三十一話
●
大きな揺れだった。『様子を見てくるか』というジジの眼差しによる問いかけを、サリヴァンは首を横に振って制した。
船が襲撃されているのだということは、『船』自身の感情の無い声で告げられていた。不安そうに視線を交す語り部や皇子たちへも、サリヴァンは儀式を強行することを薦める。ダッチェスもまた、同じ意見だった。
「……船は頑丈ですわ。そう簡単には落ちません。それよりも最悪なのは、継承の儀が行われないままでいることです。『審判』に正式な『皇帝』の椅子が空く……そんなことは許されません」
ダッチェスは、続く儀式の文言を再開した。
「……古き王から新しき王へ。わが主、レイバーン・アトラスに変わり、ここに『皇帝』の宣誓を返上する。
『わたしは安寧の礎となる。』
”愚かにも身内が争う国にはもうしない” ”わたしに栄光も名誉も不要” ”ただ、幼子が何ものにも裏切られない世界を” ”兄弟が互いに手を取る未来を” ”異なるものを虐げない人々を”
皇帝レイバーンは、この宣誓を返上し、次代の『皇帝』へと継承する。立会人コネリウス・サリヴァン・アトラス・ライト」
サリヴァンは、なるべく意識を集中して杖を抜いた。手のひらほどの長さの銀色のダガーは、サリヴァンに一番しっくりくる『杖』の形態だった。それを差し出すようにして、『王』と『代理人』の間に跪き、「受諾いたします」と言葉にする。
《 宣誓の返上を受諾 》
手の中の杖が、とたんに熱をもった。
熱せられたようにとろけだし、無数のすじになって手のひらから零れていく。液状に見えるそれは、雫のように粒にはならず、長い幾本もの紐のように手からこぼれ、うねり、『銀蛇』の名の通りの形を成した。
目を剥く観衆の目の前で、無数の銀の蛇が、サリヴァンのまわりを渦を巻くようにして行進を始める。渦はどんどん速くなり、蛇たちの体は細分化されていき、サリヴァンとグウィンを閉じ込め、銀色をした小さな竜巻の様相を成した。
「魔女の与えた魔法が蛇の形をしているというのは、本当だったんだな」
額の影になった瞳をきらきらさせて、皇太子はサリヴァンに囁いた。
「殿下!? 続けますわよ! 」
竜巻の向こうから、ダッチェスの声がした。
「”告げる”
”祖は女神の友、青き魔女””王の選定者” ”すべての勇者を慰撫せしもの”
”我が名は黒き瞳をあらわす。銀蛇の担い手である”
”告げる”
”天秤は傾いた”
”告げる”
”フェルヴィンの新たなる王基を継承せし者は、ここに”
かの者の名は、グウィン・サーヴァンス・アトラス」
《 継承者を認証。グウィン・サーヴァンス・アトラス 認識。受諾。》
《 継承者の証明を承認。製造番号15独立端末ベルリオズ 》
《 ベルリオズ。詩歌の登録を行って下さい 》
「ご主人さま。ともに唱えてください」
ベルリオズが、自身の銅板をグウィンに差し出した。
緻密な筆跡で刻まれた花畑の彫刻。それに重なる詩歌を、主従が読み上げる。
”黒檀の靴を履き、あなたは処女雪の丘を行く”
”真白が四辻を隠し”
”やがてあなたは、眠りの森で立ち止まる”
”あなたの歩みの芽吹きから”
”あまたの小さきものたちが背伸びをして”
”春の歩みはすぐそこに”
”泉のほとり”
”夜伽の鳥がしるべに立つ”
”夜告げの声に導かれ”
”星はあなたを旅立って”
”暁の訪れに夢は泡沫へ”
”恐れることは何もない”
”やがて雲は晴れるもの”
”やがて木々は芽吹くもの”
”やがて星は還るもの”
”森の夜告げはそこにいる”
”ここは芽吹のほとり”
”始まりの泉”
”喉を潤し、また歩きましょう”
「”我が名こそはベルリオズ”
”あなたの歩みを助ける杖とならん”」
ベルリオズが下がると、ついにグウィンが前に進み出た。『船』が告げる。
《 証明を承認。登録。 これより継承者の死亡まで、語り部ベルリオズの詩歌は保全されます。ピッ 》
《かちり》
ひとつ歯車がはまる。
《かちり》
もうひとつ歯車がはまる。
語り部二十四枚に内蔵された魔術式が、新たな文言を刻まれ、ゆっくりと回転を始める。
同調した黄金船もまた、埃を被り、奥底で役目を待っていた宝箱の蓋を、次々と開いていく。
《かちり》
《かちり》
《かちり》
《かち……カチッ……カチカチカチカチ―――――》
フェルヴィンという国の地下、誰も知らない閉ざされた場所で、リズミカルに、猛然と、無数の歯車たちが噛み合い蠢き始める。
《 同期 》
《 同期 》
《 同期 》
フレイアの黄金船は、数秒ごとに行われる『端末』との同期と同時に、システムの解凍を進めていく。
《 32%……35%…… 》
『黄金船』に意志は無い。魔女の手が入った端末の中で、意思を持つのは『語り部』たちだけだ。しかし『黄金船』の一度も起動したことが無いシステムたちが、母たる魔女によって謹製された魔術式たちが、起動していく歓喜に震えて、おのおのの役目に動き出していく。
《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》《 同期 》
おおいなる魔術式が、ここに為ろうとしていた。
《 かちり 》
銀の風はやがて、細く、細く、グウィンの中に溶けた。
固い杖としてのかたちを取り戻した銀蛇が、グウィンの両肩を二度ずつ叩き、最後に額に触れる。魔法使いが喉を鳴らして唾を飲みこんだ。
「……告げる。人民の王。統治のあかし。秩序の守護者。『皇帝』のさだめをここに。……皇帝グウィン。さだめを全うすることを誓いますか」
呼ばれて顔を上げてすぐ、グウィンは目の前に立つサリヴァンの異変に気が付いた。
レンズの奥で見開かれた黒い瞳。耐えるように強張った顔。
見て分かるほど全身が震えている。
杖は両手でようやく持ち上げていた。グウィンは一瞬浮かんだ戸惑いを千切り、誓いの言葉を口にする。
「……我が名、グウィン・サーヴァンス・アトラス。宿る血において『皇帝』の継承を受諾」
……こんなにも立会人に負担を強いる戴冠式があるだろうか。
本来であれば、ここに前皇帝退任の儀式も挟む。しかしレイバーン帝亡き今、その語り部であったダッチェスがその手から書き上げた『伝記』を収めることでその儀式は省略される。
進み出たダッチェスが、白い皮表紙を付けられた父の伝記を捧げ持って、グウィンに差し出す。
「……陛下」
小さくダッチェスが囁いた。まだ儀式は終わっていない。
少女のうっすらと笑っている口元に、予感がよぎった。少女らしからぬ、どこか艶のある微笑みをして、ダッチェスは魔力で編まれた指先で表紙をなぞり、鮮やかな翠色で、タイトルを刻み込む。
「ダッチェスの知るレイバーンを、すべてここに書ききりました。こんな時でも、語り部として最後まで誇らしい仕事を成せたことを、心より感謝いたします」
伝記を手渡す瞬間、ダッチェスのインクで斑らになった白い指先が、グウィンの手の甲ごと名残惜し気に撫でていった。その袖口から、光の粒が零れている。
「あと、もう少しですわ」ダッチェスはそう言って、目を細めてグウィンを見上げた。
「ああ……」
溜息のように声が漏れた。
読了ありがとうございます。
よろしければ、X(旧Twitter)での読了ポスト、お気に入り登録、評価、いいね、ポチッとお願いいたします。




