8.花は散れども、残るは想い。
――カレンは生まれつき、心臓に病を抱えていた。
だから身体を大きく動かすことはもちろん、何をするにしても呼吸を乱して苦しむ。大学時代に彼女と親しくなり、紆余曲折を経て二人は恋仲となった。
大学を卒業し、就職し、人並みの幸せを願う日々の中。
子を授かりたいと願うのは自然なことで、とりわけ強く願ったのはカレンだった。
「でも、大丈夫なのか? カレン、キミの身体は――」
「分かっているわ、そんなこと。でも、悲しいじゃない」
当然、哲也はそれを止める。
だが彼女の決心は堅く、戸惑う彼にこう告げるのだった。
「ワタシはそのまま生きても、きっと長くはない。だったら――」
まるで縋るように。
懇願するように、狂おしいほど優しく哲也を抱きしめながら。
「自分がたしかに『ここにいた』んだ、っていう証がほしいの」――と。
◆
「それでも僕は、最後まで悩んでいた。夫として彼女の願いを叶えるのが、大前提だというのは分かっている。それでも誰よりも愛する人を失うかもしれない、という恐怖は夜も眠れないものだったよ」
「親父……」
そう語る親父に、いつものようなふざけた様子はない。
いいや。もしかしたら、あの振舞いは仮面のようなものかもしれなかった。感傷に浸るわけにはいかないのだと、そう自分に言い聞かせて、俺の前では気丈にしている。
そうでなければ、説明がつかなかった。
目の前で静かに語る彼は、あまりにも痛々しかったから。
「でも、親父は――」
「そうだね。僕はカレンの願いを聞き入れると決めた。そうして彼女は拓哉を身に宿し、苦しそうにしながらも幸せそうに笑っていたんだ」
そこからはもう、聞く必要はなかった。
俺が産まれてからの母は、次第に弱っていったのだろう。幼い自分はそんな事情を当たり前に知らず、ただ病院に行けば母さんに会えるのだ、と無邪気に笑っていた。
そんな俺を見て、親父はどう思っていただろう。
子を産んだことによって、最愛の人が弱っていくのを目の当たりにして。もし俺がその立場であればきっと、正気ではいられなかっただろうと思った。
それでも、俺は知っている。
「ははは、ごめんな拓哉。これをいつ話すか、ずっと悩んでいた。夕方に勇から連絡があってね、それでようやく踏ん切りがついたんだ。そんな後押しがないと、僕はなにも決められない駄目な父親なんだろうな」
そう自嘲気味に笑う父。
そんな姿を目の当たりにして、俺は静かに首を左右に振った。
「そんなことは、ないよ」
「……拓哉?」
「親父は俺にとって、かけがえのない父親だから」
「…………」
その言葉に、彼は黙り込む。
肯定も否定もせず、ただ何も言えなくなっていた。
きっと自信がないのだろう。自分の決断したことや、俺が本当はどう思っているのか。色々な気持ちがない交ぜになって、何が本当か分からなくなっているのだ。
不器用な俺の親父は、こんなになるまで一人で抱え続けていた。
この十数年は、どれほど辛い時間だっただろう。
俺にはそれを想像するしかできない。
でも自分にしか、伝えられないことがあった。
「気休めは、いいんだ。拓哉、この話は――」
「親父、母さんは俺にこう言ったんだよ」
「…………え?」
――そうなんだ。
いまならあの日に、母さんが言ったことの意味が分かる。
俺と母さんが、二人きりになった時のことだった。あの人は、こう言ったのだ。
◆
「ねぇ、拓哉? ありがとう、ね」
「……うん? どうしたの、おかあさん」
「あはは、ごめんごめん。いきなりだと、意味わからないよね」
そう言うと母は俺を抱き上げて、ベッドに座らせて頭を撫でる。
そして、改めてこう口にするのだった。
「ホントに……『生まれてきてくれて、ありがとう』」――と。
きっとそれは、親父の前では恥ずかしくて言えなかったもの。
彼女は愛おしそうに微笑みながら、首を傾げる俺を見つめていた。
「お父さんには、きっと辛い選択をさせたと思う。でもワタシは、こうやってかけがえのない時間を与えてもらった。だからホントに、いまワタシは――」
◆
「――『生きてきて、いちばん幸せ』だ、って」
それは愛しているからこそ、伝えられなかったこと。
失うと分かっている人にこそ言えなかった、命を終えることへの想い。それでもきっと、時を経たいまだからこそ、親父にはその言葉が必要なのだと思った。
そして、この想いは母さんだけではない。
俺は静かに立ち上がり、父の隣へと歩み寄った。
「なぁ、親父。恥ずかしいから、一度しか言わない」
「……あぁ、そうか」
震える彼の両肩に、そっと手を置きながら。
俺は初めて、心の底からこう告げた。
「ありがとう。俺もいま、すごくしあわせだよ」――と。
これ以上を望むことなんて、あるのだろうか。
大切な家族がいて、愛してくれた母がいて、いまは隣にみんながいる。
「あぁ、そうか。そうだな――」
親父は静かに。
ただ静かに、一筋の涙を流しながらこう言うのだった。
「あぁ、それは……よかった」――と。
あれ、これってラブコメよな???
まぁ、いいや。
感動したとか、面白かったとかでも、思っていただけたら幸いです。
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書籍化してぇ……w




