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17.ただ、少し

「それで? いったいどうして体調が悪くなったんですか?」



 ライノアが尋ねると、ロゼッタはふぅとため息を吐いた。



「わたくし、存在を思い出すのもおぞましいほど大っ嫌いな男がおりますの」


「え? そうなの?」



 クロエが思わず身を乗り出す。基本、博愛主義――というかお金至上主義なロゼッタなので、これまで嫌いな人間がいるなんて話は出たこともなかったのだ。



「なるほど。つまり、その男性は貧乏なんですか?」


「そういうことです。話が早くて助かりますわ」



 ライノアの質問にさらりとこたえ、ロゼッタは満面の笑みを浮かべると、空いていた椅子へと座った。



「その男はね、衣食住もままならぬほどお金がない上、自分でその状況を打破できるほどの能力も気概もない、とんでもない駄目な男ですの。そのくせ身分だけは高くて、わたくし本当に嫌いで。そんな男が視界の端に映ったものですから、気が動転してしまったのです」



 説明しながら、ロゼッタは腸が煮えくり返るような感覚がする。ライノアは「やっぱり」といった表情を浮かべると、小さくため息を吐いた。



「いいんじゃないですか? 人間誰しも、苦手なものや人はいますから」


「わかってくれますの?」


「わかるもなにも、僕はあなたが苦手ですし」


「まあ……!」



 しれっとそんなことを言うライノアに、ロゼッタは頬を膨らませる。



「聞きました、クロエ? 面と向かってそんなことを言うなんて、ひどい人だと思いません?」


「まあまあ、いいじゃないの。変に誤魔化されるより、ロゼッタも楽でしょう? ロゼッタにとっては、ライノア様は婚活対象じゃないんでしょうし」


「そりゃあ、そうですけど……」



 別に、怒っているわけじゃない。なんなら、そんなことを言われたのははじめてで、おかしくて笑いがこぼれてしまうぐらいだ。

 とはいえ、苦手な女性を助けざるを得なかったライノアに申し訳なさを感じて、なんだか胸のあたりがつっかえるような感覚がする。



「まあ、それは冗談として」


「本当に冗談なんですの?」


「……冗談として。今回のことは、気にする必要はないと思います。僕はあなたに大して興味もないので、すぐに忘れてしまうでしょうし。ロゼッタ嬢も、忘れてしまえばいいのではないですか?」


「まあ……」



 言っていることは相変わらずひどい気もするが、なんだかロゼッタの気持ちが楽になる。



(そうよね)



 嫌いな人間を瞳に映してしまったという事実は変わらないものの、ロゼッタの記憶から消去することはできるのだ。幸い、二人は遭遇せずに済んだのだし、ライノアの言うとおり忘れるのが一番だろう。



「でしたら、わたくしがあの男と会わずに済むよう、もう少しここで匿ってくださいます?」


「別に構いませんよ。……まあ、何もない家ですけど。一応、お茶ぐらいはお出しします」


「あっ! でしたら私! 私に淹れさせてください!」



 と、クロエが話に割り込んでくる。その表情はどこか切羽詰まっていて、ロゼッタは目を丸くした。



「ですが、お二人はお客様ですし」


「私たち、王女殿下の侍女ですから! お茶を淹れるのはものっすごく得意なんです。ロゼッタを助けていただいたお礼にぜひ、淹れさせてください」


(クロエったら、どうしたのかしら?)



 キッチンに向かう道すがら、クロエはロゼッタにアイコンタクトを送り、ニコリと微笑む。



「ポイント稼ぎたいの。結構本気だから」


「……!」



 クチパクでそう訴えられ、ロゼッタはますます目を見張る。


 一緒にいくつもの夜会を巡り、未来の旦那様探しをしてきたクロエが本気になった――ロゼッタはなんだか信じられない気持ちだった。



「――あのライノア様、家事はいつもどうなさってますの? 着替えや食事は?」


「見ての通り、狭い家ですからね。全部自分でやってますよ」


「ご自分で?」



 ロゼッタはあんぐり口を開けると、クロエに向かって『そんな生活でいいの?』と叫びたくなった。



「自分でできることを他人に任せるなんて、お金の無駄でしょう?」


「言いたいことはわかりますけれども、お仕事もなさっていますし、面倒じゃございませんか? 王太子殿下の文官って、そんなにお給料が安いんですの?」


「いいえ。人を雇える程度にはいただいてますし、実家から援助を受けられないわけでもありません。単純に僕の価値観の問題です」


「価値観……わたくしとは真逆ですわね」


「そうですね」



 ロゼッタは思わずライノアの顔をまじまじと見つめる。それからふふっと笑い声を漏らした。



「どうかしましたか?」


「いえ、ここまで気が合わないと、かえってすごいなぁって。なんだか面白くなってきて」



 こらえきれず、ロゼッタはクスクスと笑い続ける。ライノアはくすりと笑うと「そうかもしれませんね」と目を細めた。



「あなたは、将来たくさんの人にかしずかれ、高価なものに囲まれながら生活をするのが理想なのでしょうね」


「そうですわよ? そうすればきっと、最高に幸せになれると……」


(本当に?)



 ロゼッタの口が止まる。次いで聞こえた自分自身の心の声に戸惑い、え?と首を傾げた。



「どうかしましたか?」


「いいえ、別に」



 ロゼッタは胸を押さえつつ、大きく深呼吸をする。


 一瞬――ほんの一瞬だけ生じた迷いは、どこから来るものなのだろう? ロゼッタが思い描く幸せの形は、幼い頃からずっと変わっていないはずだ。自分をなによりもときめかせてくれるのは、美しいドレスや宝石、美味しい料理に恵まれた生活。それを可能にしてくれるお金というものが、最高に好きで。


 ――ただ、少し楽しかっただけだ。

 飾らない自分を出せることが。まるでコルセットを外した後のように、楽で、爽快だっただけ。そんな状態はずっとは続かない。ロゼッタはそれを望んでいるわけではないのだ。



「お待たせしました」



 と、ティーポットを持ってクロエが戻って来る。

 クロエは茶を淹れライノアに渡すと、期待を込めた眼差しで彼を見つめた。



「――美味しいです」



 ライノアが微笑む。それはとても優しい表情で。「よかった!」とクロエが嬉しそうに頬を染めると同時に、ロゼッタの胸が小さく痛んだ。



(なによ。わたくしだって、お茶を淹れるのは得意なのに)



 クロエが淹れたお茶を飲みながら、そんなことを考えている自分に気づき、ロゼッタははたと顔を上げる。



(……変なの)



 ロゼッタが茶を振る舞うべき相手はもっと他にいるはずだ。クロエと張り合おうだなんて馬鹿げている。

 ライノアの笑顔を横目で見ながら、ロゼッタは唇を尖らせるのだった。


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