17-4 : 名乗りを上げるは
――現在。正午。
――“宵の国”、西方、“大断壁”、“星海の物見台”――旧“螺旋の塔”。
高さ300メートル超、南北数百キロメートルに渡って延びる大絶壁、天然の城壁“大断壁”。かつてそこには、絶壁の内部をくり抜いて築かれた堅牢な要塞があり、数万の魔族兵が駐屯し、西方の護りを担っていた。
だがそれも、今や過去の記録にすぎない。放棄され、打ち捨てられ、朽ち果て、崩れ落ちた要塞跡を護る者は、今はもう、誰もいない。
かつて、数万の魔族兵によって護られていた“宵の国”西方地域――今、そこを護るのは、西の四大主“三つ瞳の魔女ローマリア”ただ1人のみだった。
人間領“明けの国騎士団”が西方へ敷いた布陣は、魔法使い500人、騎士6000人――その兵力差、1対6500。
東方戦役に於いて、東の四大主“魔剣のゴーダ”の前に、明けの国騎士団の大軍勢は終にその国境を越えることが叶わなかったが、この西方地域では、その状況は異なっていた。
明けの国の軍勢は、いとも容易く宵の国西方国境線を越え、何者にも阻まれぬまま、“星海の物見台”まで残り数百メートルという位置にまで接近していた。
“星海の物見台”を前にして、明けの国の騎士と魔法使いの混成部隊は、陣形を展開し、“塔”の動向を窺っている。
天然の城壁“大断壁”を越え、宵の国の中心へ向かうには、そこにめり込むように立てられた巨塔“星海の物見台”の攻略が絶対条件であった。
「“塔”に動きは?」
部隊の総指揮を執る騎士が、隣で水晶球を覗き込んでいる1人の魔法使いに尋ねた。
「ここから悟られずに“視える”範囲では、動きはありませぬ」
魔法使いが覗き込んでいる水晶球には、“星海の物見台”の周辺の風景が随時切り替わりながら映し出されている。
人間の目線の高さから“塔”の入り口を正面から見た光景。空を行く鳥の視線から“塔”を上から見下ろした光景。地を這う蛇の視線から“塔”の周囲をぐるりと見て回る光景――それらの風景が、魔法使いの手の動きに合わせて水晶球の中に現れては消え、消えては現れることを繰り返していた。
「我らの隠匿の術式が上手く働いております。“塔”にここまで接近しておきながら、魔女の敷く索敵の術式の波動に何も変化がないことが、何よりの証左」
水晶球を覗き込む魔法使いが、自信ありげに言った。
「明けの国が誇る、精鋭の魔法使い500名。たとえ1人では及ばぬとも、互いの魔力を連結させ効率的に運用すれば、魔女相手にも遅れはとりませぬ」
魔法使いが、右手の人差し指に嵌めた指輪を指揮官に見せる。
「“魔力連結の指輪”。指輪を嵌めた者同士の魔力を同期させ、ひとつに束ねる魔導器。今の我らは500名で1人の魔法使いを形成する、いわば巨人の血管のようなもの……いかな魔女とて、この“巨人”相手には適いますまい」
「……私は魔法には疎い。自信があるというのならば結構。魔法使いたちの運用はそちらに任せる。だが、くれぐれも油断はしないことだ」
魔法使いの力説を聞き流しながら、指揮官が手短に言った――ここは戦場だ、御高説など不要。要は魔法使いたちには勝算があるということだ。その情報だけが分かっていればよい。
騎士たちと魔法使いたちがじっと見やる中、“星海の物見台”は依然として沈黙を続けていた。
不気味なほど動きを見せない“塔”を前に、指揮官がもう1度、魔法使いに顔を向けた。
「……もう1度訊くが、魔女に感知されていないのは確かなのだな?」
水晶球を覗き込みながら、魔法使いが目線だけを指揮官へと向け、ゆっくりと頷いて見せた。
「無論にございます。魔女は、我らを感知してはおりませぬ、断じて。明けの国が誇る魔法院の名誉に賭けて、それは絶対にございます」
魔法使いの確信に満ちた目と言葉を再確認して、指揮官は作戦の決行を決意した。
「よろしい……どのみち、このままじっとしていても埒が明かん。寧ろこうしていることこそ、魔女に時間を与える行為だ。ならば我らの取る戦術はひとつ……」
指揮官が、背後に整列する騎士たちに聞こえるように言葉を続ける。
「電撃作戦だ。騎士たちを前衛に“塔”内部へ強襲をかける。それと併せて、後衛の魔法使いたちの総力で以て、魔女を無力化、制圧する。最大の敵は“時間”だ……魔女に魔法を使う間を与えるな。一気に畳みかける」
陣を成す騎士たちは、ただ黙って指揮官の言葉を聞いていた。6000人の騎士の集団を数百人単位でまとめている上級騎士たちが最前列に並んでおり、彼らは次に指揮官が何を言うか、既に分かっていた。そしてその発言に対して、自分が、自分の率いる隊が、どう行動すべきか――上級騎士たちは無言のまま、それについて考えを巡らせ始めていた。
指揮官自身にも、上級騎士たちが何を考えているのかは容易に想像できた。
暗黙の了解の内に、その場にいる全員がしばしの間沈黙し、思慮の時間を設けた後に、指揮官が上級騎士たちに向かって言った。
「……。……先陣に名乗りを上げる隊は、前に出よ」
ある隊を率いる上級騎士は、そのまま沈黙することを選んだ。
またある上級騎士は、自らの意志で首を横に振った。
そうする騎士たちを咎める者は、誰一人としていなかった。勝算も、自信も、覚悟もない者が先陣を切り、結果として隊全体を危機に陥れるようなことがあっては、それこそ取り返しのつかないことになると、すべての騎士と魔法使いたちは理解していた。
――ガシャリ。
そして、そのことを理解した上で、自らの意志で1歩前に踏み出し、先陣に名乗りを上げる上級騎士たちがいた。
「俺の隊を出そう」
1人は、顔面に大きな古傷を負った、隻眼の騎士だった。
「こういうことに備えて、俺のとこは厳しく鍛えてるからな。それにここで名乗りを上げないようじゃあ、血の気の多いウチの連中に俺がどやされる」
隻眼の騎士が、ニッと豪快に歯を覗かせて笑い顔を作った。
「お前の隊ならそうすると思っていた……よろしく頼む」
指揮官が、真顔のままではあったが信頼感の滲んだ声音で隻眼の騎士に言った。
「おう、任された、指揮官殿」
隻眼の騎士が、それに応えて自分の胸に拳を当てて見せた。
2人目は、無言を貫いたままの、“特務騎馬隊”所属の紅の騎士だった。隊を率いる長たる騎士も、その指揮下である騎士も、皆が終始無言で、その深紅の甲冑だけが悪目立ちしていた。
指揮官が、隻眼の騎士に向けていたときとは異なる、どこか余所余所しい目つきで、隊長級の紅の騎士を見やった。
「……立候補、感謝する、“特務騎馬隊”の諸君」
「……」
隊長級の紅の騎士は、ただ無言のまま指揮官に向かって頷いて、隣に立つ隻眼の騎士に顔を向けた。
「……。……ま、おたくらとは今回初顔合わせってことになるが、その根性は認めるぜ。よろしく頼むわ」
隻眼の騎士が一瞬目の色を変えたが、すぐに声音を元の調子に戻して、紅の騎士に右手を差し出した。
「……」
紅の騎士も、無言のまま右手を出して、深く頷きながらその手を握った。
そして、指揮官が、先陣に名乗りを上げた最後の上級騎士に顔を向ける。
「このところの活躍は聞いている。その腕前もだ。頼りにさせてもらうぞ――」
「……はい」
3人目の上級騎士が、静かな声で頷いた。
「――ロラン」




