八話
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ヴェロニカには、四人の男きょうだいがいる。
長兄のグウィン、二つ下の弟のケヴィン、五つ下のヒューゴ、そして十八歳下の腹違いの末弟、アルヴィン。
グウィンは皇太子として、海外に留学していた時期があり、そのときに出会った女性とこのたびめでたく婚約した。
長兄にして皇太子であるグウィンの婚姻に、彼を知るものは誰もが喜んだ。
父王レイバーンの子供のころまでは、兄弟同士で王座をかけて殺しあうような時代が続いていたこともあって、兄弟仲のいい今の王室の人気はそうとうなものだ。
祝いの席は盛大になるはずだった。
父の補佐である次男ケヴィンはまだしも、きょうだいはヴェロニカも含めて、外交のためにこの海の外を跳びまわっていることも多い。すっかり大人になったきょうだいが揃うのは、そうそうあることではなかったから、『やつら』は確実に全員がそろう時期を見極めていたのだろう。
今日から数えて四日前。ヴェロニカは末弟アルヴィンとともに、居室でお茶を楽しんでいた。
兄は婚約者とともに昨晩帰国している。「あとはヒューゴ兄さんだけだね」と、ふたりで家族の思い出話に花を咲かせていた。
廊下から、どたどたと慌ただしい音が近づいてきた。けたたましい音と怒声。弟のヒューゴが、兵とともに飛び込んできて言った。
「ここから逃げろ姉さん! アル! 」
「ヒューゴッ! 」
廊下の奥から、金属をすり合わせるようなおぞましい音が近づいてくる。それはひとつふたつではない。無数の、群れともいうべき量の『羽音』。
緑とも灰色とも思える体の色。鼻をつく硫黄の臭気。鋭いとげを持った触腕が、槍を構える兵を絡み取り、ぎちぎちと締めあげては、巨大なくるみ割りのような歯を突き立てていく。
悲鳴。
無数の怪物たちを先導しているのは、灰色のローブの魔術師だった。
フェルヴィンの民ではないことは明白。そのもとに鎧の騎士がふたり。
仮面をつけた黒い鎧の騎士と、フェルヴィン人にも匹敵する巨躯の赤毛の騎士。
ヴェロニカはアルヴィンとともに逃げた。屈強なフェルヴィンの男たちがそろえられた近衛兵が、たやすく討ち取られたのを見た。
殺戮の舞台に変えられた見慣れた城を、駆け、そして捕まった。
どこともしれぬ窓のない小部屋。それが城の地下にあったのだと知ったのは、脱出の時だ。
ベッドはひとつ。日に一度、一皿のスープだけがあの怪物から届けられた。
「ダイアナ! ダイアナ! なぜ姿を見せないの。どうして」
その日を境に、語り部の魔人は姿を現さなくなった。
「父も他の弟たちも、行方がわからぬままに三日」
ヴェロニカは拳を握る。ぎりぎりと奥歯を噛んだ。
末弟アルヴィンは、そうかからないうちに「姉さんだけでも逃げてくれ」と口にするようになった。
「僕は足手まといになる」
末弟アルヴィンは、体が小さく生まれていた。
王家にたびたびあらわれる体質で、寿命もうんと短い。成長期の十四歳だというのに、体重はヴェロニカの何分の一かしかないだろう。運動も不得意で、語り部のミケが現れなくなってからは、より覇気を失っていた。そのかわり、よくない決意を固めていくように思えた。
「あなたはそのミケに、顔かたちだけならそっくり同じといっていいほど似ていますね」
ヴェロニカは、じっとジジを見た。
「……ほんとうによく似ている」
「そのミケって魔人は知らないよ。ただね、思い当たるとしたら、ひとつだ」
ジジは上目遣いに、唇を三日月形に曲げた。
「製造元が同じって可能性はある。生まれたときなんて、記憶にはないけれどね」
「どうでしょうか。ミケはそのような笑い方はしない。あの子は、はつらつとした性質の魔人でした。語り部らしからぬ表情豊かな子で」
ヴェロニカは目を伏せた。
「昨晩でした。そのミケが、わたくしたちの前にあらわれたのは。あの子はダイアナをつれてきてくれた」
「陛下から命を受けました。どうかお逃げください」
ミケが開口一番に口にしたのは、その言葉だった。
「ダイアナが先導いたします。さあ、ヴェロニカ様」
「待って。わたくしだけですか。アルヴィンは」
「ともに逃げることはできません。二手に分かれ、必ずどちらかが逃げ延びねばならないからです」
「そしてそれは、姉さんのほうがいい。何度も僕はそう言っているだろう? 」
ベッドから起き上がり、アルヴィンが言った。真剣な、縋るような眼で。
「逃げるべきだ、姉さん。僕にはミケがいる」
アルヴィンは立ち上がってミケの手を取った。ちょうどミケと同じくらいの身長と年のころをしているアルヴィンは、並ぶと揃いのように見える。
理屈ではわかる。理性は抗っている。ヴェロニカは最終的には、その提案に従うほかなかった。
「助けを呼んで戻ります」
「僕も、逃げ切れたなら、このことを外に伝えます」
「ヴェロニカ様」
「アルヴィン様」
それぞれの語り部が呼ぶ。ヴェロニカは握り締めていた弟の手を離した。
「さあ、参りましょう」
「わたくしは、成し遂げねばなりません」
ヴェロニカは地下を駆けた。ダイアナの導きは正確で、身を隠しながら、何度も敵をやり過ごすことができた。
そして、ついに脱出したとき、ダイアナは言ったのだ。
「ヴェロニカ様。お伝えせねばならぬことがございます」と。
「語り部魔人がどういうものか、御存じでしょうか」
ヴェロニカは、一転して穏やかさを取り戻して言った。
「王の後継者を選定する魔人。それだけではございません。彼らの真の役目は、王家を記録すること。彼らは自らあるじとなる者を選び、その人生を、忘却というものを知らない目で記録し、一冊の本にするのです」
サリヴァンは頷いた。
「語り部が主人の死後に執筆する、『伝記』ですね。こちらの国でも、たいへんな人気です」
「ええ、おかげで、フェルヴィン皇国という辺境の小国の名は、広く知られることとなりました。語り部が記す物語は、脚色はあっても嘘がない。そう彼らの機能の中に組み込まれている。どんな悪行も、どんな秘めた思いも、語り部は知っていて、それをじつに巧みな物語に起こすのです。後世の人々は明かされた過去に思いをはせ、今に繋げることができる。我がアトラスの民が混沌の夜を超え、三千五百年という時を、ひとつの王家で治めることができたのは、この語り部たちの存在があってこそでしょう。彼らは強い力を秘めている。そのぶん、強い誓約で縛られています。これもお判りでしょう? 」
サリヴァンは肯定するかわりに、ジジを見た。
「魔人の別名を、『陰に潜むもの』あるいは『意志ある魔法』といいます。魔法とは、誓約があるほど強い力を発揮するようになる。魔人はそれを利用して、人間を模造した魔術です」
肉体のかわりに『器物』を。
魂のかわりに『呪文』を。
命のかわりに『誓約』を。
「そうして魔人は生まれる……とされています」
「さすが、魔術師は明瞭ですね。そう、語り部は呪文を刻み込まれた銅板を本体に持ち、『舌の誓約』と呼ばれる二百を超える誓約がある。彼らはその誓いを厳密に守ることで、命を保っているのです」
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