【第百六話】その女、敵を知る
その人物は明らかに人外の者だった。
白と黒の一対の翼。白目は黒く、黒目は白い。人間種の女性らしさがあるラインを保ちつつも、赤熱しているか如く赤い髪は輝いていた。
女神を想起させられる一枚布の法衣も合わさり、その様は宗教的だ。
神々しく、神秘的で、されど怪しさも含まれている。正しく常識の外に居る存在であり、異形と表現しても正しい。
空中で静止している人物は嘲りの笑みを浮かべていた。全ての人間を下に見ているような姿に、瑞葉と望愛はそれぞれ違う表情を浮かべる。
片方は怯えを、もう片方は不快を。
望愛も瑞葉も相手が何なのかは理解している。理解しているが、会ったことがある者とそうでない者とでは反応が異なっていた。
「……意外と耳が良いんですね」
『人間の常識で語らないでほしいわ。 見ただけで解らない? この素晴らしさを』
瑞葉は恐怖で何も言葉を発することが出来ない。
咄嗟に周囲に視線を走らせて見知った男を探すも、残念なことに彼の姿は現在此処には居ない。
タイミングの問題もあるが、まだ相手は姿を見せただけだ。大規模な音も衝撃も無い現在では彼が駆け付ける理由などない。
「何か御用ですか? 私達は別に貴方に用なんてありませんが」
『私自身も用は無いわよ。 あの方が脅威になりえる存在が居るからと動いただけ。 ……で、居るんでしょ』
不遜な物言いに望愛の表情はますます不快に染まっていく。
件の相手は間違いなく強者だ。純粋な肉体性能の前では望愛達は絶対に勝ちを拾えない。
されど、女の様子に望愛は似たような存在を思い浮かべた。
会社を興し、次代に引き継がせ――その後に生まれた所謂三世と呼ぶべき者達だ。
彼等は生まれた時点から富裕者としての生活を送ることが許され、他者から配慮されることが日常的になっている。
その為に根拠の無い自信が増大し、過剰なまでに他者を上から目線で見下ろす傾向にあった。
三世達の力の根源は親や祖父母が築いた権力だ。決して己の力で掴んだ訳ではないにも関わらず、三世達はそれを自分の力だと勘違いしている。
目前の女はそれと非常に似ていた。年齢としては既に成人を過ぎているように見えるが、その心根は大して変わってなどいないのだろう。
精神的成長の無い、子供のような大人。感情を優先する様に望愛としては溜息を吐きたい気持ちになった。
「居はしますが、今は別行動中です。 探してはいかがですか」
『居ないの? ……ッチ、それじゃあ先を越されるじゃない。 此処だと思って折角来たのに』
女の言葉に望愛は不快の内で静かに反応した。
だが今はそれを聞かず、ただ淡々と事が起こるであろう瞬間を待つ。
『呼び出すことは出来ないの? さっさと呼んでくれたら命を取るまではしないけど』
「無理ですね。 こんな場所でどうやって連絡を取ると?」
『あっそう。 じゃあ――まぁ、死んでちょうだいな』
使えない。
そう判断した女の行動は素早く、次の瞬間には無数の筒が中空に生成された。
一瞬だけ見えた赤光を視認しつつ、望愛は背後で怯えたままの瑞葉の腕を取って駆け出す。
無数のバズーカは特に狙いを定めず、一斉に弾を吐き出す。
上から下へと一直線に進んでいき、先程まで望愛達が居た場所を一瞬で衝撃と轟音で包み込んだ。
爆発の規模は通常よりも大きく、直撃を避けても衝撃で身体が吹き飛ばされる。
望愛と瑞葉は衝撃で離れ、二人は地面に叩き付けられる前に咄嗟に受け身の体勢を取った。
練度が比較的高い瑞葉は転がるように衝撃を逃がすことに成功したが、望愛は経験が無い所為で腕に確かな激痛を感じて眉を顰める。
本番で受け身を取ったが、やはり練習とは大きく違う。映像や本で学んでは実際に公園で練習をしたは良いものの、そこにはやはり危機感が不足している。
命の危機に晒されて恐怖で身体が固まらない確証は無かった。だからこそ、ここで腕を痛めてしまった事実に望愛は情けなさを感じざるを得ない。
同時、明確な殺意を向けた女に彼女は憎悪の目を向ける。化け物と相対するのはこれが初めてではあるが、なんて短絡的な存在なのかと。
「いきなり何をするんですか!」
『何って、処分よ処分。 使えない奴は処分して、なるべく使い道のある奴を残した方が将来的に面倒が少なくなるでしょう?』
言葉に今度は眩暈を覚えた。
良い血筋を選別し、良い性能を有した人間だけを残す。使えない人間は使い潰しては捨て、最終的には彼等にとって都合の良い人間だけが存在する。
それは酷く遊戯的な思考だ。ゲームのように選別したところで実際にそうなることなど有り得る訳もなく、一定数は理解の出来ない人間が誕生する。
単純な話、下には下が居るというだけだ。どんなに自分は惨めだと思ってはいても、意外に周りを見れば下が居る。
有能な人間は常に一握り。故に彼女のような考え方で選別しても都合の悪い人間は生まれてしまう。
それが解らないのかと叫ぼうとして、きっと解りはしないのだろうと諦めを抱く。
この女の思考は大体理解した。
主人には従順で居るが、その根底には幼稚な選民主義が存在している。
そして自分は選ばれた側であると勘違いして、何をしても許されると信じて感情的に振る舞っている。
精神年齢は低い。されど、持ち得ているカードの能力次第では決して侮ってはいけない相手だ。
「……今日はあの人を殺すのが目的なんだよね」
『ええ、不穏分子は早々に排除しておかないと。 あの方ももしかしたらと危惧していらっしゃったから、今回は複数で殺す予定なの』
「――そっか、有難う」
自軍の内容を簡単に口にしているのは、望愛達に逃げ切る方法が無いと確信しているから。
お蔭で腹芸をするまでもなく相手の目的が解った。であれば、もう彼女は必要ではない。
女が手を上げ、筒以外に今度は銃器を大量に出現させる。ハンドガンからアサルトライフルと種類は様々で、少なくとも一枚のカードだけでこれを全て再現するのは難しい。
それこそ一喜が説明したベルトがあれば出来なくもないが、望愛が見る限りで両腕や腰に機械が巻かれてはいない。
『どういたしまして。 では、さようなら』
上げた手を静かに下ろし、その瞬間に望愛はまたも瑞葉の腕を引いて走り出した。
背後から聞こえる撃音は彼女達を追い、爆発もまた彼女を追跡して離す様子は無い。
今度は威嚇でも何でもなく殺す気だ。一切の慈悲も無い様は、逆に望愛に躊躇いの感情を喪失させた。
此処は殺し殺される世界。元の世界の道理を、今だけは完全に捨て去るのだ。
ジャケットの内ポケットに窮屈な状態で仕舞われていたソレを取り出す。
鈍色の輝きを放つベルトを取り出した彼女は隣で息を呑む瑞葉の声を無視し、腰ポケットに入れていた数枚のカードを取り出した。
その中から必要な物を瞬時に選択。迷う素振りも無しにカードをベルトに装填し――ついに望愛は振り返った。
足を止めた望愛に女は嘲笑を送る。呆気無かったなと何時ものような感想を内側で零して、けれど突然の赤光に今度は表情を驚愕に変えた。
――Standby. Diamond of Tiger.
重厚な待機音と共に相手の攻撃をその身全てで防ぐ戦車が現れる。
赤い輝きは盾となり、彼女が準備を終えるのを今か今かと待ち続けていた。
実戦はこれが初めて。生死を掛けるのもこれが初めて。今使っている物の性能を正確に把握も出来ておらず、しかし加減を考える余裕も無い。
一喜からは思い切りやれと事前に伝えられていた。どうせ慣らす時間は無いのだから、敵を全力で潰す気概で挑めと彼は告げてある。
ならば、迷うような真似はしない。道理も倫理も捨て去り、彼女は戦の女王となって今正に顕現する。――この瞬間において、残酷さこそが何よりも最適解を導くのだ。
「着装!」
――Then it's time to educate!




