亡国の妖精国・ハルティア
パプリカピクルスの導入が軌道に乗るのは思ったよりも早かった。
……ザワークラウトで散々試行錯誤したせいか、新しい商品による混乱は殆ど無く、順調と言って良い滑り出しであった。
とは言え、忙しくはある。次々と収穫されては教会や要塞の調理場へと運び込まれ、続々と製品は生産され市場に出て行く。
全ての部署は活気を持って余りある程に、フル回転で動いていた。
冬から晩春、言い換えれば初夏まで続く長い長い社交の時期を終え、領地持ちの貴族たちは王都を離れた。
今回は短い期間で済んだ筈のセルヴェスは、文字通り一番に王宮を飛び出してきたらしかった。
昔馴染みの老将軍たちは、セルヴェスの変わり様に揃って顔を見合わせた。
少し離れた場所で王宮の廊下を走っていく父の後姿を見送ると、ジェラルドも首を傾げた。
「いつもなら如何にくだらん会議だったか散々クダを巻かれて、酔い潰される所なのになぁ」
セルヴェスの古い友人である某伯爵が、やれやれといった顔で肩をすくめた。
「……まるで坊主たちが小さい頃みたいだな」
「ああ。特に上の坊主は散々世話をかけてるから、土産は何にするかって、会議そっちのけで怖い顔してずっと考えてたな」
クククと厳つい肩を震わせて笑うのは某侯爵だ。先程の伯爵はため息をつく。
「あいつの息子自慢は長いからなぁ。暑苦しい奴だ」
「いつの世も親父の愛情は理解されないのだよ」
某子爵は頷きながら友人たちの顔を見回した。
それぞれが頷いたり首を横に振ったりと忙しい。
「違いない」
「カノジョでも出来たんかな?」
「違うだろ。彼奴は今でもルナリア一筋だ」
「……まあ、元気になったのならいいさ」
最終的には揃ってうんうん頷く爺様たちを見ながら、ジェラルドは反対に首を傾げた。
(……そうだったか……?)
ほんの小さい頃、父に肩車されて庭を全力疾走された恐怖を思い起こす。
クロードと二人、左右の腕にぶら下がると『遠心力ってこういう事か』と身に沁みる程に散々ブン回された記憶も蘇る。
幼い弟は、仏頂面のまま固まっていた事も併せて思い出した。
(……良く言えば豪快な、遠慮無しに言って良いなら雑な可愛がり方だったなぁ)
父なりの愛情表現なのだろう、と思う事にした。ジェラルドの口元には素の微かな笑みが浮かぶ。
(…………。マグノリアは大丈夫だろうか……)
自分には娘を心配する資格は無いと思う。
思いながらも、華奢で小さな女の子がブン回される姿を想像して微妙な顔をした。
(抱き締め潰されて、骨など折れていないと良いが……)
王宮の美しい緑溢れる庭園に咲く木蓮の花をしばし見つめて、ジェラルドは物騒な心配をしながら控室へと踵を返した。
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この二か月程の帳簿を見て、やっとのこと館に戻ったセルヴェスはため息をつく。
山のように連なった報告書は追いやって、数字を順に目で追っていた。
「凄いな……薄利多売とは言え、数が多いととんでもない事になる訳だ。ドミニクの言い分も解らんではないなぁ」
長い間解明されなかった治療法――食事療法は、余りにも造作もない内容なため、信用されるまでに幾分時間が掛かるかと思っていた。
所がふたを開ければ意外な程あっさりと受け入れられ、更にはきっちり効果も上げているので、ギルドの奴らも組合の親父共もさぞかし驚いている事だろう。
マグノリアを信じてはいたが、齎された結果に、セルヴェスも流石に驚いていた。
命が懸かっている事と手軽に実践出来そうな内容であるため、ダメ元で実践してみたら効果があったというやつだろう。後は言わずもがな。
マグノリアの利益を顧みない対応に感化された者や、イグニス国のシャンメリー商会の尽力もあって、急速に『アゼンダのザワークラウト』は知名度を増している。
多分、アスカルド自国よりも諸外国の方が情報が伝播している。
元々内陸地であり植物が実り過ぎる位の土地であるアスカルド王国は、余程の事でない限り栄養不足が原因の壊血病になる事などあろう筈が無いのだ。
大国であるが故、特段外へと活路を見出す事も無いので、船乗りになろうなんて者も然う然う居ないのが現状だ。
航海病という名前すら知らない人間もいる事だろう。
更には丁度、主立った貴族が王都に集まっているのも幸い(?)したのだろう。手駒に中途半端な情報収集をさせたのか、目端が利く貴族の数人にアゼンダは景気が良いようだと世辞なのかカマなのかをかけられた位で、ツッコんだ詮索を受ける事は終ぞなかった。良かった。
とは言え程無くして問い合わせが四方八方から寄せられるのは時間の問題であろう。
今回の件にギルモアの姫が関わっていると解れば、アスカルド王家ばかりか近隣諸国の王家や有力貴族からの縁談も舞い込む筈だ。本来なら名誉な事なのだろうが、頭が痛い。
元々、セルヴェスには婚姻によって家をどうこうという考えはない。
貴族の習慣というか、セオリー自体は理解しているが。
そうせずとも構わない、裕福で高位の家柄に産まれたというのも大きいだろうが、感情を殺してまで結婚をさせ、長い辛いだろう年月を身内に強いる性格ではなかったのである。
だから、ジェラルドの婚姻には珍しく何度も息子に真意を訊ねた。
クロードの結婚に対して本人に任せる事にしているのも、結婚する本人が気に入った相手と結ばれるのが一番と思っているからである。
マグノリアは異世界の知識と大人としての記憶を内包する子どもである。多分、この世界の一般的な貴族女性として生きるのは困難であろうとセルヴェスは思う。
頭の良い娘ではあるので、表面を真似し、それなりに擬態する事は出来るだろう。
だからといってずっと偽り続けるのが良い筈が無い。
……いつしか、必要以上に摩耗してしまう。
(……多分ジェラルドは知らない。異変――記憶の蘇り以降、何処となく違和感は持っていた様子だが……マグノリアが希望しない限りは、このまま辺境伯家で護る方が良い)
その方が、少しでも自由に深呼吸して生きていけるであろう。
本来ならばマグノリアの希望通り平民として生きていった方が、マグノリアの心に沿う生き方が出来るであろうとはセルヴェスも思う。
(しかしあの色味は先祖返りの筈だ。どのみち放っておいては国政に組み込まれる……)
下手に組み込まれるよりも、護った上で組み込まれる方がまだ対処のしようがある。
(――将来託すにしても、生半可な奴には渡せんしなぁ。マグノリアの特異性を理解出来て、そこそこ権力も跳ね返せる人物か……物理的に護れる力量もある程度は必要だろうし……いるか? そんな都合がいいヤツ。難しいなぁ)
いつまででも自ら護ってやりたいが、セルヴェスもこの世界ではそこそこ高齢だ。
よく解らん変で不可解な母親を護り切った父を思う。
そう。セルヴェスの父のような、先程の条件を満たすような都合が良い相手が何処かに落ちて転がっていないものだろうかとため息をついた。
妖精の国ハルティア。六十年以上前に滅亡した北の小国。
妖精王と愛の女神の末裔は、モンテリオーナ聖国と並んで人智を超えた不思議な力を持つと言われている。
精霊の力という、一見魔法に似たような力だ。
魔法と違う所は自分の魔力や術式によって作用するのではなく、精霊や妖精の力を使って引き起こされる『何か』であるという所だ。
習得して練習してどうこうという類いでもなく(多少は改善するかもしれないが)、大変使い勝手が悪い。妖精は気まぐれなのである。
そして唯一、人で在らぬ者同士の混血であり――後に人間達と共に生きるために、人になったと伝えられている。
(人じゃないって。我々……の先祖だが、バケモノか? 人になるってどうやって?? 流石に歴史の改竄が過ぎるだろう)
セルヴェスがバケモノじみているのは、本人以外の万人が認める所であるが……
言い伝えの力がマグノリアにあるのかは解らない。
彼女と同じ色の持ち主であったセルヴェスの母は先祖返りとは言え、殆ど朧げな力しか持たなかった筈だ。
ただ、人智を超えた力というものには人は常に群がるものだ。
――自分の血に取り込み、いつしか強大な力が自分の、一族のものになるかもしれない魅力には抗いがたいのだろう。
ギルモアの遺伝を色濃く示すセルヴェスは勿論の事、ごく一般的な色味のジェラルドも言い伝えの力は持たなかった。セルヴェスは多少勘が働く程度。
ジェラルドは決して人に明かしはしないが、多分人よりも色々なものが視える――解るのだろう。ブライアンに至ってはそういったものとは無縁そうな少年である。
混血が進むと特徴が薄れていくのはよくある事だ。
(……マグノリアの器に異世界の魂が転生した、それ自体が悪戯好きな妖精がなにやらやらかしたと言えるのかもしれないがなぁ。それとも愛の女神がやらかしたか)
先日の祝福がいい例だ。
……神なんて奴らがいるのならば、きっと面白がっているに違いない。
本当に、流石に闇の属性を司るだけはある。
『愛の女神』はロクな事をしないもんだと、セルヴェスは今日何度目かのため息をついた。
マグノリアの曾祖母、アザレアのふる里の秘密(?)がちょっとだけ出て参りました。




