【第百四十五話】蛮族の男、真実に焼かれる
無惨な光景が広がる様をその男は気にしていなかった。
野性味を感じさせる鋭い目。乱雑に切られた黒髪。茶褐色のコートは汚れが目立ち、その下のシャツも黄ばみが多い。
無精髭を伸ばした男の姿からはホームレスのような印象を覚えるが、しかしそうだと断じるには男の目は冷静に過ぎた。
放置していれば何れ死ぬだろう者達を見ても眉一つ動かさず、唯一気にしていたのは何が起きていたのかについてのみ。
呻く連中から即座に初めて見る一喜達へと視線を動かし、最後に一喜だけに目を固定させた。
「最初に手を出したのはどっちだ?」
「そこで倒れている方だ」
「田中」
「へい、事実です」
田中と呼ばれた男は背筋に冷たいものを感じつつも正直に答える。
今この場において彼とそれなりに会話が可能なのは負傷していない男だけだ。女は武器を即座に仕舞って空を見上げ、騒ぎを聞きつけた者は遠くから事の成り行きを戦々恐々とした面持ちで見つめている。
誰もが今現れた男に視線を集中させ、その姿は正に集団のリーダーと言えた。
なればこそ、話をすべきなのは彼なのだと一喜は口を開ける。
「此処の纏め役はアンタか?」
「ああ、……宗谷・通照。 成り行きでこいつらのリーダーを任されている」
「俺は大藤・一喜。 此処には単に話し合いをしたかったから来たんだが、随分とまぁ手荒い歓迎だ。 それがそちらの流儀か?」
「それについて言い訳は出来んな。 此処に居るような連中は総じて他から排斥された奴等だ。 どんな話をしたかったのかは知らんが、一度排斥された連中はどうしても攻撃的になる。 温かい歓迎を望んでいたんなら此処では諦めるべきだな」
厳めしい顔は変わらず、されど攻撃の意思は示さずに宗谷は一喜と言葉を交わし合う。
それは生死のやり取りに慣れ親しんでいるからこそのもの。何時死ぬかも解らぬ世界だからこそ、他者の死について深く考える真似はしない。
彼の言葉は非常に軽快で、それこそ雑談めいている。一喜としては有難いことであるが、場の雰囲気とはあまりマッチしていない。
「で、話の内容は?」
「食料についてだ。 そちらが現状で独占している魚を分けてほしい」
「成程、それは中々厳しい話を持ってきたな。 奴等が暴れたくなるのも納得だ。 ――相応の益が例えあったとしても、首を縦には振れなかっただろうな」
一喜の交渉内容を鼻で笑う通照は余裕だ。
目の前に大量の死に掛けの人間が生まれて、それを成した者が目前に居るというのに、どうにも危機感が欠如している。
生来の気質か、それとも策があるのか。
可能性を複数立ててみるも、通照の素振りを見る限りでは読み取ることは難しい。
ならば指摘してみるかと思考が流れるが、そこに自身で待ったをかける。どうせそれをしたところで軽く流されると解っていたからだ。
そして、このままの流れが続くようであればこの会話にはまったくの生産性が生まれないまま終わりを迎える。
無駄な戦いで怪我人が生まれ、一喜達は弾を無駄に消耗しただけの何でもない時の出来上がり。――それは一喜にとってあまりにも無いと言える展開だ。
「その益って奴の内容を聞かないのにか?」
「聞いたところでな。 食い物以上の価値があるとなると、それはもう……」
彼等が一喜の言葉に首を縦に振れないのは、一重に振るだけの価値があるモノが限られているからだ。
食い物は生命線である。それを僅かでも失えば維持に支障が出るのは当然として、交渉材料としてそれを提示するだけで大抵の品物を手にすることが出来る。
食料こそ至上。一般人が手の届く最高の贅沢が飢えに苦しまぬことであれば、そこよりも良い生活をしようとするのは至難を極める。
例えば、衣食住の整った前時代的環境。
例えば、危険の完全排除。
その二つは世界の何処を探しても見つかるものではない。怪物が当たり前の如く姿を現す状況において、それは最早常識である。
仮にそれがあると語ったところで詐欺師よりも嘘臭く通照達は感じるだろう。愚直にあると語っても嘘であると断じてしまう筈だと一喜は確信している。
「見る限り、お前達が満たされているのは食欲だけだ。 衣服はボロボロで家も無事な所は無い。 皆はアンタをリーダーだと思っているようだが、アンタには今後の未来を見据えることが出来ていないように思える」
「冷静な指摘ありがとさん。 挑発のつもりならちょっと迂遠だな」
手をひらひらと振る様に余裕の中の諦観も感じ取れた。
交渉する余地が無いと断じているのは、内容もそうだが本人がもうどうしようもないと諦めている部分もある。
此処には明確に特徴のある建物が無い。元の世界の場所と比較してもあの街から少し外れれば小さなチェーン店が幾つかあるだけ。
それ以外は住宅ばかりが立ち並ぶこの環境では全員を賄う程の物資を用意するのは難しく、必然的に何処かから調達する他ない。
そして、彼等は一般人だった。物語に登場する頭の冴えた人間は居なくて、彼等は極普通の小市民として頭を悩ませねばならなかった。
それが今の状態をゆっくりと作り上げていき、彼等の頭を固めていったのだ。もうそうするしかないと決め付けて。
「露悪的な振舞いをするのは怪物から襲われないようにする為。 恐らくは逃げる最中に誰かが化物が語っていた所を盗み聞いたんだろう? 奴隷達がどのような基準で選ばれたのかは定かじゃないが、お前の様子を見る限りそうするだけの理由がある」
「……」
「で、外側から見て悪党のような集団だと思われれば、今後集まる奴等も悪党ばかり。 そいつらを物理的に従えることが出来れば悪さをしたところで違和感なんて持たれない。 そも、お前自身も生き残る為には他者を食らうしかないと決めちまったから悪党であることが真実になった」
一喜の言葉は何か確信となる材料が揃っている訳ではない。
全てが憶測、推測の域を出ていない状態だ。されどたった一つだけ、一喜は確信を持って言えることがある。
通照と呼ばれる人間は誰かに慕われるだけの要素を持っていて、そして他の小悪党よりも理性的であることだ。
猪突猛進ではなく、無謀無策でもなく、怪物に襲われない環境を必死になって構築した手腕はこの世界では見事と言うしかない。
そこに怪物との対抗手段が用意されていれば、彼もまたこの世界に存在するオールドベースのようにレジスタンス的活動を起こしていただろう。
彼にはやる気がある。その諦観を吹き飛ばしてやれば、少なくとも一喜より大きな力を持つことだってきっと出来ていた。
「お前はきっと真っ当だ。 そこらに転がる悪人よりも普通の感性を持っている。 だからこそ、未来が見えなくてその日の事ばかり考えているんだろう。 ……まったくもって勿体無い」
「勿体無い?」
声が通照の喉から絞り出た。表情はなおも変わらず、されど今は一喜には能面のように見えてならない。
取り繕う必要すらない場面で取り繕っても意味など無いのに、彼にはそうする以外で面と向かい合わせる術を知らないのだ。
それはやはり、彼が元は普通の一般人だったからで。そして自分には資格が無いと今も思い込んでいるから。
この世界で同じ様に通照も苦しんでいる。それもまた敵の餌になると怒りながらも、どうしようもないのだと憤激と共に嘆いている。
理不尽によって虐げられるその姿は、嘗ての一喜自身だ。状況は此方がより酷いとはいえ、全てを背負わされてしまった者特有の激情は似ていた。
「アンタはこの世界でも数少ない、きっと何かを変えられる人間だ。 理不尽に唾を吐ける人間だ。 そういう人間が蹲っている様は――非常に勿体無い」
戦いの際に仕舞い込んだ戦艦のカードを再度手に持つ。
ベルトのスリットからカードを飲み込ませ、機械音と共に赤光と音楽が鳴り出す。
突然の現象は皆の困惑と驚愕を集めた。赤光が作り上げていく戦艦の姿は雄大かつ強靭なイメージを叩き付け、恐怖以外の感情を湧き上がらせる。
「食料を分けてくれたのなら、俺は力をお前に提供する。 怪物達を撃破していった、この力を」
「――――」
通照の目が限界まで見開かれていく姿を見つつ、一喜は意識して獰猛に笑う。
その顔はただ一言を語っていた。その姿が今以外を表していた。
「着装」
来い。
その二字が、通照の脳に強烈な一撃を放ったのだった。




