16-10 : カースの宿仔
§【――カースと接触した我々調査隊は、“彼ら”の集落へ連行され、数日間拘束された。我々は自由を奪われながらも、“彼ら”の生態について可能な限りの観察を行った。“彼ら”には、“森”に生息する他の魔物たちとは異なる点が多く見受けられた。“彼ら”は、この“暴蝕の森”の中で唯一意志の疎通が可能な“カース”という個体の存在を筆頭にして、ある程度の組織立った生活を営んでいるようだった――】
§【――群れで狩猟を行い、雨風をよける家屋のようなものを作り、道具を使う……そして“彼ら”には、どうやら宗教的行動、“掟”のようなものがあるようだった。“彼ら”は生贄という慣習を持っていたのだ。数日に1度、“彼ら”はカースの指示の下、群れの中から1体を選び出し、その個体を狩り、何かに捧げていた。その“何か”は“彼ら”の集落の間近にある、“支天の大樹”の幹に空いた巨大な虚の中に生息しているようだった――】
「……ハアー……ァ……ハアー……ァ……」
背中の傷と口から紫色の血をボタボタと滴らせながら、カースがふらついた足取りで“森”の中を進んでいる。血を流しすぎたのか、カースは時折立ち止まり、“支天の大樹”に肩を預けてその場で呼吸を整えながら歩を運んでいた。
「……ハアー……ァ……ごぶっ……! ……ハアー……ァ……“何だ、これは……?”」
カースが戸惑いを含んだ声で、自分の腹に手を伸ばした。
カースの手が、自分の腹部から突き出て蠢く6本の長い節足に触れる。節足は昆虫の脚のような堅い外骨格を持っていて、それぞれがバラバラの動作で、ワラワラと動き回っていた。
「キイィィィャァァァァ」
カースの手が節足に触れた途端、南の四大主の腹の中から虫の奇声のようなものが聞こえて、節足がビチビチと激しく動き回り、伸ばした手を弾き上げた。
節足が暴れ回った拍子に、その長い脚によって空けられた腹部の傷がグチグチと掻き回され、内蔵が傷つけられた。
「ぐっ……ガボッ……! どういう、ことだ……私の、身体、は…… 一体、どうなって、いる……?」
キイィィィーン、と、カースの頭の中で激しい耳鳴りが響き渡った。不快な耳鳴りに脳が揺さぶられる感覚があり、堪らずカースは頭を抱えて“支天の大樹”に背中からもたれかかった。
「くっ……! あ、頭が、割れる……! ガハッ……うっ……!」
腹の中で暴れ回る節足に体力を削がれ、激しい頭痛で身動きができなくなったカースは、とうとうその場に倒れ込み、のたうち回り始める。
「あ……がっ……あぁ……あぁァア、ア……!」
“支天の大樹”の根本に仰向けになったカースが、両手で頭を覆って激しい頭痛と耳鳴りに悶絶する。弓反った細い身体の腹部からは節足が伸び、ビチビチと暴れ回り続けていた。
「アぁあァァああアアアアアアぁぁァァっ!!!」
“暴蝕の森”の中に、カースの絶叫が木霊する。
「キイィィィャァァァァ」
それに共鳴するかのように、カースの腹の中から、虫の奇声が響いた。
――パタリ。
その絶叫と奇声が重なったのを最後に、頭痛に苛まれる頭に両手を被せたまま、カースの身体から力が抜けた。それと同時に、カースの腹から伸びた6本の節足も、しなしなと脱力していった。
……。
……。
……。
周囲が、沈黙で満たされる。
……。
……。
……。
「……ツ、かえヌシ、さ、マ……」
絶命したかに見えたカースが、口を開いた。
「……つカエぬ、しサま……」
酷くカタコトな発声で、カースが“仕え主”と呼ぶものの名を呟き続ける。
「……いマ、供物、ヲ、捧げ、マす……仕えぬシ、サま……」
頭に被せられたままの両手の指の間から覗き見えるカースの目は、暗く濁りきっていて、左右の瞳はそれぞれ別々の方向にぎょろりと向いていた。
***
「……見ぃつけたぁ……」
カースの血痕を追いかけて、“暴蝕の森”の深部を歩いていたニールヴェルトが、ニヤリと嗤いを浮かべながら呟いた。
“支天の大樹”が朝陽を遮る常闇の彼方に、緑色の長い髪を下げた後ろ姿が確かに見えた。
「つれねぇなぁ、カースよぉ……1回ヤり始めたらぁ、最後までつきあってくれなきゃなぁ……」
ギリリ、と、ニールヴェルトが大弓を引き絞った。太矢の狙いをカースの後ろ姿にピタリと合わせて、手元のわずかな振動が最小となる呼吸のタイミングで、ふわりと矢から手を離す。
ビュオン!と空気を裂く音がして、太矢が真っ直ぐに木々の隙間を通り抜けて――カースの背中に、ドスリと命中した。
太矢が刺さった衝撃で、カースの身体がグラリと揺れたのが、ニールヴェルトの立っている位置からも確認できた。
「ははっ、大当たりぃ」
バランスを崩してその場に立ち止まったカースを遠目に見て、ニールヴェルトがニヤリと嗤った。
しかしカースは、大弓に射られた衝撃から立ち直ると、後ろを振り返ることもせず、背中に刺さった太矢の存在も意に介さず、ふらりふらりと“森”の奥へ向かって再び歩き始めた。
「……あ?」
カースのその不自然な振る舞いを遙か後方から見ていたニールヴェルトが、不思議そうに首を捻った。
「おいおいぃ、無視はねぇだろぉがよぉ……なら、もう1発……」
再び大弓を引き絞り、ニールヴェルトが2射目の狙撃を放った。
ビュオン! ドスリ。
2射目の太矢も、カースの背中に見事に命中した。カースの身体が再びぐらりと揺れ、ピタリと立ち止まる。
2度の狙撃を連続して決めたニールヴェルトが、愉しげに口笛を鳴らした。
ふらり、ふらり。しかしカースは、またもや背中を射抜かれたことを無視するかのように、まったくの無関心のまま前に歩き出す。
「……あぁ?!」
それを見て、ニールヴェルトが苛立ちの声を上げた。
「待てっつってんのが分かんねぇのかぁ? 大弓で射られてんだぞぉ? 不感症にも程があんだろぉがぁ」
苛ついたニールヴェルトが、こめかみに青筋を浮かべながら、大弓の3射目を構えた。
ビュオン!――ドスリ。
……ビュオン!――ドスリ。
……。……ビュオン!――ドスリ。
……。……。……ビュオン!――ドスリ。
「……チッ」
腰に吊した弓筒の中身が残り1本になったのを確かめて、ニールヴェルトが舌打ちをした。
背中に4本。脚に2本。計6本の太矢で射抜かれながら、しかしカースは全く背後に関心を示さなかった。背中に打ち込まれた太矢の重みで身体を傾け、射られた脚を引きずりながら、カースは最初と同じゆっくりとした足取りのまま、“森”の奥へ奥へと進んでいく。
「……気味悪ぃな、くそがぁ……」
ニールヴェルトが不満そうに頭を掻き毟り、はぁっと大きく溜め息をついた。
「そぉろそろ、頃合いだなぁ……カースよぉ、お前がそんな調子じゃあ、“道具を持った獣”どもは壊滅だなぁ。邪魔がいなくなったならぁ、“作戦”、進めるとするかねぇ」
ニールヴェルトが、弓筒に納めた最後の太矢を大弓に添える。その先端には、穴と切れ込みの入った小さな木の筒が括り付けられていた。
ギリリ、とニールヴェルトが大弓を引き絞り、頭の真上、“支天の大樹”の枝葉の隙間に、狙いを定める。
「しっかり聞いてろよぉ、こっからはお前らの仕事だぁ。おぉらよぉ」
ビュオン!と風を裂く音を立てて、太矢が飛ぶ。それは“支天の大樹”の無秩序に伸びた枝葉の隙間をかわし飛んで、“暴蝕の森”を突き抜けて――。
ピュイィィィーっ。
ニールヴェルトの放った鳴き矢が、甲高い笛の音を響かせながら、朝焼けに染まる空の彼方へ消えていった。




