3-9 なんだかいやな予感がします
目的地付近に着くころ、あたりは薄暗くなり始めていた。
「そこを、左だな」
「えっ、狭……」
センターラインがなく、かろうじて対向車とすれ違えるほどしかない県道から、さらに狭い山間の道へと入る。
アスファルト舗装はされているが、ながらく整備されていないせいか、走り心地は悪い。
軽自動車同士でもすれ違うだけの余裕がない道に入り、しばらくすると、周辺に生えている木々によって日光が遮られ、あたりが暗くなったせいで、ヘッドライトが自動で点灯した。
「賢人くん、すまない。ライトは消してくれないか」
「あ、はい」
美子の指示に従ってライトを消す。
この狭い道に入ってからかなり速度を落としているので、急な飛び出しなどにも対応は可能だろう。
まぁ、このあたりに人が歩いているとは思えないが。
「賢人くん、速度を落としてくれ」
「ああ、はい」
アクセルから足を離し、速度を緩めた。
ふたりの乗る自動車は、薄暗く狭い山道を、ゆっくりと進んでいく。
(いやな、感じだ……)
この山道に入ったあたりから、賢人は妙な胸騒ぎを覚えていた。
時間帯といいあたりの景色といい、少々不気味さを感じる状況ではあるが、そういったことに対する恐怖ではない。
危険ななにかに近づいているような、そんな不安だった。
うまく言葉にできないが、これ以上は進まないほうがいいのではないか。
「あの、やめときませんか?」
「どうした、急に?」
助手席の窓から外を見ていた美子が、賢人の声に振り返った。
「いや、この先には、いかないほうがいいんじゃないかなって」
「ふふふ、賢人くんは怖がりなのかな?」
「そう言うんじゃないですけど……いえ、そういうことでもいいんで、引き返しませんか?」
「ふむう……」
賢人の言葉に美子は軽く俯き、顎に手を当てて考えるそぶりを見せる。
その間に賢人はゆっくりとブレーキを踏み、一度自動車を停めてギアをPに入れた。
ほどなく、美子が顔を上げる。
「君は意外と、勘が鋭いのかもしれないな」
「勘、ですか?」
「うむ。実際私たちはよくないところへ向かっているからな」
「だったら、やっぱりやめときません?」
「そうはいかない。仕事だからな」
「仕事って……どんな?」
「そうだな、君が資料係にきてくれるなら、教えてもかまわんが」
「それは、ちょっと……」
美子の仕事内容を知りたい賢人ではあったが、その好奇心を満たすために異世界生活を棒に振るつもりはない。
「残念。しかしそういうことなら、申し訳ないが仕事内容を教えるわけにはいかないな」
「そうですか……」
残念そうに目を伏せる賢人を見て、美子は苦笑する。
「まぁ、もとより君を危険にさらす気はないのだが、不安だというならここで待っていてくれたまえ」
「えっと……」
「目的地はもうすぐだ。歩いていくさ」
「それは……」
ちらりとカーナビを見ると、確かに目的地はすぐそこだった。
歩いて10分もかからないだろう。
だがその場所へ、美子ひとりを行かせるのは、よくない気がした。
「そういうことなら、最後まで付き合いますよ」
賢人はそう言うと、ギアをDに入れ、ブレーキペダルから足を離した。
停まっていた自動車が、ゆっくりと前進し始める。
「いいのかい? 無理はしなくてもいいのだけど」
「いえ、無理ってほどでは。なんとなく、いやな感じがしただけなんで」
「そうか、助かるよ」
ほどなく、カーナビが目的地周辺への到着と道案内の終了を告げた。
「悪いが、もう少し走らせてくれ」
彼女はそう言いながらスーツの内ポケットから細長いケースを取り出した。
中には、メガネが入っていた。
「美子さんって、目、悪いんですか?」
「いや、これは商売道具だよ」
そう言って彼女がかけたのは、あまりセンスがいいとは言えない無骨なデザインの、木製フレームのものだった。
ただ、多少デザインが悪くとも、美子のような知的な美女がかけると、それなりにさまになるものだ。
「へぇ、いいですね、メガネ」
あいかわらずいやな雰囲気は漂っていたが、賢人はそれを払拭するかのように、意図して明るい声で告げる。
「む、そうか?」
「ええ、似合ってますよ」
「ふむ、ありがとうと言っておこうか」
彼女はそう言ってメガネの位置を軽く調整すると、助手席側の窓のほうを向き、外を見始めた。
窓ガラスに薄く映った美子は、眉を寄せて目をこらしているようだった。
「もう少し、ゆっくり」
窓の外を見ながら、美子が指示を出す。
アクセルを完全に離した状態での走行から、さらに速度を落とすため、賢人はギアを低速に入れた。
エンジンブレーキがかかり、自動車は最徐行へと移行する。
(ん?)
空気が変わった。
そんな気がした。
あいかわらず重苦しいままのあたりの雰囲気が、というより、美子の放つ気配が変わったと言うべきか。
彼女は一切声を上げず、窓に映る表情にも変化はない。
だが、やはり彼女の放つ雰囲気が、少し鋭くなったように感じた。
次の瞬間。
「停めてくれ」
美子の指示を受け、賢人はゆっくりとブレーキを踏み、静かに停車させた。
あいかわらず顔を外に向けたままの美子の視線を、賢人は何気なしに追った。
(……っ!?)
生い茂る草木の合間に、人影を見た気がした。
「どうした?」
賢人の出した気配を感じたのか、美子は外に目を向けたままそう尋ねた。
「いや、なにか人影が見えたような気がして……」
「ほう」
窓に映る彼女が、軽く眉を上げた。
視線は外に固定したままだった。
「やはり勘がいいのかな、賢人くんは」
口元が、小さくほころぶ。
「なにかいるんですか?」
「さてね」
彼女はとぼけるようにそう言うと、助手席のドアを開けた。
「うしろを開けてくれ」
「ああ、はい」
自動車から降りながらそう言われた賢人は、バックドアのロックを外したあと、運転席のドアを開けた。
「いまから、なにをするんです?」
運転席から降りた賢人は、バックドアを持ち上げてかがみ込む美子に問いかける。
「さっきも言ったが、仕事だよ」
賢人の問いに短く答えながら、美子は車内から細長い棒状のものを取り出した。
「仕事、ですか……」
本当になんの仕事だろうと疑問に思う賢人をよそに、美子は細長い巾着の口をあけ、中身を取り出した。
「なんなんですか、それ……?」
「見ての通り、刀だよ」
彼女の言うとおり、それは刀だった。
ただ、その長さは異常である。
「五尺刀といってね。普通の刀に比べてちょっと長いかな」
「いや、ちょっとどころじゃないでしょう」
時代によっても多少変わるが、一般的に知られる日本刀、いわゆる打刀の刃渡りはおおよそ70センチメートル前後、柄を含む全長は1メートルほどである。
対して美子の持つ五尺刀は全長が2メートルほどで、刃渡りだけでも150センチメートルにも及ぶ。
打刀の、ほとんど倍である。
「なに、我々の仕事には、これくらいの得物が必要なのだよ」
「……その仕事って、俺が見ても大丈夫なんでしょうか? さっきは仕事内容を教えられないって言ってましたけど」
空になった刀袋をトランク部分に置き、バックドアを閉めながら、美子は賢人に目を向け、小さく苦笑した。
「かまわんよ。おそらく見たところでなにをやっているのかは理解できないだろうからね」
彼女はそう言うと賢人に背を向け、道の端に移動した。
舗装された道路のすぐ脇から雑草が伸び放題に伸び、それは道から離れるほどに鬱蒼と生い茂っていく。
そんな草木の生い茂る暗い林に、美子は険しい視線を送った。
スーツに無骨な木製メガネという格好で凜と立ち、左手に五尺刀を持つ彼女の姿に、賢人は思わず目を奪われる。
「ん?」
美子が視線を向ける先、賢人にとっては視界の端で、草木が揺れた様な気がした。
ふとそちらに目を向けた賢人は、動く人影を視界に捉えた。
加護のおかげか、以前より視力がよくなり、夜目も利くようになったらしい彼は、それをはっきりと認識できた。
「なっ!?」
そして、思わず声をあげる。
「あれは……」
子供のように低い背丈、それに似合わない筋肉質な身体に、醜悪な顔をした大きな頭、そして暗く薄汚れたような緑色の肌。
「ゴブリン……?」
それは賢人が異世界で何度となく目にした、ゴブリンそのものだった。
それが、数匹で群れを成していた。
「ちょっと待て、あれが見えるのか?」
美子が驚いた様子で尋ねてきた。
「えっと、美子さんも、見えてますよね?」
彼女の様子から、それくらいは察することができる。
「ああ。だが、これなしでは無理だ」
そう言って彼女は、メガネのフレームをトントンとつつく。
「そうなんですか?」
「うむ」
彼女は一度頷くと、ゴブリンのほうを向いてメガネをずらした。
「やはり、見えないな」
そう言って、メガネを戻す。
「なんで、見えるんでしょう?」
「さて、よほど勘が鋭いのか、あるいはなにか特別な能力でも持っているのか」
「特別な能力……」
そう言われて思い浮かんだのは、冒険者の加護だった。
少なくとも賢人はこれまで、いわゆる霊感の類を自身の内に自覚したことはない。
「しかし参ったな」
「参った、とは?」
「いや、こちらから見えるということは、向こうからも見えるということだからな」
「そうなんですか?」
「ああ。そして見えるということは、干渉もできるということだ」
「はぁ」
気の抜けたような返事をした賢人に、美子はがっくりと肩を落とす。
「なんとも、危機感のないことだ。得体の知れないものを目にしておきながらその落ち着きよう、賢人くんはかなり肝が据わっているのかな」
「いや、どうでしょう」
「向こうから干渉できるということは、場合によっては襲われることを示唆しているのだがね」
「あはは……」
呆れる美子に、賢人は愛想笑いを返した。
たしかにこちらの世界でゴブリンを見たことに驚きはある。
しかし所詮ゴブリンはゴブリンだ。
あちらの世界で楽に倒してきた相手なので、恐れを抱く対象とはなり得なかった。
あるいはこうして落ち着いていられるのも、加護の影響かもしれない。
(あれが、原因だったのかな)
先ほどから感じていたいやな雰囲気の正体は、あのゴブリンの群れが原因なのだろうか。
こちらの世界にはいないはずの魔物の存在を、冒険者の加護が感じ取っていたのかもしれない。
(だとしたら、ちょっとビビりすぎたかもな)
賢人は今回、加護板をアイテムボックスに入れたまま帰郷しているので、こちらの世界に身を置きながらも加護の存在を自覚していた。
であれば、ゴブリン程度なら素手でも相手にできるだろう。
恐れることは、なにもなかった。
「まったく、さっきまでの警戒心はどこにいったのかね? むしろあんなものを見たらより警戒を高めるべきだとおもうのだが?」
「いや、ほら、ゴブリンってザコじゃないですか。だから、実際に目にして、そんなビビらなくてもいいかなって」
「ゴブリン? まぁ、地域によってはそう呼ばれることもあるようだが」
「あれにゴブリン以外の名前が?」
「我々は緑人鬼と呼んでいるがね」
「緑人鬼、ですか」
緑色の肌をした、人型の鬼、といったところか。
安易ではあるが、元来ネーミングとはそういうものである。
「まぁ、君の言うとおりそれほど恐れるような相手ではないが、危険がないわけじゃない。とくに君はあれが見えているようだから、あれに襲われればケガをすることもあるだろう。言うまでもないが、ここはゲームの世界じゃない。現実の世界なんだよ? 奇妙なものを見て現実感をなくしているのかもしれないが、できればもう少し警戒してほしいものだね」
「あはは、すみません」
一気にまくし立てられた賢人は、内心を隠すように愛想笑いを浮かべた。
まさか、異世界で散々倒してきた相手なので恐れるに値しない、などとは言えない。
「まあいい、なにか起こる前に終わらせよう」
あいかわらず警戒心のない賢人に小さくため息をついた美子は、ふたたびゴブリンのいるほうに目を向けた。
「ちょっと、いってくる」
彼女はそう言うと、腰にフックを引っかけた。
いままで気づかなかったが、彼女のベルトには専用の金具がつけられており、フックの先から延びる紐が、刀の鞘に繋がっている。
「あれと戦うんですか?」
そう問いかける賢人を一瞥すると、彼女は鞘越しに鍔元を持つ左手を胸のあたりまで上げ、鯉口を切った。
「そうだ。それが私の仕事だからな」
そして彼女はそう言うと、左手で投げ放つように鞘を引き下げながら、スラリと刀を抜いた。
日没に近い時間の山間部で、淡い陽光の残滓を浴びた刀身が、怪しく光ったように見えた。
「万が一があってはいけない。賢人くんは車の陰に隠れていなさい」
「ああ、はい」
林の中へ悠然と進んでいく美子の背中を見送った賢人は、念のため車から防災バッグを取り出して足下に置く。
そして短筒を手に取り、腰に差した。




