15-5 : 殲滅剣技“六式”
――“イヅの城塞”、見張りの尖塔。
“イヅの騎兵隊”に蹂躙された、8000の明けの国の騎士たちの骸が横たわる“イヅの大平原”を見下ろしているゴーダの耳にも、巨大な地鳴りが空気を震わす振動が伝わってきた。
――ピシッ。
ゴーダが手元を見下ろして、小さく失望したような溜め息を漏らす。
――ピシッ。
「……シェルミア……お前に何があったのかは知らんが……間に合わなかったか……」
――ピシッ。
「最早、これまで……もう、待ってはやれん……」
――ビキリッ。
ゴーダが、手に持つ“それ”を見張りの尖塔の石壁の上に置き、左手に兜を抱き、右手に銘刀“蒼鬼”を握って、踵を返し、階下へ向かう階段に向かって歩き始める。
「……恨むなよ」
――バキンッ。
ゴーダの立ち去った見張りの尖塔の石壁の上で、真っ白な靄に満ち満ちていた魔力見の水晶球が、真っ二つに割れた。水晶球は色を失い、ただのガラス球に成り果てる。
ガラス球は、その球面の果てに、“明けの国”へと続く丘を駆け下りる数万規模の明けの国騎士団の影を逆さまに映し出していた。
***
「――少なく見ても、4万人は下りません……」
“イヅの大平原”が途切れる地の果てから、ドドドド、という濁流に似た重低音が聞こえる。
「……」
ベルクトが、無言のまま重い息を吐き出した。
「ベルクト様、いかがなさいます。あれだけの規模、我らの“陣”では抑え切れぬかと」
鷹の目の黒騎士が、感情のない声音で、ただ事実を告げた。
「どうするか、と? 知れたこと……」
ゆっくりと前に歩み出たベルクトが、104人の“イヅの騎兵隊”の先頭に立ち、刀を引き抜いた。
「これは“淵王”陛下の御勅命、“国守り”と言ったはず……ならば迎え撃つ以外に、選択肢など皆無……」
ベルクトの兜の奥で燃え上がる紫炎が、これまでで最も強く燃え上がった。
ベルクトの後ろ姿に覚悟を認めた“騎兵”たちが、各々に刀を手にする。
消耗していない、といえば、それは明らかに偽りであった。いかに屈強な魔族といえど、全力で以て8000の人間兵を斬り伏せた直後に4万人の軍勢に真っ向勝負を挑む行為は、“無謀”という言葉に尽きた。
しかし、どれほどの“無謀”を前にしても、“イヅの騎兵隊”に“後退”の2文字はない……それが、魔族領“宵の国”、東の要の護り手としての“覚悟”だった。
「……全騎……後ろに下がって散るは恥と心得よ………」
“イヅの大平原”の地を踏み込み、ベルクトが“疾走”の構えを取る――。
「――“魔剣三式:神道開き”」
“イヅの騎兵隊”が突貫をかけようとしたまさにそのとき、何もない空間がグニャリと歪み、その亀裂の向こう側に、遥か後方にあるはずの“イヅの城塞”の正門が姿を現した。
空間の歪みの中に突如現れた正門を潜り、深海に続く水面のような深い蒼を宿した刀を手にした人影が、姿を現す。
「“イヅの騎兵隊”よ……よくやってくれた……」
抜き身の“蒼鬼”をザンッと地面に突き立てて、東の四大主、暗黒騎士“魔剣のゴーダ”がそこに立っていた。
「ゴーダ様……」
「もう十分だ、ベルクト……」
ゴーダが、目の前に整列した105人の“イヅの騎兵”たち1人1人の顔に目をやりながら、言葉を続ける。
「この場は、私が預かる……お前たちは、“そこ”を通って城塞に引き揚げろ……」
ゴーダが皆を促すように振り返った背後には、ゴーダの“三式”によって切り開かれた空間の歪みが口を開けたままになっている。
「ゴーダ様……! ゴーダ様を、おひとりで敵陣に向かわせることなど……!」
ベルクトが、食い下がるようにゴーダに1歩近づいたが、ゴーダは首を横に振り、その申し出を却下した。
「以前のように、“明星”が現れるかもしれないと、淡い期待を持っていたが……そうもうまくは行かんらしい……。これ以上、お前たちを私の我が儘に付き合わせるわけにはいかん。お前たちは、賞賛に余りある働きをしてくれた。心から、感謝する……」
「何を仰るのですか、ゴーダ様――」
貴方を置いて引けるはずがないと、ベルクトがゴーダに更に1歩近づいた瞬間――。
――ザワッ。
ゴーダの闘気に触れたベルクトの背筋に、冷たい痺れが走った。
「……ここからは……“四大主”の役目だ……。“魔剣のゴーダ”の名において命ずる……引け、ベルクト、“イヅの騎兵隊”……」
“東の四大主”のその言葉の前に、“イヅの騎兵隊”は、ただ無言で跪くのみだった。
「……。承知いたしました、ゴーダ様……我らが主よ……」
静かに跪くベルクトたちの背後では、巨大なうねりとなった明けの国の4万の軍勢が、宵の国との国境線に向けて刻一刻と近づいてきていた。
***
ゴーダの“三式”によって開かれた空間の歪みを越えた先、“イヅの城塞”の正門にまで後退した“イヅの騎兵隊”が、主の背中を見やっている。
国境線になだれこんでくる4万の銀の騎士たちのうねりを彼方に見据えて、地に“蒼鬼”を突き立てたゴーダが、堂々とその場に立っていた。
「……ベルクト」
ゴーダが首をわずかに回して、漆黒の騎士の名を呼んだ。
「はい」
「この戦が終わったら、長い休暇が待っているぞ。それをどう使うか、今から考えておくといい」
「お言葉ですが、それは無粋です、ゴーダ様」
ベルクトが、ゴーダの背中に静かに語りかける。
「いつであろうと私の居場所は、貴方様のお隣以外に、あり得ません」
ゴーダが兜の奥で、ふっと口元を緩める気配があった。
「本当に……しおらしくなったものよ……」
「それは、貴方のせいです、ゴーダ様……御武運を」
「それこそ無粋だ、ベルクト……私を誰だと思っている?」
ゴーダが、地面に突き立てた“蒼鬼”を引き抜いた。すると“三式”が解除され、空間の歪みが、急速に塞がっていった。
「そこで見ていろ……“四大主の兵法”というものを……」
空間の歪みが完全に閉じて、そして“イヅの大平原”には、“魔剣のゴーダ”ただ1人きりとなる。
「さて……これで、“巻き添え”の心配をせずに済む……」
抜き身の“蒼鬼”の柄に両手を添え、それを水平斬りの姿勢で構え持ったゴーダが、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。
「どうした……明けの国よ……お前たちを導く“明星”は、どこへ行った?」
心臓が静かに脈を打ち、紫色をした魔族の血が、全身を淀みなく流れていくのが分かる。
「今のお前たちを導く者は、“何者”だ? 愚かな為政者か? それとも、人ならざる気配を纏った者か?」
魔力の奔流が、激しく渦を巻き始める。
「いずれにせよ……“四大主”を前に、“宵の国”の地を踏むことは叶わぬと知れ……」
――攻めて可なるときは攻め、守るべきときは守り、引かなければならぬときを見逃さないことが、人間の兵法であるならば――。
「変換座標軸、固定……」
――ただその強大な力で以て、蹂躙することが、魔族の兵法であるならば――。
「効果深度、最大射程……」
――それらとは理を異とする、四大主の兵法とは――。
「――“殲滅剣技”――」
――四大主の、兵法とは――。
「――“魔剣六式:屏虎断ち”」
――ただただ、“理不尽”、極まりなし。
……空間が、“次元”を1つ、欠落させる。
……“奥行き”を消失した空間が、暗黒騎士の目の前で、1枚の絵画のように漂い始める。
……その“魔剣”の一太刀は、圧縮された空間もろとも、あらゆるものを一断ちにする一閃となる。
……“間合い”も、“防御”も、すべてを無視して、かわすことも防ぐこともできぬそれを、“理不尽”と言わずして何と言うだろう。
ゴーダの目の前から、明けの国へと続く丘のその向こうまで、暗黒騎士の魔力の波が届く限りの空間が、両断される。
人間兵のみならず、周囲の木々、山肌、小川の水……射程内の“絵画”と成り果てたすべての存在が、等しく切断される。
……。
……。
……。
“イヅの大平原”のただ中で、“六式”を放ったゴーダが見やる遥か彼方の国境線――そこを越え得た者は、ただの1人もいなかった。
……。
……。
……。
――東の四大主“魔剣のゴーダ”、“明けの国騎士団後発部隊”、総勢4万、一太刀の下に、殲滅。
……。
……。
……。
東方戦役、終結。




