【第百五十四話】その男、英雄にされる
『世界では別人が英雄として崇められているが、裏側を知っている側は真実を知っている。 全ての道筋を作ったのが君で、今崇められている者の憧憬の対象が誰だったのかを』
綱吉の語る言葉は嘘八百で塗り潰されていた。
そんな人間は存在しないし、態々作ったことも考えたこともない。無から生まれた有として綱吉は語り、堂々たる様に嘘ではないと説得力を持たせた。
咄嗟に一喜の口が開く。なにかしらの否定を言葉として発しようとして、しかしそれは口にすれば全ての崩壊に繋がることを彼は理解していた。
故に何も言えず、開いた口をきつく結ぶ。耐える姿に嚇怒が宿り、心の波は嵐が如くに荒れ狂っていた。
その姿を綱吉が見ることがあれば、あるいはこれ以上の嘘を言わなかったかもしれない。
しかしこれは録画だ。画面の中に映る綱吉は彼の反応を知ることも無く、ただ用意した台詞を口にするだけである。
『君の功績は大きい。 本来であれば君が世界の英雄となり、多くの人間を率いて世界救済の為に行動していたかもしれない。 ――しかし、現実はそうはならなかった』
綱吉の淡々とした、しかし忌々しい雰囲気も漂わせる声に何も知らない世良と十黄の意識は強く引き寄せられた。
一喜が異世界における英雄。それも影や裏といった言葉が頭にくるような、一般人からすれば到底お目にかかれない奇跡のような人間だと二人は知った。
しかし彼が英雄であること自体は二人にとって何ら不思議な話ではない。そも、他のメンバーも彼を英雄視している以上は否を告げないだろう。
気になったのは、一喜の過去だ。どんな生活をして、どんな戦いをして、どんな人生を歩んできたのか。
異世界からの彼だけを知ったのでは全てを把握したと言い切ることは出来ない。そんなものは表層に過ぎないからだ。
『厄介な話だ。 オールドベースは確かに人の未来を作ったが、同時に世界の平和を破壊することにも繋がってしまった。 共通の敵が消え、残るは原因のカードと影響力の高い人間。 邪魔な怪物が居なくなった以上、何処かの誰かが次の支配者を望むのは在り来たりな話ではある』
綱吉の創作は原作のメタルヴァンガードを下地にしている。
物語上では綺麗に話が終わるが、現実的に見ればこの後の出来事が決して明るいだけでは済まされないのは火を見るより明らか。
綱吉は創作に嘘の要素を限りなく取り除こうとしていた。それは補強であり、再構築であり――小事めいた悪戯である。
『カードはこの世界にあってはならない。 同時に、君もまたこの世界で生きていくには少々難しくなってしまった。 故に君がそちらで活動していることを許され、オールドベースは積極的な接触を避けることにしている。 全ては世界の平和の為に』
本題の一部を締め括った綱吉は手前のテーブルに置かれていた高級なカップを手に取り、一度匂いを味わってから喉に通す。
これが一喜に対する整理の時間だと言外に告げ、その間に勝手に作り上げられたお話を彼は脳内で構成していった。
この話はつまり、一喜がどうしてこの世界に来ることになってしまったのか。そしてどうして、彼は自由にカードを使えていたのか。
その全てに対する説明だ。彼がまだ完全に組み立てきっていない話を綱吉という胡散臭い男が語ることで、嘘の要素を外的要因を用いて削ぎ落したのである。
世界の平和を守る為。大藤・一喜と呼ばれる男は英雄として公表されずに隠され、偶発的に発見されたこの世界での活動を黙認された。
その傍には世界に不要なカードがあって、彼の身を守る為にとベルトも与えられ、半ば放逐に近い形で生活を求められたのだ。勿論、完全にノータッチとはしないようにはしていながら。
英雄は戦いの中でしか輝けない。平和の前では脅威となり、万が一を連想させ続ける存在は悩みのタネとして常に思考の片隅に居座るのだ。
それらの要素を他所の世界に移せるのであれば、平和は保たれるであろう。
『まったく酷い話だ。 大を守った英雄を小として切り捨てるような真似をするなんて、まともな感性とは思えない。 これが平和の代償だとするなら、彼等の与える平和を私は容認することは出来ないだろう。 ――であればこそ』
紅茶をテーブルに置いた手を顔の前で合わせ、真剣な目でカメラの先に居る未来の一喜を綱吉は見やる。
ここから先が嘘の無い話。本当に話すべき、彼の提案。
『これから先、此方側の平和を君が甘受することは出来ない。 ならば、そちらで平和を甘受する場所を作るのはどうだろうか』
画面の外側から綱吉に向かって細い腕が伸びる。その手には一枚の紙が握られ、彼はありがとうと口にしながらその紙を受け取りつつカメラに見せた。
内容は契約書だ。高画質のカメラはその内容を正確に映像に残し、一喜は文面に視線を這わせ――内容に目を見開いた。
それは今後この異世界で生活していく上で必要だった食料の供給と必要人員の提供を綱吉がすると保証するものだ。
嘘の設定を使わずに誰に見せても違和感の無い形とする為に言い回しは少々迂遠となっているが、噛み砕いて言えばこの二点について協力する旨が書かれている。
とはいえ、それで対価が何も無い筈もなく。これら二点を提供する代わりにこの異世界にて彼は独自の拠点を作りたいとの内容が書かれていた。
『私はオールドベースの理念には共感しない。 だが、一個人として誰かを助けようと無謀な手段に出る君については理解も共感もしよう。 ……尤も、今君にこの動画を見せている私の妹が強く説得しなければこうはならなかったが』
思わずといった形で視線が望愛に向けられる。
彼女は漏れた笑みを引っ込めて真顔を作った。一喜に見られる前に取り繕った表情で視線に頷きを返せば、これが全て事実であると彼は認識しなければならない。
『この紙は既に望愛に持たせてある。 君が記名した時点で契約成立となり、即日に食料を提供しよう。 それと、今君の周りに居るメイド部隊は望愛の護衛だが、成立後は彼女達の指揮権も君に預けることになる。 最低限の生活を保証するのであれば、どのように動かしたとしても問題は無い』
綱吉の言葉はそこで途切れた。
契約の内容に関する当たり前の疑問には答えず、ただ静かに残った紅茶を一口含んでほうと息を吐く。
その姿は正に上位者。一喜の脳に残る、最も嫌悪すべき者達の姿と変わらない。
綱吉と一喜の仲は良いとは言えなかった。望愛という点で繋がりを持つだけで、それがなければ互いに会いたくもない人間だと思っている。
そんな綱吉があまりにも一喜に対して有利な契約を持ち掛けた理由は、一喜には一つしか思い当たらない。
タイミングがあったとすれば、それは一喜と望愛が別行動をしていた時。
沢田から始まったあの接触がこの事態を引き起こし、今正に一喜自身の未来を違う路線に誘導しようとしている。
それは止めねばならないことだ。
それは拒絶しなければならないことだ。
己の知らぬ場所で、勝手に己の道を決められるなど我慢ならない。自身が納得した道を歩いてこそ、満ち足りた生を歩めると確信しているが故に。
もう、誰かに理不尽な目に合わされるのは御免だ。逆らえようのない理不尽に襲われるなんて、二度と遭遇したくない。
心の内に潜む正社員時代の一喜が絶叫を上げた。この画面に映る化物を――許容してはならぬ。
『最後に。 私は、君と会話をしてから一月も経過していない。 私の家族を預けているにも関わらず、私は君との交流をまるでしていなかった。 それは互いに嫌悪していたからであるし、多忙の身だったからでもあるが、一番はきっと……』
腕が伸びた。
一瞬でタブレットを掴み、それが天高くに運ばれる。
『きっと、望愛に成長の機会を与えてくれた君のことを――――』
望愛も、世良も、十黄も、他のメイドも。
気付くまでに一瞬の隙が生まれた。その隙を彼は逃さず、タブレットを持つ腕を全力で振るった。




