六話
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目覚めてすぐに、サリヴァンは(しまった。寝すぎた)と思った。
よく知らないシーツの感触。窓から差し込む光は無く、それでもサリヴァンは自身の調子から、おおよその時刻を割り出すことができた。
おそらくもう昼に近い。
身支度を整えて、ベッドがほとんどを占領する部屋を出ると、すぐに飛鯨船ケトー号の横っ腹が見える。
船着き場の外国人向けの宿とはこのドックのことだったらしい。ヒースは建物のほうのベッドをサリヴァンに譲り、自分は愛機のベッドに入っていった。
「こっちが僕のパーソナルスペ―スだからね。気にせず休んでくれ」
「ヒースなら出掛けたみたいだよ」
と、ジジが言った。
「そうか」
「うん。食事ならそこ。ヒースが朝に一度出てって買ってきてた。今は二度目の外出だ」
「ありがとう」
簡素な食前の祈りを捧げて、食べなれない食事を口にする。サリヴァンは、次に故郷の味を口にするのはいつだろうかと、ちらりと考えて蓋をした。
「よく眠れたみたいだね」
「ああ。転んだときの痛みも大丈夫そうだ」
「このあとは、いつものお祈りかい」
「ああ」
サリヴァンの影にジジが宿って、もう二年になる。最初のころは、ふつうの十七歳らしからぬ生活に、いちいち意見を言っていたものだったが、今ではサリヴァンの心の中を読むまでも無く考えを先読みするようなことを言う。
魔法の杖は、装身具として作り、肌に身に着け、その人の時々の用途に合った道具の形を取って使うものだ。サリヴァンにとって、それは杖であり、剣だった。
ゆっくりと空気の見えない線をなぞるように振るう。速度は少しずつ時間をかけて速くなり、目にもとまらぬ速さになると、今度はまた遅くなっていく。
最初よりも、終わりのゆっくりとした振りのほうがきつい。しかしサリヴァンにはもう慣れたものだ。もう何年も欠かさず、毎日やってきた『祈り』だった。
魔法とは、自然に巻き起こるすべての事象の再現。つまりは、神の御業の再現である。
魔術とは、魔法を体系的に組み立て、行使する、技術であり学問のことをいう。
魔法の行使に必要なのは、信じる力だ。信仰心と言い換えてもいい。信仰を重ねた神官は、強大な力の発露を秘めた魔術師でもある。
だからサリヴァンの鍛錬は、つねに祈りの中にあった。
瞑想で自己を研ぎ澄ますことも祈りなら、剣の型をなぞるのも祈り。炎を見つめて杖つくりに挑むときも祈っている。
そうあれかしと、子供のころに師に望まれ、やがて自分も望むようになった。
同じ師のもとで学んでいた幼馴染は、サリヴァンとは違う道の中に自分のやるべきことを見つけて飛び出していったが、それを恨む気持ちも、うらやましく思う気持ちもなかった。もちろんいなくなって、寂しくはあったが。
それが師のいうところの『素質がある』ということなのだろうと、サリヴァンは思う。
外海には魔法使いはいない。信仰は失われつつあり、神々の名は散逸し、祈り方は忘れられてしまった。
だからサリヴァンたちは、外海の人々に『魔法使い族』と呼ばれるし、『魔法使いの国』の呼び名で、世界のどこでもそれが十八海層の島国を指すのだとわかる。
魔法使いは、もうそこにしかいないから。
その魔法使いの国だって、サリヴァンのように魔法のためだけに髪を伸ばし、祈りを毎日繰り返す人はもういないと言っていい。
それでも、魔術という学問は生活に根付いている。
杖をもらったばかりの七歳児でも、マッチほどの火を灯すことはできるし、時間をかければ甕いっぱいの水を出すこともできる。大人ともなれば、それは腕を振ったり、石を投げたりするのと同じくらいのものだ。
百年ほど前、世界が二回の大戦を終えたあと、魔法使いの国は長らく閉ざしていた国交の門を開いた。飛鯨船という乗り物の台頭で、今までできなかった長距離の移動が可能になったのもそのころだ。
世界に門を開いた魔法使いの国は、外交の一環として、魔術の輸出と魔法使いの派遣事業をはじめた。魔法使いたちは留学の名目で外の世界の技術を持ち帰り、留学先の国々は、魔術という特殊な技術にもたらされる恩恵を受ける。
双方が豊かになったが、弊害として、魔術師の留学先での失踪や不当に強いられる労働、杖を持ったばかりの子供の誘拐も、現実に起こっている。
さらわれたのが自分以外だったなら、と考える。
(まだよかったな。二度とごめんだが)
そのとき。
空気が震えた。頭が痺れるような鐘の音が、前の余韻に被さるように、続けて、二回、三回。
サリヴァンは思わず空を仰ぐ。
「サリー」
ジジが影から頭を出し、するりと空に飛び上がった。屋根より高い位置でじっと街のほうを見つめて戻ってきたジジは、「何かあったようだよ。街で人が騒いでる」と言う。
胸騒ぎがした。そしてその予感は当たるだろう、という確信があった。
まもなくヒースが戻ってきた。
「行こう」
硬い顔をしている。サリヴァンが言葉少なに言うだけで、「ああ、それがいい」と頷いた。
「何があったのか、知ってるか」
「分からない。でも街の人の反応からして、よくない感じだろう。だから戻ってきたんだ」
街の人々は、一見するといつも通りのようにも見えたが、どの顔も不安げだった。まだ昼だというのに、今日はもう閉めるべきかと悩んでいる声も聞こえる。
「お祭りがあるんじゃなかったっけ? 」
「それが、おかしい話が流れている。城から人が戻ってこないらしい。祭りの準備のせいだと思っていたらしいんだが、前日の昨日まで誰も来ないうえに、当日の今日になっても何の動きもない。これはおかしい、という話になってる。……すみません」
ヒースは、東の方角を見つめている露天商の女将に声をかけた。
「さっき、すごい鐘の音でしたけど、何かあったんですか」
「ああ、海外の人かい。そうだよ。あの鐘は城からのものでね。わたしもはじめて聴いた。そう、なんと説明すればいいか」
「よくないものなんですか」
「前に鳴らされたのは、火山の噴火だとか、津波だとかの時だって、うちのじいさんは言っててね。ようするに、めったに鳴らされるものじゃない」
「逃げろっていう意味ですか」
「そうだね。でも噴火なら山から離れるし、津波なら海から離れるだろう? でもさっきのは、何から逃げるっていうのさ。おおかた誤報じゃあないかって話だけど、お城からのお知らせがないとね。いまごろ誰かが城に走ってるだろうけどさ」
女将は不安が晴れないようすでため息を吐いた。
そのとき、また鐘が鳴った。
一回、二回。しかし今度の三回目は、力任せに何度も叩きつけたようにむちゃくちゃだ。最後にはぐしゃりと歪な音を立てて、不快な余韻を響かせて終わった。
女将のため息が幾重にも重なったような、不穏なざわめきが街を覆っていく。誰もが息苦しさすら感じる不安を抱えているのが分かった。
「買い物は急いだほうがよさそうだ」
一時間ほど経っただろうか。
「おい、それは確かか」
「ああ、確かだ。この目で見た」
「おれもだ」
誰とも知れぬ声がして、広場に人がどこからか、わっと押し寄せてきた。皆が緊張した面持ちで、恐怖すらにじんでいる。
「それは本当なのか」「そんなまさか」「そんなわけがない」
「見た、見たんだ。城で。あれはアルヴィン皇子だった! 」
「城の塔に立っていた! 鐘を鳴らしていたのは殿下だった! 」
「え? じゃあ殿下のいたずらか? 」
「そんな悪いいたずらをできるような子じゃあない! 」
「そうだ。違ったんだ! 」
「何があったんだ」
「そうだ、言え」
「殺された! 」
「え? 」
「アルヴィン殿下が、男に塔の上で! 」
「そう、殴られていた! 」
「いや、剣で斬られたんだ! 」
「何度も何度もだ! 血しぶきが飛ぶのが見えた! あんな小さな体に! 」
「ひどい」
「なんてこと」
「とにかくみんな見たんだ! 間違いない! 」
悲鳴が広がった。
「そんなわけがない」
「見たんだ! 」
「見た! 」
口々に泣き叫ぶように民が言う。
「見たんだよ! 」
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