14-6 : 野性と、執着と、歴史と
――同日。“宵の国”、南方。“暴蝕の森”。
“暴蝕の森”には、歪な形をした木々が生い茂っていて、高く広く伸びた枝葉で空がほとんど見えない。時刻は夕暮れ時で、陽はまだ沈んではいなかったが、森の中は夜のように薄暗かった。
森の中心部に形成された、“道具を持った獣たち”の集落の中を、“カースと呼ばれた女”が歩いている。
“カースと呼ばれた女”の目に、集落の日々の営みが映る。
ある“獣”の家族たちは、狩り場で仕留めてきた“腸喰らい”(嘴のついた犬のような姿をした魔物)を解体して、その場で血の滴る肉にかぶりついていた。
またある“獣”のオスたちは、森の探査中に“喰らい”どもの餌食になった人間の遺体を持ち帰ってきて、遺体から剥ぎ取った鎧や剣を手に取り、ぶんぶんと振り回していた。
そしてある“獣”のオスとメスのつがいは、周囲の目もはばからずに、嬌声を発しながら道ばたで交わっていた。
集落に住む“道具を持った獣たち”は皆、野性に身を委ねている。その中で理性的に振る舞っているのは、“カースと呼ばれた女”1人だけだった。
“道具を持った獣”――“森の民”――“カースの揺り籠”――彼らは様々な呼び名で呼ばれ、忌み嫌われている。
道具を扱う程度の半端な知性を持った、魔族とも魔物ともとれない彼らは、宵の国の中でも異端の種族だった。
彼らは常に群れで行動し、基本的には“暴蝕の森”から出ることはなく、森に生息する“喰らい”どもを狩って生きている。
そんな彼らも、宵の国に住む限り、森の外の魔族たちと交流することは避けられない。でなければ忌み嫌われている彼らは、魔族の手によって駆逐されかねない立場にあるのだ。そういった場面で、魔族たちと交渉する役目を果たすのが、他ならぬ“カース”なのだった。
“カースと呼ばれた女”がフィィィーと口笛を吹いた。すると、それぞれの衝動で行動していた“道具を持った獣たち”が一斉にカースを振り向き、統制のとれた動作で、地面に座り込み、天に手を掲げ、祈りを捧げるような仕草をとった。
「……“供物”を捧げよ……」
先ほどとは音色の異なる口笛をカースが吹くと、“道具を持った獣”たちが、一斉に群れの中の“獣”の1体に目をやった。そして“獣”たちは、まるで連携して狩りをするようにその1体めがけて飛びかかり、悲鳴を上げて抵抗するその1体を押さえ込み、その首をナイフで掻き切った。
紫色の返り血が、集落の地面を染めた。
血抜きをされ、“供物”となった1体の死体を担ぎ上げた“獣”の群れが、“カースと呼ばれた女”を先頭にして、集落の奥へと進んでいく。
そして集落の奥に根付く、視界に収まりきらないほどの巨木を前に、カースと“獣”たちが跪いた。
巨木の幹には、深い深い虚が口を開けている。
「“仕え主”様……今日の糧を、“供物”をお納めください……」
“道具を持った獣”の死体を前に、虚の向こうから、彼らが“仕え主”と呼ぶものの声が聞こえた。
「……クロロロロォォォ……」
***
――同日。“宵の国”、西方。“星海の物見台”。
数え切れない量の魔法書が収められた、無数の本棚が渦を巻く巨大な螺旋階段の根本で、“三つ瞳の魔女ローマリア”が1人、真っ白な絹のローブを優雅にたなびかせながら歩いている。長く美しい黒髪が揺れ、前髪で隠した右目の眼帯が覗き見える。白い霧のように重さを感じさせないローブが、魔女のしなやかな四肢のラインを浮き上がらせた。
「……ふふっ。……嗚呼、はしたないですわ。思い出し笑いだなんて……」
ローマリアが、口元を手で隠して、クスクスと笑った。
「たかが人間のために、あんなに必死な顔をするゴーダ……。わずか150年で四大主に上り詰めるほどの成長の早さが貴方にはあるというのに、そういうところは、400年経っても、まるで変わりませんのね……」
ローマリアが、ぽつりと独り言を漏らす。
……。
ザワザワと、胸の内側がねじくれる感覚があった。
「嗚呼……駄目ですわ……いけませんわ……」
胸の違和感は強さを増して、息をするのも苦しくなる。その抑えきれない感情に、魔女は思わず身悶えする。
「……あ……はぁ……」
ローマリアが自分の胸を抱き、艶めかしい吐息を漏らした。
――嗚呼、貴方はどうして、わたくしを見て下さりませんの……? 貴方の“次元魔法”を越える“概念”を、わたくしは得たというのに。
――嗚呼、貴方はどうして、わたくしに触れて下さりませんの……? 雌の“カース”には、あんなに激しい殺意を向けれるのに。
――嗚呼、貴方はどうして、わたくしを想って下さりませんの……? 貴方が考えているのは、いつだって、世界を覆う魔力の調和、魔族と人間の均衡のことばかり。
――嗚呼……貴方の目を奪うもの……貴方の殺意を煽るもの……貴方の想いを引きつけるもの……すべて、すべて……。
「……嗚呼……妬ましい……妬ましいですわ……ふふっ……アはっ……」
――すべて、消してしまいたい……。
頬を紅潮させ、熱い吐息を漏らしながら、ローマリアの左目がグニャリと嘲笑に歪んだ。
――250年前の、あの日のように……。
美しい顔に深い嘲笑を浮かべて、「アはっ」と狂気じみた笑い声を漏らしながら、ローマリアが螺旋階段を支える巨大な柱の表面を指先で撫でた。
螺旋階段の柱の周囲には、グニャグニャと歪な形の枝葉を広げる、奇妙な植物のような物体が無数に繁茂していた。
***
――同日。“宵の国”、北方。“ネクロサスの墓所”。
“墓所”とは、宵の国の北方に広がる、広大な遺跡群のことを指す。
半ば地に埋もれるような形で、見渡す限りに廃墟と化した建造物の痕跡が広がっている。“半ば地に埋もれている”というのは比喩ではなく、その地下には地上に露出しているものよりも更に大規模な遺跡が遺骨のように隠されているのだ。
形も均らされていない巨石を積み上げただけの、何かのモニュメントのような不格好な遺跡に始まり、石切技術でもって切りそろえられた石材を組み合わせた、城壁のような遺跡がその横に立ち並ぶ。
洞穴の中に抽象的な壁画の残る遺跡もあれば、石版に見事な写実的な彫刻が施されたもの、小さな文字が深く刻み込まれた記念碑のようなものと続く。
石柱に岩の天井を載せただけの簡素な神殿の遺跡があれば、少し離れた場所には荘厳な作りの教会のような建築物の遺跡もあった。
無数に横たわる、様々な時代様式の坩堝と化した“墓所”の中を、金糸で彩られた深紅の法衣を纏った四大主、“渇きの教皇リンゲルト”が歩いていた。
その頂に巨大な宝玉を冠した木の杖で、カツン、カツンと小気味よく石床を突きながら歩くリンゲルトの後ろを、数十人の骸骨兵たちが無言で付き添い歩いていく。
「カッカッカッ……人間どもよ、来るなら来い……我らが“墓所”の力を示す、絶好の機会じゃて……」
リンゲルトは今、“墓所”の中でも古い時代の遺跡と思しき道を歩いている。付き添いの骸骨兵たちは、破れかけた毛皮を身につけて、石を研いで切断能力を持たせたハンドアックスや石槍を手に持っていた。
「この宵の国で、“最強”の誉れを“イヅの騎兵隊”に奪われてから早250年……此度の戦で、それを取り戻してみせようぞ」
老骨の見かけに似合わず血気盛んになっているリンゲルトが、意気揚々と遺跡の道を進んでいく。
ずんずんと遺跡の街道を歩き進むリンゲルトの足が、先ほどまで歩いていたのとは時代様式の異なる石畳を踏んだ。そこは先ほどまでの遺跡群の年代から、少しばかり時間を進めた時代の遺跡が立ち並ぶ区画だった。
「ゴーダ……あの若造に、目にもの見せてくれるわい」
リンゲルトが立ち止まり、後ろを振り返る。
そこには、先ほどまでリンゲルトに連れ添って歩いていた、毛皮と石製の武器を持つ数十人の骸骨兵の姿はなかった。
代わりにその場に立っているのは、錆び付いた鉄製の鎧と、鋼の刃の武器を持った、数百人の骸骨兵たちだった。
「……老獪、というものをな……」
リンゲルトが、遺跡の道の真ん中で、ふらりと後ろに身体を倒した。
その動作に合わせて、どこからともなく、風に乗った灰がサラサラと流れてくる。
後方に倒れ込むリンゲルトが、地面に背骨を打ち付けるより先に――何もなかった場所に石製の皇座が現れ、教皇の身体を受け止めていた。
突如現れた皇座にドスリと腰掛けたリンゲルトが、一斉に跪いた骸骨兵たちを前に、カタカタと白骨化した顎を打ち鳴らして笑った。
「“歴史”の重みを、思い知るがいい……」




