38.欲しいです
それから、ライノアは馬車でロゼッタを城まで送り届けてくれた。
「マルクル様は置いてきてよかったの?」
「従兄弟さんのことなら放っておいて問題ありません。元々、僕を餌にしたほうが女性との会話をより楽しめるというだけで連れてこられていますし、馬車ぐらいいくらでも用意できる人ですから」
ライノアがそう言うと、ロゼッタはクスリと笑う。
ライノアの従兄弟であるマルクルは超がつく金持ちだ。すでに婚約者もいるし、駒として動かせる人間がたくさんいるのだろう。ライノアがいようがいるまいが関係ないのかもしれない。
「そういえば、今夜のあなたの夜会での態度を見ましたけれど、もう少し愛想よく振る舞ったほうがいいですわよ? そのほうが女性が寄ってきやすくなりますもの」
「別に……」
「必要ないっていうのでしょう? だけど、わたくしからすればもったいないと思いますの。せっかく素晴らしい素材なのに、活かさなければ損――いえ、神様への冒涜ですわ」
ロゼッタはそう言って、ライノアの頬にそっと手を伸ばす。
「神様への冒涜、ね」
ライノアはそれを憮然とした表情で受け入れると、静かに首を傾げた。
「ロゼッタ嬢から見ても、僕の顔は綺麗なんですか?」
「それはもう! クロエなんてあなたの顔だけでご飯が何杯も食べられると称賛するぐらいで」
「僕はクロエ嬢ではなく、あなたの感想を聞いているのですが」
ライノアにじっと見つめられ、ロゼッタは思わずたじろいでしまう。それからロゼッタは「さっきからそうだって言っているじゃない?」と小さくつぶやいた。
「どうしてそんなことを尋ねますの? あなたはご自分に対して興味がないと思っておりましたけど」
ロゼッタはさりげなく視線をそらしつつ、ライノアに尋ねる。
ロゼッタから見たライノアは、女性だけでなく、自分自身にもさして興味がない様子だった。どうでもいいと思っているとまでは言わないが、大した野心も抱いていないし、自分にできることをそれなりにやっていけばいいというタイプで、がむしゃらに努力をしたり上を目指すような人間ではない。だから、容姿を気にするような発言をするのはとても意外で、正直言って驚いてしまった。
「そう言われるとそうですね。……どうしてだろう?」
と、ライノア自身も不思議に思っているらしく、そっと首を傾げている。それからライノアはロゼッタをじっと見つめてきた。これまでとは違ったライノアの視線に、ロゼッタは思わずドキッとしてしまう。
「なんですの?」
「いや……おそらくですけど、そうする必要があると感じたみたいです」
「どういう意味ですの?」
ライノアからの返事を聞いても、ロゼッタの疑問は深まるばかりだ。
「それにしても、明日も仕事ですわねぇ」
ロゼッタは手足を伸ばしながら、小さくため息をついた。
「毎日夜会通いをしていたロゼッタ嬢ならこのぐらい余裕なのでは?」
「あら、意地悪言ってくれるじゃない? さすがのわたくしも、今夜はかなり疲れましたわ」
ふん、とロゼッタがそっぽを向くと、ライノアはクスクスと笑い声を上げた。
「いえ、ロゼッタ嬢はものすごくタフだと思いますよ」
「そうかしら? タフだと思われる要素はなにも。ライノア様にはむしろ、情けないところばかりみせている気がするけど」
街で父親に遭遇したときも、今夜のことも。他の男性には決して見せられないとロゼッタは思う。
「――僕はロゼッタ嬢のことをタフだと思いますが、なんでも一人で乗り越えられるほど強い女性だとは思っていません」
「まあ」
一瞬だけ「失礼な」と言いたくなったものの、ロゼッタはそのまま口をつぐむ。
「そうかもしれないわね」
ややして、ロゼッタはそうつぶやいた。
どれだけ強がったところで、できないものはできないのだ。ライノア相手に見栄を張っても仕方がないし、素直に認めたほうが気持ちが楽かもしれない。
「僕は傷ついても、すぐに立ち上がることのできるロゼッタ嬢を心からすごいと思います」
ライノアが言う。ロゼッタはほんのりと目を見開くと「そう?」と照れくさそうに口元を隠した。
「ええ。僕も見習わないと、と」
「まあ! そうでしょう?」
先程までの謙遜はどこへやら。ロゼッタは身を乗り出し、ライノアの手をぎゅっと握った。
「よかったわ、やる気になってくれて! わたくし前々から、あなたはもっと野心を持つべきだと思ってきましたの! きっとその気になれば、どこまでも上に行けるはずですもの! 我が国の宰相だって夢じゃございませんし、経済界でも名を馳せることが――」
「本当に、そう思います?」
「……え?」
いつになく真剣な表情のライノアに、ロゼッタは戸惑ってしまう。
「本気になったら、僕も変われると」
「え……ええ、それはもちろん」
むしろ、ライノアに欠けているのは気持ちだけだとロゼッタは思っていた。ひとたびスイッチが入れば、ライノアはまったくの別人に生まれ変わるだろう、と。
「ならば、結果で示してみせます」
ライノアはそう言って、ロゼッタの手を握り返した。手のひらが、瞳が、これまでにないほど力強い。ロゼッタが戸惑ってしまうほど――。
「ところで、隣国のお土産はどうしたんです? あれほど『差し上げる』とおっしゃっていたのに」
「え? ああ……」
唐突に思わぬ話題を振られて、ロゼッタはハッと我に帰る。
「準備はしておりましたのよ? だけど、諸事情によりお渡しするのを差し控えようと思いまして」
「どうしてです?」
ライノアが身を乗り出してきた。いつにない勢いに気圧されつつ、ロゼッタは必死に言葉を選ぶ。
「もしかして、クロエ嬢に遠慮をしたのですか?」
「あっ……と」
そうしているうちに、ライノア自身がこたえにたどり着いてしまった。否定をするのも気が引けて、ロゼッタは「実はそうなの」と小さくうなずく。
「欲しいです」
「え?」
「ロゼッタ嬢が僕のために準備してくれたんでしょう? ください」
「それは、その……」
クロエのことを考えると、断ったほうがいい――そう思っているのに、ライノアの真剣な表情を見るに「ダメ」と返事をしづらい。
「わかったわ」
見つめ合うこと数分間。根負けしたロゼッタがそう言うと、ライノアは嬉しそうに微笑む。
「よかった」
これまで見たことのない表情。ロゼッタの心臓がドキッと跳ねた。
(変なの)
相手はあのライノアなのに――ライノアのはずなのに、たった一晩でこれまでの彼とは大きく変わったような感じがする。
(……変なの)
ライノアの視線を感じつつ、ロゼッタは窓の外をそっと眺めるのだった。




