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3-2 この人は何を考えているのでしょう?

 気がつくとすっかり暗くなっていた。

 ほんの数分横になるつもりが、数時間ものあいだ眠ってしまったようだ。


「まずっ……!」


 美子を待たせていることを思い出した賢人は、飛び起き、居間へ向かう。

 もしかしたらもうホテルかどこかに行ってしまっているかもしれない。

 そう思いつつ廊下を歩くと、居間のドアからは灯りとテレビの音声らしい音が漏れていた。


 賢人は申し訳ないと思いつつもほっとし、ドアを開ける。


「天川さん、すみません! ついうとうとと……」


 そこまで言って、賢人は固まってしまった。


「なに、気にするな」


 テレビを見ていた美子は賢人に目を向け、なんでもないようにそう告げた。


「あ、いや……」


 そんな彼女の姿を目にしたまま、賢人は身動きが取れなくなっていた。

 美子は祖母が愛用しているソファに身を預け、ずいぶんリラックスした姿勢でテレビを見ていた。

 それはいい。


「ん、どうかしたか?」


 彼女はキャミソールにショーツのみという格好だった。

 美子がそれ以外に何も身に着けていないことは、一見してわかった。


「ふふ、まぁ元気になったようで何よりだ」


 固まったままの賢人に対し、彼女は意味ありげな笑みを浮かべて言った。

 その視線は、彼の股間を捉えていた。


「ちょ……! いや、これは、ちが……その、寝起きの、生理現象というか……」


 賢人は慌てて前屈みになり、身体の向きを変えた。

 それを見て、美子は軽く眉をひそめる。


「むぅ……そう言われると、少し傷つくな」


 そうして彼女は、自身の身体に視線を落とした。


「あ、いや、その、ですね、天川さんは、その、充分に魅力的、というか――」

「美子」

「――はい?」


 賢人の言い訳を遮る様に、美子が口を挟む。


「美子と、下の名前で呼んではくれないかな、賢人くん」

「え?」


 そこでようやく、賢人は美子が自分を下の名で呼んでいることに気づく。

 以前は石岡くんと姓で読んでいたはずだが、思い返せば今日出会ったときから、彼女は彼を賢人くんと呼んでいた。


「いや、なんで急に?」

「だって、石岡くんだと、(かる)()さんと区別がつかないだろう?」


 軽穂とは、姉の名である。


「あー、それもそう――って、待って、ねえちゃんは名字変わってるし!」

「ちっ……」


 なぜかそこで、美子は舌打ちをして目を逸らした。

 だがすぐに、賢人に強い視線を送る。


「とにかくだ、君はこれから私のことを、美子と呼ぶように。いいね、賢人くん?」


 有無を言わせぬ真剣な口調と表情に観念したのか、賢人は小さくため息をついた。


「はぁ……わかりましたよ、美子さん」

「うむ、よろしい」


 そう言ってにっこりと笑う美子の姿に、賢人の胸が小さく高鳴る。


「って、それはそれとして、アンタなんちゅうカッコしてんですか!?」


 そんな小さな胸の高鳴りをごまかすように、賢人は声を上げた。


「軽穂さんが言っていたではないか、自分の家のようにくつろいでくれ、と」

「にしたって限度ってもんがあるでしょうよ!」

「悪いが私はあまり遠慮をしないタチなのでね」

「堂々ということじゃないでしょうが……」


 どこまでいっても悪びれる様子のない美子に、賢人はがっくりとうなだれた。


「まぁ、立ち話もなんだ。君も座りたまえよ」


 美子はそう言うと、ソファの端に寄り、空いた部分をポンポンと叩いた。

 もとは祖母がひとりで過ごす部屋であり、ソファも大きなものではない。

 大人ふたりが並んで座るには窮屈なサイズだが、逆らったところで無駄だろうと観念したのか、賢人は彼女の隣に座った。


「はぁ……」


 盛大にため息をつく。

 密着するように並んで座る彼女から、ほんのりと石けんの香りがした。

 いつもは束ねているライトブラウンの髪が、少し湿っているようだった。


「ああ、悪いがシャワーを借りたよ」

「あ、はい、それくらいは……」


 そこまで言って、はたと気づく。


「ちょっと待って、もしかしてウチに泊まる気ですか!?」

「もちろんそのつもりだが? 軽穂さんにも許可は取っているし」

「いや、そう言う問題じゃないでしょうよ……」


 今日、美子が石岡家を訪ねたことは、きっと近所の誰かが見ているだろう。

 その彼女が、朝になって家を出れば、いったいどんな噂をされるかわかったものではない。

 自分のほうは別に構わないが、さすがにそれは美子に申し訳ないと思うのだ。


「あのなぁ、なにを気にしているのか知らんが、一応私は警察関係者だぞ?」


 賢人の心中を察したのか、美子は少し呆れ気味にそう言った。

 なるほど、警察官なら、男女で組んで張り込むことなどもあるから、気にはしないと言いたいのだろう。

 ただ、美子が警察官だと知ったご近所さんから、これまた変な噂が出ないかという新たな心配事も生まれる。

 そんな賢人の心配をよそに、美子は言葉を続けた。


「いいか、警察というところはな、男女が密室に15分いたらとりあえずやったと言われるような世界だからな」

「はぁ!?」

「賢人くんとこの家でふたりきりになって数時間、客観的にみればやりまくったという状況になるな」

「ちょ……ええっ!?」


 思わぬ言葉にうろたえる賢人の肩に、美子は優しく手を置く。


「つまり、なにを心配しようともう遅い、というわけだ」

「いやほんと、なにしに来たんだよアンタ!!」


 賢人は思わず立ち上がり、叫んだ。

 そんな彼を見上げるかたちとなった美子は、特に表情を崩すことなく、まっすぐな視線を向けている。


「警察関係者が市民のもとを訪れているのだ、事情聴取にきまっているだろう?」


 彼女の冷静な視線と淡々とした口調を受け、賢人はすぐに心を落ち着けた。


「それは、そうなんでしょうけど……」


 だからといって、遠慮なしに人の家に上がり込んだあげく、こうも無防備な姿をさらす必要があるのだろうか。


「俺、これでも男なんですけど?」


 賢人の言葉に一瞬目を見開いた美子は、ふっと微笑む。


「私は、これでも警察関係者なのだがな?」


 そうして微笑みが挑発的なものに変わった。

 やれるものならやってみろ、とでも言わんばかりに。


 なるほど、並の男性なら警察官としてそれなりに訓練を積んでいる彼女の相手にはならないのかもしれない。

 ただ、賢人はこちらに帰ってきてからも、自身の身体に何の変化もないことを自覚していた。


(加護の力が、あるんだよなぁ……)


 レベルアップによって得た能力補正値は、見た目以上の力を賢人に与えているはずだ。

 おそらくいまの彼には、重量級格闘家並の身体能力があるに違いない。

 そうなれば、たとえ美子に武術の心得があろうと、力ずくで組み伏せられるだろう。


「はぁ……まあ、いいです。そろそろ本題に入りましょう」

「……ふむ、そうか」


 少し残念そうに呟いた美子は、あらためてソファに腰掛けようとした賢人と入れ違うように立ち上がり、部屋の片隅に置いたバッグの元へ歩いた。

 そうしてひとつの封筒を取り出し、ふたたび賢人の隣に座る。


「まずは、これを見てくれたまえ」


 美子は封筒から1冊のファイルを取り出し、賢人に手渡した。


 

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