四十五話
人は死ぬ。
語り部は傍観者にして記録者である。
人は死ぬ。
いつか忘れ去られる。
どんなにその人を愛していても。
そうして消える。
抱いた夢も、願った未来も、不確定のまま忘れられ、そして消える。
消えるのは、魂というものかもしれないし、別の何かなのかもしれない。それを観測する術は、我々であっても存在しない。
けれど、消えるのだ。消えてしまう。
わたしたちは、それを何よりも恐れている。
我々の伝記とは、人を永遠にするすべ。
功績も悪徳も、ありふれた日常ですら、物語として編み上げれば、それは永遠になる。
ある語り部は、主の人生を長い一曲の音楽にした。
人々はその曲を聴くたびに、とある国の愚かな王のことを思い出す。血にまみれた歴史と、その歴史の登場人物たちを思い出す。
永遠になるとは、そういうことだ。
語り部は、どうあっても主に置いて逝かれる。遺ってしまったものが、故人を忘れないでほしいと願うのは、人間も語り部も同じこと。だからわたしたちは、主を物語にするのである。
それが定められた役目だとしても、それすら言い訳にして、紙にペンを走らせる。
大義名分。まさにそう。だからわたしたちは、自分の仕事に誇りを持っている。
だからわたしは。
語り部は置いて逝かれるものだ。
だからわたしは。
――――ああ。まだ幼いあなたを、まさかわたしの方が、置いて逝くことになるだなんて。
だからわたしは。
わたしは……。
憶えている。
まだ憶えている。
そのことに安堵する。
わたしは知っている。
あなたの好みも。
あなたの嫌いなものも。
あなたの夢も。
あなたの願いも。
あなたの痛みも。
あなたの恐怖も。
あなたの闇も。
あなたの希望だったものも。
あなたの心を切り裂いた、あの夜の記憶ことだって。
あなたがあなたであるための全てを、わたしがまだ憶えている。
あなたが忘れてしまっても。
誰もが、あなたを忘れてしまっても。
だからわたしは。
ミケは嗚咽して崩れ落ちた。
「どうして……」
吠えて何度も水を叩き、全身を震わせる。
「どうして……! 」
「思い出したのか」
うずくまるミケを見下ろして、サリヴァンは額を押さえた。
「大丈夫? サリー」
「……けっこう堪えるな。どっと疲れた」
「戻ったら何か食べなきゃね」
しかし、ミケは動けるようすではない。ジジは「仕方ないなぁ」とばかりのため息を吐いた。
「おい、小娘」
「またお前……」
「いや、十四歳だし! こいつは純然たる小娘でしょ。なあ、おい。聞こえてる? 」
ジジはミケの肩をつかんで引っ張り上げた。そのまま襟首をつかみ、ぐい、と引く。
「聞こえてんの? おい小娘。ボクの言ったこと忘れてんじゃないだろうな。その小汚い恰好は何? さっさとしろよ」
「おい。カツアゲみたいになってるぞ」
ついにはペシン、と頬を張る。サリヴァンは「おいおいおい」と顔を歪めた。
ミケの目が、ジジをぼんやりと見つめる。
「その恰好、どうにかしろって言ってんの。わかる? 思い出したんならできるよね」
ミケはぐす、と鼻を鳴らして自分で立った。ジジがいつもそうしているように、ミケの姿が表面だけ霞んで服が変わる。地面につくほど長い髪も、ひとりでに三つ編みに結われていった。
「……できました」
「それ、語り部の制服? 」
「はい」
語り部でそろいの服は、金ボタンで彩られた詰襟の黒衣だ。ミケのものは上着の丈がやや長く、すとんとしていて、その裾から膝が見える程度のズボンに、黒革のブーツをあわせている。
「ふーん。ま、いいんじゃない。それがいちばん着慣れてるもんね」
「うう……」
主のことを思い出したのか、ミケの目がまた潤む。ぐすぐすと泣き出したミケの頭をぺし、と叩き、ジジは「馬鹿だね」と言った。
「あんた、人間に近づきすぎたんだよ。ボクらは人間のように扱われても人間じゃない。人間みたいに擬態してたって、人間にはなれないんだよ。気づくのが遅れたね」
「その差が分からない。どうしてみんなは、この別離に耐えられるの? 」
「経験だよ。この世界にいるのはひとりじゃない。千でも万でも足らない。人間というものは、うじゃうじゃと常に増え続け、無限に思えるほどの数がいる。それを実感すると、おのずと目の前のひとりも儚くちっぽけなものだと気づく。そいつに永遠はない。生と死、出会いと別れ。人生に生まれ変わりなんて連続性はない。始まったら終わるものだと割り切るんだ」
「でも、そんなの……」
「残酷だって? 違うね。始まりと終わりという制限があるからいい。ルールの範囲内で楽しむほうが燃えるもんなんだよ、こういうのはね。いいかい。ボクは世の中に、三種の人間がいると思っている。①資源ごみ ②腐った肉 ③その他だ。③の例外だけが、ボクにとっては憂いを持つに足る。別れまでの期間、ボクの時間を費やす価値がある人間を少しの数持つだけで、ボクらの長い長い悠久の時は少しだけ充実するんだ。語り部の『主人』って、つまりそういうことなのさ。つかの間、隣に侍るなら、好みを選んだほうがいい。愛してもいい。別離のあとは、新しい出会いを選べばいい。孤独の傷は癒えるし、新しい主人をまた愛す。愛をひとつだと思っているなら、それはあんたの経験不足だ。過去の愛と現在の愛は同時に持つことができる。そういうシステムになっている」
「アルヴィン様を、わたしは救うべきではなかったと……? 」
「さてね。それを断じるほど、ボクは無責任じゃない。アンタやアルヴィンサマ自身が、自分で結論づけることさ」
ミケは、グッと唇を噛んだ。眼球に残った涙を落としきるように瞬いて、一度、ぎゅっと目をつむる。胸の前で握り込んだ両手は、こぶしのまま体の横におさまった。
「で? サリー。さっきから何か言いたげにしてるけど」
「……終わったか? じゃあジジ、交代だ。ミケ、聞いてくれ」
サリヴァンはコートの裏地に縫い込まれた隠しポケットから、あの銅板の欠片を取り出した。
「アルヴィン皇子を取り戻そう」
ミケの目が丸くなる。
「ああ……っ」
ふるい落とした涙が、また流れ出す。サリヴァンはしっかりと頷いて、眼鏡のレンズの奥からミケの瞳を射抜いた。
「大丈夫。やれるよ。皇子の心を取り戻そう」
読了ありがとうございます。
よろしければ、X(旧Twitter)での読了ポスト、お気に入り登録、評価、いいね、ポチッとお願いいたします。




