバイトの割り振りなんてものは社員が考えることなので、一喜に言ったところで変わることは無い。
言われた彼ははいはいと気の無い返事を送り、彼女をそのままベランダから外へと追いやった。
窓を閉じれば彼女は不満そうな表情で一喜を見やり、そして最後に諦めたように隣の部屋へと戻っていく。これで外に出なければ彼女と鉢合わせる可能性は潰せるだろう。
「……」
一人となった空間を見渡す。
伽藍の世界は少し前までであれば一喜の日常であったのだが、今では静かであることに違和感を覚えて仕方がない。
それだけ短期間に人と接していたのだと彼は再認識するも、そうした意識の変容に一喜は不安を覚えてしまう。
誰かが傍に居るのが完全に当たり前になった時、それが無くなることで生じる喪失感は一体どれほどに大きいのだろう。
居なくなることはないと思う者達が居なくなった時、果たして自身は正常であり続けることが出来るのか。
人とは繋がることで大事を成す生き物である。けれども、繋がるからこそ絶望の道が開けてしまう。
一人であれば心配するのは自分だけで良かった。周りを全て味方ではないと断ずることで精神の変容を防ぎ、心を強固に纏めることも出来る。
けれどもう、既に一喜の心には少なくない他人が居座っていた。子供達の笑顔が彼の脳裏に過る度、当初の考えが如何に自分勝手であるかを突き付けてくる。
「はぁ、拙いな。 こんな調子じゃ望愛達に絆されかねん」
首を激しく振って心を再度固く閉じる。
子供達の笑顔を良いものだと思えるのは、それがやはり大人には持ち得ない純粋さを含んでいるからだ。
成長すれば純粋さは失われ、今日のような信頼を損なう行動を取るようになる。
誰よりも自分が、自分だけが。
その考え方に染まりきった時こそ、人は他人を食い物にするのだ。食い物にして悲鳴に愉悦を覚えるのだ。
「――やるぞ。 もう後戻りは出来ないんだ」
今一度覚悟を込めて一喜は自身に呟く。
賽は当の昔に投げられている。今更逃げ出すことは許されない。――平穏が欲しいのなら、己が満足する場所を自分で作るしかないのだ。
その様は、やはり最初の頃とは変わっていた。




