【第百二十話】その男、破滅の原因を知る
「――――」
博士は否定の言葉を吐くことが出来なかった。
目は限界まで見開かれ、心音が五月蠅く鳴り響く。呼吸すらも乱れ始める様は尋常の域に収まらず、この異常な姿に傍観を決め込んでいた世良と十黄は思わず腰を僅かに浮かせる。
「おい、あんた大丈夫か?」
世良の問い掛けの声にも博士は答えない。
ただただ一喜の顔を見つめ、見つめられた当の本人は静かに博士の言葉を待つ。
室内の隊員達は博士の姿に警戒感を強める。今直ぐにでも武器を向けるべきだと理性は告げるも、見た限りにおいて博士が直接何かをされた様子は無い。
彼等はオカルト的な怪物達の姿を幾度となく見ている。実戦経験も豊富にあり、感覚的に攻撃をされたのかが解ってしまう。
謂わば直感的なものだが、それが語り掛けているのだ。今のはただ言葉を投げ掛けられただけだと。
一分か、五分か、長い時間の後に博士は漸く見開いた目を何度も瞬かせた。
酷く重い息を吐き出し、着ていた白衣の腰ポケットに両手を突っ込む。何度も何度も深呼吸を繰り返しては心臓を落ち着かせ、最後に長い溜息を零す。
そして改めて一喜と向き合った時、彼の目は明らかにこれまでのものとは別の感情を宿していた。
敵意ではない。かといって露見したことに対する諦めでもない。
揺らめく炎を幻視する瞳の力強さは、彼なりの覚悟だ。何を言われようとも曲げない意志をそこから感じ取り、一喜は無言で見据え続けた。
「……隠しているのは、オールドベース外の人間に対してだけだ。 他の勢力に言ってしまえば人間同士による争いの火種に発展し、まともな組織運営が行えなくなると考えて誰もが口を硬く閉ざしている」
「それだけの話であると?」
「そうだ。 これを君に言えば直ぐに答えを見つけられるだろう――――怪物は何故、この世界に出現したのか」
「……」
博士の言葉に一喜の目が鋭利に細まる。
相手が何を言っているのかは、一喜には容易に想像がついた。いや、ちょっと考えれば事前の材料だけで誰でも気付けただろう。
この世界の文明は一喜の世界より少し劣っている。怪物が暴れた結果として生存を第一に生き続け、発展が後回しになってしまっていた。
それがなければ今頃は一喜の世界と同等の技術力をこの世界は持っていただろう。
つまり、此処はオカルトが介在出来ない世界なのだ。神も悪魔も存在せず、遥か未来の超技術がある訳もなく、至って普通の技術がそこにあるだけの平凡な世界なのである。
怪物が生まれる余地など無い。にも関わらずに生まれるとなれば、それこそ外的要因か突然変異が必要だ。
そして、外的要因ならば既に目の前に存在している。
博士と呼ばれる男こそが、一喜より前に此方に訪れて怪物が誕生する原因を作り上げてしまった。
「――あんたがこの世界を危機に陥れた原因、だな」
「……そうだとも」
断定する一喜の言葉を博士は肯定した。
周囲に居る博士の護衛だろう者達は沈黙は貫き、世良と十黄は絶句した表情で博士と一喜の顔を見つめている。
衝撃が強過ぎたのだろう。理解が及ぶまでには時間が掛かると判断して、しかし彼が想像するよりも早く世良の身体が動き出した。
それが反射的な行動だったのは誰がどう見ても明らかだった。パイプ椅子を吹き飛ばし、目を限界まで開き、歯を剥き出しにして怒りの形相を浮かべている。
博士の下へと机を飛び越えて一直線に進む様は野生の肉食動物を彷彿とさせるが、相手が動物であれば博士を守る隊員達が臆することはない。
反射的に隊員は腰に装着していた警棒を引き抜き、博士の首に伸びる手を叩き落とす。
次いで別の人間が背中を叩き、彼女を博士の眼前に落とした。
警棒は金属質の実用性重視の代物だ。全力で殴られれば最悪骨が折れかねず、彼女の背中には今も鈍い痛みが全身に広がっている。
けれども、それでもと世良は立ち上がろうとしていた。腰に装着していた拳銃に震えながら手を伸ばし、それも別の隊員に足で踏まれて静止させられる。
「――――離せ」
世良の声は静かだった。
怒りの形相を保ちながらも、その声は波紋の一つもない湖のような静けさを持っている。
だがそれは違うのだ。博士は目前の少女の瞳を見て、息を呑まずにはいられない。
瞳は黒く染め上げられている。光の一片も入り込む余地を与えず、ただただ絶望や憎悪を凝縮させて黒い炎に変えていた。
人が持つ根源的な怒りは相手を責め切れば冷めるものだが、彼女の怒りは長年に渡って蓄積されたものだ。
幼かった頃から見て来た無数の死体に、大事な者達の死。生活の苦しさや未来への不安は彼女の心を圧迫させ、常に心中を黒いもので満たしていた。
最近になって一喜による光を世良は知ったが、だからといって直ぐに彼女の炎が鎮火させられる訳ではない。
至って当然の流れとして、彼女が復讐相手を見つければ暴走するのは解っていた。
十黄も立ち上がり即座に拳銃を博士に向ける。友好的な態度は一気に消え去り、清潔な会議室には急速に緊張感が広がった。
「世良を離せ! まさかこんなッ、一喜さん!!」
「落ち着け。 世良もだ」
「落ち着ける訳ないでしょ!」
世良の絶叫が部屋を満たす。
しんと静まり返った中で世良は激痛を堪えながらゆっくりと立ち上がった。
「私達が今、こんな生活をしているのは目の前のコイツの所為だ。 大事なモノを全部持って行かれたのも、コイツの所為だッ」
「ッ……」
「なんで……こんな世界にした。 どうして、皆不幸にした」
憎悪を前面に押し出した少女の言葉は、博士に嘘を許さない。
間違った発言をすれば再度突撃され、次は隊員達による殺傷も視野に入れなければならない。
今の彼女は死ぬことすらも厭わぬ狂戦士だ。そして、そんな彼女が死ぬようなことになれば次は十黄が狂気に落ちる。
一喜は彼等の戦いに手を出すつもりはなかった。出したところで何も解決せず、無理に止めれば世良達からも敵認定を受ける。
この街に居付く見知った人間が敵対するのは厄介だ。双方共に相手の考えていることをある程度読めてしまう所為で裏を掻かれる懸念が強まる。
特に彼女達の勢力には犬や蜘蛛といった手助けをしてしまった。犬による追跡を受けてしまえば、流石に一喜の方が体力切れに陥る。
「私が此方に来たのはそもそも事故だった。 全てのカードを基地深くの場所に隔離する為に移動し、その過程で未知の次元空間が出現した」
博士は静かに、懺悔するように語っていく。
元の世界にて怪物達との戦いに幕が下り、オールドベースは二度と誰かに奪われてなるものかと政府と共同してのカードの隔離を決定した。
件のカードを使えば戦争を起こしたとしても勝利する確率は高くなるが、そもそものカードの争奪戦によって世界中が乱れるのは自明の理だ。
ただでさえ世界中が多大な被害を受けている中で日本がカードを使った積極的な侵攻行為に出れば、それは最早第二のポシビリーズと変わらない。
日本は世界平和の為に戦ったのだ。その志を曲げることは、何があったとしても許して良いものではない。
「誰かに再度奪取されることを恐れ、我々は早急に隔離部屋を準備した。 突貫工事に近かったが、それでもカードの力を恐れたお蔭で十分な代物を構築していざ行おうとしたのだ。 ……だが、我々は焦り過ぎた」
怪物同士の戦いは超常の領域だ。普通では有り得ない事象が当たり前のように発生し、敵も味方も余波を考慮していなかった。
空間を歪める程の戦いがあった。時間軸の反転すらも起こり、誰もがそれを普通のものとして使い続けた。
されど、そもそもカードの力は物理法則を無視している。既存の枠組みを破壊し、破壊された穴から異質な法則が流れ込んだのだ。
ならば、その空間が戦いが終わった後でも安定しているとは言えない。
この事故の原因は恐怖と焦燥だ。焦り過ぎたことでカードという力の塊を一点に集め、時空間に穴を開けてしまった。
「気付いた頃には遅かった。 私はカードといざという備えで用意していたベルトと共に此方の世界に迷い込み――そこで一人の浮浪者と出会った」




