ガーディニアは羨望す
王子一行と同じく、要塞で領主であるアゼンダ辺境伯に挨拶をと思ったが、何と不在との事であった。
アゼンダの領都にある要塞にいたのは、次期辺境伯であるクロードだけであり、現辺境伯もいなければ、本来なら王子のご機嫌伺いをし、おもてなしをする筈であろうマグノリアも不在との事であった。
昨年と同じ様な注意を告げながら早々に切り上げようとするクロードに、ガーディニアは問いかける。
「マグノリア様はいつお帰りになりますの?」
王子が来訪しているのである。さっさと用事を片付けて馳せ参じるのが臣下というもの。
ガーディニアが言わんとしている事が解っているであろうに、クロードは綺麗な顔を微かに傾けた。
「……取引相手と一緒に、新たな取引先に出向いています故、話に目途がつき次第かと思われますが」
「お手伝いに女児がわざわざ同行する必要があるのですか?」
イライラしたガーディニアは、王子達をもてなす方が先であろうと暗に告げる。
クロードが切れ長の瞳をやや眇めた。
「……皆様がいらっしゃっているのは個人的な休暇の為と伺っておりますが……安全の為に要塞を提供させて頂いておりますだけで、本来公的に当家が対応するものでもないと心得ておりますが。
更に『手伝い』ではなく、マグノリアが主導で行う事の為に出向いておりますが?」
確かに、アゼンダへの訪問は王家のゴリ押しである。
辺境伯家では何度も断ったと聞いている。
周囲への印象を考えても――王家がアゼンダばかり重用していると思われない様、今年は他の領地を訪れた方が良かったであろうとも思う。
それでも。普通は私的な来訪であっても領主がもてなすものなのではないだろうか?
王子と同じ年頃の人間がいるのならば、男であれ女であれ、挨拶をするのが筋ではないのだろうか?
辺境伯はまだ良いとしよう。
本来の陞爵を断っての今である上に、先王の覚えがめでたい重鎮だ。他の重鎮の方々の普段を見ても、多少の我儘は通るであろう。
だがその孫娘であるマグノリアは、昨年も一度も顔すら見せなかった。
……彼女が主導で行う? 馬鹿馬鹿しい事である。
(瑕疵を覆す為に辺境伯とあなたが糸を引いているんだろうに。騙すにしてももう少し現実味を考えたら良いのに)
不機嫌さを隠しもしないガーディニアに、クロードは全くの無表情で別れの言葉を告げた。
長旅で疲れたのであろうアーノルドは、どうでも良さそうにふたりのやり取りを眺めていたし、ルイとブライアンは困ったような顔でふたりを見ていた。
昨年のアゼンダ来訪の際、マグノリアとお茶会のひとつもしなかったことに、ガーディニアの母は呆れたようにため息をついた。
同じ侯爵家の令嬢であるのもいけないのであろう。ガーディニアにしてみれば自分は筆頭侯爵家の娘であり、王子の婚約者である訳で。
ガーディニアにとって、マグノリアが頭を下げて自分へおもねって来るものであり、マグノリアはあくまで自分の下であるという様子が透けて見えるのであった。
「ガーディニア。マグノリア様は公爵家のご令嬢と考えて対応するのが本来ですよ」
「!」
母の言葉に蒼い瞳を瞠った。
……自分の顔が酷く強張っている事を感じて、慌てて平静を装う。
「マグノリア様はそれを解っていても尚、こちらを筆頭侯爵家とたてて対応してくださいます。もっときちんと物事を見てごらんなさい」
今となっては、自分を含む周りの育て方がいけなかったのだと侯爵夫人は思う。
余りにも杓子定規に物事を考えるようになってしまった。
マグノリアが産まれた時からその存在が知れていれば、また対応も変わっただろうに……ほぼ同年代の女児の最高位の地位である事も、先の輿入れ先も決まったようなものであったので、立場に相応しい対応や考え方を教える事に重点を置き過ぎたのである。
優秀であるが故に、意を汲み取り過ぎて尊大なところのある人間になってしまった。矯正を試みてはいるが、三つ子の魂百までとは良く言ったものだ。
そして自分の立場を脅かすような存在に、無意識に酷く恐怖を抱いている。
ガーディニアは努力家だ。だからこそ、優秀で努力家な人間である自分が敵わないという相手を酷く警戒し、意識し、排除したがっている。
加えて、自分の母に認められているという事も気に入らない理由のひとつだ。
「マグノリア様は色々なご事情から、敢えて社交から遠ざかっていると思われます。王家や社交界とは距離を置きたいからこそ、ご自分からは何もなさらないのでしょう」
「そんなこと、貴族の令嬢として許されないのでは?」
ガーディニアは納得が行かないとばかりに眉を顰めた。
普通はそうであろう。
だが、彼女の曾祖母の事を考えればその対応にも納得が行く。
そして距離を置きたい事を証明する為に、王子ともガーディニアとも接触をしないのである。
「……気高くある事は必要ですが、尊大になるのは違います。王太子妃とは……王妃とはどういう立場であるのかを今一度、良く考えて御覧なさい」
昨年帰宅して早々、母に言われた事だ。
今年はお茶会の依頼を出そうとしたら、不在との事である。
わざわざ自分達の訪問時期に不在にする神経が理解出来ないが、確かに母の言う通り、マグノリアが王太子妃になろうという心積もりはまるっきり無いのであろうことは確かだ。
媚びる様子も気遣う様子もなければ、こちらへ近寄る気配すら無い。
……最近、ガーディニアも自分が王太子妃になりたいのかどうか解らない。
いや、元々本当になりたかったのかも解らない。そう思うように周りが方向づけていただけで、自分の希望ではないのではないかとすら思う。
ほのかな恋心があった王子にも、今はどうなのかと言われると自信がない。
あんなに自分に対して無関心でぞんざいな対応をする人間と、今後長い時間を過ごして行かねばならないのだろうか?
彼の為を思い、柔らかい言葉で苦言を呈せば迷惑そうな顔をされる。
一緒に過ごすのも酷くおっくうそうであり、嫌そうですらある。
試験の成績にしても、上位クラスの真ん中より下だなんて……隣国の皇子はトップであるのに、恥ずかしさと落胆と、様々な感情が沸き上がる。
努力してなら仕方がないのだ。だが、同じクラスのご令嬢達と楽しそうに昼食を食べる姿を目にする度、立場を考えて欲しいと考えてしまう。
金の王子、銀の皇子、銅の王子。
大陸に君臨する大国三国の王子の髪色をさしていう言葉である。
会った事は無いが、モンテリオーナ聖国の王子は金色の髪に因んで『金の王子』。
マリナーゼ帝国のユリウスは確かに見事な銀髪の『銀の皇子』。
そして焦げ茶色の髪に、青銅色の瞳のアーノルドは『銅の王子』と呼ばれている。
比較的年が近い三国の王子達。
ユリウスとアーノルドが同い年で、モンテリオーナ聖国の王子は五歳年上である。
彼は成人している事から既に国政に携わっており、将来有望な王子であると専らの噂である。
現時点でユリウスの政治手腕は解らないが、学術ではどう考えてもアーノルドに勝ち目はないであろう。更には軍事国家とも言われる国の皇子らしく、武術に秀でていると風の噂で聞こえて来る。
自国の王子が銅の王子と呼ばれるアスカルド王国では、どことなく両国よりも格下感を感じるからか引用されない呼び名であるが、口汚い貴族からは密かに揶揄されている。
ガーディニアはため息をついた。自分だけは味方でいなければ――
足りない所は自分がフォローしなければと思うが、すればするほど空回っている気がして仕方がない。
そんな時、マグノリアを思う。
彼女は自分の赴くまま進んでいるのだ。ズルいと思う反面、果たしてやれと言われたところで同じように自分に出来るのだろうかとも思う。
……本来この立場は彼女のものであった筈なのに。
侯爵令嬢として有りえない瑕疵を持ちながらも、そんなものは関係ないとばかりに自分の道を進み、結果と評価を出し、瑕疵なんて吹き飛ばす勢いの彼女を。
良い事ばかりでない筈なのに……彼女の立ち位置も心持も、何より能力を、酷く羨ましいと思ってしまう自分がいる事を、ガーディニアは認めざるを得なかった。
(……未だ成人もしていない女児でしかない自分が、立派な大人であるクロード様に生意気な態度をとってしまった……今更お詫びするのもおかしいだろう……どうしたらいいのだろうか)
一行と別れ、親類の屋敷に移動する馬車の中で、ガーディニアは再びため息をついた。
アーノルドの言う通り、確かにアゼンダは自由を象徴する場所なのであろう。
そう認める事は、なぜだかとっても苦いものであった。




