【第百五十七話】その男、二つに一つを往く
――酷い話だった。
一喜の胸中を支配する感情は激情ばかりで、それがこれからも激しく燃えて相手を否定すると考えていた。
しかし現実は大きく違う結果を引き出し、望愛は世良や十黄が見ている前にも関わらずに一切の虚飾を捨てて謝意を示している。
加えて言えば、沢田の言葉が一喜の脳裏に一部の予感を到来させていた。
それが糸口・綱吉と呼ばれる男が原因であるのは瞭然で、認めたくはないが意識していることを一喜は胸に抱く。
彼の印象は厄介なシスコンだ。妹を愛していて、異性が接近することを激しく嫌悪している。周りの護衛も女ばかりで固め、いざ結婚の話にでもなれば間違いなく最後の壁として立ちはだかるだろう。
ここだけ見るならばまだ微笑ましさがあるが、綱吉の内面にはそれとは別に冷徹な部分もある。
発揮されるのは仕事の場面が多く、されど普段の生活の中でも打算を含んでいるのは一喜には容易に想像出来ていた。
仕事を生活の主軸とする以上、大なり小なり影響は必ず受ける。暴力的な職場に在籍し過ぎた結果として粗暴になってしまうように。
一喜に会ってしまった時点で綱吉は自分にとって益になるかどうかで関わる人を選別していた。
それが自分にとってか家族にとってかで異なる対応を取るが、最終的にプラスになるのであれば多少性格が悪い人物とも彼は笑顔で握手を交わせると一喜は考えている。
故に、損得勘定で物事を決める人間を一喜は好まない。
好人物相手でも状況が悪くなれば切り捨てるなど、およそ人として正しいとは思えないのだ。
合わないのならば無理に付き合わず、気の合う者と仲良くすればいい。それで社会が回らないのは理解しているが、それでも可能な限り感情で付き合える人間との方が精神的な充実は大きい。
金や利権に執着せず、ただ己の心のままに自由に暮らす。
そのような人間はこの時代では少なく、達成するのも難しい。けれども、それが穏やかな日々に通じると彼は確信していた。
「――これじゃあ俺が悪者だな」
閑話休題。
逸れた思考を戻し、この状況に対する正直な感想を零す。
最初に悪化を働いたのは望愛だ。望愛がただ綱吉と縁を切れば、取り敢えずの形ではあれどこの状況は出来上がっていなかった。
全ては彼女が勝手に益を求めたからであり、けれどその心に損得だけが宿っていた訳ではないことを望愛が此処で証明している。
頭を下げた謝罪は、心を隠せる人間ならば容易に行える手段だ。一喜とてよく使っていたものであり、表で謝りながらも心の内では不満を抱えていた。
望愛が心中でそう思っていても不思議ではなく、心を覗く術が無い以上はその姿勢に対して彼女の評価を決めねばならない。
「謝るだけなら誰だって出来る。 特にお前のような人間なら謝ることなんて造作もないだろ?」
「…………」
「――なら、嘘だと思わせない責任の取り方だって解っている筈だ」
頭を下げるだけなら誰でも出来る。ごめんなさいと口にすることも誰だって出来る。
子供でも出来るような真似をしたところで、人間を信用していない一喜には届く筈もない。
望愛にもそれは解っている。解っているから、一喜の言葉に彼女は視線を沢田に向けた。より正確に言えば、沢田の腰に差さっている拳銃に。
「沢田、その銃を貸して」
「お嬢様?」
「早く」
有無を言わさぬ態度に沢田は嫌な予感を覚えた。このまま銃を渡せば最悪なことが起きると、そんな未来が彼女に到来した。
拳銃のグリップを握る。渡すか渡さないかで迷い、その姿勢に望愛が眉を寄せる。
「沢田」
「何をなさるおつもりですか。 ご説明してください」
「何って、そんなことは決まっているでしょ?」
真実の証明。
望愛が今しなければならないことは、この謝意の保証だ。自分は利益を求めた結果動いたのではないのだと一喜に伝える為に、本気を示さねばならなかった。
半ば睨み付けるような目で望愛は沢田を見つめる。焦りと怒りの混じる感情が瞳に渦を巻いて現れ、正常さを取り除き始めている。
渡してはいけない。即座に沢田はその判断を下し、強い意志の籠った目で望愛を見つめ返す。
その姿勢に彼女からは無理かと他のメイド達に視線を彷徨わせるも、誰もがリーダーたる沢田の姿から銃を持つ手を強めた。
溜息が望愛から放たれる。銃を使って証明出来ないのであれば、別の方法を取るしかない。
彼女は自身の首を手で掴んだ。そして一度一喜の顔を見て、微笑を送ってから腕に力を強めていく。
どんどんと強くなっていく腕の強さに合わせ、彼女の首も締まる。血色の良い肌色は色素を急速に減らしていき、死人へと加速度的に進む。
「お嬢様!?」
沢田の絶叫の声にメイドが一斉に荷物を放り捨てて走る。
半ば飛び込むような姿勢でメイド達の内の二人が望愛の腕を掴んで引き剥がす為に力を入れるが、その細腕の何処にそんな力があるのかと見事に拮抗していた。
女であるとはいえ、護衛として鍛えたメイド二名の全力の行動に対抗出来ている事実は異常だ。
危機的状況に陥った場合のみに発揮される馬鹿力か、或いは最後に猫に反抗する窮鼠か。
望愛の瞳は死へ向かうにも関わらずに澄み渡り、ただ愛する男を見つめている。
更に複数人のメイドと沢田が参加して腕を掴む。流石の細腕でも圧倒的な数によって骨が軋みを上げていくも、怖ろしいことに未だ解放にまでは至らない。
「お嬢様! お嬢様! おやめください!! 放してください!!」
沢田の絶叫が増していく。狂気を帯び始めた声は、悲しいまでに望愛に届かない。
澄み渡る瞳からは意識のようなものが徐々に抜けてきて、自死に対する防衛本能がいよいよ本気で恐怖を自身に抱かせる。
本来ならばその時点で人は腕を離す。圧倒的なまでの恐怖と生存への渇望が自殺の手を止め、未来が詰んでいても生きることになるのだ。
ならば望愛もと一喜は思って――――本能的にその考えに否を叩き付ける。
「一喜ッ、い、いいのかい……?」
「このままだと彼女死ぬぞッ。 ……ゆ、許してやってもいいんじゃないか!?」
流石に人が死ぬことまでは許容出来なかった世良と十黄も声を上げた。
急速に上り始めた焦燥が先程までのやり取りを隅に置かせ、一先ずの生存を最優先にすべきだと叫ぶ。
一喜と望愛達のやり取りを聞いている限りでは望愛のやったことは確かに悪い事ではある。けれどそれは、一喜が頑なに拒否する程の内容であるとは思えない。
ましてや命を代償にする必要などある筈も無いのだ。互いに十分に話し合いをした上で妥協点を作り、そこで納得すれば良い。
人死になんて態々求めていない。武力によって解決させるのは怪物や頭のおかしい奴相手だけでいいのだ。
無言を貫く一喜に、二人は揃って目で静止を訴えた。
「――――ああもう」
頭を掻く。
なんて最悪な日なのだろう。状況は余計に一喜にとって悪い方に傾いた。
こうなってほしくなかったから話を早めに終わらせたかったのに、望愛による決死の証明が傾き方を変えて今正に道を捻じ曲げている。
二つに一つ。望む方向を今からでも選ぶことは出来るが、それをすれば折角の設定に大きな歪みが発生する。
綱吉の語る英雄像とも剥離し、虚実混ざった情報の真実に世良達が気付く可能性が高まってしまう。
それを回避したいのであれば――――一喜は己の中の不満に蓋をして、今にも意識を飛ばしそうな望愛の頭に軽くチョップを放った。
「俺の負けだ、負け。 もういいぞ」
「――――ゲホッ、ガホ! ゴホ!」
チョップの衝撃であれだけ強固だった腕が途端に緩み、沢田達が一気に引き剥がす。
解放された身体が一気に呼吸を求めて過剰に肺を動かした。勢いよく吸い込んだ所為で激しく咳き込んだ望愛の背中をメイドの一人が擦り、その感触を受けながら彼女は机の上に頭を乗せるのだった。




