【第百三十四話】その女、身内に会う
大富豪と呼ばれる者達は、往々にして自信家だ。
傍目からすれば危険だと思える道を容易く歩き、並み居る強豪達を前に不遜に笑い、部下達に自身の道を示すことで夢を与える。
それは昔よりも大きな価値を持ち、今では叶わぬモノとして認識されることもある巨大な存在だ。
大きな家を買う。美人な嫁を貰う。可愛い子供に時折現を抜かして、友人とホームパーティーで酒を飲み合う。
贅沢で、豪華で、実に頂点の振舞いだ。一般の人間では到底手が届かないだろう世界を生きる彼等は、故に勝ち組と称される。
だが、それが表だけの情報であることを望愛は痛い程に知っていた。贅沢をすることは出来ても、ただそれだけが幸福に繋がる道ではなかったのだと嫌という程に思い知らされた。
「久し振り、と言うにはまだ早いね。 望愛」
「――はい、兄さん」
東京内のとある高層ビルの一室。
透明な背の低いガラスと向き合う形で配置された革張りの二つのソファに一つずつ二人は座り、無言だった空気に音を入れる。
入口には沢田一人が待機し、他の侍従の姿は無い。そもそも高層ビル自体に人通りが殆ど存在せず、あるのは無人の部屋ばかり。
沢田に案内された望愛は家族の所有物の全てを知っている訳ではないが、しかし無駄な買い物をするような性格をしていないのは解っている。
彼女は新品同然の壁や天井に視線を巡らせ、綱吉は望愛の不思議そうな顔に微笑を浮かべた。
「此処が何をしている場所なのか気になるかい?」
「……いえ。 どうせ家族が必要だからと買った物なのでしょう? 私とは無関係なのですから、気にしないでください」
「そう言うな。 父も母もクソッたれの極みではあるけれど、お前は大事な妹だ。 妹の問いや頼みを断るのは俺には出来ない」
「既に一度しましたけどね」
ぐっ、と綱吉は喉から図星の声を漏らす。
望愛は溜息を吐きつつ、眼前の線が細くなった男の姿を再度視界に収める。
最初に顔を合わせた時にも感じたことだが、綱吉は明らかに以前の覇気を喪失していた。
身体は痩せ細った枝になり、顔色も良好とは言い難い。望愛と話をしている間は瞳を輝かせているが、それが仕事になれば黒く染まるのは容易に想像に付いた。
元気が無いどころではない。何とか虚勢を張っているとはいえ、このまま放置していれば何れ誰の目からも弱っていると認識されるだろう。
そうなった時、さて他の人間は何をするのか。未来を彼女は想像して、しかし無駄なことだと直ぐに止めた。
どうするのかなど決まっている。そんなことに意識を向ける意味は、今の望愛にはありはしない。そもそも会う必要性すら本来は無かったのだから。
「……しかし、まさか沢田がこのような場を設けてくれるとは思わなかった。 私のスケジュールを把握している彼女だからこそ出来たことだな」
「沢田を秘書にしたのですか?」
「特殊な形式にしただけだよ。 現状、あの事を知っているのは私達だけだからね。 望愛が関係している以上、私も関与したいと思っている」
綱吉がしたことを極めて単純だ。
元々望愛専属にしていた侍従に退職か綱吉への鞍替えを選択させ、鞍替えした者には戦闘訓練を密にさせていた。
そして異世界についてを知る沢田をリーダーに据え、彼女を中心とした新規戦闘用部隊を表向きには構築したのだ。
勿論、装備や育成には金が掛かる。今でも会社用の警備会社と契約している以上、彼女達を鍛える行為は傍目からすれば無駄に見えるだろう。
しかし、それは結局会社用だ。プライベートな場では使えず、また綱吉自身が両親の用意した護衛を毛嫌いしている。
自前で用意するのが一番扱いが簡単であるとして、彼はポケットマネーを投じて彼女達全員を養うことに決めたのだ。
懐が痛むことを覚悟し、同時に両親との不仲を周囲に協調させながらも彼は望愛を助けることが出来る部隊を作り出した。
そこに愛が無いなどと誰も言えない。望愛でさえ、兄の準備に愛情を感じない訳がなかった。
「既に私は家を出ています。 両親は愛想を尽かしているでしょうし、戸籍だけの関係に過ぎません」
「関係が無いな。 望愛、私が損得勘定で動いていると思っているのかい?」
「思いません。 思いはしませんが、けれども無駄な出費です。 今の兄さんに沢田達を雇う必要性は皆無でしょう」
「そうだね。 だが、大事な妹を守る為には壁は幾つあっても足りない。 例え君の想い人がどれだけ堅固であろうともね」
「――あの人を壁と呼ぶな」
静かな会話から一転、望愛の全身から殺意が溢れ出る。
目から輝きは喪失し、紅蓮に迸る嚇怒は幻覚であろうとも綱吉を焼き尽くさんと燃え上がっていた。
あの人は壁ではない。壁と呼ぶべきなのは己自身だ。あの人のやってきたことと比べれば、自分がやったことなど何も無い。
もしもどちかが壁にならねば助からない状況だったなら、望愛は反射の域で壁になるだろう。
真に大事なのはどちらなのかを彼女は知っているから、その先の未来を知ることが出来なくとも彼の役に立てる事実に歓喜して死ぬ。
「失言だった――とは言わないよ。 私にとって大事なのは君だ。 あの男ではない」
「……」
紅蓮の炎に焼かれ、しかし綱吉は自身の発言を撤回するような真似はしない。
望愛が大事だ。彼を犠牲にして助かるのであれば、そのまま捨ててしまいたい程に。
そも、望愛がここまで変わったのは一喜が原因だ。一喜が他の人間と同じであったのなら、望愛が恋情を覚えることなどなかった。
経済力が無い凡人。そうであったなら、綱吉はただストーカーの一件に感謝をするだけに留めていた。
けれども現実は非情だ。起きてほしくないことが起きて、起きてほしいことが起きてはくれない。
大藤・一喜は正に関わってはいけない人種だ。関わるのなら表面上だけに留め、決して奥深くに踏み込んではいけなかった。
「人間、やれることには限界がある。 自身の現在の状況から理性的に線引きを行い、出来ない部分は切り捨てた上で忘れるしかない。 私達は皆、何でも出来る者ではないからね」
例えば誰かを助けたいと思った時、そこには金銭的な援助や感情的な援助が求められる。
冷たさに凍える身体を抱き締め、生活に支障が無いレベルに金を出し、そして元気になったら応援して別れる。
助けてくれた誰かは恩返しをしてくれるかもしれないし、好意を抱いて傍で同様に温めてくれようとするかもしれない。
そこに喜びがあるのなら、成程彼等は幸福だろう。
けれども、それを何人も出来る訳ではない。ましてや、恩返しをしてくれる可能性なんて現代ではあまりにも低過ぎる。
貧乏人は決してただ貧しいだけではない。これは綱吉の偏見も混じるが、貧乏人が貧乏になったのには性格的問題もあるからだ。
「彼は許せる範囲に入った者は許す。 仕方ないと納得することが出来れば、その時点で援助もしてくれるだろう。 だがそれじゃあ、結局彼にメリットが生まれる確率が下がる」
助けて助けて助けて、それで相手が自身に情けなさを覚えてしまったなら。
その時積もった感情は良いものとはならない。苛立ちが、羨望が、手助けをしてくれる誰かの足を掴もうと藻掻き始める。
強者が搾取するのは強欲に溺れる為であり、同時に力を持たせない為だ。
良き指導者はそれを解り辛く実装していて、頭の良い者だけがそこを指摘することが出来る。
奪うことは悪だ。それは綱吉も解っている。
そして解っていても、殺されない為には強者として上から目線で語るしかないのだ。
「彼のこれからは決して良いものにはならない。 結局優しさを優先しているのなら、身の破滅は目前だ」




