【第百四十話】異世界の男、長らしきを見つける
多くの人間が奥から現れた男を見ていた。
誰しもが彼を前にして頭を垂れ、それを男は当たり前の如く受け入れている。
茶褐色のコート。黒の手袋に、底の厚い薄汚れた靴。胸元は開き、無地のシャツには何の防具も付けていないことが窺える。
伸ばした髪を無造作に切ったような乱雑な黒髪は野性味に溢れ、鋭い目元も凶暴性を強調させていた。
口を真一文字に結んだ顔に入れ墨もメイクも存在せず、解り易く凶悪な者と比較すると幾分か大人しくも思える。
捲られた袖から覗く素肌は焼けていた。真っ黒とは言わないまでも適度に日焼けした肌には活動的な印象を覚える。
男は縦長いズタ袋の前まで歩き、そして膝を突いた。
何をしているのかは十黄の目では見ることは出来ない。傍目にはただ膝を付いているだけのように見え、周りは彼に声を掛けなかった。
「なんだ?」
件の男は暫くそのままで、そして漸く立ち上がったと同時に座り込んでいた男達に何事かを告げている。
周りの集まっている者達にも大声で指示を下しているようで、先程まで騒然としかけていた空気が無散し始めていた。
ズタ袋は数人の男達に運ばれ、怪我をしている者達に数人の女性が手当を行っていく。彼等には多くの食料が与えられ、しかしそれを前に表情を暗くさせて一言も発さず手を動かしていた。
一連の流れを見てから、十黄は双眼鏡から目を外す。
八時間も経過すれば空は既に暗くなっていて、夜空には相も変らぬ星空が憎らしい程に輝いている。
この星空の明りがあるからこそ暗闇とは無縁であったが、それは即ち文明とは無縁であることも示していた。
脳裏に過るのは先程の残虐な光景と今の光景。
塵のような人間が居て、同時に塵とは思えぬ人間も居る。一つの集団の中で過ごしているとはとても考えられぬような正反対の者達は、十黄の中にある単純な集団というイメージを吹き飛ばした。
末端は兎も角として、恐らく頭か頭に近いだろう者は比較的思考する脳を持っている。
そうでなければ集団を一つに維持し続けるのは難しいのだが、凶暴な者達を自身の配下として抱えていくには圧倒的なカリスマ性が必要だ。
単純な奴ほど格を重視する。どちらが上でどちらが下かを力で判断したがり、頭を使った解決法では中々格差を理解してもらえない。
件の男は素行が明らかに悪い者達に指示を下せるだけの格を有している。
つまりは、単純な力では男の方が上だ。実際に男の体格は恵まれていて、とても餓死しそうであるとは思えない。
では、気になるのはその男の役職だ。末端ではないのは確定として、中途半端な位置に存在しているようにも思えない。
多くの人間が彼の指示を聞いているところを見るに、やはり最低でも幹部的な位置に居ると考えるのが妥当だろう。
いや、そもそもあの集団は規模としては大きく見えない。未だ全貌が不明であれど、幹部が居るとなればもっと組織だった行動をしている筈だ。
「あれが頭の可能性が高いな……」
十黄は半ば確信めいた思いを抱きつつ、あの男が居なくなるまで確りとした監視を止めることにした。
それをしたのは直感だが、危機に対する感知は時に未来予知めいた能力を発揮する。
あの場所から現在の建物までは随分離れているので目視するのは不可能だ。相手が双眼鏡を持っていれば話は別だが、先程の姿から持っているようには見受けられなかった。
ならば安全だろうと考えるのが自然である。しかし、それに対して十黄は自身の感覚を信じて否を決めた。
何が理由かは解らずとも、不安が胸に湧いたのならば慎重になるべきだ。大胆な行動を起こすにはまだまだ情報が足りていない。
「ともあれ収穫があったのは幸いだな。 後はこれを皆で共有して、重視すべき部分を決めて戻るだけだ」
それから、彼は一度も寝ることも無く八時間を監視に費やした。
男が居た時間は酷く短く、言うべき事柄だけを言ってそそくさと消えたように十黄には見え――それがますます支配者を想起させられる。
基本的に作業をしているのは末端と思わしき男女だけ。子供や老人も何らかの仕事をしていて、皆の体格はキャンプの人間よりも逞しい。
同じ条件で双方が戦えばまずキャンプ側の人間が虐殺され、街自体を自分達の土地として支配を始める可能性は十分にある。
奴隷達は石を投げられ、殴られる場面が多く見られた。
時折殴り付ける人間に対して睨むこともあったが、そうした奴隷は更に苛烈な暴力を受けて最終的には地面に倒れたまま放置されている。
彼等の仕事は誰よりも過酷だ。潰されてしまいそうな数の衣服を洗い、監視付きで大量の食事を用意させられ、川から取って来たであろう多くの魚を荒い息を吐きながら粗末な箱に詰め込んで素手で運ばされている。
作業を終えればまた地面に突き立てられた杭に鎖を繋げられ、人の目に晒されながら寝たりトイレをしていた。
尊厳という尊厳を破壊された奴隷達には最早涙すら出ず、殺されることがあっても進んでそれを受け入れるのだろう。
「――成程、そうなっているのか」
交代の時間を迎え、今度は世良が姿を見せる。
瞼が半開きになっている様は起きたばかりであることを示し、徐にストレッチを始めた彼女に十黄は疑問箇所を含めた全てを報告した。
寝惚けている頭を覚醒させながら彼女は内容を聞いていき、脳内で推測を組み立てては自分達の今後を思考する。
普段は絶対にしない未来を見据えた考えは、慣れないからこそ不安も大きい。
しかししなければ慣れるも何もない。特に明確に組織として巨大化していくのであれば、将来設計は必須である。
「十黄、奴隷達の様子に他に変化は無かったのかい?」
「……どうだろうな。 主に奴隷以外に意識を配っていたから、奴隷達が自由時間にどんな行動をしていたのかは詳しくは解らん」
「そう。 なら、次は私がそっちを重点的に見るよ。 此処から見える場所じゃ恐らく蛮族集団からこれ以上の情報は手に入らないだろうし」
「同意見だ。 途中からは新しい情報も出てこなかったからな。 例の頭らしき男も出てこなかったし」
「今はもう真夜中なんだから動きが無くても仕方ない。 ほら、さっさと寝てきな」
ああ、と十黄は立ち上がって一度伸びをした。
そして下へと彼は歩き出し、世良はその姿を見ずに眼下の光景に目を向ける。
街灯は無く、焚火も無い。ライトが周囲を照らしていれば見張りがあると解るものだが、この分では見張りそのものが無いと判断すべきだろう。
人は暗闇の中ではまともに周りを見られない。そして見えないのならば、態々起きているのも馬鹿らしい。
「自分達が襲われることは有り得ないってことかね。 舐められたもんだ」
ふんと鼻を鳴らす。
キャンプの人間は脆弱で、戦闘が街で起こっても自分達の場所まで届かなかったことから大丈夫だと彼等は判断した。
現在の街の支配者は土地の支配に尽力していて、自分達にまで意識を向けていないと思ったのだろう。
ならば危険視すべきは他に居る怪物であるが、何故か怪物達は蛮族達を襲うような真似はしていない。
つまり、彼等は許されている。その許されている理由を想像して――牧場の二字が彼女の脳裏に過った。
「悪感情を生産すれば黙認されるってことか……」
蛮族が蛮族らしい方法で暴れる限り、怪物はある程度目溢しをする。
そして、どうやってかそれを知った蛮族側は過度に街の人間を襲わずに他から奴隷を調達して欲をそちらで発散する。
恐らくは怪物が直接教えたのだろうが、その時点で彼等も人類的には味方であるとは断じられない。
いや、ある意味では人間なのだろう。感情ではなく合理的に決められる者が利益を優先して行動している。
「これは、ひょっとしたらいけるか?」
予測が事実になったのであれば。
相手の行動が彼女の推測している通りに動いていれば。
蛮族だらけの集団にも未来はあると、世良は考えずにはいられなかった。




