【第百二十九話】その男、問題が追加される
新たに判明した事実は一喜が頭を抱えるのに十分であった。
最初に入った頃でも不安はないではなかったが、今は頭痛を覚えそうな程に厄介だと認識させられている。
全ての始まりはメタルヴァンガード。これが有る世界と接続されたからこそ、向こうの世界で大きな問題が発生した。
博士は自分達が性急過ぎたからだと語るが、一喜としては浮足立ってしまっても致し方ない状況であると理解もしている。何せ世界大戦が終わったようなものなのだから。
大きな争いはこれで終わりですと言われれば、気を抜くくらいはするだろう。そうなってもなお気を抜かないのは政治家や指導者くらいなもので、技術者に今後を見据えろと言われても難しい。
なので、真に問題なのはやはりカードなのだ。カード自体が世の中に出現しなければ、そもそも博士の世界で争いなど無かった。
「水耕栽培をするなら日当たりの良い此処でどうでしょう。 居住区にするつもりはないので封鎖もしようと思っています」
「悪くないな。 最初の段階で使う箇所を決めておけば取り敢えず初動は問題無い」
平日の早朝。
開き始めたばかりの喫茶店で二人は顔を突き合わせてノートを見ている。
描かれているのは簡略化された拠点の地図だ。新たに地面に置いた建物が数軒のアパートや広場を囲み、歪な円を形作っている。
壁として機能するビルには居住区とだけ書かれ、広場には物資の二文字。転移用のアパートとは別のアパートには水耕栽培を始めとした食料の生産拠点として使うことを決めて壁をぶち抜くことにした。
勿論アパートで作る分だけで今後住んでくれるかもしれない住人全体の飢えを満たすことは出来ない。
これは所謂一喜からの信用を得た者専用の食料だ。望愛が信用した人間ではなく、一喜が信用した人間だけを必ず助ける為に準備する施設である。
「現状は野菜くらいしか手は出せないな……。 それ以外はどうしても設備もノウハウも無い。 何処か口の堅い奴を早い内に入れるか、或いは現地で勢力として加えたいところだ」
「その日の内にであれば魚は何とかなりそうですけどね」
二人は優先順位を理解している。
勢力を大きくしていくには、どうしても余剰が必要だ。安全と食料と居住地が全て揃って居る場所であれば、自然と勢力は拡大の一途を辿っていく。
その為にも先ずは一喜と望愛に余裕が生まれなければならない。両名が揃って安心出来る地を作ってからが本番だ。
だから一喜は望愛が自然と告げた線引きに口を出さず、彼女も彼女でそれを当然として説明しない。
代わりに彼の口から出るのは愚痴で、望愛は集めた物資の中から見つけた地図で使えそうな案を教える。
一喜が興味深気に視線を向ければ、望愛は頬を緩ませながら何も隠すことなく全てを伝えるのだ。さながら信頼関係で結ばれた真の仲間のように。
「彼等の洗濯がどのようにして行われているのかを物資を集めながら考えていました。 前提として洗濯機は使えませんし、かといって近くに水の出る場所はありません。 私達側の世界であれば一日歩いたとしても海には辿り着けないので、向こうの地図を使って確認しました」
「ああ、そういや向こうは技術が停滞状態だったな」
洗濯は衛生面において重要だ。
人が衣服を纏うようになったのは寒さを凌ぎ、身を守り、己の立場を明確にする為だと言われている。
衣服の厚みが増えれば人は寒い環境でも動けるし、逆に薄くなれば暑い環境でも動ける。人体の活動以外で温度調節機能を持つことは人が生きる上で欠かせず、故に人の歴史の中では服は重要な役割を担っていた。
金属で作られた服――鎧は剣や矢から身を守り、装飾をふんだんに用いた衣服は権力の力強さを証明する。
向こうの世界では使い捨てられやすい代物であるが、無くなれば生活に酷く困るのは間違いない。
ならば、洗濯をすることも当然あるだろう。
望愛がノートの上に置いた地図には、この世界では既に埋め立てられた土地が海の一部となって存在していた。
自身達が住まう土地と比較すれば、その差はあまりにも大きい。更に言えば怪物が暴れたことで地面が割れる出来事も多々あった筈だ。
その際に海水が割れた地面に流れて川の形を成していたとすれば、あの街の近くにまで水源が来ている可能性は大いにある。
「この地図は世界が敵の手に落ちる前の物です。 ですので全てがこのようになっていると考えるのは有り得ませんが、大まかな判断を付けるには都合が良いでしょう」
勿論、海水で形成された川では洗濯は不可能だ。
だが水と塩を分離させて飲み水に変える手段はある。材料もあの世界で容易に集まるくらいには安価だ。
それを大量に準備すれば、時間は掛かれど出来ない訳ではない。
しかし重要なのは海水が近くにあることだ。釣りをすれば魚が取れる可能性があるとなれば、食料を持ち込む量も少なくなる。
後は高速の移動手段があれば街に持ち込んで調理に回すことも出来るだろう。それをするにはあの街で無事な車を探すか修理するしかないが。
「県内に絞って地図を見る限り、やっぱり此方にあるような建物はあまり見られないな。 あるとしても比較的古い部類だ」
「実際に建物を見ていても私達にとって新しい技術が入っている形跡は見受けられません。 文明が破壊されてから恐らく長い年月が経過しているかと」
東京や千葉、大阪等に絞った地図のページを一喜が見ると数年前の建物すらも見受けられない。
本による地図の更新は然程早くないとはいえ、それでも五年も前の建物すら無かったとなると予想より停滞していた期間は長かったのだと理解することが出来る。
今一喜達が持っている携帯とて、向こうからすれば違う道具に見えていたか一点特化型の性能しかないと見えていたかもしれない。
技術の導入は必ずやらねばならないにせよ、使う際には十分な注意が必要だ。何がなんだか解らなくとも、それが貴重な品だと盗まれては堪らない。
「技術的な知識を蓄積する方法が無く、そもそも技術者が圧倒的に少なく、そして常に生活を脅かされる敵が居る状況。 ……文明の退化には十分な環境だな」
「衣食住の安定化に躍起にならねば生きていけないとなれば、やはりどうしても我々が用いる道具には制限が入ると思います」
世界が異なるからこその技術的格差。
今までまともに考えることもなかった問題に一喜達は直面することになった。
その壁は一見すると無視することが出来るようで、その実無視は出来ない。
便利であることは生活を楽にしてくれるし、同時にそれを与えた人間に恩を抱く。他者に感謝の念を抱かせて操作することで勢力の発展は容易に行えるが、逆に言えば簡単に救えてしまうことで抱える荷物が一気に膨れ上がる。
今の一喜達の経済力であの街の人間を丸ごと救えるかかと問われれば否だ。
少しずつの拡大を目指さねばならぬ関係上、あの世界の人間に楽を与えることは許してはならない。
とはいえ、それでは遅いとも一喜は感じていた。
既に子供達は限界寸前。大人達に至っては目に見えて狂っている。己を助けることに注力することしか出来ない今の状態では誰かが無理をしてでも助けねばならない。
一喜の食料支援は世良達の生命を繋いでいた。それは探すという努力を奪うことになるが、そもそも行動に対する結果が伴わないのは街の惨状を見れば明らかだ。
奪わねば救えない。であれば、奪う必要も必ず出る。
彼等が今を生きようとするのであれば、そこには最低限の生活の保証と尻を蹴ってくれる存在が求められる。
そして――その話を聞いてくれる最も手っ取り早い方法はやはり食い物になるだろう。
「あんまりこっちと同等の水準の技術を使わないで、なるべく早く食い物を揃えてこっちを振り向かせるか。 途端に難易度が上がったな」
「ですが、周囲の他の街の人間と直ぐに敵対的になるよりは良い筈です」
「いや、それはその通りだ。 最初はもっと時間を掛けてと思っていたが、あの勢力達を見ているとゆっくりしている暇も無い。 何処まで人の話を聞いてくれるかも解らないなら、準備をするのは当たり前だ」
問題は、やはり食費。
さてどうするかと一喜は内心で息を吐いていると、誰かが扉を開ける入店音が喫茶店に響き渡る。
店員がにこやかな表情で直ぐに客の下に向かう姿を横で見た彼は、直ぐに頭を今後に向けようとして――――通路側に手を上げた。




