13.精霊の鍛錬所送り
ルークから見ると、強い光に包まれた黒豹は、ふわふわと浮かび上がり始めた。自分で浮かび上がっているのではないからか、足をばたつかせている。
「なんだよ!どうなってるんだよ!」
黒豹は我に変えったのか悪態を再開する。もう聞くに耐えないとばかりに光のロープのようなものが現れて口の上下と首の後ろを縫い付けるように縛り上げた。
「むぅぅ!むぅうう!!」
黒豹さんから悪態は消えたけど、何か言いたいことがあるままのようだ。
雪豹さんは頭を下げたまま動かない。
御者さんたちも、木陰に移動したアーサーとアイリスも、いきなり現れた光る大きな塊に驚き、目を見開いたままだ。
ゆっくりとその光は消えてゆき、それと一緒に黒豹もどこかに消え失せた。
見たことのない状況に、ルークも動けずにいた。
雪豹さんは頭を下げたままだ。
どれくらいそうしていたのか、ふと我に帰り、何故かアレが“精霊の鍛錬所送り“なのだと腹に落ちた。
あの黒豹の精霊の何かが、この世界の理に反したのだろう。
精霊には許されない嘘をついたことなのか、スキルを暴発させたことなのか。それともその両方なのか。
詳しくは知らないが、今までの歴史を見ても、状況から考えても、そうとしか考えられなかった。
「ごめんなさいね。ルーク。あいつの溜め込んだ宝、全部持ってくるわ。」
と言ってどこかへ消えていった。
え?この状況はどうすれば良いですか?
アーサーの方へ縋るような視線を送ると、承知したとばかりにアイリスを木陰に座らせ、後始末を始めた。
まずは怪我をした馬の手当てだ。
無事だった二頭を木陰に移動させ、倒れたままの馬の具合を、御者席に残っていた御者さんとアーサーで確認することにしたらしい。
それならばと、ルークは馬車の屋根にいた御者さんがヨロヨロと地面に降りてくるのを待つ。腰は抜けていなかったようで、地面に降りてきた。そこで初めて車体の損傷を目の当たりにした御者さんは
「屋根の凹みなんて目じゃねぇ…なんだこりゃ」
と、唖然とした顔で呟いた。
そんな御者さんと二人で車体を確認をすることにした。
ルークは扉までよじ登ってから中に入ろうとするが、車体が傾いて高くなっているのでよろけてしまう。
扉にしがみついたまま中を確認。
ぱっと見は変化がない。これならアイリスがスキルによる怪我がなかったのも頷ける。しかしこれだけ車体が傾いたのなら、掴まるところのない馬車の中なら頭もぶつけるだろう。
座席を持ち上げようと慎重に近づいて手をかけるが踏ん張りきれず開けることができない。通常バネがついているので簡単に開くことを考えると、歪んだせいか何かが引っ掛かっているか。全く開く気配がない。五歳の限界だ。
自分の非力さを痛感した時、足元から車体の下を確認してくれていた御者さんの声が聞こえた。
「車軸は全部無事です!でも、荷物置き場が全壊しているので、多分ですが座席の下はめちゃくちゃかと。」
車軸が無事なのは大変有り難いのだか、荷物置き場が全壊となると、動きが取れない。しかも車体を押し上げているこの地面だった塊も、このサイズでは大人でも簡単に撤去するのは難しいだろう。
もし撤去できたとしても、この散乱した荷物全てを車内に詰め込むことはできないし、捨てていくことも出来ない。
「中の損傷は見た限りありませんが、座席が開きません。すみません。俺の力が弱いからか、何かが引っ掛かっているからかと…」
と御者さんに報告すると、御者さんは馬車の下から這いずり出してきて、扉付近で失礼しますと呟き、慎重に傾斜のついた車体の中に入ってきた。座席の確認である。
大人の御者さんが力をこめて開くと、一方はガタンと音を立てて開いたものの、中の毛布は土と木の瓦礫にまみれていた。もう一方の座席はどんなに力を込めても開かず、開いた座席は閉まらない。
はぁ。。ため息が出ちゃう。
御者さんと二人、とりあえず外に出ることに。
先に降りた御者さんが、馬車の扉に捕まって降りる順番を待っていたルークをそっと抱き上げ地面が割れていない場所でそっと下ろしてくれた。
どうしたものかと二人で困惑していたら、今度はアーサーからこちらに声がかかった。
「一頭は血が出ているが軽傷。起き上がって普通に歩行ができるのを確認した。残念だが、もう一頭は前脚の両方が完全に折れてる。もう歩くことは叶わないだろう。起き上がることも出来ないから、その…いずれ心臓も止まるだろう。一般的には苦しみを長引かせないために即安楽死が良いとされているが、どうする?」
と、隣の御者さんに語りかける。
御者さんの一人は涙を流し、かわいそうに、どうにか助かる方法はないだろうかと泣きながら馬に向かって歩き、近くまでよると膝をついてしまった。
そうか。馬の骨折は命に関わると地球での常識は、この星でも常識になるのか。
治してあげられたらな。そんな力が俺にあれば。
そう思うと何も出来ないことが恥ずかしくなった。魔力は沢山あるらしいのにスキルな使えない。助けたい気持ちがあるのに、助けるためのスキルも持っていない。何も出来ない俺。
風が吹き、
さわさわと木の葉が音を立てる。
下唇を噛んで御者さんたちの回答を待つ。
それは状況からして、この馬に対する死刑判決に違いなかった。
苦しくなって馬から目を背けると、近くの木陰に座っていたアイリスが同じく木陰にいる馬を眺めているのが見えた。アイリスはルークと目が合うと、にっこり笑ってゆっくりと手招きをした。
導かれるように近づくと、膝立ちしたアイリスの両腕が、ルークの背中にそっと回された。
優しく抱きしめられ、背中をさすられる。
「大丈夫よ。なんとかなるわ。誰のせいでもない。」
この世界に生まれて五年。こんな事は初めてだった。
悪態を吐かれることもそう。暴れて魔力とスキルを暴走させることもそう。馬車と馬に危害を加えられる現場を目の当たりにしたのは、初めてだったのだ。
ましてその馬車の中に自分の母親がいて、その馬車が巨大な土の塊により車体を大きく傾けるなんて。
一番身近な人がいなくなってしまうかもという恐怖。
生きていてくれと、どれだけ真剣に心で叫んだか。
それはそれは恐ろしい経験だったのだ。
ルークの周囲には、面白い両親と祖父母たちという、心静かで穏やかな人ばかりだったのだ。
今日のこの事は、恐怖に他ならなかった。
ゆっくりゆっくり背中をさするアイリスの手のひらの暖かさでそれを実感し、我慢していた涙が決壊する。
アイリスに身を委ね静かに泣くと、少し気を落ち着かせることができた。
そうしてしばらくしてゆっくりルークから離れて言う。
「私のカバン、無事かしら?」
みんなの荷物は、車体の下にあった荷物置き場に置いてあったはず。場所自体は全壊したようだが、荷物はどうだろうか。
「俺、聞いてくるよ!」
走って荷物置き場の全壊を確認した御者さんに荷物は無事か尋ねた。
すると話を聞いていた別の御者さんとアーサーで、全ての荷物を車体の下から引っ張り出すことになった。
大人三人がかりで、五人分のお泊まりセットと祖父母たちへのお土産などを引き摺り出す。
アイリスのカバンを見つけるために、引き上げた荷物を順に並べているところを見ていたルークの横に、アイリスが立ち並んだ。
「これよ。守られてるかのように無傷だわ。」
と、薄く笑い、いつも王宮に行く時に使っている女性には少し大きくて重いカバンを手にした。
少し開けた場所に移動してからそのカバンをそっと地面に置いて、開けてホッとため息をつくアイリス。
一緒にカバンの中を覗き込むと、家に置いてあるはずの通知盤だけが、沢山の布の中央に鎮座していた。
沢山の布は衝撃吸収材といったところか。
馬車の中で使っていたルークのノートを持ち上げ、一枚もらうわね。といって破き、ペンで何かを書き始める。
アイリスの横から邪魔にならない程度の距離を取ってその紙切れを覗き込む。
〜〜〜
王都を出て東、大型馬車用道路10分ほどのところで精霊から襲撃を受け、馬一体重体。
瓦礫撤去で車体は運行可能だが、荷物置き場が全壊にて身動き取れず。
要救助。馬車二台、宮廷獣医トーマス
原因の精霊は鍛錬所に連行済
アイリス・フェニックス
〜〜〜
書き終えたそれを通知盤に挟み、起動した。
「アーサー、連絡は入れたわ!多分15分くらいかしら。時間的にもギリギリだけど、どうにかもたせてあげて!」
「了解した!」
アーサーは倒れている馬に近寄り、しんどいだろうが、もう少しだけ、頑張ってくれよ。と声をかけているのが聞こえる。
脚の折れた馬を宮廷獣医であっても、助けられるのだろうか。
御者さんたちからしたら、馬は儲けるためのものというより、同志であり家族のような扱いだった。助けられるのなら助けてあげてほしい!
御者さんたちのためにも!




