第七十二話 夢幻境で待つもの
全員が無言で進む。
葵と祷は、巨大な恐竜が闊歩している場所を歩く蟻になったような気分で呼吸すらままならない。
運命も普段であればのんきに世間話でもしているところだが、いつもの余裕は鳴りを潜め、ひたすら神経を集中させている。
創はいつも通りではあるものの、皆の状況がわかっているから、あえて話しかけるようなことはしないし、一瞬の油断が仲間の死を招く以上、いつもより周囲に警戒しながら進まざるを得ない。
果たしてここは昼なのか夜なのか?
登っているのか下っているのか?
暑いのか寒いのか?
うるさいのか静かなのかもはっきりしない。
まるで幻の中を漂っているような不安定な感覚。
創と大猫たちによって辛うじて自分の存在を認識することが出来ているが、果たしてどこへ向かっているのか、どのくらい時間が経過したのか、油断すれば認識そのものが溶け出してしまいそうになる。
葵たちは理解せざるを得ない。
ここは人間が来て良い場所ではないのだと。
「お疲れ様でした。ここまで来れば大丈夫ですよ」
創の一言ではっと現実に返る一同。
永遠に続くのかと思われた悪夢が終わったような安堵感に包まれる。
呼吸すら忘れていたことに気付き、ぶはっと息を吐き出す。
「ひえ~怖い怖い、マジでヤバいよね、ここ」
「…………」
「…………」
運命と違い、話す気力など残っていない葵と祷。
「……あ」
それでも周囲に広がる聖浄な空気と、咲き誇る色とりどりの花を揺らす優しい風、見たこともない光り輝く果実の芳醇な香りが、枯れかけた心身に染み入ってきて、みるみる気力が回復してゆく。
『葵、祷、背中に乗るにゃあ』
コタローたちが腹ばいになって、葵たちに乗るように促す。
「ありがとうございます、コタローさま」
「しらたまちゃんごめんね足手まといで」
気力はともかく、まともに歩けないほど消耗している二人は、もふもふな背中にもっふり沈みながら体力を回復することに集中する。
「じゃあ、ごましおちゃんは私が乗るね!」
運命はそこまで消耗してはいないが、もっふりするチャンスがあれば逃さない。
「みんな、あそこがそうだよ!」
、
どれほどもっふり歩いただろうか――――創の指さす方向にそびえ立つのは白亜の神殿。
そこが、神さまが四人で来るように指定した場所だ。
「よし、行こうか」
皆が落ち着いたことを確認して、創が神殿へ足を向ける。
「うん」
『にゃああ!!』
「はい」
『にゃああ!!』
「ええ」
『にゃああ!!』
この場所に侵入してくるものはいない。
そよ風に吹かれながら、揺れる花畑をゆっくりもっふり歩いてゆく。
「……ず、ずいぶん大きいんだね、神殿」
遠近感がおかしくなっていたようで、近づくにつれて神殿の巨大さがはっきりとわかってくる。
およそ人間用のサイズとは思えない。巨人……いや、もっと大きい何か。
「扉が閉まっているけど……」
分厚い金属のような素材で出来ている巨大な扉は、固く閉じられていて他に入れそうな場所はない。
「大丈夫ですよ。僕、入ったことありますから」
創が扉を押すと、地鳴りのような振動を響かせながら扉が開く。おそらくは創以外には開くことは出来ないだろうと思わせる超重量のど迫力。
「うわっ!? 眩しい!!」
扉が開いた瞬間、中から漏れ出た光。そのあまりの強さに視界が奪われてしまう。
「あれ……? ここは?」
ようやく光が消え目を開けた創たちは、いつの間にか応接室のような場所に座らせられていた。
テーブルの上には美しいティーカップに水色が映える紅茶や様々なお茶菓子が用意されている。
「これは……夢……なんでしょうか?」
夢の中の世界で夢というのもおかしな話だと思いつつも、葵は紅茶に手を付けて良いものか悩んでいる。
「神さまに呼ばれたんだから大丈夫でしょ。冷めないうちにいただこうよ」
気にすることなく、まだ温かい焼き菓子に手を伸ばす運命。
「……この場所、とっても神さまに近い気がします」
普段から神の声を聞くことが出来る祷だからこそわかる。ここは特別な場所なのだと。
「じゃあ僕たちもいただこうかな。コタローたちも――――」
『もういただいているぞ』
『めっちゃ美味しいのです!』
『猫舌なのに飲める温度になっているにゃああ!!』
葵たちも見慣れてきてはいるものの、大猫たちが席について紅茶を飲んでいる姿はやはりシュールで可愛らしい。眺めているだけで紅茶が美味しい。
「こんな美味しい紅茶……初めて飲みましたわ」
「私、あまり紅茶は得意ではなかったんですが、これは美味しいですね!」
葵と祷が紅茶を絶賛すれば――――
「運命さん、この焼き菓子とっても美味しいですよ」
「本当? 私にも頂戴、あーん! むふ、本当だめっちゃ美味しい!! じゃあ、お返しに創くんにも、あーん」
「うわっ!? これは美味しいです!」
「ちょ、ズルいです運命さま、創、こっちの焼き菓子が一番美味しいと思いますよ、はい、あーん」
「どれどれ……ああ、わかる。これ好きだな」
「あわわ……こ、これは乗っからないといけないのでしょうか? えっと、これなんか美味しいと思いますよ……食べてないけど……」
「祷さんが言うならきっと美味しいですよね、うん……なんか祷さんの味がする気が……」
「わ、私の味っ!? え、私たちまだキスもして――――」
「ああ、わかった。これほうじ茶使っているんだね」
「…………」
可哀そうなくらい真っ赤になる祷を、気の毒そうに見つめる運命と葵。
そして不思議なことに、紅茶も焼き菓子も冷めることもなく、適度な温度が保たれているし、食べたお菓子もいつの間にか補充されているので減ることはないのだ。おまけにいくら食べてもお腹が一杯にならないという夢のような状況である。
最初は緊張していた四人だったが、三十分も過ぎればすっかり落ち着いてリラックスし始めている。不思議な紅茶やお菓子の効果もあったのかもしれない。大猫たちに至っては、先程から丸くなって寝息を立てている。
『ごめんね~!! 会議が長引いちゃってさ……まったく頭の固い連中はこれだから。会議なんて無能な連中が好むものだって大昔から決まっているのにね』
突然大きな声がして、危うく飲みかけのカップを落としそうになる。
「皆さま、神さまです」
祷の言葉に慌ててカップを置き、姿勢を正す一同。
「大変でしたね、お仕事お疲れ様です、神さま」
『ありがとう創くん。キミは本当に可愛いよね!! 頭撫でて良い?』
「もちろんです、どうぞ」
『あ、肉体が無いから撫でられなかったよ、このうっかりさん』
「あはは、神さまって面白い方なんですね」
『やーん、そんなこと言ってくれるの創くんだけだよ~』
ちょっぴりイライラしていた神さまだったが、すっかりご機嫌の様子。
「あはは、さすが創くん」
神さま相手でもいつも通りマイペースな創に、さすがの運命も苦笑いするしかなかった。




