剣神
一一.剣神
「ガイルーシャってどんな国なんだ?」
船旅も予定の半分を過ぎた頃、今更の様にオルアは尋ねた。
「そうねぇ、私も名前は知っていたけど実際に行くのは初めて。確か聞いた話では…この間のアレとは違うけど、古の神が住まう国って聞いているわ。それにガルみたいな鬼の生き残りとかニンジャとかいるって聞いているの。今から凄く楽しみ!ねぇ、どんな所?」
そんな二人の問いにガルは顎に手を当てて思案するが…そこへ更にバーンが入り込む。
「んギャ!ガイルーシャには神に仕えるドラゴンがいるって巫女に聞いているのだギャ!そのドラゴンと、ドラゴンが仕える神とやらに是非会ってみたいんだギャ!」
「そう言われてもなあ…俺自身二十年以上も帰ってないんだぜ、どうなってるかなんて解るもんかよ。まあ、俺としては何よりもおっかねえ兄貴が少しでも丸くなっている事を願うがな。それと…いや、まあいいさ。行けば解るだろう」
ガルですら恐れる兄貴とやらがどんな恐ろしい男なのかという畏怖を覚えつつも、一行は未知なる国への興味を抑えられず、今まで以上にワクワクした心持ちで船に揺られていた。
一同は船に揺られガイルーシャへ向かう。
思い思いの気持ちで海原を進む一同。ガルですら少々楽しそうな表情を浮べていたが、唯一シーブランだけは肩を落としたまま精気を抜き取られた様に船内を漂っていた。
「なあ…ガルから見てあの状況は大丈夫そうか?」
見かねたオルアが尋ねるが…
「…さあな」
一瞥したガルはそっけなく答えた。とは言え、シーブランはそれでも仕事はこなし、一同はガルの案内もあって無事ガイルーシャへ上陸する事が出来た。
人跡未踏の地、それがガイルーシャへ上陸したオルア達の第一印象だった。
「俺の住んでいた所もなかなか凄い所だったと思うんだけど…ここは何て言うか、とても人が住んでいるとは思えない所だな」
かつて森の中で暮していたオルアですら立ち入るのを躊躇する程の密林。しかしガルは平然とその中へ足を踏み入れた。
「おい、大丈夫なのか?」
思わず声をかけるオルア。しかしガルは
「あん、何やってんだ?早く来いよ」
それだけ言ってさっさと森の中へ姿を消した。
「ねえ、早く行かないと見失っちゃうよ?」
ミンクはそう言うと共にガルの後を追う。その後をフレアが、更にその後をイーロンが追い、バーンも飛び去った後で
「おい、ちょっと…待てよーっ!」
叫び声と共にオルアは走り出した。
「アイツ等、大丈夫か?」
部下と共に船に残っていたシーブランは、望遠鏡を降ろすと同時に呟いた。
僅か数メートル先も見通せない密林。しかも湿度は高く一時間と歩かない内にオルアは汗だくになってしまった。いい加減嫌になりかけたその時、先等を進んでいたガルが急にその足を止める。
「おい、何で急に…?」
言いかけたオルアは不意に自分達以外の気配に気付いて身構える。同時にイーロンとフレアはオルアの左右に展開し、ミンクとバーンが背後の気配を探る。しかし
「これは…俺達狙いじゃ無さそうだ」
ガルはそう言うと、目を凝らして先の方を見つめた。そして
「この先で、誰かが襲われている。それも集団で一人を…この気配…行くぞっ!」
そう言うなりガルは駆け出す。同時に一同もその後を追うが、ガルが邪魔な物を全て薙ぎ払ってくれたお陰で意外と楽に進めた。そして数分後…
「あれは…」
樹上を見上げてオルアが呟く。その視線の先には、見えたかと思えば見えなくなる影。そしてそれを追う無数の不気味な、こちらはそれ以上に濃い影。しかもそちらは消える事無く先行する影を執拗に追い続けていた。
「何だ?出たり消えたり…いや、それよりもあの追いかけてる奴らの気配、あれには覚えがある!」
オルアはそう言いながら、以前手も足も出なかった影の事を思い出して硬直する。しかし…
「あれから俺達は強くなった。そして今は強い仲間もいる。だから!」
そう叫ぶなり剣を抜くオルア。ミンクとガル、そしてバーンもそれに応じる様に頷くと同時に、初めて見る影に異様な雰囲気を感じていたイーロンとフレアも顔を見合わせて頷く。
「おい、とりあえず俺達は逃げている奴に加勢するって事でいいんだな?」
影を追いながらガルが問いかけると、オルアは頷いた。それを見たガルは
「そうか…それなら異存は無い。それにあのクソ忌々しい影にはいつか借りを返したいと思っていたし、一暴れするか!」
「当然!」
「あ、私もそれには同意するわ!」
「んギャ!ならオイラが最初にぶちかますんだギャ!」
バーンは言うが早いか疾風の速さで消えない影の前に回り込む。そして大きく息を吸うと
「んギャーーーーーっ!」
辺り一面を圧するかの様な雄叫びと共に、凄まじいまでの光の奔流が放たれた。
「うわっ!」
目も眩む様な光にオルア達は思わず目を覆う。しかし
「好機」
イーロンは目を閉じたまま、影に向かって突進した。そして
「破魔…連撃」
イーロンは一瞬にして頭上高く飛び上がると同時に、闘気が集中した拳を影に向けて容赦無く放つ。
「…凄ぇ」
思わず目を瞠るオルア。その視線の先では圧倒的なまでの力で影を消し去るイーロンの姿があった。唸りを上げる拳はまるで竜巻の様な勢いで影を捉え、次の瞬間には掻き消す様に影が消えていく。更には
「飛燕!」
その声と共にフレアの剣が光を放つ。目にも止まらぬ速さで飛び交う光は、イーロンの拳同様影を消し去っていく。
暫くの後…
「まあ、無事に影はやっつけた訳なんだけどさあ…」
呆けた顔でオルアが呟く。
「まあな、お前の気持ちは俺にもよく解る」
その言葉に同調するガル。ミンクもその言葉に頷いた。とは言えそれも仕方の無い事。何しろ折角入れた気合を全く発揮する間も無く、戦闘が終了してしまったのだから。
「仕方無いわよ、あの二人の得意な闘気攻撃が影には有効だったみたいだし。それに…何と言ってもバーンの成長には正直驚くしかないわね。前の時も凄いと思ったけど、今の光はあの時の比じゃ無かったわ。あの光で影の力は殆ど失われていたみたいだし」
ミンクがそう言ってまとめると…
「おい、来るぞ」
オルアの言葉と同時に、追われていた方の影が目の前に現れた。それは全身を黒装束で覆った怪しげな姿で、ガル同様にその顔は覆面で覆われ、表情を窺い知る事は出来ない。しかし、ガルはその黒覆面に目を凝らすと
「ん?お前、もしかして…」
目の前の黒覆面に手を伸ばした。すると
「待たれよ!」
黒覆面が手を伸ばしてそれを制する。
「まずは助太刀して頂き誠にかたじけない」
そう言うなり黒覆面は片膝を着いて礼を述べた。そして
「我が名は鬼導半蔵、この地の守護者也。助けて頂いた礼は既に述べた故、是非ともそなたらがこの地へ足を踏み入れた理由をお聞かせ願いたい」
そう言って先頭に立っていたオルアに眼差しを向ける。
「お…目的?…えーと」
言いよどむオルア。すかさずガルがその前に進み出ると
「大した事じゃねえ。只の里帰りさ」
そう言って覆面を取った。同時に半蔵の目が輝く。
「お主…一刀流の牙竜殿か?これはまた思わぬ所で懐かしい顔に出会う物だ。では、他の方々は…」
「ああ、俺の仲間達だ。安心していい」
「左様か、それは重畳。先程のお二方と小竜は勿論の事、あの少年と少女も相当の手練とお見受けした。それに、お主の腕も昔より相当に上がっているのでござろう」
「まあ、そんな事はどうでもいい…それよりも、あの…アレだ」
「アグラ殿の事か?安心めされよ。お主の兄上はいまだ健在じゃ。今なら我等の里に程近い所にお住まい故、後ほど案内致そう」
「うえ?それは正直遠慮したいんだが…まあここまで来て顔出さなかったら後で殺されるかもしれねえし…仕方ねえ、頼むわ」
「うむ、最近はすっかりアグラ殿も丸くなられたぞ。安心して感動の再会を果すがよい」
「…そうはならねえだろうなぁ」
溜息をつきながらガルは頭を掻く。するとミンクが背後から腰をつついた。
「ねえねえ、いつまでも二人で話してないで紹介してよ。知り合いなんでしょ?」
「ん?おお、それもそうだ。ここが俺の産まれ故郷だって話は前にしたよな。こいつはガキの頃の知り合いで、鬼導半蔵ってんだ。俺達の目差す剣神の住まう社を守護する忍者一族の一人だ」
そう紹介された半蔵は皆に向かって再び頭を下げたが、妙な視線を感じて顔を上げてみると…
「おい、ニンジャってなんだ?」
「オイラも知らないギャ」
「私も、聞いた事はあるけど本物を見るのは初めてなの」
「…」
「これがニンジャ…強そうにも、弱そうにも感じる。不思議な気配だ」
それぞれが思い思いに口走りつつ、興味津々といった顔つきで自分をみつめている事に気付いた。
「へー、それじゃあ貴方の村では皆が普通の生活をしながらニンジャもしてる訳なのね?その中でも闘いの専門家だったり、偵察要員だったり、治療の専門家だったりする訳だ」
「そんな所でござる」
「じゃあ、貴方は…守護者ってさっき言ってたわよね?それは何になるのかしら?」
「まあ、それは言葉通りでござるが…先程の影がまた襲ってこないとも限らん。早々に村へ向かうと致そう」
「それもそうね。じゃあご案内をお願いするわ」
「ではご一同、拙者の後を追って下され」
半蔵はそう言うが早いか、あっと言う間に森の中へ消えた。
「早い!しかし俺だって森で育ったんだ、負けねえぜ!」
「あーら、私に勝てるかしらね?」
「競争かギャ?だったらオイラも負けないギャ!」
オルアとミンク、そしてバーンは何故か楽しげにその後を追うと、それを見送ってからフレアが口を開く。
「さて、我々はどうする?もう少し様子を見るか?すぐに後を追うか?」
「様子見、必要無い…影の気配…無い」
「そうか、じゃあ俺達も後を追うか」
そう言って歩き出したガルだったが
「どうした、何かの気配が?」
突然立ち止まったガルを見て、フレアが剣に手をかける。しかし
「いや…あいつらどっちに行った?」
ガルの言葉にフレアの表情が固まる。
「…おい、お前が道を知っているのではないのか?冗談では無いぞ、こんな密林で…おいイーロン!どこへ行く?」
「後、追う。気配辿る。問題…無い」
そう言ってイーロンも姿を消す。
「ちょ、ちょっと待て!置いていくな!」
「おーい、そんなに急ぐな。俺が道に迷ったらシャレになんねえ!」
暫くして…先行していた半蔵達は全く先が見えない茂みの前に辿り着くと、そこで半蔵が後ろを振り返る。そして
「さて、この先が我等の隠れ里…」
そう言って半蔵が茂みの中を指し示すと同時に
「よっしゃー!一番乗りだっ!」
オルアが叫び声と共に駆け出した。
「負けないギャ!」
バーンも同時に飛び出してその後を追う。
「待たれよ!その先は…」
慌てて制止する半蔵だったが、その先で突然絶叫が響いた。
「何?」
オルアの叫び声を聞いてミンクも飛び出そうとしたが、半蔵がその手を掴む。
「ちょっと、何するの?」
「茂みの先は絶壁でござる。慎重に進まねば危険極まりない」
「嘘っ!じゃあオルアは…」
ミンクが恐る恐る茂みを抜けて絶壁の淵に立つと
「んギャー、オルア…重たいギャ」
「ホント…助かった。この高さじゃ死んでたかもな…うひぃーっ!」
バーンの足にぶら下がったオルアの姿が目に入った。下を見て身震いするその姿にミンクは思わず苦笑するが、その前ではバーンが必死に羽ばたいている。
「バーン、頑張って!」
「んギャ!頑…張る…ギャ!」
「頼む、頑張ってくれぇー!」
何とか一命を取り留めたオルアは、腰を抜かした様にへたり込んだ。そして絶壁の遥か下に目を凝らす。落ち着いて見直すと、そこは周りを円形の絶壁に囲まれた、まるで大きな湖の様に深い青さに満ち溢れた木々の集まりで、その一部に僅かばかり青さの薄い部分があった。
「あそこが…貴方の村なのね?」
その部分を指差してミンクが言うと、半蔵は無言で頷いた。
「でも、どうやってあそこまで行くんだ?とても飛び降りて無事な高さじゃ無いぞ」
「そうだギャ。オイラの力じゃ皆を降ろす前に疲れてしまうギャ」
「それは心配無いでしょ、きっと隠された道とか有るのよ。でなきゃあの中から出られないじゃない」
その言葉に、オルア達が一斉に半蔵に視線を集める。すると
「思い出したぜ。降りる道は崖の下だ」
その言葉と共にガルが姿を現した。
「全く難儀したぜ。久々に再会した相手を置いてさっさと行っちまうんだから…」
「はっはっは、そうは言ってもお主は追い付いたではないか。問題はござらん。それはそうと、お主の申す崖下の道とやらはどうやって行くのだ?」
腕組みしながら半蔵が言うとガルは怪訝な顔をしたが、すぐにその意味を察した。
「お前…もしかして俺を疑ってるだろう?」
その問いに、半蔵は答えない代わりに微妙な視線を返す。そして
「悪く思うな。ここ最近怪しい輩が入れ替わり立ち替わり現れるのでな、いかに見知った顔とは言え、疑わざるを得ん」
「…さっきの影の事か。まあいいさ、こんな所でグズグズしてるよりは、さっさと降りて美味い酒でも飲みたいからな」
ガルはそう言って絶壁の淵に立つと
「お、これなら俺でもいけそうだ」
丈夫そうなツタを何度か引っ張り、そして
「あらよっと!」
その言葉と共に崖から飛び降りた。そして
「やっぱりな、昔と変ってねえぜ」
崖下から声が響く。その声にオルア達は恐る恐る崖下を覗き込むと、絶壁の中程に横穴が開いており、ガルはその中から上に向かって手を振っていた。
「あんな所に…穴が?」
「さっきは気付かなかったギャ!」
「まあ、あの状況で冷静な判断は無理よね」
冷ややかな目でオルアを見るミンク。その視線に気付いたオルアは…
「しょうがないだろ」
そう返すのが精一杯だった。そしてその声とほぼ同時にイーロンとフレアが姿を現す。
「ガル!道が判ったからと言ってさっさと行くな!大体私達はジャングルの中を進むなんて初めてなんだぞ!」
「…だが、経験積む…大事。これ程の密林、珍しい。お陰で気配探る訓練…出来た」
「あ、そう」
いつも通りのイーロンにフレアはがっくりと肩を落とし、その様子に一同からは笑い声が上がった。
「かなり急な階段だったけど、崖から飛び降りる事と比べりゃあ楽だったな」
崖下の出口から出るや否や、オルアは遥か上まで聳える絶壁を見上げた。改めて見上げると、とてもさっきまで自分がそこにいたとは思えない程の高さに驚き呆れる。
「何してるの?皆行っちゃうよ」
「ん?ああ、行こう」
ミンクに促されてオルアは一行の後を追うが、そうしながらもついつい振り返っては絶壁を見上げる。更に
「…本当に、凄い所だ」
環状に周りを囲む絶壁を見回し、感嘆の声を上げた。しかしミンクは事も無げに言う。
「凄いのは当たり前じゃない。ここは神様が住んでる場所なんでしょ?貴方は何も感じないのかしら?私は崖の上に立った瞬間から神様の気に当てられたみたいで、ちょっと興奮しているの。貴方はどう?」
「俺は…いや、特に…まあこの森がちょっと普通じゃないって感じはするけどな」
「ふーん、まあ普通の人間ならそんなものなのかしら」
「オイラも感じるギャ!」
いつの間にいたのか、ガルと共に先頭を進んでいたバーンがミンクに同意する。
「白竜の神殿みたいに、神聖な空気がここには満ち溢れているんだギャ!イーロンもちょっと清々しい顔をしているんだギャ!」
「イーロンが?」
「珍しいわね」
オルアとミンクはさりげなくイーロンの顔を覗き込むと…思わず顔を見合わせる。
「どこが?」
「いつも通り…よね?」
「んギャ!二人には判らないかギャ?でもオイラにはよーく判るギャ!」
得意げに答えるバーン。更には意外にもフレアが同意する。
「うむ、私にも判るぞ。明らかに普段とは違う」
「…え?」
「フレア、貴女…」
オルアとミンクは、今度はフレアの顔を覗き込む。その妙な視線に気付いたフレアは
「いや、何でも無いぞ。本当に」
顔を赤らめながら何かを否定した。その様子にオルアとミンクは顔を見合わせて笑う。同時にフレアの顔は更に赤さを増す。当のイーロンは、既にガル達と共に既に見えなくなる程先へ進んでいた。
崖の上と比べて決して木々の量は少なくなかったものの、道らしき物が作られていたお陰で歩くのは楽だった。更には神聖な空気のお陰か魔物の類は一切現れない。たまに姿を現す動物達も警戒はするものの襲い掛かって来る事は無く…日が傾きかけた頃、オルア達は半蔵の隠れ里へ辿り着いた。鬱蒼と茂る密林の先に現れたのどかな農村は、疲れ切ったオルア達を安堵させた。半蔵は振り返ると、労をねぎらうかの様に一同に告げる。
「さて、ご一同お疲れでござろう。積もる話もあろうし、色々と聞きたい事もござる。お急ぎの所申し訳無いが、今夜は是非こちらでゆるりと逗留なされよ」
「いえ、申し訳無く思う事など何一つ無いわよ。是非お言葉に甘えましょう、ね?」
嬉しそうにミンクが皆に告げる。誰も疲れ切っていただけに異存を唱える者は無い。そうして一同は里に泊めて貰う事になったのだが、その入口でオルアはミンクが嬉しそうにしていた訳を悟る。
「…アレは、酒樽…だよな?」
山の様に詰まれた巨大な樽の山。オルアはそれらを横目で捕らえると、溜息をつきながら里へ足を踏み入れた。
オルア達は隠れ里の中央に建つ一番大きな館に招かれ、里の長老、と言うのが半蔵の父親だったのだが…その長老に歓迎の言葉を受けた。
「いやいや、我が不肖の息子がご迷惑をおかけ致した様で申し訳無い。なにぶん山奥の貧しい村ゆえ大したもてなしは出来ないが、せめてもの心づくしを用意させて頂いた。今夜は是非ゆっくりとくつろいで下され」
その言葉に違わずオルア達の前には数々の山の幸が並ぶ。思わず唾を飲むオルアの横では、酒樽を前にミンクとガルが目を輝かせていた。バーンとフレアも嬉しそうにご馳走にかぶりつき、イーロンも黙々と箸を運ぶ。そして楽しい宴会は夜更けまで続き…そして夜が明けた。
翌朝、再び長老の前に集まったオルア達の前には、神妙な顔をした長老と半蔵の姿があった。雰囲気の違いに戸惑うオルアとは対照的に、ガルは落ち着き払っている。そして最初に口を開いたのもガルだった。
「さてと、とっつあん。まあ礼を失してあえて懐かしい名で呼ばせて貰うが、俺達は訳有って旅をしている…まあコイツの父親探しってのが一応の理由なんだが」
そう言ってガルはオルアに視線を向ける。
「おい、一応って何だよ?」
「まあいいじゃねえか!…おっと、話が脱線して済まねえ。まあそんな旅を続けて来た訳だが、ここに来て異常とも思える強敵…まあ信じるかどうかはともかく、俺達はここへ来るちょっと前に…神の生き残りと戦って来たんだ」
ガルの言葉に、微かではあったが長老の目の色が変った。ガルは更に言葉を続ける。
「それに半蔵も知っての通り、あの影にも俺達は借りがあるんだ。とは言え正直な所俺達は力不足、だから…神の力を借りに来た。この地に住まう…」
ガルはそこで言葉を切ると、大きく息を吸って叫ぶ。
「剣神…ガイルーシャの力を!」
「何と!先日の言葉は真であったのか?」
半蔵は思わず声を上げた。
「何と恐れ多い事を!剣神の力を借りると言う事は、すなわち神に勝負を挑むと言う事に他ならん!今すぐその言葉を撤回されよ!さもなくば神の怒りに触れる事に…?」
いきりたつ半蔵だったが、長老が手を上げて制した。
「ほっほっほ、剣神は力を示した者にしか手を貸さん事はお主なら承知のはず。それでいて尚その言葉を口にするとは…流石に守人の末裔じゃな。兄上もさぞ喜ぶ事じゃろう」
「何と…同意なさるおつもりか?」
「よいではないか。ここ最近のおかしな状況は我々も憂慮しておる。少なくとも力を持つ者が増える事は決して悪い事では無い」
柔和な顔で長老は告げた。
「お、流石はとっつあん。話が早いぜ!」
嬉しそうに声を上げるガルだったが、長老は僅かに表情を変える。
「じゃが…誰が挑むつもりじゃ?」
「あ、コイツ」
即答するガル。その指先はオルアに向けられていた。
「…はぁ?」
訳の分らない展開にオルアはすっとんきょうな声を上げるが、ガルは構わず続ける。
「信じるかどうかはともかくとして、俺は以前この小僧に負けた。当然いつかはやり返すつもりだが…」
「まだそんな事言ってやがるのか」
「まあそれは冗談だ。はっきり言って俺とお前じゃ潜在能力に差がありすぎる。お前が今後どこまで強くなるのか、俺には想像が付かん」
ガルは真顔でオルアに告げると、ぽかんと口を開けたオルアに苦笑して長老達に向き直った。
「ついでに言わせて貰うと、影を打ち払ったあの剣士にも勝ってるし、そっちの拳士とも引き分けてる。冗談抜きでこの中じゃ一番の使い手で…何しろ一番若い。その分伸びしろも一番期待できる、と言うよりは確信している。コイツなら兄貴も…そしてガイルーシャも喜んで力を借してくれる、と」
意外なガルの言葉にオルアは妙な気分になっていた。するとそこへ
「うわっ!」
いきなり飛んできたクナイをオルアは間一髪でかわす。そして何か叫ぼうとした瞬間
「…成程、お主が買うだけの事はある」
そう言いながら半蔵が立ち上がった。
「しかし、それだけで剣神に会う事を認める訳には参らぬ。是非拙者と立ち合いを!」
オルアに詰め寄る半蔵。しかしそれを長老が制した。
「半蔵…そういきり立つでない。それに剣神へ会う資格があるかどうかは我等の決める事では無かろう?」
「それは…しかし」
「それはお前が案ずる事では無い。なにしろあのアグラ殿の弟である牙竜殿が認めた方なのじゃ。よく目を凝らして見よ、あの少年の内なる力を」
「それは…確かに…」
半蔵は口惜しげに呟くが、その声音には僅かばかりの安堵も感じられた。
「一体何なんだよ?」
怪訝な顔で呟くオルア。そこへガルが声をかける。
「オルア、一応聞いておくが…強く、誰よりも強く…なりたいか?」
いつに無く真剣な表情のガルにオルアは一瞬戸惑うが、次の瞬間
「当然!それにそんな事言うまでも無く、いずれはそうなるんだ。何しろ世界一おっかねえジジィに毎日しごかれてきたんだからな!その上旅に出てからガルにイーロン、それにフレア…おまけに神なんて奴等と戦って来たんだ。強くならないはずが無い!」
拳を握り締めながらオルアは断言する。
「じゃあ…その為なら命も賭けられるな?」
「当然だ!」
「それが言葉通り、本当に生きるか死ぬかの試練でも、お前は命を賭けるか?」
「当然!」
そう答えた所で、オルアはいつもと違うガルの表情に気付いた。更には長老と半蔵も真剣な表情でその顔を覗き込んでいる。オルアは急に不安を覚えた。
「おい、一体さっきから何の話をしているんだ?」
ガルはオルアの両肩を掴むと、真剣な眼差しでその眼を覗き込む。
「一応言っておくが…これは例えでも何でも無い。本当に命を賭けた試練だ。それを解って尚、お前はそれに挑むのか?」
「何だよ…気持ち悪いな。一体俺に何をさせようとしてるんだよ?」
オルアはガルの手を払うと、怪訝そうにその眼を覗き返す。ガルは長老達の表情を伺ってから再びオルアに向けて真剣な眼差しを向けたが、次の瞬間それは笑顔に変わる。
「まあそれはお前の覚悟が決まれば解るさ。まあ…どっちにしろ剣神に会えるかどうかは兄貴次第だからな」
「じゃあ、俺を散々脅したのは何だったんだよ?」
「それは仕方無いだろう。何の覚悟も出来てない奴を連れて行ったりしたら、それこそ俺が殺される」
そう言いながらガルは本気で身震いした。その様子にオルアは笑いながらも不安を覚える。同時に、その剣神とやらよりもガルの兄の方が怖いのではないか?という疑問も沸き上がったが、あえて何も言わなかった。
翌日、オルアは相変らず状況が解らないままだったが、半蔵の案内で剣神の神殿の守護者、ガルの兄であるアグラの住処へと向かっていた。
相変らず蒸し暑い密林の中を歩きながら、オルアの頭にふと疑問が浮かぶ。確か崖の上から見た時、村の周りは環状の絶壁に包まれていた筈。一体自分達はどこを目差して歩いているのか、と。するとその時、前方からかすかな水音が聞こえて来た。それは歩を進める毎に大きくなり、いつしかオルア達は鮮烈な空気と水とが溢れ出す滝の前に出る。
「うーん、清々しいわね!」
そう言いながらミンクが大きく伸びをする。
「全く、あの蒸し暑い森と比べたら天と地の違いだ」
フレアも同様に伸びをすると、大きく息を吸い込んだ。
「んギャ!気持ちいいギャ!」
バーンはいつの間にか滝壷の近くにつかってはしゃいでいた。イーロンも心なしか気持ちの良さそうな顔をしている。だが、先へ進む道が見当たらない事で、オルアは不安になった。
「なあ、まさか迷った訳じゃないよな?」
帽子で扇ぎながらオルアは尋ねるが
「ああ、道はここであってるぜ。ホレ、よーく見てみろよ」
ガルはそう言って滝の奥を指差した。
「ん?何を言って…ん、あれは…おお!」
促されるまま流れ落ちる水の壁の向こうを覗き込んだオルアは、その奥に洞窟の入口らしき物を見つけた。
「こりゃあ凄えな。まさに隠し扉って訳だ…扉は無いけど」
「ご名答!あの奥に神の門番である、俺のこの世で唯一恐れる兄貴、アグラがいる。そうだよな?」
「うむ、今はアグラ殿が神殿へ通じる道を守護されておる。思いがけぬお主の里帰りに合わせるかの様なこの巡り合わせ。何とも運命とは数奇なものでござる」
「何を訳の解らねえ事を」
「そう言うな。拙者がアグラ殿と会う度、お主の事が話題に上っておったのだから」
「うげ…マジかよ?」
半蔵との会話で、ガルは思わず困った顔になる。オルア達はその様子に揃って笑いを堪えた。
「うお、なんか覚えのある嫌な臭いが…」
洞窟の深部へと進んで行くにつれ、ガルは何度もそう呟く。確かにその言葉通り、獣臭さに酒の臭いが入り混じった様な異臭が強まってきた。
「参ったなあ、今でも酒と生肉ばっかで生活してるのかよ?」
「…うむ。その嗜好だけは如何なる手を使っても変える事は不可能でござる。懐かしい臭いでござろう?」
「馬鹿言うな。第一俺等はともかく、初めての奴等にあの臭いは強烈だぞ」
そう言って後ろを振り返ったガル。その言葉通りオルア達は異臭に顔をしかめていた。中でもバーンは鼻が利くせいか誰よりも悶えている。しかし意外にもミンクは平気な顔をしていた。その様子にオルアは鼻をつまみながら問いかける。
「ミンクは、この臭い平気なのか?」
「ええ、私はズルしてるから」
「ズル?」
「ええ、私は薄い空気の膜を張って臭いを遮断してるの。何しろ洞窟へ入った瞬間から変な臭いがしてたんだもの。そうでもしなきゃ鼻の利く私はバーンと同じ様な顔になってるわ」
「そうか…一応聞いとくけど、それって他の奴には」
「ゴメンね、それは無理…うっ、ちょっと遮断しきれなくなって来たわ。私も覚悟を決めなきゃ駄目かしら」
ミンクがそう言って鼻と口を抑えようとしたその時…地響きの様な唸り声が響く。
「今のは…何だ?」
思わず身構えるオルア。しかし半蔵が事も無げに言う。
「ご心配めさるな。あれはアグラ殿のいびきでござるよ」
「相変らず豪快だな。だが、そうすると暫くは何しても起きないんじゃねえか?」
「それも心配無用。いかに眠りが深かろうとも、一発で眼を覚ます大好物を用意して参った」
「酒と生肉だろう?」
「察しの通り!流石は弟君」
「その呼び方は止めてくれ、頼むから」
「心得た。では今まで通り牙竜殿で…」
「いや、ガルでいい。俺も長い事そう呼ばれて来たからな、それ以外の名で呼ばれるとかえって混乱する」
「それでは今後はそうすると致そう…と言っている間に着いてしまった様でござるな」
そう言って立ち止まった半蔵の前には、とてつもなく頑丈そうな岩戸があったのだが、それは無用心に開け放たれていた。
「やれやれ、もう二十年以上も経つってのに無用心な所は相変らずか」
ガルはそう言いながらも最初に足を踏み入れる。そして異臭に顔をしかめつつも、懐かしい顔に何とも言えない妙な表情を浮べる。
「よお兄貴…久し振りだな。正直会いたいと思った事もねえが、訳有って舞い戻ったぜ」
神妙な顔で床に転がる大男、アグラに声をかけるガル。その姿に一同は再会の感動を期待するが…
「半蔵」
「心得た」
促されるままに半蔵は全ての通気口を空けると、続いてガルに瓢箪を手渡す。ガルはその栓を抜いて酒を口に含み…一気にそれを吹きかけた。更に残っていた酒を容赦無くアグラにぶちまける。するとアグラは二、三度ビクッとうごめいて、突然飛び起きた。
「何しやがる!勿体ねえだろうが!」
開口一番飛び出したのは、酒をかけられた事に対する怒りでは無く、酒を粗末に扱った事に対する怒りだった。
「安心しろよ。酒ならまだまだあるぜ」
アグラを見下ろす格好でガルが言うと、それを見上げてアグラは怪訝な顔をする。すぐには状況を理解できないアグラ。そこへ半蔵が声をかけようとした、まさにその時
「うがあああーーーっ!」
突然アグラは壁に立てかけていた金棒を手にとってガルに襲いかかる。
「バカ兄貴がっ!」
ガルも長刀を抜いてそれを迎え撃つ。恐るべき勢いでぶつかりあう両者の姿にオルアは驚いたが、それが以前見た祖父の激しすぎる挨拶と似た雰囲気である事に気付いて思わず笑い出す。
「ちょっと、止めなくていいの?」
心配そうな顔でミンクは尋ねるが
「その必要は無いだろ。よく見ろ」
そう言われてミンクは改めて二人の顔を見つめる。すると、いつの間にかその顔には笑みが浮かんでいた。そして二人は互いを弾き飛ばすと、いきなり大声で笑い合う。
「何しに来やがった?この放蕩野郎が!」
「やかましいこの酔っ払いが!第一それが懐かしい顔に言う台詞か!」
「まさに相応しい台詞だろうが!まあそんな事はどうでもいい!さっさと座れ!そして飲め!あと、後ろに立ってる奴等!…あ、お嬢ちゃんもいるのか?まあいい、皆ここに座って飲め!話はその後だ!」
「この…バカ兄貴が」
「いや、言っちゃあ何だが…そっくりだぞ」
「そうね、もしかして双子なの?」
「違う!」
ガルの必死な否定はあった物の、一同はアグラの酒席に引き込まれる事になった。とは言え、ガルはまんざらでも無いと言った表情を浮かべ、ミンクは満面の笑みを浮べる。フレアもバーンも半蔵も笑みを漏らすが、イーロンは相変らずの無表情だった。とは言え、強張った表情を浮べるオルアに比べれば楽しそうに見えなくも無かったが。
強引な誘いではあったが、やはり懐かしい肉親との話は尽きない。ガルとアグラは楽しそうに話を続ける。その間にオルア達は半蔵からアグラの話を聞き、逆に半蔵にここ最近のガルの話を聞かせた。そしていつしか皆が輪になって話は盛り上がり、夜のふけるのも忘れ、ついでに肝心のガイルーシャについて聞く事も忘れていた。
翌朝早く、オルア達はアグラの案内でガイルーシャの神殿へと向かう。その道中、出し抜けにアグラが尋ねる。
「そう言えばよお、ガイルーシャの試練を受けようって物好きは…まさかお前じゃあるまいな?だったら止めとけ、お前も相当強くなったみてえだが俺に言わせりゃあまだまだ」
ガルに向かって言葉を続けるアグラだったが、ガルはそれを手で制して
「物好きはコイツだ」
そのままオルアを指差した。更に
「この一見ただの小僧は、とてもそうは見えないだろうが俺達の中で一番強い。その上今後の伸びしろも一番だろう。だからその力を引き出すには、剣神以上に相応しい相手はいない。そう思ってここまでまかり越した」
「さりげなく嫌味を言われてる気がするぞ」
「気にしない気にしない」
そんなオルアとミンクのやりとりを、アグラとガルが揃って凝視する。
「一応聞いておくが、あのお嬢ちゃんでは無くって…」
「ああ、さっきも言った通り小僧の方だ」
「ふーむ…うむ…おい、ちょっと手を出せ」
「え?」
「いいから!」
アグラはそう言いながら強引にオルアの手を取る。そしてその手をまじまじと見つめると、今度はその顔を覗き込む。すると突然目を見開いてオルアに問いかける。
「お前…何者だ?」
「え?いや、人間だけど…」
「そんな事ぁ見りゃあ解る!だがお前は只者じゃねえだろう?お前の相は手にしたって顔にしたって、平時においては隠者、乱世となれば英雄、そんな相が色濃く出ているんだ!一体お前は何者だ?」
まくし立てる勢いのアグラにオルアは思わず後ずさりするが、そこへ澄んだ声が響く。
「オルアは、ハーンの末裔よ」
その言葉に一瞬全てが硬直した。アグラはともかく、ガルやイーロン達も同様な反応をしたのを見て、今度はその言葉を放ったミンクが慌てる。
「あれ…もしかして、皆知らなかった?」
「多分、ミンクしか知らなかったんじゃないか?」
「うそっ!ゴメン、もしかして秘密だったりした?」
「いや、別に隠す必要も無いけどな」
そんなやりとりの中、最初に口を開いたのはガルだった。
「オルアがハーンの…お、って事はジークも当然そうなる訳だな?直接戦った事は無くとも鬼人ジークの噂はハイネンに聞かされていたが、正直眉唾だったんだよな。でも今の話で納得がいったぜ」
まるで自分に言い聞かせる様なガルの言葉に、イーロンとフレアも顔を見合わせて頷いた。バーンは嬉しそうにはしゃぎ、半蔵も合点がいったという顔をする。
「成程なぁ、道理で只者じゃない訳だ」
改めてアグラはオルアの顔をまじまじと覗き込んだ。そして
「じゃあいいや。神殿へ入る事を認めよう」
意外な程あっさりと神殿へ入る事を認めた。
「おい、そんな簡単に認めちまっていいのかよ!一応兄貴は門番なんだろう?」
「一応とは失礼な事言いやがるな!まあお前は知らないだろうから無理も無いが、半蔵なら解るよな?」
「確かにアグラ殿の言う通りでござる。オルア殿が剣神に会う事を認めるのは、剣神の座へ向かっても死ぬ事が無いと判断したからの事。そう言った次第故、この先の道で我等は右の道へ進むが、オルア殿だけは左の道へ進んで頂きたい」
「俺だけ?何でだよ?」
「剣神に会うことを認められた者は、まず試練の道を抜けねばならぬ掟。門番たるアグラ殿の役目は、その道を抜ける力有る者だけを見極め、無駄な殺生をさせぬ事にある」
「うははははっ!物は言い様だな!そんな言い方したら兄貴がいい奴みたいだが、実際は無謀な身の程知らず共を手当たり次第にぶん殴って追い返してたんだろう?」
「何だと?…まあ実際はその通りだったかもしれんが」
「拙者の知る限り、今までここを訪れた者は皆口を揃えてこう言っていた…鬼に殺されそうになった…と」
真面目な口調の半蔵の言葉に一瞬沈黙が訪れるが、直後に大きな笑い声が上がったが、只一人オルアだけは不安な面持ちを浮べる。
そんな事を喋っている間にも道は進み、一行は件の分かれ道に差し掛かった。
「さて、さっき半蔵の言った通り…えーっとオルアだったな。お前だけはあっちへ進め。ちょっとばかし大変な道だと思うが、まぁ大丈夫だろう。だが一応一言だけ言っておく…死ぬなよ」
冗談とは思えない顔で不吉な言葉を放つアグラ。言われたオルアは自分の進む道に視線を向けると…背筋に冷たいものを感じ、思わず唾を飲み込む。するとミンクはオルアの不安を感じたのか、声をかける。
「じゃあ、オルアだけお別れなのね?一緒に行っちゃ駄目なのかしら?」
上目遣いで見つめるミンクだったが、アグラはその視線をバッサリと斬り捨てる。
「駄目だな。試練の道は一人で行かないとただの袋小路になっちまう」
「そうなの?じゃあ、やっぱり一人で行かなきゃ駄目なんだ…」
残念そうに呟くミンク。更に半蔵が言葉を継いだ。
「それが掟ゆえ、同行はまかりならん」
「そっか…頑張ってね」
「まあ、オルアなら大丈夫だろ。どんな試練かは解らんがな」
「そうよね、今までも結構試練をくぐり抜けて来たんだし、何とかなるよね?」
「まあ、一人で行かなきゃならないんなら、そうするしかないだろう。んで、試練って何があるんだ?」
開き直った様にオルアは尋ねるが、アグラは神妙な顔で答える。
「それに関しては教えられん。と言うか実の所解らんのだ。俺自身は行った事が無いし、そもそも俺の代になってから…とは言えまだ二十年にもならんのだが、一度も通行を許可した事が無い。だから先代から聞いた話でしか知らんのだが…試練の内容はそれぞれ異なるらしい。武力的な物だったり精神的な物だったり…後は行ってみてのお楽しみだ」
「いや、ちっとも楽しそうじゃないんだが」
「うっはっはっは!そりゃあ違いねえ!だがその試練をくぐり抜けて初めて剣神はお前を認めるんだ。とは言え、ここで怖気づいて引き返すなら誰も文句は言わねえさ。俺も強制はしない。好きにしな」
「って言われてもなあ…そうそう剣神に会えるチャンスなんて無いんだろうし、ここは行くしかないだろう!」
「その意気だ!…だが先に言っておく。剣神に会える機会は一生の内一度だけだ。この先へ進んだお前が引き返すのは自由。だがその選択をしたが最後、今後二度と剣神に会える機会は無い」
「…そうなのか?」
「ああ、まあ一度面会を認められさえすればその後何度でも会えるらしいがな。まあこれも先代に聞いた話だが。かと言ってもっと力を付けてから挑もうって考えても同じ事。お前が強くなればなる程、試練もより厳しいものとなる。つまる所、俺が認めるだけの最低限の力があれば、後はいつ挑んでも変わらないって事だ」
「…そうなのか?」
「アグラさんがそう言うんだからそうなんでしょ?まあここで立ち止まってても仕方無いし、さっさと行きなさいよ」
「そうだな、覚悟を決めろ」
ガルはそう言ってオルアの背中を押す。
「うわっとと!おい、バカ力で押すな!そんな事されなくっても行くから!」
よろめいたオルアはそう言って振り返ると
「んじゃ、行って来る!」
快心の笑みで一同に告げた。
「うん、頑張ってね!」
「ああ、死ぬなよ」
「んギャ、頑張るんだギャ!」
「…心、平静に」
「まあ、途中でくたばったら笑ってやるさ」
オルアの言葉に答える仲間達に不安の色は見えない。半蔵とアグラはそれをみて顔を見合わせると、思わず苦笑した。
「んじゃ、試練に挑まない俺達は先に剣神の元で待つとしよう。こっちだ」
そう言って歩き出すアグラ。そのすぐ後を皆で付いて行くが、ミンクは不安そうに分かれ道を振り返った。
一人試練の道へ向かったオルア。暫くは警戒していたものの、何も出てこない只の山道に若干気が緩む。しかし
「いや、これも俺を油断させる罠かも…」
今までの旅で多少は学習したのか、誰に言われるとも無く再び真剣な眼差しで道を進める。すると、不意に生暖かい風が吹き抜け…オルアは背後に気配を感じて立ち止まった。
「ふーっ…やっとおいでなすったか」
いつまでも待たされるよりは、いっその事早く試練を終わらせたい。そんな考えが浮かび始めていたオルアは、振り向きざま抜き打ちに剣を振るう。しかし
「んなっ?」
先手必勝とばかりに剣を振るうオルアだったが、目の前には何もいない。
「おっかしいな、確かに気配が…!」
訝るオルア。するとまたもや背後に気配を感じる。
「気配は…確かに有る。だけど」
再び剣を振るうオルア。だがまたもや目の前には影も形も無い。するとオルアはそのまま振り向きもせずに背後に突きを放った。確かな手応えがあったが…
「…誰もいない?」
剣を引き抜いて振り返ったオルアは、驚いて回りを見回す。
「確かに何かに刺さった筈なのに…」
改めて剣先を見るオルアだったが、血はおろか汚れ一つ見当たらない。しかし、さっきまでの気配は確実に消えていた。
「まあ…いいか」
オルアは首を傾げつつも、剣を納めて先へ進んだ。
一方その頃、アグラを先頭にした一行は真っ白な巨岩の前で立ち止まる。それを見上げてガルが尋ねる。
「行き止まりか?」
「そうみたい、それともこの大きな岩が隠し扉かなんかだったりして」
「おお、なかなかいいセンいってるぞ」
ミンクの言葉にアグラはそう答えると、目の前の大岩に呼びかける。
「凱竜!俺だ、守人のアグラだ!眠ってる所すまんが通してくれ!」
辺りに響き渡る声が静まりかけた時、目の前の巨岩が突然動き出した。
「おわっ!」
「きゃっ?」
「岩じゃないギャ!」
「慌てるな、剣神ガイルーシャの神殿を守る凱竜だ。敵じゃねえよ」
慌てる一同にアグラが説明する。その間にも巨岩と見紛う程の大きな竜、凱竜が立ち上がる。天を衝く巨体は日の光すら遮り、一同は一瞬にして日なたから日陰に移された。そしてその苔むした巨体は天上からゆっくりと頭を降ろすと、アグラの姿を認めて眼を細めた。
「ほーう…ほうほう。これは珍しい。何が珍しいかと言えばここに客人が来る事がまず珍しい。その上その客人が守人殿とはまたもや珍しい。その上その守人殿が他の客人と共に来るとは何とも驚いた事。だがあえて何用かとは問わぬぞ。なぜなら守人殿がここへ来る理由は一つしかない」
「そいつは話が早くて助かる。察しの通り今試練の道を進んでいる者がいてな、俺達は近道して先に剣神の所で待たせて貰おうって事でこっちの道へ来たんだ」
「ほーう…ほうほう。試練の道へ、のう。ああ…確かに感じるのう。まだ若いが、それだけに溢れんばかりの力を持った魂が、苦戦しながらも確かに進んでいる。とは言え、あの様子では少々時間がかかりそうだのう。先へ進みたきゃ進むがよかろう。じゃが、我が主は待つのが嫌いでな、あんた方が先に着いてあの少年が余りに遅いと、暇を持て余した主が何を言い出すかのう?それでも構わなけりゃあ、通りなさい」
凱竜は呑気な声で言うと、その巨体をゆっくりとずらして道を空けた。
「有難い。じゃあ先に進ませて貰おう」
アグラは振り返って皆に告げるとさっさと先に進むが、一同の声を代弁するかの様にミンクが訪ねる。
「あのー…あなたの主って、何か困った事を言い出す様なヒトなの?」
「ふーむ…それはその時によるのう。そうである時もあれば、そうでも無い時もある。まあ行ってみれば解る事。とは言え、どっちにしろお嬢ちゃんには関係無いのう。主が暇つぶしに選ぶ相手は、剣神の名に違わず剣を持つ者のみ。まあ気楽に行きなさい」
「ふーん、じゃあ私よりもガルやフレアの方が注意しなくっちゃいけないのね?」
ミンクが悪戯っぽい笑みを浮べて二人に視線を向けると
「…不安になる様な事言うな」
「全くです。そもそも我々はオルアの試練の言わばつきそい。神の暇つぶしに付き合う為に来た訳では無い」
「でも、そんな事言ってたら二人ともオルアにもっともっと差を着けられちゃうわよ?まあそれでいいんだったら私は別に構わないけどね」
ミンクはそう言ってニッと笑うと、アグラの後を追いかけた。その背後では…
「それは…我慢ならねえな」
「うむ、同感だ」
申し合わせた様に二人は意見を共にする。そしてすかさずミンクの後を追った。
「ふーむ、ふむふむ。なかなか元気な連中じゃ。まあ、せいぜい主の悪ふざけが度を過ぎない様に祈るとするかのう。まあ…無駄だとは思うが」
一同を見送った凱竜はそう言うと、大きなあくびをして…再び眠りについた。
一方その頃…
「一体試練ってのは幾つあるんだよ…」
そんな事を呟きながらオルアは剣を納めていた。その周りでは獣の様な姿をした無数の影が掻き消すように消えて行く。
「えーっと…最初の奴だろ、んで五連続の罠だろ、すぐ後に剣士みたいな奴が来て…んでその後は…その後は…あーもういい!試練だか何だか知らねえけどいくらでも掛かって来いや!でも際限なくってのはやめてくれよ!正直そろそろ飽きてきた!」
再現無く続く試練の道。オルアは何かを吹っ切るかの様に天に向かって叫んだ。
その様子を水晶玉で見ていた神殿の主、ガイルーシャは思わず声を漏らす。
「ぷっ…変なヤツ!コイツ面白いな。それに見込みもある。だが、心の試練には耐えられるかな?そんな訳で次は…これだ!」
ガイルーシャはそう言うと、水晶玉の表面を指でなぞった。その文字は…「父母」
「さて、親の愛を知らぬ者よ。この試練に耐えられたその時こそ、お前は真の強者となる資格を得る」
ガイルーシャの口の端が上がったその時、神殿の扉が開いた。
「おや、丁度いいタイミングだ。この試練には時間がかかるだろうしな」
そう言って扉に目を向けるガイルーシャ。同時にアグラが前に進み出て頭を下げるが
「かしこまる必要は無い。それよりお前が試練の道に送り込んだ小僧、中々面白いな」
機先を制されてアグラは驚くが、その心中を察したかの様にガイルーシャは続ける。
「あー、面倒だから挨拶とかそんなのはいらんぞ。それに我は神だけあってお前達の事については全て解っておる。皆初対面ではあるが、皆の名前は勿論、今までの道程も当然知っておる。まあ、面倒だから語らんがな」
神殿の壇上から告げるガイルーシャに、バーンは興味津々な顔で何か言おうとするが、それより先にガイルーシャが口を開く。
「ああ、何も言わんでよい。聖竜の末裔バーンよ。ついでにその名付け親ガル」
突然自分の名を呼ばれて、バーン以上にガルが驚いた。
「それに、隠れ里の半蔵…は知ってて当然だが、白竜の里一番の拳士イーロンに元馬賊の長フレア。それにエルフの王じ」
「ぅわーっ!さっすが神様!よくご存知ですね!」
突然ミンクが大声でガイルーシャの言葉を遮る。すると、ガイルーシャはミンクの心に直接話しかける。
『…もしや、そなたは仲間にもその身の上を明かしておらんのか?』
その問いにミンクが頷くと、ガイルーシャもそれに応えて軽く頷いた。
「ふむ、それはすまんな。それよりお前達に面白い物を見せよう」
ガイルーシャはそう言って水晶玉に手をかざした。すると、今まで水晶玉に移っていたオルアの試練が、一同の目の前に立体映像として現れた。
「オルア?」
真っ先に駆け寄るミンクだったが、その手はオルアの体を通り抜ける。
「これは今試練の道に挑んでいる小僧の姿を見えるようにしただけだ。お前達は見る事は出来ても一切の手助けは出来ない。とは言え正直な所、この小僧は中々見込みがある。せいぜいここまで辿り着ける事を祈る事だ」
ガイルーシャの言葉に一同はその映像を取り囲むと、黙ってその様子を見つめた。しかし、その様子を見ていたガイルーシャは
「おい、ただ見ててもつまらんだろう。ガルにフレアに半蔵、お前達も剣の使い手を自負するのなら、折角だから我の相手をしてみんか?まあ三人同時でも相手にならんとは思うがな」
高慢な笑みを浮べながらそんな事を口走る。
「何だと?」
「ふん、こうも頻繁に神が相手とはな」
「お主ら…正気でござるか?」
反射的にガイルーシャを睨みつけるガルとフレア。半蔵は止めようとするが
「何を止める事がある?お前とて腕に覚えはあろう、それを試す良い機会ではないか。それに安心しろ、我とお前らの実力差では、怪我させない程度に加減してやれるからな」
挑発的なその言葉に、半蔵も流石に顔色を変える。そして
「そこまで言われるのならば、手合わせをお願い致そう。とは言え、真に三対一で構わぬと仰せか?」
「当たり前ではないか」
「だとよ」
「舐められたものだな」
「お二方、油断めさるな」
三人はそう言って顔を見合わせると、同時に三方から飛び掛った。その様子にミンクは不安な表情を浮べるが、アグラは呑気に構えていた。イーロンはバーンと共にオルアの様子を眺めている。
「さーて、さっきから何も出て来ないって事は…もう終わりなのか?」
無数の試練、それぞれが剣技や腕力、敏捷性や胆力等々を試す厳しい物ではあったが、オルアには正直今までくぐり抜けて来た試練の方が厳しかった様に感じていた。しかし、その前に不意に二つの影が現れる。
「来たかっ!」
すかさず身構えるオルア。しかし、目の前に現れた影からは敵意が感じられない。それどころか…
目の前の影は次第に逞しい男と優しい顔の婦人へと姿を変える。初めて見るその顔に、オルアは何故か不思議な感情が沸き立つのを感じ始めた。
「これは…これは…っ」
うろたえるオルア。すると、目の前の婦人が優しい声でオルアを呼ぶ。
「オルア…オルア、私の愛しい子。ごめんなさい、今まで寂しい思いをさせて」
その瞬間、オルアの脳裏にありえない光景が浮かんだ。物心つく前に亡くなった母。その胸に抱かれて安らかに眠る自分の姿。祖父との暮らしが全てだった少年の心に、不意に湧き上がった暖かな感情。それが何なのかを言葉で説明する事はオルアには出来ない。しかし、オルアの口からは震える声で言葉が漏れた。
「お…かあ…さん…?」
その言葉に、優しい顔の婦人が頷いた。
「お母さん!お母さん!」
オルアはたまらず駆け寄ると、婦人の胸に顔をうずめて泣き出した。婦人はそっと手を添えると、やさしくその頭を撫でる。
「オルア…」
一方その頃…
「ちょっと、オルアのお母様は何年も前に亡くなられたのよ?これは一体何なの?」
食い入る様にその様子を見つめていたミンクは、異常な光景に思わず声を上げた。その傍らでは、既にクタクタになった三人が座り込んでいる。
「これは、心の試練だ…」
静かな声で答えるガイルーシャ。一同の視線が集中する中、静かな声で言葉を続ける。
「あの小僧、齢の割になかなかの使い手だ。だが、まだまだ心が弱い。はっきり言うが今までの闘いで負けずに来られたのは、精神的な攻撃を受けた事が無いからだ。これはそれを試す試練。残酷と思うならそれで構わん。神とは例外なく残酷なものだからな」
その言葉に何か言おうとしたミンクも黙ってオルアを見つめた。
「そう、黙って見ていれば良い。結果として小僧の旅がここで終わるかもしれんが、まあそれはそれで仕方の無い事だ」
婦人はオルアの顔に両手を添えると、優しい眼差しでその眼を見つめる。
「本当に…立派になって」
言葉と同時にその瞳からは涙があふれる。オルアはと言えば既にその顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。そしてその心中には、いつまでもこうしていたい。ここで優しい両親と共に過ごしたい、という願いがだんだんと強くなっていく。
「…できるのですよ」
「えっ?」
「あなたがそう願うのなら、私達三人、ここでいつまでも楽しく暮らせるのですよ。先の見えない辛い闘いの旅など止めて、ここで一緒に暮しましょう?オルア」
その言葉にオルアは抗う気持ちを持たなかった。その優しい言葉に全てを委ねよう…そう思ったその時、不意に疑問が沸き起こる。母親は微笑みを湛えたまま優しい言葉をかけ続けてくれている。なのに何故か、その後ろに立っている父親らしき男は表情一つ変えずにこちらを見つめたまま押し黙っていた。オルアが違和感を感じたその時
「熱っ!」
不意に胸元が火傷しそうな程熱くなった。
「何だ?…これは!」
オルアが首から下げていた宝石を取り出すと、青く光っていたはずの宝石が真っ赤に光り輝き、耐え難い程の熱気を放っていた。
「これは…」
驚きの声を上げながらオルアは母の背後に立つ男を見つめる。すると、男は何かを口走る。その言葉は聞き取れなかったが、その時オルアはジークの言葉を思い出していた。
「これは…父さんの…魂」
既に異常な熱気が消え去っていた宝石は、元通り淡く青い光を放っていた。そしてそれはまるで何かの信号の様に明滅を始める。
「何だ?今までこんな事無かった…!」
オルアは慌てて男に視線を戻す。すると男は何かを伝えようと口を開き…同時にその姿を消した。
「これは…幻なのか?でもこれが光ってるって事はまだ父さんは生きてる訳で…!」
自分で口走った言葉にオルアは慌てて母親に視線を向けた。するとその姿は掻き消すように徐々に薄くなっていく。
「お母さん…待って!まだ行かないで!」
「オルア…つかの間とは言え、大きくなったあなたに会えて本当に嬉しかった。本当に、本当に立派になりましたね。私にはもうあなたを抱きしめる事は出来ませんが、あの人は今でもあなたと同じ世界にいます。この世界のどこかで、あなたを待っているはずです…さようなら、私の愛しい子」
そう言いながら、母の姿は景色に溶け込む様に消えてしまった。
「待って!待ってお母さん!まだ行っちゃやだよ!もっと、もっといっぱい…ああ、あ…あ…あああーーっ!」
これは幻。オルアは既にそれを理解していた。しかし、今目の前で消え去ろうとしている母親の姿を目の当たりにしたオルアは、叫びながらすがりつき、でもその手は空を掴むだけで、どれだけ焦がれてもその胸に抱き止めてもらう事は出来なかった。消えてしまった母の姿を呆然と見送り…オルアは力なく両膝を着く。そして、暫く虚空を見つめたまま呆然としていた。
「オルア…」
その様子を見ていたミンクは、ボロボロと涙をこぼしながら言葉を失った。しかし、遊び相手も既に疲れ果てて暇を持て余していたガイルーシャは、そんな事にはお構いなしと言わんばかりにまたもや水晶玉に何かを書き付けた。そして
「ふむ…ではそろそろ本番に行ってみよう」
その言葉と同時に、オルアの周りがまばゆく輝き出す。
「まだ何かするつもりなの?もう止めて!これじゃオルアが…オルアが…っ」
たまらず駆け出そうとするミンク。しかしその腕を、座り込んだままのガルが掴んだ。
「ちょっ、何するのよ!こんな事止めさせなきゃ…」
振り解こうともがくミンクだったが
「お待ち下さい」
フレアもミンクを呼び止めた。
「何よ!貴女まで私を止めるつもりなの?」
「はい」
「なっ…」
思わず言葉を失うミンク。しかしフレアは真剣な眼差しでその顔を見つめた。
「残酷に思われるかもしれませんが、この試練こそが今オルアに求められている物では無いでしょうか?確かに剣技では末恐ろしい程の腕を持ってはいますが、まだまだ心は未熟そのものです。もしもこの先この様な精神的な攻撃を受けたとすれば、どれ程の腕前になっていようとも無意味。いえ、場合によっては我々にとって脅威となる可能性すらあるのです。であれば、この試練こそが、今まさにオルアに必要な試練だと言えるのではありませんか?」
「そうだな、俺も同感だ」
「それは!…でもこんなやり方って…」
力なく肩を落とすミンク。ガルはその手を離すが、ミンクはその場に立ち尽くしてオルアの様子を見つめていた。
「…はあ。あーあ、折角会えたのになぁ」
オルアは立ち直ったかの様に歩き出すが、その顔はまだ涙で濡れている。己を鼓舞するかの様な強がりを口走りながら進むオルア。するとその周囲がまばゆく輝き出す。
「今度は何だ?…もう幻には…」
光が消えていく中に、またもや新たな人影が現れる。しかもそれこそはオルアにとって一番身近にいた者…ジークの姿だった。
「じいちゃん!」
驚きの声を上げるオルア。しかし両親の幻を見せられた直後だけあって、流石に単純なオルアでも疑ってかかる。
「いや、どうせまた幻だろ?今度はその手は食わないぜ」
目の前の姿に懐かしさを感じながらも、オルアはその脇を素通りしようとするが…
「ぬんっ!」
気合と共に剣が閃き、オルアはかろうじてそれを受け止めた。しかし
「くっ…重てえ」
片手で振るうとは思えない剣の重さに、オルアは顔を真っ赤にして堪える。そして
「んっがあああーーっ!」
渾身の力で剣を振り抜いた。だが、不意に軽くなった手応えにオルアが驚く間も無く、ジークは地を這う様な体勢でオルアの足を払う。同時にオルアは剣を地面に突き刺して受け止め、更に鋭い蹴りを放つが、ジークはその強烈な蹴りを軽々と受け止めてオルアを投げ飛ばした。
「クソッ!偽者のくせして何て強さだ!」
空中高く舞い上がったオルアはそんな事を呟くが、その間にもジークは飛び上がって連続で鋭い突きを放つ。
「このっ…ニセモノがあーっ!」
オルアは力任せに突きを振り払い、更に切り返しの一撃で体勢を崩したジークへ容赦無く斬りかかる。更にそれを弾いて反撃するジーク。それをまた返すオルア。落下するまでのほんの一瞬の間に、二人は数え切れない程剣を交えた。
「んがああっ!」
落下直前、オルアは両足でジークを弾き飛ばすと共に自らも大きく後ろへ跳んだ。そして再度飛び掛ろうとするが…何故かジークは剣を降ろした。
「…何の真似だ?またつまらねえ小細工するつもりかよ!」
叫びながら相手を睨みつけるオルアだったが、ジークは表情一つ変えずオルアを見つめている。
「クソっ、イライラさせやがって!これが試練なのかよ?いい加減にしやがれ!」
精神的に参りかけていたオルアだったが、そうやって叫ぶ事で何とか自分を取り戻す。
「はっはっは!この小僧は本当に面白い!なかなかに興味をそそられるが…この小僧も翁も前に見た様な気がするな…はて、いつのことだったか…さて…おお、思い出した!二十年程前に試練の道を通ったあの若造に似ておる!小僧も翁も目付きの鋭さが正に瓜二つではないか!成程…これで合点がいった。となるとあの小僧はあの時の若造の息子か?そしてあの翁は若造の父親なのであろう。うむ、実に剣術に長けた家系、素晴らしき事よ」
感じ入った様に声を上げるガイルーシャ。しかしその言葉に出て来た若造と言う言葉に一同は注目する。そして誰かが何かを言う間も無くミンクが進み出た。
「あの…二十年程前の若造さんについて、教えて頂けませんか?」
「む?それは構わんが、暫し待て。この翁は所詮小僧の心が生み出した幻に過ぎん。それ故、小僧が今までの闘いで自身が強くなった事を疑わなければ、勝利は時間の問題」
「じゃあ、オルアは勝てるのね?」
「うむ。だが小僧の心に僅かでも己の力を疑う気持ちがあれば、どうなるかは分からん。何しろこれは最後の試練。挑む者自身が今まで出会った中で一番の強敵と考える者が現れるのだからな」
「そうなんだ。じゃあオルアは今でもジー君が一番強いと思ってる訳か…いやいやそんな事は今はどうでもいいのよ。オルア、貴方のお父様の事を聞けるかもしれないわ。頑張って早く来て。あ、でも幻とは言えジー君が負けるのもちょっと嫌な気分ね…ま、この場合は仕方無いか」
ミンクはそんな事を言いながらもオルアの様子に注目して…
「オルア…もうすぐだよ」
目を細めながら呟いた。
「ああもう頭に来た!確かにジジイはとんでもなく強かったけど、ここにいるのは俺の心が生み出した幻!そうだ、そうに決まっている!第一本物だったら!本物だったら…どうする?剣を降ろすのはどんな時だ?稽古が終わった後は剣を降ろした、でも今は違う。じゃあこれは…俺を誘っている?なら俺はどうする?」
オルアは突然語調を変えると、自らに言い聞かせる様に小声で呟き始めた。そして昔の事を思い返す。
「じいちゃんが剣を降ろしたのは、稽古が終わりの時だけだった。それでも諦めずに食い下がった俺は…いつもその状態からあっけ無く打ちのめされていたんだ。だから…」
オルアはそう呟くと、意を決した様に剣を構え…
「うおおおおーーっ!」
猛然と突っ込んだ。一同は息を飲んで見守る中、突進したオルアにジークはカウンターの突きを放つ。
「オルアっ!」
水晶玉の周りで叫び声が上がるが、次の瞬間それは驚きの声に変わった。
オルアを貫くかと見えた凄まじい突きを、僅かに遅れて突きを放ったオルアの剣が横へそらせ、同時にオルアの剣はジークの喉元へ突き刺さる…ばかりの勢いで空を切り、ジークの頬を僅かに切り裂いた。
「へっへっへ、やーっと一本取ったぜ…まあ幻相手だけど、ちっとは成長しただろ?」
ニヤリとするオルア。ジークも同様に笑みを浮べると、その姿は次第に景色と同化していく。そして
「これで…終わりなのか?」
消えゆく姿を見送ったオルアが呟くと同時に、天から声が響く。
「よくやった、試練に挑みし者よ。お前は剣神たる我にまみえるだけの力を示した。よって神殿への扉を開いて進ぜよう。さあ、とくと進みたまえ」
仰々しい物言いにオルアは面食らうが
「とにかく、先に進めばいいんだよな」
剣を納め、そのまま先へ進んだ。
その後は、何の障害も無くオルアは神殿への道を進んだ。そして目の前に現れた巨大な神殿は、オルアが近付くと共にその重々しい扉を開いてオルアを迎える。
「おお…これは一体どんな仕掛けだ?まあいい、せっかく剣神が入れって言ってるんだから、入らせてもらうか」
オルアは呑気に呟きながら神殿へ足を踏み入れた。すると瞬時に蒸し暑かった周りの空気が清浄なかぐわしい香気に変わる。
「うーん…癒されるな。しかし、試練とは言えあんな悪趣味な事をする奴だ。油断は出来ないぞ」
そんな事を呟きながら進むと、程無くしてオルアは神殿中央の広間へと辿り着いた。
「あれ、お前ら…」
呆気に取られた表情を浮べるオルアとは対照的に、一同が感心した様な顔でオルアに視線を注いでいた。
「オルアーっ!」
真っ先にミンクが駆け寄って来た。オルアの両手を持ってはしゃぐミンク。その周りをバーンもはしゃぎながら飛び回る。
「オルア凄いじゃない!ジー君から一本取るなんて」
「いや、でもアレは幻だろ?…ってか何でその事を知ってるんだ?」
「えーっとねえ、それは…」
「ガイルーシャに聞くといいギャ!それにオルアの父ちゃんの事も知ってるみたいなんだギャ!」
「…本当か?」
バーンの言葉にオルアの顔色が変る。同時にオルアは一同の背後に立つ見知らぬ男に視線を移した。
「…!」
一見しただけでオルアにはその男がガイルーシャだと解った。殺気など微塵も放っていないにも関わらず、異常なまでに澄んだ気がその体をまとっている。更にその体は人間のそれでは無く、まるで重さを感じさせず、それでいてとてつもなく重く大きな存在感を放っていた。
「アンタが…剣神?」
オルアの言葉にガイルーシャはニヤリと笑みを浮べる。
「ほう、流石にあの男の息子だな。良い目をしている」
満足気に頷くガイルーシャ。同時にオルアはすかさず口を開こうとするが、ガイルーシャはそれを制した。
「まあ待て。お前が私に聞きたい事などとうに解っている。だがまだ駄目だ」
ガイルーシャの言葉は落ち着いて静かだったが、不思議な力がこもっていて誰も口を挟む事が出来ない。
「オルアよ、お前は無事試練の道をくぐり抜けた。だが、それは単に私に挑戦する資格を得たに過ぎない。とは言え…光栄に思え。ここ数百年の歴史の中で、その資格を得た者はお前とその父親の他には無い。そしてお前の父親は、見事に我が奥義の一つを物にしたのだぞ。さて…お前はどうかな?」
ガイルーシャはそう言って背を向けると
「さあ、本当の試練だ。付いて来たまえ」
そう言って歩き出す。オルアは一瞬戸惑いの表情を浮べるが、大きく深呼吸すると意を決してその後を追った。その後を更に一同が追う。
「さて、わざわざ剣神たる我の神殿まで来たのだ。奥義の一つでも会得したかろう?」
神殿奥の巨大なドーム。ガイルーシャはその入口でオルアに向かい、口の端を上げながらそう言った。
「では、入って来るがよい」
ドームの中央でガイルーシャがオルアを招くと、オルアは口を真一文字に結んだまま、その招きに応じた。
「うむ、流石にいい覚悟だ。では、まずはここでの決まりを教えておこう」
ガイルーシャがそう言った瞬間…
「いやーっ!」
ミンクの声が響く。
「何だ?」
その声に振り返るオルア。しかし背後で見守るミンク達に別段変わった様子は無い。
「全く、騒がしいな」
そう言ってオルアは再びガイルーシャに視線を戻したが、その時何かが視界に入った。
「…!」
視界に入った「ありえない物」にオルアは一瞬硬直し、そして自らの右手を上げようとして戦慄した。何と、そこに有るはずの自身の右手が無くなっていたのだった。
「…何だよ、コレ」
気付く間も無く切り落とされていた手を認識すると同時に、凄まじい痛みがオルアを襲う。
「うあっ…うわあああーーーっ!」
突然の事態に絶叫するオルア。しかしガイルーシャは鼻で笑うと、事も無げにオルアに告げる。
「慌てるな小僧。さっさとその手を拾ってこの部屋を出ろ」
「何だと…?」
「いいから早く言う通りにせんか、そのままでは血が止まらんぞ。それと、絶対に誰も手を貸してはいかんぞ」
オルアは自分の右手を拾うと、苦痛に顔を歪めながら部屋を出る。すると
「あ…あれ?」
驚きの声を上げるオルア。まるで自分の手が切り落とされた事が夢だったかの様に、オルアの右手はすっかり元通りになっていた。
「何だこりゃあ?痛くも何とも…」
右手をニギニギすると、オルアは驚いてガイルーシャを振り返る。するとガイルーシャは声を上げて笑った。
「どうだ解ったか?これがこの部屋の決まりだ。つまり…この部屋でどれ程の大怪我をしようとも、外へ出てしまえば元通りになる。つまり、どれだけ過酷な修行をしようとも大丈夫だという事だ。便利だろう?」
「え、それってつまり…」
「うむ、ここで腕を切り落とされようが足をもがれようが平気って事だ。まあ苦痛そのものは感じるが、それは強くなるためだから我慢しろ。だが…絶対に忘れてはならない事が一つだけある」
不意に語調を変えるガイルーシャ。オルアは神妙な顔で次の言葉を待つ。
「絶対に死ぬな。死だけは無かった事に出来ない。と言うよりはここでの怪我が無かった事に出来るのは、あくまでもこの部屋を自力で出た者に限られる。少しでも他人の力を借りれば、ほんのちょっとした怪我でもすぐに消える事は無い。つまり、死んでしまえば当然自力でここを出る事は出来ない。まあ、そういう訳だ。それがこの部屋の決まりなのだが…理解できたか?」
「えっと…要するに…死ぬ程ダメージを受けずに修行すればいい訳…か?」
「その通りだ。お前は思ったより理解が早いな、見直したぞ」
「え?いやあ、そうかなあ?」
照れ臭そうに笑うオルア。その様子にミンクは溜息をついた。
「なんか、神って割に随分と適当な感じね。まあオルアの修行には丁度いいのかもしれないけど…正直さっきはびっくりしたわよ。いきなり手を切り落とすなんてありえないわ」
呆れた様にミンクは言うと、やっと呼吸が整ったフレアが声をかける。
「しかし、それも剣術においての絶対的な力を誇るからこそです。あの距離で寸分違わず手だけを切り落とすなど、しかも相手はあのオルアです。仮に私が不意を突いた所で、あの様な真似はとても出来ないでしょう」
「そう…かもしれないわね。確かにさっきは魔術的な力は一切感じなかったし」
「ああ、それに殺気も全然感じなかったぜ」
「拙者も同感でござる」
ガルと半蔵も同意すると、フレアは更に言葉を続けた。
「それに、先程我等が軽くあしらわれた際も純粋に剣術と体術しか使っていなかった筈。そう言った意味ではオルアの修行には願っても無い相手と言えるのですが…」
「何?」
「いえ、非常に危険な気がするのです」
「ああ、確かにそれは俺も同感だ。とは言っても、何がどう危険なのか具体的には言えないが…恐らくは剣神が純粋に楽しんでいると感じたってのがその理由だな」
「うむ、それについては拙者も同意致す。純粋に楽しむと言う事は、即ち夢中になると言う事。仮にオルア殿の剣術が我らを遥かに凌駕し、剣神をも本気にさせてしまった場合、剣神の本気の一撃がオルア殿を襲うかもしれないと言う事でござる」
「えっと…正直な所皆はどう感じたの?オルアがもしも本気にさせちゃった場合、その本気の一撃をかわすのは難しいと思う?」
「…うーむ、恐らくはな。オルアの全力は今の時点では大体想像できる。だが、剣神の本気は全く想像が付かん」
ガルの言葉にフレアと半蔵も頷く。しかし当のオルアはすっかりやる気になっており、ミンクの不安など知る由も無かった。
「では早速始めるとしよう。えーと…オルアだったな?ワシは一応幻術の類も使えなくはないが、ここでの修行では剣術以外は何一つ使わない。まずは剣神の名に懸けてそれを誓っておこう。それと外にいる連中に再度言っておくが、小僧の命が惜しかったら絶対に手を貸すな。仮に小僧が心臓を貫かれようが、息絶える前にこの部屋を出れば何の問題も無い。しかし、助けようと指一本触れればどうなるか…解っているな?」
無言で頷くミンク。ほかの面々も顔を見合わせながら頷く。
「では、覚悟が出来たならかかって来い」
ガイルーシャは腕組みをしたまま、余裕の表情でオルアに声をかける。
「…それは、ちょっとバカにしすぎじゃないか?」
「いやいや、我とお前ではこの程度では埋めきれない程実力に差がある。もっとも、お前の父親程度には強くなれれば…あるいは我の本気を垣間見ることが出来るかもしれんな。さてさて、お前はここでどこまで強くなれるかな?」
余裕綽々のガイルーシャ。オルアは既に父親がどうこうよりも、尊大な相手に一泡吹かせてやろうという考えが溢れ返っていた。そして
「そりゃあああーーっ!」
勇ましい雄叫びと共にオルアは突進し…
「うー…エライ目に遭った」
数秒後にはほうほうの体で部屋の外へ脱出していた。
「あらら…今度はいきなり両腕を切り落とされちゃったわね」
「うるさい、ちょっと油断…した訳じゃないんだけど、全然剣が見えないんだよ」
「流石は剣神だな、俺も全然太刀筋が見えなかった。それより腕は何とも無いのか?」
「まあ…な。部屋を出るまでは気絶するかと思う程痛かったけど、もう何とも無い」
オルアはそう言って両肩をさするが、その背後からガイルーシャが声をかける。
「そう言えば言い忘れていた事がある。お前の傷は部屋を出れば瞬時に完治するが、同じ所に攻撃を喰らうと、その度に苦痛は倍に増していくぞ。仮に今の様なダメージを…そうだな、あと三回も受ければお前はその苦痛に耐え切れず気絶して…そのまま出血多量で死ぬだろう」
その言葉にオルアの顔は蒼白となった。何しろ今の暫撃すら冗談抜きで気絶しそうな苦痛だったのに、それが増していくというのだから。しかし恐怖を感じつつも、オルアは不敵な笑みを浮べる。とは言えそれが強がりなのか、想像力の欠如によるものか、はたまた本当に自信があるのかは定かでは無いが。
「ほう、なかなか不敵な面構えだ。あれ以上の苦痛が襲うと言うのにそんな顔が出来るのは、余程の強者かはたまた…馬鹿者か。まあそんな事はどうでもいい。苦痛に耐える覚悟があるならば、いつでもかかって来い」
「言われなくても!」
勇ましく雄叫びを上げるオルアだったが、正直どうしていいのか具体的な策がある訳でも無い。叫んだはいいが足が進まなかった。すると、背後からガルが声をかける。
「おい、さっきお前、爺さんに一撃カマしただろう?あれは悪くなかったぞ」
「え?…あれは、そうか」
その言葉に何か得る物があったのか、オルアは不意に目を閉じると、大きく息を吐いてからガイルーシャの前に進み出た。
「ふん、ちょっとだけマシになったか?だがまだ我を本気にするには足りない様だが…」
ガイルーシャはそう言いながら柄に手をかけた…と見えた瞬間には再びオルアを稲妻の様な暫撃が襲う。しかし、今度はオルアがそれを受け止めた。
「ほう!たった一言の助言でそこまでになるとは…いや、違うな。今思えば、先程お前はわざと喰らったな?我の太刀筋を体で覚える為に。この部屋の決まりを理解していきなりそれを生かすとは、思った以上に抜け目の無い奴だ。面白い!」
鍔ぜりの状態からガイルーシャは剣を振り抜く。オルアは簡単に吹っ飛ばされたが、それでも目だけではなく全神経を集中してガイルーシャの動きを追った。
「いいぞいいぞ!見違える程に良くなった!あの時の若造並にはなって来た!」
ガイルーシャは嬉しそうに声を上げると
「いくぞ小僧!剣神の奥義が一つ…」
そう言いながら剣を背後に構え
「双牙!」
言葉と共に奥義を放つ。同時にオルアの両肩から血飛沫が上がった。
「オルアっ!」
思わずミンクが叫ぶ。しかしガイルーシャは感心した様な顔でオルアを見ていた。
「ほう…今のはまた両腕とも切り落としてやるつもりだったのだが…よくぞ見切った!では続けてゆくぞ!」
オルアの返事も待たずにガイルーシャは次から次へとと奥義を放つ。しかし満身創痍となりながらも、オルアはかろうじて急所への致命傷を避けていた。
「なかなか動きが良くなって来たが…それではいつまで経っても我に一撃入れる事適わんぞ!そらそら、どうした?」
ガイルーシャは軽々と剣を振るっているにも関わらず、その一撃は重く鋭い。オルアが両腕で力一杯に振るう剣すら片手で軽々と弾かれ、逆にオルアが全身で受け止めようとしてもあっけなく弾き飛ばされてしまう。その上奥義の一つでも出されると、その度にオルアの体から血が吹き出す。まさにジリ貧と言った状態だったが、オルアはあえて部屋から出ずにガイルーシャに立ち向かう。そしてその眼光だけは輝きを増していった。
「ほう…開眼も時間の問題か?」
オルアの様子にガイルーシャは呟く。一方オルアは極度に集中しているのか、全身から血を流し、肩で息をしながらも全く怯む様子は見えない。
「小僧、なぜ部屋を出ない?その怪我では我に勝てる道理は無いぞ。それともそのまま出血多量で死にたいのか?」
不意にガイルーシャは声を上げた。しかしオルアは動じない。
「俺は…死なない。アンタの奥義、全てに喰らい付いてみせる!俺は強くなるんだ!そして誰にも負けない剣士になって、親父に会いに行く!だからこんな怪我でひるんだりはしない!こんなもん…痛くも何とも無いっ!」
訴えるかの様にオルアは叫ぶ。するとその体の回りにうっすらと光が輝き始めた。
「おお…これは!」
ガイルーシャは恍惚の表情で呟く。その間にも光は強さを増し、外で見ているミンク達の目にもはっきりと見えるまでになった。
「流石はハーンの末裔、見事な心意気だ。その体を包む闘気は、お前の体に流れる血にお前自身が開眼した証!いかなる困難にぶつかろうとも、決して負けぬと心の底から自分を信じる力の証!さあどうだ?己の体の奥底から、言い様の無い力が沸々と湧き上がって来ただろう?」
ガイルーシャはまるで嬉々とした子供の様に叫ぶが、同時に剣の強さは更に増した。
「ありゃあ流石にまずいぞ!」
ガルが叫ぶ。その言葉通りにガイルーシャの剣は今まで全く本気を出していなかった事を示すかの様に速度を増し、その斬撃はもはやフレアの目でも追うことが出来なかった。にもかかわらずオルアはそれをギリギリでかわし続け、更には鋭い反撃を放つ。
「いいぞいいぞ!あの時の若者にも負けていない!さあ、もっとだ!もっともっと!」
ガイルーシャの剣は更に激しさを増す。しかしオルアはそれに引き上げらるかの様に自らの剣もその力が湧き上がるのを感じた。そして
「おおおっ!そうだ!俺は偉大なる剣士ハーンの末裔!アンタが神だろうと俺はその力を超えてみせる!それが俺が俺である証!そして俺はアンタも、親父も、ジジィも超えて!そしてハーンをも超えるっっ!うおおおおおおーっ!」
「なんとっ?」
オルアの振るう渾身の一撃をガイルーシャは受け止めたが、その勢いを止める事は出来ずに、ガイルーシャはそのまま壁際まで吹き飛ばされた。
「何ともふざけた力よ、これが伝説の剣士の血か。だがまだまだお前は底が知れん。さあ出し惜しみしているならさっさと全てを見せよ!さもなくば我が剣がお前を貫くぞ!」
ガイルーシャは飛ばされながらも壁に足を着き、そのまま跳躍してオルアに飛び掛る。
「うおおおおっ!」
歯を食いしばり耐えるオルア。更には
「ぬ…おおおおおりゃああーーーっ!」
雄叫びと共に再びガイルーシャを弾き飛ばした。しかも今度はオルアはその後を追い、執拗に攻撃を仕掛ける。
「何と!この短い時間に我を攻め立てる程になるとは…面白い!」
ガイルーシャはオルアの剣を弾いて飛び上がった。オルアはすかさず後を追う。そして今度は瞬きすら許さない空中戦が始まる。
「おいおい、オルアは一体どうなっちまったんだ?」
正に神懸り的な力を発揮するオルアに、ガルが唸る。
「これがハーンの力なの?だとしたら凄い。だって私には解るもの。オルアの力は剣神との闘いでどんどん上がっている。でもまだまだ秘められた力はこんな物じゃないの!」
目を瞠りながらミンクが叫ぶ。するとガルは再びオルアの闘いに目を向け、そして天を仰いだ。
「それじゃオルアは…参ったな、この修行が終わったら俺達は皆格下になっちまうのか」
「まあいいじゃない、どうせ貴方はオルアに負けてるんだし」
「おい」
「うふふっ、冗談よ。でも今はオルアを見守りましょう。オルアの潜在能力は確かにこんな物じゃないけど、剣神はまだ遊んでいる。それは間違いじゃ無いと思うの」
「何?…そうか、じゃあ俺はせめてこの戦いを見学するとしよう。アイツとの差を少しでも広げられない様にな」
「うん!」
ガルとミンクの間でそんなやりとりがあった事は露知らず、オルアとガイルーシャの剣は更に激烈に火花を散らす。
「ふははははっ!いいぞいいぞ!ハーンの末裔よ!さあその力、思う存分に発揮せよ!」
一見押されているかに見えたガイルーシャだが、その言葉にはまだ余裕が感じられる。そしてその言葉通り、ガイルーシャは巧みにオルアの剣を受け流す。渾身の剣を振るいながらも一撃を入れる事が出来ないオルア。その焦りは次第に大きくなり、いまだ部屋を出ないでいた為に体力の消耗も限界に近付いていた。
「クソっ、何でだ!何で一撃も入らない?」
「それは、単に我と小僧の力の差が圧倒的だからだよ」
「何だと?」
ガイルーシャの放った挑発的な言葉にオルアはむきになって剣を振るうが…いつからとも無く聞こえて来たミンクの歌声にオルアは冷静さを取り戻した。
「…ありがとよ。また助けて貰ったな」
オルアはミンクに向かって微笑みかけ、ミンクも微笑を返す。
「ほう、確かに歌声は手助けとは言えん。よく考えたものだ。とは言え小僧、お前の出血は最早限界に近いぞ。一旦部屋を出た方がよいのではないか?」
「余計なお世話だ!第一、この後アンタ以上の強敵に遭ったとして、そいつは俺が重傷負った場合、怪我が治るまで手出ししないでいてくれるのか?」
「ぬっ?…あっはっはっは!それは確かにお前の言う通りだ!ならば我は満身創痍のお前に最高の試練を与えようではないか!さあ刮目せよ!これが我の真の剣技だ!」
ガイルーシャはそう言いながら、いまだ腰に差していたもう一振りの剣を抜いた。
「二刀流?」
思わずガルが叫ぶ。
「ああ、あれが剣神の本来の姿だ…とは言え俺も話に聞いていただけでこの目で見るのは初めてだがな」
興奮気味に応えるアグラ。その傍らでは半蔵も目を凝らして闘いを見つめていた。
「我の振るう二刀は、全てを弾き全てを切り裂く。先に言っておくが、あの時の若造…つまりはお前の父親か?アイツですら二刀の我には全く歯が立たなかったぞ」
オルアには何故かその言葉が真実だと感じられた。しかし力強く言い放つ。
「それでも!絶対に俺はアンタに一撃入れてみせる!」
「ほう?だが…この世に絶対など無いぞ」
「そんな事はどうでもいい!様は覚悟の問題だろうが!」
「ふっふっふ…その言葉を聞いて安心した。さあ存分にかかって来るがよい!」
「言われなくとも!」
オルアは豪快に、しかし慎重に剣を振るうが、二刀のガイルーシャはそれを完璧に捌いてオルアに刀を返し…既に満身創痍のオルアの体が瞬く間に鮮血に染まる。
「オルア…」
駆け寄りたい衝動を必死に抑えながらミンクが声を漏らす。そして、涙を流しながらミンクはいつしか静かに歌っていた。
「この歌は?…ほう、小僧の動きが変わったな。眠れる力を呼び覚ます歌か。これは面白い!さあ小僧、お前の真の力を、余す所無く我に見せよ!」
ガイルーシャは歌声に同調して更にオルアの潜在能力が引き出されて行く事に気付く。そしてその攻防一体の剣技は更にオルアの体中を切り裂くが…
「…何て奴だ」
無謀とも思えるオルアの攻撃に、ガイルーシャは声を漏らす。
「うおおおおっ!」
オルアは瀕死の重傷とも思える程のダメージを受けながら、より一層激しい攻撃を繰り返す。それでもガイルーシャは難無くそれを受け流し、弾き返し、かわしざまに斬りつけていたが…次第に状況は変わって行く。
「これが…ハーンの力なのか?」
今まで顔色一つ変えなかったガイルーシャの顔に初めて焦りの色が浮かんだ。対照的にオルアの攻撃は激しさを増す。雄叫びと共に唸りを上げるオルアの剣。それはガイルーシャの二刀をもってしても捌ききれなくなり…
「うおおおおおおっ!」
ほんの僅かな…隙とも言えない程の隙を突いて、オルアの剣がガイルーシャの喉元を襲う。
「舐めるなっ!」
オルアの剣が突き刺さったかと思われた正にその刹那…
「しまった!」
ガイルーシャが叫ぶ。そしてその剣の先には、胸を貫かれたオルアの姿があった。
「いや…いやあああああぁああぁーっ!」
静寂に包まれた空間。そこに、ミンクの叫び声だけが響く。
数々の試練を乗り越えて遂に剣神の下へ辿りついたオルア。
しかしそのオルアを強烈過ぎる一撃が襲い、生きるか死ぬかの瀬戸際へと…
果たしてどうなるのか?




