食事療法をいたしましょう
「石鹸で手をよく洗って、綺麗な手巾で拭いたりゃ、お酒で消毒ちて」
「こんなに厳重に気をつけるものなんですね!」
衛生観念が薄いこの世界では、ここまですると非常に神経質な人間だと思われる事だろう。
「うん。長期保存しゅる食べ物を作りゅから、なるべく必要な菌以外を入りぇたくないのね。品質が悪くなったり、最悪腐って使い物になりゃなくなっちゃうかりゃ。身体が弱ってる人が食べりゅしね。……じゃあ、リリーは洗ったキャベツを粗い千切りに切って。不揃いでも大丈夫よ。ディーンは林檎を細いくし形に切って、お皿に並べてね」
それぞれ指示をしながら、物品の在庫確認と瓶の乾き具合を確認する。
薬やサプリメントが無いので、基本食事療法を行うしかない。
色々な事が不明瞭な現状なので、なるべく効率良く摂取して貰えるようにするしかないのが現状だ。
リリーは懸命にキャベツの千切りと格闘している。休みながら数玉分を切る予定だ。
罹患者は全部で六名。船で休んでいる人達は、輸出入を生業としているのだろうから案外果物は自力で調達出来るかもしれないので、渡すのは少な目で良いであろう。
替わりにザワークラウトを沢山渡した方が良い筈だ。
ザワークラウト。
実際に地球で、壊血病予防の一つとして食べられていた西洋のお漬物だ。
日本で独り暮らしが長かったマグノリアは、人並み程度には家事が出来る。
……とは言え、作るのはもっぱら手抜き料理が多かったのだが。
作り置き総菜に凝った時期があるのだが、シンプルに塩とキャベツで作る事の出来るザワークラウトは、忙しい時に有難くて一時期よく作っていた一品だ。
腸活にハマった時も、ヨーグルトやきのこ、乳酸発酵食品であるザワークラウトをよく食べていた。
特売のキャベツのあまりを使い切る事が出来るので、『なんでもぶっこみ鍋』と並ぶ節約料理の一つでもあった事を思い出す。
保存状態と味の向上の為、売り物の瓶詰め製品を参考に、ローリエとキャラウェイシード、唐辛子も入れているが、ジュニパーベリーや好みのハーブ、香辛料を入れても良い。勿論無ければ無いで塩とキャベツだけを揉み込んでも構わない。
時折ガス抜きをして、数日常温に放置しておけば出来る簡単な代物だ。
乳酸菌任せなところもあり、腐ってるのか発酵しているのかの見極めに多少のコツがいるが、幸い何度も作ったことがあるので問題無い。
作り方をネット検索した時に、たまたま壊血病(こちらでは『航海病』だが)の事が出て来たので雑学として目を通していたのが幸いした。
本当に人間、何が役に立つか解らないもので、学びに無駄は無いと言うのも案外本当なんだなと今回ばかりは本気で感心した。
昔の人は良い事を言うものである。
キャベツの千切りと適量の塩を合わせ、消毒したボールに入れて揉み込む。しんなりしたらハーブと唐辛子を全体に軽く混ぜ合わせ、空気を抜くように瓶にぎゅうぎゅう詰めにして、よく洗った綺麗なキャベツの外葉で表面を覆い、キャベツの芯を加圧の為の押さえ棒にし蓋をする。こうすると、蓋が閉まる際の圧力を利用して重石と同じ効果を得られるし、誤って零す心配も少ない。勿論面倒なら普通に重石をしても良い。
明日の朝にはだいぶ水が上がって来るだろう。
ディーンは慎重に林檎を切って、綺麗に皿に並べた。
「出来たら、この果物を切って潰して、果汁を林檎の表面に塗ってみて」
まずは柑橘類であるレモン、オレンジ、ライムの果汁を塗って数分様子を見る。
「あ! 塗ってないのは茶色くなってきてるのに、なんか白い?」
ディーンは初めて理科の実験をする子どもの様に楽しそうだ。
大まかに、柑橘類には前世と同じ効果が見込めそうだと解った所で、買って来てくれた他の果物――葡萄、キウイ、イチジク、ザクロ、プルーン、マルメロ、ドラゴンフルーツも同じように塗って行く。
「キウイってカラフルだよにぇ」
赤だったり青だったり、そうかと思えば地球と同じように緑だったり。
相変わらず切ってみないと解らないキウイに素直な感想を漏らした。
「なんか、『レインボーキウイ』っていうらしくて、他にも緑とかオレンジとか幾つかあるらしいよ?」
ディーンが聞いてきた事をどや顔で説明する。可愛い。
荒ぶった心も癒されるようだ。
……レインボーと言うからには七色あるのだろうかと思いながら、色の数は国によっても違うのだったと思い直し、マグノリアはまじまじとレインボーキウイを見る。
(確か黄色い果肉のゴールデンキウイの方がビタミンC、多かったんだよね……こっちのも色によって違いがあるのかな?)
前世では、実の形と皮の毛並み(?)の様子から色の判別が出来たが、こちらのキウイは全く同じに見えるので、切ってみないと色が解らない様だ。
より多い分には良いが、色によって必要な栄養素を殆ど含んでいないなんて事が無い事を願う。
ディーンに再び手を洗って貰い、キャベツの揉み込みをお願いする。
張り切って返事をすると、腕まくりをして小さな手で、一生懸命にキャベツと塩を合わせている。
そうこうしている内に、酸化の実験はキウイも変色が緩やかな様子で、マルメロも若干薄いかも? と思える変化だ。それ以外は効果が薄いようであるのが見て取れた。
ただ、柑橘類に比べて全体的に変色が進んでるものが多い。蛇足だが、やはりビタミンC以外にもクエン酸が変色を防ぐ効果に関係があるらしいことが考えられた。
「マルメロってどうやって食べりゅのかな?」
「ジャムが多いですかねぇ」
リリーは腕が疲れたのか、休み休み、キャベツを切りながら教えてくれる。
「ジャムかぁ……」
じゃが芋(ポテト芋)の様に熱に強いビタミンCもあるが、大抵のものは熱に弱く、生食で食べた方が多く摂取出来たはずだ。ジャムと言う事はかなり煮込む事になるだろう。外した方が無難だろうか。
「こっちの果物は航海病には効き難いかもだけど、健康には良いかりゃ寮母さんに渡ちて使って貰おう」
そう言ってマグノリアは変色防止効果が薄かった果物を籠により分ける。
今回残して治療に利用するのは、レインボーキウイと、実際に地球の壊血病治療にも使われて有効だったレモン、オレンジ、ライム等の柑橘類だ。
キャベツの下処理は二人に任せ、マグノリアは麻袋にポテト芋や野菜類、果物を詰める。明日罹患者達に渡すものだ。
罹患者達の経済状況が解らないから、少し多めに用意することにした。
自分達で購入するのが問題無いようであれば、追加で持参する必要はないであろうと考えている。
「…………」
物陰で息をひそめながら、イーサンが三人の様子を観察していた。
マグノリアが指示をして、お付きの者達が作業をしていた。かと言って威張ってやらせているのではなく、自分は手が汚れる雑用を熟しながら、二人の指導をしている様子であった。
(本当にあの子が治療方法を……? 薬ではなく、あんな普通の食べ物で治そうって言うのか?)
信じられない。イーサンは口の中で呟いた。
航海病は酷くなると命を落とす。見ているのも辛い状態に陥る人間を見たことがある。原因がわからず、治る事もあるが酷くなる事もある。
見た目の悪さと臭いから、隠されて過ごす人も多い。
西部はアゼンダとしてもアスカルド王国としても、唯一の海を有する土地であり、クルースの港町に程近い場所に要塞がある事から、地元の人と顔見知りになる事も多い。
だから、知人が航海病になった事も何度もあった。
比較的近い距離の航海しかしないアゼンダの船乗り達だが、時折長い航海をすると決まってこの病気に罹る事が多いので、ここ数年は長期の航海は暗黙のタブーになっている。
その為かここ最近の発症は少なかったのだが、外国の船に乗っている者は変わらず多く罹っているようであった。
今回も他国の船に乗っている者の罹患だ。
(……子供騙しにしか見えないけどな。お手並み拝見と行くか)
特に怪しい動きをするでもない三人をもう一度見遣って、静かに食堂を後にした。
馬車移動と大量の買い物、そして慣れない作業に疲れ切ったリリーとディーンは、埃なんてなんのその。あっという間に夢の中であった。
客間にはベッドが二つ、隣の付き人用の部屋には一つあった。
必然的に同性であるリリーがマグノリアと一緒の部屋で眠る事になる。
主人と一緒に眠るなんてと恐縮しまくっていた筈だが、睡魔には勝てなかったようですぐさま寝落ちていた。
はじめは部屋の様子にも眉を顰めていたのだが、疲れの方が勝ったらしい。
マグノリアは小さく笑う。
……心配と不安で気持ちが昂っているようで、眠気が全く訪れない。
もし上手く行かなかったら。命を救えなかったら。見立て違いでリリーとディーンまで伝染ってしまったら。そう思うと息が詰まりそうになる。
仕方なくそっと音をたてない様にベッドから抜け出し、窓辺の月明かりを頼りに、持って来ていた切れ端と針を持ってパッチワークをする事にした。
(コースターが良いだろうか。それとも鍋敷? お茶文化であるから、ティーコゼーも良いかもしれない)
温かみのある暖色系。すっきり見える寒色系。落ち着いたモノトーン。
可愛らしいパステルカラーでまとめても良いかもしれない。
(……パッチワーク、ヨーロッパで流行ったって聞いたけど、ここでは見ないなぁ?)
無心に手を動かし、小さな布を繋ぎ合わせて行く。
単純な作業は心を鎮めるのに丁度良い。黙々と縫い続ける。
(……ライラもデイジーも、ロサも元気かなぁ)
王都を離れてまだ一週間程しか経っていないというのが嘘のようであると思う。
まるで社畜の様な忙しい生活に、何だか笑えて来る。
自分で勝手に忙しくしているのだが、特段苦に思わないところから、きっと日本でもこんな感じだったのだろう。
(明日はお見舞いと説明に行って、露店やお店にアセロラやグァバが無いか確認しないと。後は本当に航海病の治療法が無いのかもチェックだよね)
リリーの寝息と、壁の向こうからディーンのいびき、遠くで夜鳥の微かな鳴き声が聞こえる。
窓の遠くには、見張りに立っているのだろうか、松明の揺れる炎が見える。
小さな胸に不安を抱えながら、静かに夜が更けて行った。




