その後のマグノリア
賽は投げられた。
マグノリアは、なんだかんだとお人好しな祖父と叔父の、自分を見る目が変わってしまうであろう事をぼんやりと考えていた。
先程の二人の驚いた、そして複雑そうな……何とも言えない顔が浮かぶ。
(この容姿は厄介だし、更に異世界から来ましたなんて。信じても信じなくても、厄介以外の何ものでも無いわ~……)
しかし、彼等を騙し続けることは出来そうになかった。
……仮に騙す事を選んだとして、上手く騙し続ける自信も無かった。
(わかるなら、早い方が良い。傷が浅く済む)
長く偽る事で、そんな事に負けない関係を築けるまでの信頼や絆を育てる事が出来るかもしれないけど。
……逆もある。
(――長く偽る事で、より深く傷つけてしまうかもしれないじゃない?)
思ったよりも気持ちがぐちゃぐちゃだ。
(たった数日の付き合いなのに、何で……)
窓の外は高く青い空が広がっている。気持ちの良い位の秋晴れだ。
本来のマグノリアが持つ家族を求める気持ちなのか。それとも久々に触れる家族の温かさに執着を持った、大人のマグノリアの気持ちなのか。
一度与えられたものを取り上げられると辛い。そう認識して苦笑する。
彼らがあんまりにも大らかにマグノリアを受け入れた為か、ついつい気が緩んでいたのだと思い至る。心の鎧を解いてしまっていた。
短い間にも拘らず、取り繕う事の無い関係が殊の外心地よかったのだ。
しかし暴露してしまえば、こうなるかもしれない予想はついていたのだから。凹んでいる暇はない。
彼らが飲み込んでくれて、変わらないのならばこのまま暮らして領地の為になるよう生きる。
……叶わず、余りにもお互い辛いようなら夜にでも館を抜け出て、四の五の言わずに一番潜り込み易い国に出てしまおう。
きっと数日の内に決まる事だ。
部屋へ戻ると、リリーがマグノリアの顔を見て心配そうに口を開く。
「……マグノリア様、どうされましたか? お顔の色が悪いですよ」
「うん。大丈夫」
ふと部屋の中を見ると、『遊び相手』というお仕事に来ていたのだろうか、所在なく立ったままのディーンも心配気にマグノリアを見つめていた。
「ディーン、来てたんだにぇ。今日のお勉強は済んだにょ?」
六歳になるディーンは、急に降って湧いた領主館への手伝いも相まって、絶賛お勉強強化期間と化しているらしい。
立ち居振る舞いに文字やマナー、従僕になるべくお仕事のお手伝いなど、六歳にして忙しく過ごしているとの事だ。
役目の合間に教育を行うらしいが、マグノリアも移動したばかりで落ち着かないのもあり、臨機応変に、細かく様子を窺いながら行うらしかった。
「ううん。朝食の時、マグノリア、さまが、何か大変そうだったから様子見に来た。……んです」
(一生懸命なちっこい子どもって、可愛いよねぇ)
身体は四歳だが、精神年齢的には彼の母親でも有りな年なのだ。
遊び友達として紹介されたものの、気分はすっかり保護者なマグノリアだ。
「しょっかしょっか、ありがとうにぇ。気晴らちに遊んでいく? それともお勉強に戻りゅ?」
ちょっとばかり上にあるディーンの顔を見上げて、小首を傾げる。
「マグノリアさまはどうするの?」
「図書館に行く予定だったんだけど、いっちょに行く? しょれとも他の事で遊びたい?」
本来、ディーンのしたいしたくないではなく『お嬢様が遊びたい事で遊んであげる』のが彼の役目だろう。
図書館、と聞いてディーンは一瞬顔を歪める。
「お勉強するの?」
「うーん、まあそうだにぇ? お勉強みたいにゃもんかにゃ?」
ディーンは小さな拳をきゅっとにぎり、何か考えていたが。
小さく首を横へ振る。
「……じゃあ、いい。もっと勉強して、ちゃんと読めるようになったら一緒に行く」
「しょっかー。頑張り屋さんだにぇ」
マグノリアの邪魔をするのも悪いと思ったのか、ディーンは後ろ髪を引かれる様にして部屋を出て行った。
「……しょう言えばリリー、図書室の場所って知ってりゅ?」
「はい。そう仰るだろうと思って、バッチリ聞いておきましたよ!」
リリーはにかっと笑うと、サムズアップしてみせる。
「おお~。しゃすが、リリーね!」
茶化すようなマグノリアの声に、えへへと笑う。
*****
(マグノリア様、どうされたのかしら……)
彼女の小さな主が部屋に入って来た時、顔が見たことも無い程に真っ青だった。
(セルヴェス様とクロード様と、何かあったのかしら?)
朝食後、三人は人払いをして話をしていた筈だ。
生家で疎まれていた小さな主は、伝説の騎士である『悪魔将軍』の祖父と、ハンサムだが不愛想な剣豪の『アゼンダの黒獅子』と呼ばれる叔父とを味方につけた。
リリーには何がどうなったのか解らない怒涛の展開で、いつの間にか不遇の実家を飛び出し、このアゼンダ辺境伯領へやって来る事になった。
元はマグノリアの母親であるウィステリアの侍女であったリリーだが、マグノリアとセルヴェスとクロードに無理矢理頼み込んで辺境の地に一緒について来たのだ。
小さな主は、実家での扱いが嘘の様に筋肉マッチョな祖父に可愛がられ、仏頂面の怖いイケメンにも甲斐甲斐しく世話を焼かれている。
主も、豪快な筋肉の塊にも怯えず朗らかに、不愛想な照れ隠しにもはいはいと呆れたようでいて、慈愛の瞳を向けていた。
(何でも無いと良いんだけど……)
彼女の小さな主のささやかな幸せが、どうか壊れませんように――
リリーは心の中で神に祈る。
「……ちょっと、お飲み物を持って参りますね?」
「あい。ありがとう。良かったらリリーも休憩ちてね?」
いつも通り気遣いの言葉が返って来る。
――聞いたところで、話してくれはしないのだろう。
未だ短い付き合いではあるものの、思うに小さな主は、普段寛容で開けっ広げな性格ではあるが、絶対に人を踏み込ませない一線があるように思える。
リリーはマグノリアを暫しひとりにしてあげようと、席を外す事にした。
*****
マグノリアは図書室をぐるりと回り、室内を確認する。
ギルモア家の図書室よりやや小さい部屋は、やはり豊富に蔵書が収められていた。
意外にも、音楽や美術等の芸術関連の蔵書が多く目につく。
ふと視線を上げれば、天井近くに色とりどりのステンドグラス。緻密に細密に様々な花々が描かれている。
足元には音消しの絨毯。
上の方の本を取る為に架けられたのだろう棚梯子。
天井まで高く作り付けられた書棚。大きく頑丈そうな執務机。書きつけに使われるのだろう、沢山の木札と紙の束。ガラスのインク壺と羽根ペン――
本来ならゆっくり見て回るところだが、今は必要なものを最優先に探す事にする。
領地の様子や近隣諸国の様子が解るようなものが良い。それと地図。
ギルモア家もそうだが、武家であり指揮官である家柄の為かここアゼンダ辺境伯家でも精巧な地図が多数ある。
マグノリアはそれらを机に拡げ、南側に焦点を絞った地図を探す。
北は魔獣や魔虫が出る時点でマグノリアに越える事は出来ない。出来るだけ安全に、早く脱出出来る経路を知る必要がある。
(最悪、解らなかったり候補が無い場合は西へ進んで港に出て、船に紛れ込んでしまおう)
蔵書は出来る限り近年の各国の状況がわかるものを探す。
戦争が終わり平和になったとはいえ、そこは色々な思惑や懐事情、果ては国民性などもあるだろう。
出自が出自だ。万一身バレして人質に使われたのでは意味がない。
穏やかな国民性で、アスカルド王国に悪感情が少ないところ。
考える事があると良い。
迷わずに、ただただ解決に導く為に考えて動く。
(この感じだと、日本でも忙しくしていたのかもしれないなぁ)
自分が何処の誰で、何の仕事をしていたのかは解らない。極端な知識が無い事から、研究職や職人などの専門性の高い仕事でないだろう事は見当がつくが。
(……日本か)
改めて、なんだか途轍もなく遠くに来てしまったような気がして足場がゆらゆらと揺れ動く。
いつか。日本の私は目覚める事はあるのだろうか。
元の自分に戻る事はあるのだろうか。




