アニメ声男装令嬢とイケボ女装令息
「ふぅ」
貴族学園の門をくぐった私は、自分を落ち着かせるため軽く息を吐いた。
今日は貴族学園の入学式。
今日から私もここの生徒になる。
さっきからずっと、期待と不安で心がぐちゃぐちゃだ。
いや、むしろ不安のほうが圧倒的に大きい。
何故なら――。
「あら! あなたイケメンねぇ!」
「新入生? 名前は何ていうの? よかったら入学式の会場まで、私たちが案内してあげるわよ」
「――!」
その時だった。
リボンの色的に先輩と思われる、二人の女子生徒から声を掛けられた。
よ、よし、一応男には見えてるみたいね。
あとは――。
「あ、あの、実は私、女でして……」
「「――!!!」」
二人の目が大きく見開かれた。
――あ、この顔を、私はよく知っている。
私が女だということを打ち明けたら、大抵みんなこの顔になるのだ――。
「あ、そ、そうなんだぁ」
「随分可愛い声してるわね?」
そう、私は女の割には背も高いし、顔も中性的だから、自分で言うのも何だけれど、こうして男装も似合うとは思っている。
……だが、如何せん声が甲高くて幼女みたいなので、そのギャップでみんな引いてしまうのだった。
「あー、じゃあ、私たち忙しいから行くね」
「じゃ、じゃあね、新入生ちゃん」
「あ、はい……」
先輩二人は逃げるように、走り去ってしまった。
嗚呼、やっぱりこの学園でもこうなるのか――。
――私は子どもの頃から、女だけの歌劇団である『玉塚歌劇団』――通称『玉塚』が大好きで、特に男役に憧れていたので、毎日男装して過ごしていた。
私以外の兄弟は全員男だったのも、それを後押しした。
ただ、子どもの頃は致し方なかった幼女声も、15歳を迎えた今でもほとんど変わらず、それがコンプレックスな私は、人前で声を出すのが苦手になってしまった――。
見た目は男なのに声は幼女なんて、誰だって気持ち悪いと思うものね……。
「なあなあ君、可愛いね? 新入生?」
「俺たちが入学式の会場まで案内してあげるよ」
その時だった。
私の前方で、先輩と思われる二人の男子生徒が、まるでお人形みたいに小さくて可憐な女子生徒に声を掛けていた。
か、可愛い……!
何あの子……!?
サラサラの長い金髪に、クリッとした大きな蒼い目。
そして陶器みたいにスベスベのキメ細かい肌。
思わず抱きしめたくなる衝動に駆られる。
私は自分が男っぽい見た目をしていることもあり、可愛いものに目がないのだ――!
「アァン? 何だアンタら? 言っとくが俺は男だぜ」
「「「っ!?!?」」」
その時だった。
可憐な女の子の口から、腹の底に響くような、渋いバリトンボイスが放たれた――。
えーーー!?!?!?
「なっ!? お、男ォ!?」
「オ、オイ、マジかよ……!?」
二人の先輩も、こんな可愛い子の口から出た重低音のイケボに、軽くパニックになっている。
無理もないわ。
私だってまだ、脳が現実を処理できてないもの……。
私の幼女声を聞いた人も、こんな気持ちなのかしら……?
「ナンパなら他を当たってくれよ」
「クッ! ま、紛らわしい格好すんじゃねえよ!」
「そ、そうだそうだ! 時間の無駄だったぜ!」
二人は憤慨しながら、ガニ股で去って行った――。
「ケッ、勝手に勘違いしたのはそっちだろうが」
イケボ女装男子くんは、先輩の背中にベーと舌を出した。
この子、見た目はこんなに可愛いのに、言動は完全に男ね……。
いろんな意味で、私と真逆だわ――。
「オイ、アンタ」
「――!」
その時だった。
いつの間にか私の目の前まで来ていたイケボ女装男子くんが、私を真っ直ぐに見上げていた。
あわわわわわ……!?
こうして間近で見ると、本当にお人形さんみたいだ……!
女子生徒用の制服も、とてもよく似合っている。
これが男の子だなんて……!
――この瞬間、私の中で何か新しい扉が開きかけたような気がしたが、慌てて閉じた。
「あ、ええええええっと、何か御用でござりまするか!?」
はうっ!?
緊張のあまり、変な話し方になってしまった!?
「フフ、アンタのその男装、凄く似合ってるぜ」
「――!」
イケボ女装男子くんが、ウィンクしながらサムズアップをした。
ふおっ????
「可愛い声とのギャップも最高だ。もっと胸を張れよ」
「…………え」
今、褒められた……?
私のこの、見た目に不似合いな幼女声を……?
う、嘘……、こんなこと、今まで一度もなかったのに――。
「あ、あの、私の声、気持ち悪くないんですか?」
「アァン? なんでだよ? それがアンタの声なんだろ? だったら何も、気持ち悪いと思う理由はないだろうが。それともアンタは、俺のこの声も気持ち悪いと思うか?」
「――!」
ああ、そうか。
そういうことか――。
「ううん! 全然気持ち悪くないですッ! むしろ、とっても素敵だと思います!」
「ハハ、そうか、ありがとよ。――俺の名前はジーク・グレッツナー。ジークって呼んでくれ。あと、同じ新入生なんだから、敬語はやめてくれよ」
イケボ女装男子くんことジークは、私に右手を差し出して握手を求めてきた。
「あ、わ、私はレオナ・ブラウンフェルス。レオナって呼んで。よろしくね、ジーク」
「ああ、よろしくな、レオナ」
私はジークと固い握手を交わした。
握手をしてみるとジークの手は存外骨ばってゴツゴツしており、完全に男の手だった。
私は胸の高鳴りを、必死に抑えた――。
入学式でも私とジークは相当浮いていた。
何せ女子生徒の列に背の高い男装した私が並び、男子生徒の列に小さくて可愛い女装したジークが並んでいるのだ。
嫌でも注目を集める。
とはいえ、入学式自体は特に滞りなく終わり、私はジークと二人で私たちがこれから1年間お世話になる、1年3組の教室へと向かった。
「よ、よかったジークと同じクラスで。私、この学園に一人も知り合いいなかったから……」
教室に向かう道すがら、ボソッとそう零す。
「ハハ、俺もだよ。ただでさえこんな格好してるから、周りから距離を置かれがちだしな」
「……」
今朝ジークに会ってからずっと疑問に思っていたことを、いい機会だから訊いてみることにした。
「あの……、もし嫌だったら答えなくていいんだけど、ジークはなんで女装してるの?」
「アァン? そんなの決まってるじゃねぇか。女装が好きだからだよ」
「――!!」
この瞬間、私の心の中の暗雲に、一筋の光が射したような気がした。
「女装が好きだから女装する。ただそれだけのことさ。とはいえ、あくまで女装が好きなだけで、女になりたいわけじゃねぇから、仕草まで女っぽくするつもりはねぇけどな。レオナだってそうじゃねぇのか? 男装が好きだから男装してるんだろ?」
「う、うん! そうなのッ! 私、男装が大好きなのッ!! …………あっ」
ヤバい……!
思わず大きな声が出てしまった……!
高身長男装女から大音量の幼女声が出てきたことで、周りを歩いていた生徒たちが、ギョッとしながらこちらを向く。
皆一様に、異常なものを見てしまったような苦い顔をしている。
あ、あぁ……、やっちゃった……。
「ハハ! イイじゃねぇか! 好きだからする。そこに一切の貴賤はねえ。誰にも文句を言われる筋合いはねぇんだから、もっと自分の好きなものに胸を張って生きようぜ」
「ジ、ジーク……!」
ジークはまたしても、ウィンクしながらサムズアップを向けてきた。
ふふ、私、ジークと出会えて、本当によかった――。
「あそこに座ろうぜ」
「う、うん」
どこに座るかは自由とのことだったので、1年3組の教室に入った私とジークは、窓際の一番前の席に横並びで腰を下ろした。
当然ながら男装や女装をしている生徒はこのクラスで私たちだけだから、このスポットだけ別空間みたいだ。
「みなさんお揃いですね」
程なくして黒髪をひっつめにした、目付きの鋭い30歳前後の女性が教室に入って来た。
皺一つない黒のパンツスーツに身を包んでいる。
「私がこのクラスの担任の、マクダレーネ・ヘスラーです。1年間よろしくお願いします」
マクダレーネ先生が無表情のまま頭を下げる。
な、何だかちょっと厳しそうな雰囲気の先生ね……。
「では早速ですがみなさんにも自己紹介をしていただきます。私に名前を呼ばれた生徒は立ち上がって、その場で簡単に自己紹介してください」
キ、キタ、自己紹介……!
私にとって一番の鬼門……!
……どうしよう。
「まずは、イーリス・バウムガルトさん」
マクダレーネ先生が手元の名簿を見ながら生徒の名を呼ぶ。
「は、はい!」
窓際の一番後ろに座っている女子生徒が勢いよく立ち上がった。
丸メガネをかけて黒髪を三つ編みにした、可愛らしい女の子だ。
「あ、えっと、イーリス・バウムガルトです! 趣味は乙女ゲ……じゃなかった、読書です! よろしくお願いします!」
乙女ゲ?
乙女ゲって何だろう?
「はい、よろしくイーリスさん。――では次は、レオナ・ブラウンフェルスさん」
「――!」
もう私!?
あ、どうしよう、まだ心の準備が……!
と、とりあえず立たなきゃ!
「……」
私は無言のまま、慌てて立ち上がった。
うぅ、何て言おう……。
マクダレーネ先生にも、変な声だって思われちゃうかな……?
「マア!? レオナさん!? あなた男装してらっしゃるの!?」
「――!?」
途端、マクダレーネ先生の瞳がキラッキラ輝き出した。
お、おや??
「アラアラアラ、とってもお似合いじゃない! 私、玉塚が大好きで、週末はいつも劇場に通っているのよ!」
そ、そんな!?
マクダレーネ先生も私と同じ、玉塚ファンだったなんて――!
嗚呼、ありがとうございます、神様……。
これで私は、この学園でもやっていけそうです――。
「わ、私も玉塚が大好きで、だから男装を――」
「え、なにその声、気持ち悪っ」
「――!!」
途端、マクダレーネ先生は害虫を見るような目になった。
あ、あぁ……、あ……。
「何ですかその幼女みたいな声は? あなた玉塚を舐めてるんですか? 玉塚の男役は、もっとハスキーなイケボでないといけませんッ!」
マクダレーネ先生は名簿を教卓にバシンと叩きつけた。
くっ、そんなのわかってる……!
私だって本当は、玉塚の男役みたいなハスキーボイスになりたかった――!
……でも、これが私の声だから。
「ちっちぇえな、アンタ」
「っ!? 何ですってッ!?」
その時だった。
ジークが溜め息を吐きながら、そう零した。
ジ、ジークッ!?
「今、何と言ったのです!?」
「ちっちぇえなって言ったんだよ。アンタみたいな器のちっちぇえファンがいるって思われたら玉塚に迷惑かかるから、ファンやめたほうがいいぜ」
「な、何ををををを!?!? 教師に向かって、何ですかその口の利き方はッ!!」
マクダレーネ先生は名簿を教卓にバシバシ叩きつけながら、顔を真っ赤にしている。
あわわわわわ……!!
「あなた、名前はッ!?」
「ジーク・グレッツナーだ。その今やボロボロの可哀想な名簿に書いてあるだろ?」
「……あなた、男ですよね?」
マクダレーネ先生の眉間に皺が寄る。
「ああ、そうだぜ」
「なんで男のクセに女の格好してるんですか!? おかしいでしょうがッ!」
またしてもマクダレーネ先生が、名簿を教卓に叩きつける。
なっ!?
「オイオイ、男装はよくて、女装はダメだってのか? とんだダブスタじゃねぇか」
「いいえ、ダブスタではありません! 男装は清く美しいものなのです! それに対し、女装は汚らしく醜い。見るに堪えません。今すぐ男子用の制服に着替えなさい」
――くっ!
「待ってください、マクダレーネ先生!」
「――! ……レオナ」
私は思わず割って入った。
「女装だけ差別するなんておかしいです! 男装も女装も、どちらも尊いものじゃないですか!? お願いですから、そんな悲しいこと言わないでください!」
途端、マクダレーネ先生がまたスッと無表情に戻った。
えっ?
「わかりました。では自己紹介を続けます。次は――」
そしてボロボロになった名簿をめくる。
な、何この人……。
情緒が不安定すぎて、ちょっと……いや、大分怖い……。
「ありがとな、レオナ」
「……!」
ジークが例によって、ウィンクしながらサムズアップを向けてくれた。
たったそれだけのことで、私の胸の奥がポワッと温かくなるのを感じた――。
「これで全員自己紹介は終わりましたね。では本日のホームルームは以上となります。明日から授業が始まりますので、くれぐれも遅刻はしないように。解散」
マクダレーネ先生は無表情のまま頭を下げると、さっさと教室から出て行ってしまった。
あの人が1年間担任なのかぁ……。
前途多難だわ……。
「ねえねえねえッ!!」
「っ!?」
その時だった。
一人の女の子が、物凄い勢いで私の前に立った。
さっき最初に自己紹介をした、イーリス・バウムガルトと名乗った丸メガネの子だった。
「あ、ええと、何かしら?」
「あなたの男装――ドチャクソ萌えるわねッ!!!」
「っ!??」
ド、ドチャクソ???
「そのアニメ声とのギャップも最高よッ!! 至高の領域に近いわッ!」
アニメ声????
「あ、えっと、その……、アニメ声、って?」
「あ、ヤバ! 今のは忘れて! とにかく、あなたの声はドチャクソ可愛いってこと! だから、あんな意地悪教師の戯言なんか気にしないでね!」
「っ!」
イーリスさんは両手を目の前でグッと握りながら、私を励ましてくれた。
嗚呼、よかった――。
ジーク以外にも、私の味方はいたんだ――。
「ありがとう、イーリスさん」
「もう! クラスメイトなんだからイーリスでいいよ! 私もレオナって呼んでいい?」
「っ! うん! よろしくね、イーリス!」
「ふふ、よろしく、レオナ! これで私たち友達だね!」
イーリスは私の手をギュッと握ってきた。
と、友達……!
まさかジークに続いて、早くも二人目の友達が出来るなんて……!
「それからあなたの女装も、最の高よジーク!!」
「っ!?」
今度はイーリスは、ジークにビシッと指を差した。
お、おお??
「ハハ、ありがとよ」
「くぅ~~~!! その美少女フェイスから繰り出される極上のイケボ!!! たすかるぅ~~~」
何が???
「ハァ……! ハァ……! 危ない危ない……! 危うく萌え尽きるところだったわ」
「だ、大丈夫、イーリス?」
私が言うのも何だけれど、この子も大分変わった子ね……。
「うん、大丈夫! 早くも推しカプを見付けられて、私はドチャクソ幸せよ!」
お、推しカプ??
「おっと、こうしちゃいられない! この衝動を、一刻も早く漫画にしなくちゃ! じゃあ、また明日ね、レオナ、ジーク!」
「あ、うん、また明日」
「じゃあな」
イーリスはブンブン手を振りながら、教室から出て行った。
台風みたいな子だったな……。
ところで、漫画って何だろう?
「ハハ、こりゃ、退屈はしなさそうだな」
「うん、そうだね」
良くも悪くも、私の学園生活は賑やかなものになりそうだ。
「じゃあ、俺たちも帰ろうぜ、レオナ」
「あ、うん」
あれ?
何か自然とジークと二人で帰る流れになってる……?
家族以外の男性と二人で歩いた経験なんてほとんどないから、途端に胸がドキドキしてきた……!
「? どうした、帰らねぇのか?」
「あ、いや! 帰る帰る!」
「ホントおもしれーな、レオナは」
「――!」
無邪気に微笑むジークの天使みたいな可愛い顔に、私の心臓が高鳴る――。
嗚呼、どうしちゃったんだろう、私……。
「お待ちなさい」
「――!」
だが、教室を出て渡り廊下の辺りを歩いていると、前方にマクダレーネ先生が道を塞ぐように無表情で立っていた。
手にはボロボロの名簿を持っている。
そしてマクダレーネ先生の隣には、ゴリラみたいな体格をした男の先生が腕を組んでいた。
「アァン? 何だよ? 俺たちは今から帰るんだ。そこをどいてくれ」
「そういうわけにはいきません。あなたたち二人には話があります。私について来なさい」
そう言うなりマクダレーネ先生は私たちに背を向け、ツカツカと歩き出した。
ゴリラみたいな先生もそれに続く。
「ど、どうしよう、ジーク?」
「チッ、まあここで無視したら却って面倒なことになりそうだし、とりあえず行こうぜ」
「う、うん、そうだね」
でも、話っていったい……?
ふと外に目を向けると、さっきまで晴れ渡っていた空に、分厚い暗雲がかかろうとしていた――。
「入りなさい」
マクダレーネ先生に連れて来られたのは、『生徒指導室』と書かれた一室だった。
生徒指導室……!
何とも不穏な響きだ。
私とジークが黙って部屋に入ると、マクダレーネ先生は後ろ手に鍵を閉めた――。
「私は生徒指導部の一員でもあるのです。こちらは同じく生徒指導部の、ルトガー先生です」
「ルトガー・リンデンベルクだ。よろしくな」
ゴリラみたいな先生はルトガー先生というらしい。
マクダレーネ先生同様無表情で、何を考えているのかわからなくて不気味だ……。
「さて、どうしてあなたたちがここに呼ばれたのか、理由はわかっていますね?」
「さあな? 俺たちは至って真面目な学園生活を送ってるだけだからな。まったく身に覚えはねぇな」
「クッ、またそうやって人をバカにした態度を取って! いい加減になさいッ!!」
マクダレーネ先生がボロボロの名簿を机に叩きつけた。
ま、まさかと思いますが先生、叩きつけるためだけに名簿を持ってきたんですか……?
「――あなたたち二人の格好は、明確な校則違反です。今すぐこれに着替えなさい」
「――!」
マクダレーネ先生はロッカーを開けると、そこから男子用と女子用の制服を、一着ずつ取り出した。
――なっ!?
「ま、待ってください! 校則では男子用と女子用、どちらを着用するのも自由だったはずです!」
私も入学する際、その点は事前に何度も確認した。
だからこそ、こうして男子用の制服で登校したのだ。
「いいえ、それはついさっきまでの話です。あなたたちのような異常な存在がいるとわかったからには、校則自体を抜本から改革する必要があります。私はこれから学園長先生に直談判して、男子は男子用の制服、女子は女子用の制服のみを着用するように校則を変えてもらうつもりです」
「――!!」
い、異常……。
私たちの存在が、異常……!
マクダレーネ先生の言葉のナイフが、私の胸を容赦なく突き刺した――。
「――異常なのはどっちだよ」
「――!!」
その時だった。
ジークが一歩前に出て、怒りの炎を宿した瞳でマクダレーネ先生を睨みつけた。
ジーク――!
「そうやって自分勝手な価値観を上から押し付けるアンタみたいな存在のほうが、よっぽど異常じゃねぇか。アンタに教師の資格はねぇ。さっさと辞表を提出したほうが賢明だぜ」
嗚呼、ジーク――。
ジークは本当に、カッコイイね――。
「な、何ですってええええええ!!!! この品行方正な私が異常!? どの口が言うのよ!! どの口がどの口がどの口がどの口がどの口がああああああ!!!!」
マクダレーネ先生がボロボロの名簿を何度も何度も机に叩きつける。
た、確かに……、この人は間違いなく異常だわ……。
「まあいいわ。こうなったからには、教育的指導が必要ね」
と思ったら、また一瞬でスンと無表情に戻った。
最早ホラーだわこの人――!!
「ルトガー先生、お願いします」
「はい。さあ、大人しくこれを着るんだ」
ルトガー先生が男子用の制服を持ちながら、ジークの服を無理矢理脱がせようとする。
なっ――!?
「クッ!? は、放せよこのクソ野郎ッ!」
ああ、ジークが――!!
――この瞬間、私の中で何かがブツンと切れた。
「――ジークから、その汚い手を放しなさいよおおおおお」
「ぶべらっ!?」
私はルトガー先生の腕を掴むと、そのまま一本背負いでルトガー先生を床に叩きつけた。
ルトガー先生は白目を剥いて、気を失ってしまった。
ふん、たわいないわね。
我がブラウンフェルス家は代々騎士を輩出している騎士家系で、私も物心ついた時から、父に厳しい武術の稽古をつけられてきた。
この程度の見せかけだけの筋肉男、私の敵じゃないわ。
「ハハ、ありがとよレオナ。助かったぜ」
ジークがまたウィンクしながらサムズアップを向けてくれた。
ジーク……。
「ううん、お礼を言いたいのはこっちのほうだよ、ジーク」
ジークのお陰で私は、理不尽なものに立ち向かう勇気が持てたんだから――。
「クッ、あ、あなたたち、教師に手を上げて、タダで済むと思っているの!? あなたたちは退学よ、退学ッ!!」
マクダレーネ先生が名簿を机に叩きつける。
あ、どうしよう……。
流石に入学初日で退学はマズいな……。
「ふぅん? 俺たちが退学ねぇ? ――オォイ、もう入って来ていいぜ」
「「??」」
ジーク??
「はいはい、まったく、冷や冷やさせないでくださいよ」
「「っ!!?」」
その時だった。
ドガンという轟音を上げながら、誰かが扉を蹴破って生徒指導室にのっそり入って来た。
「なっ!?」
その背の高い人物を見て、私は目を見張った。
――そこにいたのは我がブラウンフェルス家の次男である、アルバン兄さんだったのだ。
「な、なんでアルバン兄さんがここに……」
「ようレオナ。学園生活満喫しているようだな。お兄ちゃんは嬉しいぜ」
アルバン兄さんは、近衛騎士団の一員だ。
王族か、それに準ずる人間を護衛するのが仕事のはず。
そのアルバン兄さんがここにいるということは、まさか――!
「あ、あなたは新任のアルバン先生!? あなたこの、不良生徒と兄妹だったんですか!?」
えっ???
マクダレーネ先生、アルバン兄さんのことを新任って言いました??
「すいませんマクダレーネ先生。実は俺、近衛騎士団の人間でして。そこの尊きお方をお守りするために、教師として潜入したんですよ」
「…………は?」
アルバン兄さんは顎でジークを指した。
……やっぱり。
「フン、でも、肝心な時に助けなかったじゃねえか。職務怠慢だろ」
「いえいえ殿下。あれは、俺の可愛い妹が代わりに助けてくれると確信してたから、任せたんですよ。なるべく学園生活に水は差すなと仰ってたのは、殿下じゃないですか」
「ハハ、冗談だよ」
「で、殿下??」
事情を飲み込めていない様子のマクダレーネ先生は、頭に疑問符を65535個くらい浮かべている。
「――こちらのお方は、我が国の第三王子であらせられる、ジークハルト殿下です」
「――なっ!?」
マクダレーネ先生が、口をあんぐりと開ける。
「う、嘘よ!! ジークハルト殿下は、ご病気でずっと療養中なはずじゃない!?」
「それは国王の流したデマだ。俺がこんなナリだからな。ごく一部の人間を除いて、国民には俺の存在は隠してんのさ」
そういうことか。
点と点が繋がった。
だからジークハルト殿下はただの貴族令息として、この学園に通うことになったのね。
そしてその護衛役に選ばれたのが、アルバン兄さんだったと……。
「そ、そんなバカな……。有り得ないわ、そんなこと……!」
マクダレーネ先生はガタガタと奥歯を鳴らして震えている。
無理もない。
知らなかったこととはいえ、王族に危害を加えようとしたのだ。
いったいどんな処罰が下るのか、想像するだけで恐ろしい……。
「噓だと仰るなら、学園長先生に確認なさってください。この学園で事情を知っている、唯一の人ですから。ああ、ちなみにこの件は俺のほうから学園長先生に報告しておきますので、そのつもりで」
アルバン兄さんが淡々とした口調で、そう説明する。
流石プロの騎士。
容赦ないわ。
「う、うわああああああああああああああああああ」
マクダレーネ先生は頭を搔き毟りながら、その場に頽れた。
哀れね……。
――あ、そうだ!
「ジ、ジークハルト殿下! 数々の不敬な振る舞い、大変失礼いたしました!」
私は慌てて、ジークハルト殿下に深く頭を下げる。
私も知らなかったとはいえ、殿下に気安い態度を取っていたという点では同罪だ。
「よしてくれよレオナ。俺はこの学園じゃ、あくまでジーク・グレッツナーというただの男なんだ。――だからこれからもジークって呼んでくれよ。な?」
「――え」
で、でも、そうは仰りましても……。
助け舟を求めて、アルバン兄さんのほうをチラリと向くと。
「大丈夫大丈夫。殿下はこの通り気さくなお方だから、気にすることないって」
と、ケラケラ笑ったのだった。
ほ、本当に??
……まあ、アルバン兄さんがそう言うなら、そうなんだろうけど。
「お前はもう少し、俺に対する敬意を示せよ」
「殿下が敬意を示すに値する人間になったら、自然と示しますよ」
「ケッ」
も、もしかしてこの二人、私が知らなかっただけで、長い付き合いだったりするのかしら?
アルバン兄さんが今までどんなお方を護衛してたのかは、守秘義務があったから私にも教えてくれなかったし。
「まあ、そういうわけだ。改めて、これからよろしくな、レオナ」
ジークハルト殿下――いや、ジークは満面の笑みで、私に右手を差し出してきた。
ふふ。
「うん、こちらこそよろしくね、ジーク」
私はジークの手を握った。
――ふと窓の外を見ると暗雲はいつの間にか晴れており、太陽がにこやかな笑顔を振り撒いていた。
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