16-11 : 誘導作戦
――同刻。“暴蝕の森”外周部。“誘導作戦部隊”展開地。
「! 隊長! “合図”、来ました!」
仮設の見張り台の上から、“踏査部隊”と“森”の動向を監視していた兵士が声を張り上げた。
「ニールヴェルト総隊長の鳴き矢か。“道具を持った獣”どもの鎮圧に成功したようだな」
“誘導作戦部隊”の指揮を執る上級騎士が、仮設見張り台の下に駆けつけ、状況を確認する。
「敷設状況は?」
上級騎士が、傍に立つ工作兵長に尋ねた。
「全作業、完了しております。魔法使いたちにも先ほど招集をかけました」
工作兵長が、自身ありげに頷いて見せた。
「よろしい」
――。
3500人の、騎士と魔法使いからなる“誘導作戦部隊”が整列する前で、上級騎士が号令をかける。
「3日間の昼夜突貫作業、御苦労だった。この中には先日壊滅した南部の町を故郷とする者もいることと思う。さぞ無念だろう……今こそその無念を晴らすときだ。今日この日を以て、“暴蝕の森”の魔物の脅威を駆逐するのだ……!」
そして、上級騎士が手を前に掲げ、全隊に告げた。
「これより“誘導作戦”を実行に移す。総員、状況開始!」
***
「点火装置、異常なし」
「導火線最終敷設、完了」
「大規模魔方陣、術式回路、動作確認。起動準備、入ります」
「転送班、所定位置へ移動完了。術式巻物、展開済み」
状況を開始した各班から、工作兵長の下へと準備完了の連絡が続々と入ってくる。
作戦内容の書かれた書類に目を通しながら、工作兵長が深く頷いた。
「……隊長。全班、起動準備完了いたしました……いつでもいけます」
工作兵長の報告を受けて、上級騎士が大きく深呼吸をした。
「……転送、開始」
上級騎士が、作戦第1段階の実行を指示した。
「了解、転送開始」
ピュイィィィーっ。
指揮所から、第1の鳴き矢が放たれた。
「転送班、術式巻物起動! 非売品、在庫なし、1回こっきりの“転位のスクロール”だ。タイミング間違えるなよ!」
半径50メートルほどの円形に展開した30人ほどの転送班の騎士たちが、呼吸を合わせて、“転位のスクロール”を一斉に起動させた。
巻物に書き連ねられた術式文字が淡く光り出し、文字列が消失していき、スクロールが白紙となる。
“明けの国”ではとうの昔にその技術が失われ、今では誰1人として使い手のいない転位魔法が多重発動し、円陣の中央部に、巨大な質量を転位させていく。
「……あれが……」
ミイラ化した脚部。白骨化した頭部。大山脈の雪の下で劣化の止まった内蔵の一部。乾いてボロボロになった体表……。
「……かつてこの“森”を統べていたという、“遺骸”、か……」
とうに朽ち果て、凍てついた土の下で辛うじて肉の一部を残し、自重で潰れ原形を失った巨大な“遺骸”が、“転位のスクロール”によって、故郷たる“暴蝕の森”の入り口に、数百年振りに帰還する――。
***
――同刻。“暴蝕の森”深部。“踏査部隊”残存隊。
紅の騎士たちの溶けた肉の山からアランゲイルを救出した銀の騎士たちは、“森”の内部に立ちこめる空気が一変したことを肌で感じ取っていた。
つい先刻、“森”の更なる深部に向かって1人歩き去っていったニールヴェルトが放ったと思しき鳴き笛の音が、その異変の引き金になっていることは明らかだった。
ザワ、ザワ、ザワ……。
特に魔物が姿を現したというわけではない。“森の民”たちが再び襲ってきたというわけでもない。
ザワ、ザワ、ザワ……。
しかし、そこには目には見えない異変が、確かに起こっていた。
遠くで、草木の揺れる音がしたように思えた。木々の陰に隠れて、何ものかが移動している気配があった。
“森”を冒す人間たちには目もくれず、“支天の大樹”が落とす暗い陰そのものが、“森”の外に現れた何かを求めて一斉に手を伸ばし出した――そんな感覚を、銀の騎士たちは感じていた。
「……お前たち……何をやっている……」
人間と鉄の溶解したものを全身に浴びたアランゲイルが、不気味な光を目に宿して、“森”を覆う異変の前に棒立ちになっている銀の騎士たちに向かって言った。
「アランゲイル様……?」
「……こんなところで、何を案山子のように立ち尽くしている、と言っているのだ……」
顔と甲冑から溶けた肉汁を拭い取ったアランゲイルが、ゆっくりと立ち上がり、“森”の深部に向かって歩き始めた。
「ア、アランゲイル様……! どちらへ」
背中を呼び止める銀の騎士たちに向かって、アランゲイルが振り返る。
「……“何処へ”、だと? 知れたことだ……私は“淵王”の首を取るために、その通過点として、ここまで来たのだ……“森”を抜ける以外に、向かう場所が何処にある……」
“森”に満ちる無音のざわめきは、刻一刻と大きくなっていくばかりだった。
***
――同刻。“暴蝕の森”深奥部。“森の民の集落”。
“森の民”たちの集落は、無人となっていた。野営陣地でニールヴェルトが惨殺したものたちがすべてだったのか、それともたまたまどこか別の場所へ姿を隠しているだけなのか、判然とはしなかった。
集落の中を歩くのは、全身に太矢を受けてフラフラとした足取りで歩き続けるカースと、その後を追うニールヴェルトの2つの影だけだった。
ニールヴェルトは今、カースの後方10メートルほどの位置を、カースの歩調に合わせて歩いていた。
ニールヴェルトは太矢を打ち切ってから、満身創痍のカースが最早“南の四大主”としてまともな振る舞いを取らなくなっていることに気づいていた。次にニールヴェルトは、ゆっくりと歩き続けるカースにとどめを刺すつもりで距離を縮めたが、追撃のその過程で、狂騎士は別のことに興味を抱くようになっていた。
――カースは、そんな足取りで、一体何処へ向かっているのだろうか。
カースの後方10メートルにまで迫ったところで、ニールヴェルトはカースを仕留めることを止めることにした。ただの気まぐれというのもあったが、その最も大きな理由は、狂騎士の中に芽生えた“好奇心”によるものだった。
ふらり……ふらり……。
「何処に連れてってくれるんだぁ? カースよぉ……」
ふらり……ふらり……。
ニールヴェルトが後ろから幾ら語りかけても、カースは全く反応を示さず、ただただ歩き続けるばかりだった。
ふらり……ふらり……。
「俺に、何を見せてくれるんだぁ……?」
ふらり……ふらり……。……ぴたり。
ひたすら一定の歩調で歩き続けていたカースの足が、止まった。
“森の民”の無人の集落を抜けた先、“支天の大樹”の根本にまでやってきたカースとニールヴェルトの前に、大樹に空いた深い深い虚があった。
「ひゅー……おっかねぇ穴だなぁ、こりゃ。どこまで続いてんのかも分からねぇぜぇ」
ニールヴェルトが驚嘆の声を上げたが、当然、カースは全く反応しない。
背後に立つニールヴェルトを完全に無視して、カースが虚を前に、腕を左右に広げた。
「……仕えぬ、シさマ……」
呂律の回っていない声で、カースが呟いた。
「……供物、ヲ、捧げ、マす……」
……。
……。
……。
「……クロロロロロォ……」
“支天の大樹の虚”の底で、何かが鳴き、“それ”が、姿を現した――。




