13-5 : 無音の孤独
……。
四大主たちの玉前での抗争が、ようやく静まった。
……。
そして、耳に痛いほどの沈黙が、辺りに満ちる。
……。
……。
我らが何もしなければ、この場はこんなにも、空恐ろしいほど静かなのかと、四大主たちはそれぞれに胸の内で呟いた。
……。
……。
……。
“淵王リザリア”は、ほとんど来客のないこの玉座の間で、この無に近似する無音の中に、いつの時代からとも知れず、独り座し続けているのである。
……。
……。
……。
……。
それはどんなにか恐ろしく、どんなにか狂おしく、どんなにか虚しく、どんなにか寂しいことなのだろう。
……。
……。
……。
……。
……。
「……騒々しいものよ……退屈せぬ」
しばらくの沈黙が続いた後、“淵王リザリア”が、玉座の上で頬杖を突き、無表情な顔で、金色の目を四大主たちに冷たく向けながら、ぽつりと言った。
「戯れは終いか……? うぬらよ」
少女の顔で無表情に頬杖を突くリザリアの目には、何の感情も浮かんでいなかった。果たしてリザリアは怒っているのか、呆れているのか、愉快がっているのか……何を考えているのか、四大主たちには全く分からなかった。
「余は“淵王”ぞ。見せ物が終わったのなら、面を下げよ、四大主」
抗争の尾を引くこともせず、ただただ四大主たちは淵王の命に従い、恭しく頭を垂れ、跪いた。
「……カースよ、此度の顛末、余に聞かせよ」
リザリアが無表情に、カースを指差し名指しした。
「は」
“カースと呼ばれた女”が、頭を垂れたまま経緯を口にし始める。
「先日、人間領に踏み込んだ“古いカース”が、人間の手で殺められましてございます。“古いカース”に代わり、私が“次のカース”としての役を引き継いだ次第。我ら“森の民”――“カースの揺り籠”は、皆が“カース”であり、誰も“カース”ではありません……“次のカース”も、“古いカース”と同様に、淵王陛下の手足となることをお誓いいたします……」
「“古いカース”はなぜ死んだ? なぜ人間領になど踏み入った? 余の命じてはおらぬことぞ」
「……」
“カースと呼ばれた女”が、沈黙した。
「カースよ……『人間領に攻め入ってはならぬ』という余の命も分からぬほど、うぬらは愚かではあるまい……。ならば理由は自ずと知れるというもの……去りし“仕え主”の残り香でも匂うたか?」
「……はい」
“カースと呼ばれた女”が、苦々しげに肯定した。
「人間どもが、我らも知らぬ“仕え主”様の墓を見つけ出したようです。かつて、森を去り行く“仕え主”様を追い、我ら“森の民”はその幾らかが人間領に隠れ住み、森に残った者は新たな“仕え主”様をお迎えしました。しかし、森を去った“仕え主”様の下では、“カース”は生まれません」
「――ふふっ。要は頭の回らない“道具を持った獣”ばかりが人間領に住み着いて、森を捨てたかつての“仕え主”の所在も現状も分からず終い……。そこを人間に上手く利用された、というわけですわね。お前たちらしい間抜けなお話ですわ」
ローマリアが頭を垂れたまま、“カースと呼ばれた女”にだけ聞こえる小さな声で、クスクスと横槍を入れた。
「そして此度、人間領内でかつて死んだ、うぬらの“仕え主”の墓を、人間どもが暴いたというわけか?」
「恐らく……」
カースが頷くのを見たリザリアが、顔色ひとつ変えないまま、ゴーダに目線を向けた。
「ゴーダ、この件について、貴様の考えはどうか。貴様の“人間だった”部分が考えるところを、余に聞かせよ」
頬杖を突いたまま、リザリアがゴーダを指差した。
「人間たちの目的は何や?」
“カースと呼ばれた女”の話した内容を整理して、ゴーダが考えを巡らせる。人間だった遙か過去の感覚を呼び起こし、人間ならば何を考えるだろうと、様々な状況を思い描く。
「……“次のカース”が言っていることが正しいのならば、“古いカース”は人間におびき出されたということになります」
ゴーダが考えをまとめて、ゆっくりと口を開いた。
「カースの言う、森を去った“仕え主”の存在を、私は知りません。となれば、それは400年以上前の出来事――」
「――650年前じゃ。“暴蝕の森”で、“仕え主”の代替わりがあったのは」
最古参のリンゲルトが補足を入れた。
「……ならば、それに関する記録が人間領に残っていたのでしょう。このところの“暴蝕の森”への人間の探索の入れようから察するに、“仕え主”の遺骸がもたらす効果について、人間が興味を持った可能性は十分に考えられます。……その効果のために、町ひとつ潰すことになったのは誤算であったと思われますが――」
そこまで言って、ゴーダは口を噤んだ。不気味な予感がした。
――いや、本当にこれは、人間が“仕え主”の遺骸の効果を、“暴蝕の森”の魔物に対する誘引作用を見誤った結果なのか? シェルミアとの会談の直後に事件が起きたというのは、余りにもタイミングが重なりすぎだ。明けの国に潜入していた数日間、権力闘争の噂話は耳にはしなかったが、人間の考えることは深く黒い……それは私が1番よく知っている。
――まさか、な。
「なぜ黙る、ゴーダよ」
リザリアの無感情な声を聞いて、ゴーダは思索に耽っていた意識を切り替えた。
「――領内の町をひとつ潰すことになったのは、人間にとっても誤算であったと思われますが、これだけの甚大な被害に遭った人間の王が、このまま黙っているとは考えにくいかと。近日中に、明けの国側から何かしらの大きな行動があると予想されます」
ゴーダのその言葉を聞いて、横に跪いているリンゲルトが思わず忍び笑いを漏らした。
「カッカッカッ……興味本位の実験に失敗した腹いせに、人間が宵の国に攻めてくるとでもいうのか、ゴーダよ」
「まぁ、そんなところだ。あくまで私の想像だがな」
「よい、ゴーダよ。そちの人間についての考えは興味深い。余には人間というものが如何様なものであるかが分からぬからな」
リザリアは相変わらず、玉座の上で無表情のまま頬杖を突いている。白と黒を基調としたドレスは闇の中に溶け込み、真っ白な髪と金属光沢を放つ金色の目に月光が反射して、薄暗闇の中でそれがぼうっと浮かび上がって見えた。
少女の姿をしたまま、一切の老いも衰えもなく、最古参の四大主リンゲルトに“渇きの教皇”の称号を与えた時点で既に王であった“淵王リザリア”。その頭上には、絶対君主の証たる冠が頂かれている。
「四大主よ……“淵王リザリア”の名の下に命ずる」
そして、宵の国の絶対君主が、魔族最高位たる四大主たちに、勅命を下す。
「要の護りを厳とし、人間領からの侵攻に備えよ。“宵の国”から“明けの国”の地を侵すことは許さぬ。が、“明けの国”が我が“宵の国”に踏み入れようものならば、容赦は無用。四大主の力を以て、これを迎え撃て」
絶対君主のその言葉に、四大主たちが深く頭を垂れた。
「「「「仰せのままに。“淵王リザリア”陛下……」」」」
***
――“淵王城”、城門前。
「――今宵の謁見、我らが城主に代わり、御礼申し上げます」
「――晩餐の席も設けずお見送りしますこと、御無礼をお許し下さいませ」
「――陛下は忠義を決して忘れぬ御方。次回の御来城の際は、至高のおもてなしをお約束いたします」
「――どうか皆様、道中くれぐれもお気をつけてお帰り下さいませ」
城門前にまで見送りに出てきた4人の侍女が、それぞれに言葉を並べた。
城門を出た先では、四大主たちがそれぞれの配下たちを連れて、4人の侍女を振り返って立っている。
そして、巨大な城門が、大きく軋む音を立て、ひとりでに閉まり始める。
城門の内側で、4人の侍女が完璧に動作を揃えて、背筋を伸ばした美しい姿勢で、腰をゆっくりと屈め、深々と頭を下げた。4人の声が重なり合い、それはたった1人が発したとしか思えない、完全な単一の声となる。
「――またのお越しを、我ら心よりお待ち申し上げております……」
重低音を轟かせて、巨大な城門が閉ざされた。
……。
「……ふふっ。戦争でも始まるのですかしらね?」
同行させていた3体の人形の内の1体を胸に抱き、優しく撫で回しながら、ローマリアが嘲笑混じりに言った。
「あるいはな……。私はそんなものは、できれば避けたいが」
背後にベルクトを従えて、ゴーダが溜め息混じりに言った。
「過去にも似たようなことはあった。ぬしらは知らんだろうがの。欲の強い人間の王が現れる時代は、いつもこんなものよ。カッカッ……老骨の血も、まだまだ滾るもんじゃわい」
複数の骸骨の兵士を従えたリンゲルトが、訳知り顔で肩を振るわせながら笑った。
「人間領に眠る“仕え主”様の遺骸を暴いたこと……我らは決して許しません」
羽の生えた蜥蜴に口笛を聞かせながら、“カースと呼ばれた女”が怒りを露わにしていた。
……。
これ以上話すことはないと見るや、四大主たちは互いに踵を返し、それぞれの要の護りの方位へ向かって、散り散りに歩き出した。
――シェルミア……何をやっている……。こんな状況を望むお前ではないだろう……?
星のない夜空を、ゴーダだけがじっと見上げていた。
***
――“淵王城”、玉座の間。
淵王リザリアが、たった独り、玉座に座している。
周囲は完全な無音に満ちていた。
入り口のない、どことも繋がっていない玉座の間に、動く存在は皆無である。
「……“宵の国”は、“理の護り手”。“淵王”と“四大主”とは、“不条理を鎮めるもの”。人間の命は短すぎる……。何を与え、何を奪おうと、人間はいつかそれを忘れる……。これで何度目か、“明けの国”のこの戦のさざ波は……」
“淵王リザリア”の孤独な言葉を聞く者は、誰もいない。
碧く冷たい月光の光が、玉座の間に差し込んだ。
「……退屈ぞ」
月光が照らし出した玉座には、何も座しておらず、“少女の姿をした何か”の影は、どこにもなかった。




