【第百十四話】その女、本性を自覚する
アンカーが外れ、砲撃の体勢を解除する。
全身から白い蒸気が噴き出し、望愛が見るモニターの右端には冷却の二文字が強く瞬いて表示されていた。
息を吐く。全身に流れる汗は冷えていて、湿った感触が酷く不快だ。まったく望んでいないにも関わらず出て来る反応に眉を寄せて、己の心が想像以上に冷めている現状に意識を向けた。
今、自分は殺されそうになったのだ。
敵意を向けられた経験はあっても、純粋な殺意を向けられることはなかった。大量の爆発物が空から落ちて来るだなんて経験も、当然彼女には無い。
死に掛けた。いや、この鎧が無ければ死んでいた。
心臓は五月蠅いくらいに鼓動を刻み、吐く息は荒い。どう見ても恐怖を抱いているような素振りをしているにも関わらず――糸口・望愛の心に恐怖は無い。
代わりにあるのは、寒々とした殺意。
あれは駄目だ、将来的に一喜の身を危険にさせる。自分の大切な人が、あの畜生に殺されてしまうかもしれない。
思考は未来の可能性を正確に予測し、故に回転を加速させる。
あれを許すな、あれを認めるな。即刻排除するのがあの人の為であると理解せよ。
驚愕は心の内の何万分の一だ。それよりも納得が強く、どうしようもなく自身が上流階級の人間なのだと解ってしまう。
己は化け物の胎から生まれた。そして化け物達が蔓延る世界で暮らした。
であれば、自身が化け物に近しくなるのは必然。あの兄がそうであるように、望愛もまた奥底の本性に触れてしまった。
『き、さまぁ……!』
『黙れ』
腕を動かす。モニターが照準を定める前に砲弾を放ち、女は紙一重で回避。
冷え冷えとした思考が次の道順を示す。モニターのデータを見るのは刹那の瞬間のみであり、以降は己の頭が全てを定める。
迷いは要らぬ。脳内に次々と浮かび上がる情報を頭が無意識で纏め上げ、最善の一手を構築した。
それは普段の望愛の思考速度では成し得ぬことだ。明らかに人外へと傾きを開始し、引き摺られる形で肉体も最適解を選ぼうとしている。
『私はお前なんかに何の興味も無いの。 というか、私達が何かお前達にした?』
『この街を統括していた者を殺しただろうッ。 他にもキャンプに住まう者達もな』
『それは私がやった訳じゃないし、そもそも全部襲撃されたから反撃しただけ。 被害者ぶらないでよ、おばさん』
『おば――』
突然の罵倒に女の思考が一瞬止まり、その隙を見逃さずに砲を放つ。
回避はギリギリ。しかし羽根に掠ったことで遂に飛行能力そのものが低下して女は落下を開始する。
残された部分で何とか維持を目指すも、バランスが不安定なままでは満足な移動は行えない。
女は歯軋りをしながらも地面に降りる選択をするしかなく、つまりは自分のアドバンテージを自主的に捨てなければならなかった。
真っ直ぐに下へと身体を着地すると、既に望愛が狙いを定めている。そしてやはり、一切の躊躇も無しに発射された。
身体を翻して今度は回避に成功。遠くの建物に命中して轟音と共に崩れ去り、残るは瓦礫ばかり。
『お前達が何もしなければ私も何もしなかった。 お前達が配慮を知っていれば、少なくともいきなりこんな事にはならなかった。 何か反論ある?』
『反論? この世界は私達のモノだ。 家畜をどうするかなど私達の勝手だろう。 お前達とて豚や牛を殺すことに何か感慨を覚えるのか?』
『へぇ、自分と同じ生物なのに豚や牛と同じように語るの? 私は自分を家畜のように語りたくないな』
『ふざけるな。 あれらと私が同じ生き物の筈がない』
女が唾を吐く。
彼女にはこの世界で生きる人間を家畜としか思えず、同列であると認識出来る存在は同じ化け物しかいない。
今も昔も、家畜をどうするのかを決めるのは常に上位者側だ。人間達が豚や牛に行った事を彼女達も行い、日本全国に大小様々な牧場が誕生している。
その生活は劣悪を極め、生きることだけが許されていた。夢や希望を抱くことも、そもそもの自由すらも与えられず、ゆっくりと呼吸を繰り返す人間のようなものを彼女は見ていたのだ。
自分達がそうしたというのに、彼女は人間を醜い獣にしか見えていない。
飾り付けても見栄えは良くならないし、試しにと学を覚えさせてみても怪物的な冴えを発揮することも無く、ならば肉体を限界まで追い詰めてみると直ぐに死んだ。
人間は怪物達から見れば悪感情を吐き出す以外に役に立たない存在である。
故に、望愛の発言を女は許容しない。自身の過去が同類であった事実すらも彼女は唾棄すべき事柄であると忌避していた。
その様は上位者めいていて、けれど望愛には後ろ向きだと直ぐに見抜く。
本当の上位者は下位の者の発言に一々表情を変えない。ただただ無慈悲で人でなしを貫き、容赦無く人間を道具として使い潰すことを良しとする。
己への財が成長する為の栄養剤。それが本当の上位者達であり、彼女もまたその素質は受け継がれている。
とはいえ、彼女は無慈悲を誰彼構わず振り撒くことはない。一喜の心象にも直結する以上、なるべく彼が敵と認めた者以外には優しくしておくべきだ。
『同じ生き物だよ。 カードの影響で人外になっただけで、その根本は私達と何も変わらない。 人間が人間を捨てられるのは生まれた時だけなんだよ』
『黙れ』
嚇怒の炎が女の瞳から放たれる。
眼光鋭き視線を望愛は鼻で笑って流し、マスクの内側で嘲笑を浮かべた。
所詮、人はどんなに狂っても人だ。後天的な狂人を人ではないとよく言われることはあるが、詳細に調べれば人らしい所作は残り続けている。
人を捨てている者と呼ばれるのは、生来の狂人だけだ。他者との違いに何の違和も持たず、その上で己の中の常識に従って行動する。
その結果として警察に逮捕されたとて、狂人からすれば疑問に思うだけだ。
常識的な行動をしていたというのに、一体どうして自分は捕まらなければならないのかと。
それを口に出そうとして、マスクのモニターが高熱量を感知した。
知らせの発生源は街。望愛が意識を僅かにそちらに向けた瞬間、彼女達の後方を横切る形で膨大な熱量の塊が建物を溶かした。
誰がそれをしたのかなど望愛には考えるまでもない。あちらにも戦力が差し向けられたのだろうが、結果は恐らく彼の勝利だ。
愕然とした表情を女は浮かべた。慌てたように攻撃が終わった箇所に目を向けると、溶かされきった建物の中に明らかな重傷を負った鎧姿の少女が居る。
次の瞬間には望愛と似たような鎧を纏った人物が居て、何事かを話そうとした少女に銃を向けて引き金を押していた。
『……向こうはどうやら終わったみたいだね。 お前はどうする? このまま二対一に突入しても良いけど』
『な、っぐ……』
あの少女は死んだだろう。
戦力は減り、実質的に二対一になった現状では女に勝ち目はない。望愛としては彼の消耗が不安ではあるが、それを表に出しては相手に付け入られるだけだ。
勝敗は明らか。このまま続行したところで無駄死にが増えるだけ。
女もそれは理解しているのか、極限まで悔し気な顔をしながらも撤退の二字に従うしかなかった。
『わ、すれるな! 必ず、必ずお前は殺す! 逃げようとも絶対に探し出して嬲り殺しにしてやる!』
『いいよ、お前は私でも殺せるって解ったから何時でも受けてあげる』
――それは困るね。
不意に、二人以外の声が耳に届いた。
反応は二種類。望愛は驚愕に、女は畏怖に。突然の声はメタルヴァンガードの感知や怪物の知覚をすり抜け、そして両者の間に黒い楕円の空間が広がった。
――初めまして。今日この日、私と君が会ったのは偶然だろう。
それは穏やかだった。父親が愛しい子供に語り掛けるように、親愛と友愛に満ち溢れている。
だが、それを聞いた望愛の背に夥しい汗が浮かぶ。心の内から名状しがたき感情の数々が湧き上がって止まらない。
眼前の女など比較にもならなかった。見た目は怪物らしく、発言も酷薄ではあったが、それでもまだ人間味がある。
この声は違う。世界の富裕層と会話をしたことがあるからこそ解る。これは他とは別種の格だ。
――怖がる必要は無いとも。私のことは親とも、兄妹とも、恩人とも思ってくれて良い。
楕円の空間から足音が響く。ゆっくりと、恐怖心を煽るようにそれは姿を現した。
揺れる陽炎。人の影。煙に潜む朧気な者。
男にも女にも、老人にも若人にも、人間にも怪物にも見える人物は望愛に向かって微笑を送った。




