86. 完成未来予想図作り
ボビーは借りている客間のベッドの上で、膝を抱え考えていた。
マー君はムチムチした丸い体で、どうにかこうにか自力でベッドに登り、ボビーの横でへそ天しながら寝ている。
自分の今後の人生をどうするべきなのか。
昨日までのボビーの人生で、あれほどまでに欲され認められたことはなかった。
純粋に嬉しいと感じたし、この人たちの役に立ちたいとも思った。
しかし、ジェイクに言われたように、両親から離れても良いものなのか。
両親も自分も帰還者で、かなり長生きをするだろう。しかし、旅をすると言うことは危険も伴うものだ。帰還者であろうとなかろうと大差ない。
両親と旅を始めて何度か危険な道に遭遇したことがあった。
道がおかしい気がして馬車を急停止させ、結果事なきを得たが、停まった一歩先は、奈落の底のように深い亀裂が走っており、止まらずにいたらそこに落ち命を落としていたに違いない。
この王国にも亀裂が発生することがあるにはあるが数は少数で、深さもあまりない。多少怪我をする程度か打ち身、最悪骨折程度で済むだろう。
それでも打ちどころが悪ければ、回復魔法に長けていない自分たちは、どうなるかはわからないのだ。
帰還者親子なので、ある時から見た目も体力もほぼ変わらなくなった。違うのは経験値だけなので、両親の体力は気にしていない。
気にするとしたら、支援所に連れて行ってもらったあの日から、ずっと心配をかけ続けていることだ。
出来れば安心してもらいたいし、自分が原因の憂いは払って欲しいとは思ってきた。
思ってはきたが。なのである。
両親としても、いまだに自立できていない息子からは早く解放されたいだろう。
きっと、自分の気持ち次第なのだ。
しかし何の因果が、今あの素晴らしい温泉施設の管理をするために四人の人間が派遣されてきたらしい。
まだ返事をしていない自分が同席することは叶わなかったが、その人たちはあそこを管理する目的で、決意を持って王都から遥々やってきたのだろう。
自分のこんな半端な考えを持つ男が、その人たちの立場と仕事を奪っても良いのだろうか。
前世の記憶が少し蘇った今なら、誰よりも上手くその仕事をこなす自信がある。いや、その自信しかない。
溢れる自信とアイデアが湧いてくるのだ。
「はぁ。親が心配だ?良い人ぶって勇気が出ない自分を正当化しているだけだ。人の仕事を奪うのが嫌だ?ならその人の下について仕事をすれば良いだけだ。なんという傲慢さだ。上に立てると最初から思うだなんて。がっかりだな。自分に。」
今日の激しい頭痛を打ち消してくれたあの強烈な光を思い返す。
「前に進んでも良いと許された気がしたんだよな。今まで自分の奥底から湧き出てくるようなネガティブな感情が取り払われたような…。」
出来ればあと一つ、きっかけがあれば、踏ん切りがつきそうだった。
自分で決めては打ち砕かれてきた経験は強く心に刻まれている。あとひと押し欲しい。情けないけれど…。
押されてもまだ欲しいと思うかもしれないけれど。
「はぁ。お手洗いへ行っておくか。そろそろ呼ばれるかもしれないし。」
ベッドから降りて、両親の迷惑にならないよう、いつも通り、音を立てないようにそっと扉を開くと、扉の隙間から、小さな光に照らされた、とても美しい女性が通っていくのが見えた。
「!!」
ピシャーンと雷に打たれたような衝撃だった。
いや、この王国に雷は落ちたことはないので、雷自体を知る術がない。
子供の時に殴られたあの衝撃と言い換えた方がボビーには通じるかもしれない。
あの時のように顔も体も心も痛くはないが、心臓はバクバクと打ち鳴らしていて痛いほどだ。
横顔しか見えなかったが、その女性はボビーの好みのど真ん中。吊り目がちな狐系の美人だった。
「お、おお、落ち着け自分!こ、こ、ここに来ているということは、あの施設で働く女性だよな?働くのか?ここで!?こ、ここに来たということは、帰還者だろうな。うん。ジェイクさんたちは帰還者で隠居しているわけだし、帰還者でなければ来ることはないだろう。うん。そうだな。」
いつもは冷静であるのに、受けた衝撃が初めてな上大きすぎて、落ち着いた思考を取り戻せない。
「いや、待てよ?大体の隠居というのは、パートナーとするものだ。自分のようなやつは一握りと言って良い。」
既婚者である可能性が高いことに気がついて、気持ちが落ち着いてきた。
「うんうん。それに自分のような出来損ないの男が、こんな醜く太った男が、あんな美人に釣り合うはずがないじゃないか。」
気持ちがどんどん落ち着いていく。
落ち着きを通り越し自分で落としめているような気もするが。
それなのに、扉の前から足が動いてくれない。
先程扉に隙間を開けたことで扉の開閉音が聞こえてくる。
さっと扉の隙間から片眼で確認する。
ぐはっ!あの女性だ!!う、うつくしー。
伏目がちだが、正面から見るとさらに美しかった。
ボビーはもう、彼女の虜だ。
結婚しているかもしれないし、パートナーがいるかもしれない。が、せめて友達、いや、仕事のパートナーとしてでも良い!そばにいたいと強く願ってしまったのだ。
その彼女が向かったリビングの方から開閉音が聞こえたので、部屋に入って行ったのだろう。
ボビーはさっと部屋から出て、ボビーにしては珍しく、バタンッと音を立てて扉を閉めた。
目的だったお手洗いへはいかず、両親の休んでいる部屋へ突入していくのだった。
お手洗いから戻ったメーネは、ソファに座ってみんなの様子を確認する。
「決まったかしら?」
「「「はい!」」」
「よし!じゃあ全体をまとめるから少し時間をくれ。」
ジェイクは図面を書き直すために退席したので、その間にキースは鑑定盤を取り出し、
「鑑定しても?」
と尋ねた。四人が頷くのを見て、座っている順番に鑑定していく。
「結果を見たい者はいるか?」
四人は顔を合わせた後、メーネが代表して答える。
「出来ればみんなで共有したいです。」
「了解。」
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メーネ 43歳 宮廷経理士
スキル:計算・経理
魔力量D
魔力操作D
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「メーネは経理を担当していたのか。こっちてやりたい仕事も施設の現場スタッフと経理で良いか?」
「はい。そのつもりで来ました。王様からはこちらの指示に従うように言われておりますので、他の仕事も頑張ります。」
「わかった。」
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ナニー 38歳 元宮廷メイド
スキル:メイド
魔力量D
魔力操作D
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トニー 38歳 元宮廷ボーイ
スキル:ボーイ
魔力量D
魔力操作D
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「ナニーとトニーは現場スタッフが良さそうだな。元メイドと元ボーイなら、現場のスキルも申し分ない。頼めるか?」
「はぁい。温泉で働くのを楽しみにしてましたぁ。よろしくお願いしまーすぅ。」
コクコク(頷くトニー)
「申し訳ないことを聞いてしまうが…。トニーは話はできるんだよな?」
「はい。最低限にします。」
「トニーはぁ、おしゃべりがすぎると侍従長に注意されてからぁ、頑張って自制してるんですぅ。」
「そうか。まぁ、周りの迷惑にならないように。と約束してくれたら気にしなくても良い。徐々に慣れていってくれ。」
コクコク(頷くトニー)
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マックス 13歳
スキル:補助
魔力量B
魔力操作D
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「ん?マックスは魔力詰まりか。」
「は、はい。」
料理系の補助なら植物の加工→補助→料理人ってところかな。と当たりをつける。
「魔力詰まりを解消したら将来は料理人のスキルにアップグレードするかもしれない。頑張ろうな。」
「え!?自分が料理人!?しかも魔力詰まりって解消できるんですか?」
マックスだけではない。三人も驚いている。
「まだ聞いたことはない、か?できる。が、まだ内緒だ。トップシークレット。確立のための実証実験中なんだ。みんなも魔力操作はDで魔力詰まりだろう?実験体になっても良いってやつはいつでも知らせてくれ。」
「「「「実験体…」」」」
実験体と言われて顔色を悪くする四人。
挙手する者はそうはいない。
実験体に立候補し、且つその立場を奪い合う、この家族が特別珍しいのだ。
「ぶっ!ふふふ!」
すぐそばにいたハンナが吹き出した。
四人はびっくりしてハンナを見た。
「あぁ、ごめんなさい。実験体って言われたら名乗り出たくないのが普通よねぇ。」
「あ、はい。怖いですから。」
メーネが恐る恐る伝える。
「みんなはDでしょう?多少詰まり気味だけど、使えないこともない。だからやらなくても良いならやりたくないってところね?」
四人はその通りだと頷いて答える。
「私ね?ついこの間まで魔力操作がEだったのよ。マックスと同じで魔力はBもあるのに。魔力を使うスキルを持っていなかったから、勿体無いなとは思っていたけど。気にしてなかったわ。」
ルークの頭を撫でながらハンナは続ける。
「で、先日、魔力操作詰まりを解消して、魔力操作がBになったの。そしたらスキルも増えて。この歳になってこんな変化に恵まれて、隠居したけど楽しくて仕方がないのよ。みんな今日ここに来たばかりだし、ゆっくり考えたら良いわ。それに付き合う時間はあるから。」
ルークがぴくりと動く。
「あら?起こしちゃったかしら?」
四人は魔力詰まりを解消させた。という人間を始めて見た。
宮廷でそんなことを触れ回っている男がいるとは小耳に挟んだが、仕事も忙しく本気にしていなかった。
「「「「魔力詰まり、解消できるんだ。」」」」
少しだけ心が動いたかもしれない四人だった。
自分の部屋で集中して図面を描き終えたジェイクは廊下へと出た。
今朝と同じく、廊下は小さな光で照らされている。
「ルークはここにいないのに、どうなってるんだかなぁ?」
と不思議に思いながら扉に手をかけたところで客間の扉が開くのが見え、ドアノブから手を離した。
こっちに猛烈な勢いで姿勢正しく歩いてくるのは、絶賛勧誘中の色素薄い系の痩せたら超絶色男(ルーク談)になりそうなボビーだ。
「ど、どうした?そんなに急いで!」
目の前まで迫ったボビーは興奮しているようで両手をジェイクの肩にバシリと置いて強めに握る。
「何をしていたのでしょうか?」
それはこっちのセリフだと。ジェイクは心で思いながら、
「従業員のシェアハウスの間取りを清書していたんだが。」
ジェイクは持っていた図面を差し出した。
「見させてもらっても?」
「お、おう。じゃあ、家事室に行くか。」
聞くや否やボビーはジェイクの腕を取って引きずるように引っ張って家事室を開き、室内灯のスイッチをガサガサと壁を擦って見つけてパチリと付けた。
明るなった室内にテーブルを見つけたので、図面をざざっと開いてじっくり見始めるボビー。
「清書前の図面を見せてもらっても?」
見たこともないボビーの勢いに負け、ジェイクはノートを取り出してそのページを開いて渡す。
「今日きたのは四名。この配置を考えるに、ここの二部屋はご夫婦でしょうか?」
「あぁ。そうだ。」
ボビーはやはり結婚しているのか!と残念に思うがまだわからない。後二部屋あるのだ。
「ではこちら側の離れた配置の二部屋はご夫婦ではないということですね…。」
図面を見て推察するボビー。
ボビーの勢いに驚愕するジェイク。
「この部屋!このレイアウトですと女性でしょうか?吊り目がちの!」
この部屋!のところで図面に指をつけるボビー。
部屋の前を歩いていた女性は一人しか見ていない。適当な言葉で当たりをつけたとして、下手したら何もわからないまま終わる可能性が高い!ならば直球勝負だ!
そう。吊り目がちの美人だった!超絶美人だったんですぅ!
「あー?あ?んー。」
ジェイクは目を瞑って四人みんなの顔を思い出す。
メーネは吊り目がち?か?ナニーとトニーは可愛らしい垂れ目?小動物系かな?比べるならメーネは吊り目がちといえるか?マックスは黒目がちな美少年だった。聞かれているのは女性かどうかなのでマックスは排除されるか。
「あー、そうだな。多分?」
ような気がする。なぁ??
ジェイクは人の顔にあまり興味がない。
個人が区別できたらそれで良いのだ。
ジェイクの言葉で、図面に置いた指をその隣の部屋に移動させ、
「ここ!自分、ここが良いです!」
続けてノートのレイアウトから一つ選んで反対側の指を置き
「このレイアウトが良いです!」
と、高らかに宣言した。
「はぁぁ??」
宣言されたジェイクはめちゃくちゃ驚いて呆れた。あれほど悩んでいたボビーの、この変わりように。
この短時間にいったい何があったというのか。
「なんでもやります!ぜひここで仕事をさせてください!!」
「えええ!!ど、どうしたボビー?あぁ、うん。俺はとっても嬉しいが、ブライアンたちには話したのか?了解を取って?」
「ええ、はい!たった今!!両親は自分を置いていくつもりだったようです。背中を押すために。」
メーネに一目惚れしたボビーは、部屋を出て両親を呼び出し、ここに残るといきなり宣言しただけだ。両親はかなり驚いたが、ボビーが決めたことは尊重するつもりだったし、なんなら置いて出発することも視野に入れていたので、喜んで背中を押してくれたのだ。自分の人生精一杯悔いのないように生きなさいと。
「そ、そうか。何で決心したかは知らないが、その言葉は撤回できないぞ?長く付き合ってもらうことになるし、辞めたくなった時にはお前と同じだけのスキルを持った者を紹介してくれなきゃ首を縦には振らん。気持ちに変わりはないな?」
「はい!何があっても。」
え?本当に?そんな人物どこを探しても見つからないと思うけど。という言葉は飲み込んだジェイク。
有言実行してもらおうじゃないか。
「よし!解った!ルークとキースも喜ぶだろうな。絶対お前には残ってもらうと言っていたから。で、このレイアウトで良いのか?こっちの方がお前らしいが。」
よし!やった!!少し恥ずかしい理由を話すことなく、あの人との仕事と時間を手に入れることが出来た!と心の中でガッツポーズをとった。
仲良くなれなくとも、この際見ているだけでも良いのだ。四十五歳、初恋ボビーは一直線な男だった。
「いや、そうなると、左右の部屋のバランスが悪くなりませんか?自分が選んだ側に広い部屋が三部屋になると…。」
「ならお前が選んだ側の部屋を縦長にして三部屋にして、こちらの夫婦が選んだ側を横長の五部屋に変えたらバランスはとれるぞ?」
「おお!さすがです!申し訳ありませんがそれでお願いします!」
ジェイクは図面を裏返して簡単に清書していく。
先程よりは雑だが、シェアハウス自体をキースと二人で、スキルを使って作るのなら問題ないだろう。
さっきよりも時間をかけずに図面を仕上げたジェイクは、
「このまま現場行ってこのシェアハウスを建てるが、一緒に来るか?」
「え?見せてもらえるんですか?」
ここに残ることを伝える。という大仕事を終えたボビーは、いつも間にかいつもの調子を取り戻していた。
家事室を二人で出てリビングへ。リビングの扉を開け、中の様子を伺うと、眠そうに目を擦りながら起き上がっているルークが見えた。ルークが起きたなら今がチャンスだ。
一歩リビングに入って
「今から現場に向かう。準備ができた者は荷物を持って玄関前に集合だ。ハンナとデイジーは予備のベッドシーツを人数分と手持ちの灯りを人数分頼む。ボビー…え?ボビー?」
隣にいると思っていたボビーは、リビングの扉から顔を半分だけ出していた。
「ボビーは前回頼んでいたワタがあったろう?それを持ってついてきてくれ。キースはルークを連れてこられるか?」
「「「承知」」」
「「「「はい!」」」」
みんなが素早く動き、準備を始めた。
玄関前。
従業員四人は、それぞれ手持ちの灯りを持たされている。
ボビーは温泉に行く時に軽量化のスキルを使ったリヤカーに、大量にぎゅうぎゅうに詰め込まれかなり重くなった大きなワタの箱を数箱積み上げ紐でくくり、四人の手荷物、ベッドシーツ、肌掛けを乗せてやっている。
ハンナとデイジーは何が入っているか知らないが、それぞれカゴを持って、逆の手に灯りを持っている。
キースはうとうとしているルークを肩車して、ジェイクと図面の説明と素材の打ち合わせをしながらの道中となる。
先導はハンナとデイジーに任せ、シェアハウスを建てる予定の現場へと向かう。
メーネとナニーとトニーの三人は期待と不安がないまぜになっていた。
さっき紹介してもらった四人は、宮廷で働いていたとは聞いてきたが、時期も違えば職場も違うため宮廷内で会ったこともすれ違ったこともない。
今当たり前のように使わせてもらっている、上下水道の設備の伝説の発案者だと説明は受けたが、帰還者なので、同じ歳くらいにか見えないので、敬う対象としてなかなか見ることが出来ないのだ。
そんな人が私たちが住むことになる家を、これから“建てる“という。
図面を見せられイメージは出来たし、自分たちの部屋のレイアウトを考えている時間はとても楽しかったのだが、図面を見る限り相当な大きさなのだ。
いくら“伝説の人“とはいえ、図面の家に必要な材料は揃っているのだろうか。揃っているとしても、これから“建てられる”のだろうか。
宮廷で働いていても、そんな人は見たことも聞いたこともないのだ。
「不安…。」
ポツリと声に出したメーネにナニーは、同感ですぅ。と小声で話していた。
マックスは世の中に出るのが初めてなので、純粋に喜びで満ちている。
貧乏の庶民出なので実家も古く隙間風が吹いていたし、自分の部屋はなく、両親と同じ部屋で育っていた。
スキル支援の一環で自立支援住宅に一年住わせてもらった時は、周囲には「狭い」と言ってる者もいたが、マックスにとっては城だった。
隙間風は吹かないし、何より個室で良い香りもした。食事は三食おやつ付きだったし、良い一年だった。
たまたま支援所で世話になった料理人からこの話を聞いたときには、その人と一緒に申し込みをさせてもらったのだが、受かったのは自分だけだった。少し申し訳ない気持ちになったが、就職先は実家からはかなり遠く、馬車で一日かかると言われた時には、失敗したかもと思ったのだ。
とはいえ、修行するつもりで行ってこいと周囲に応援されたので、そのつもりでやってきた。
それが、確かに遠く辺鄙だが、自分で好きな部屋を選べて、これから作ってもらえるという。
こんな幸運があって良いのだろうか。
マックスは鼻歌を歌いたい気持ちで先導してくれている綺麗なお姉さんの二人についていった。




