10-1 : 第1の密会
――第1の密会。シェルミア私室。
同席者、1――“明星のシェルミア”。
同席者、2――偽装者、“右座の剣 エレンローズ”改め、“魔剣のゴーダ”。
「――話をしよう、“明星のシェルミア”……」
椅子に腰掛けたゴーダが、落ち着き払った声で、子供に言い聞かせるように、単語のひとつひとつを、ゆっくりと発音した。
「……っ……!」
対するシェルミアは、突如として現れた魔族を前に、驚きの余りに目を見開いて、呼吸をすることも忘れて立ち尽くしていた。無意識に力の入る手には、茶葉の入った瓶が握られたままになっている。
「……まぁ、驚くのも無理はない。だが、貴公とこうして対面するには、これしかなくてな。非礼は詫びさせてもらう」
椅子にゆったりと身を預けているゴーダは、黒と金の2色で織られた上着とズボンという身軽ななりをしている。甲冑は身につけておらず、ただ右手に、刀を収めた鞘を握っていた。
「……だ――」
誰か! とシェルミアは叫ぼうとしたが、喉に何かが詰まったように、上手く声を出すことができなかった。
「おっと、人を呼ぶのは御遠慮願いたい。まずは落ち着きたまえよ、シェルミア殿」
ゴーダがシェルミアを見つめながら、自分の口元に人差し指を重ね、「しぃ」と沈黙を要求した。
「まぁ、どのみち人は来ないのだがね。ここに入ってくるときに、扉に細工をさせてもらった。この部屋は今、外界と完全に隔絶されている。外の人間が扉を開けたとしても、そこにあるのは『誰もいない部屋』というわけだ」
それだけのことを言うと、ゴーダは再び沈黙して、シェルミアが冷静さを取り戻すのをただじっと待った。
「……エレンを、どうして……?」
ようやく声を出すことができるようになったシェルミアが、不安を募らせた表情で、エレンローズの名を口にした。
「……ああ、案ずるな。扉を開けてもらうために、姿を真似させてもらっただけだよ。その女騎士なら、今頃自室にいるだろう。重ねて言うが、私は貴公と話をするためにここに来た。危害を加えるつもりはない。この刀は……まぁ、護身用だ。これでも相当危ない橋を渡ってここまで来たものでね。御了承願いたい」
ゴーダが銘刀“蒼鬼”を床に寝かせ、鞘からゆっくりと手を離しながら言った。争う意志がないことを、慎重に態度で示してみせる。
そこまできて、ようやくシェルミアは混乱状態から回復し、深く大きくゆっくりと息を吐き出した。
「……驚き、ました……ゴーダ卿……とても……」
シェルミアがその場に立ち尽くしたまま、青ざめた顔で言った。
「私もだよ、シェルミア殿。この数日間、勝手ながら探りを入れさせてもらった。驚いたよ……騎士団でも相当に位の高い騎士であろうとは思ってはいたが……まさか騎士団長、しかも王位継承者だったとは……」
ゴーダが肩を上下させて「同感だよ」と仕草で語った。
「あの一騎打ちで、貴公の首を取っていたかもしれないと思うと、ゾっとする……今思い返しても、肝が冷えるよ――いや、敗者がそんなことを語るのは、思い上がりだな」
そして、髪を下ろしてドレスを纏っているシェルミアを見やりながら、ゴーダが続ける。
「しかし……女は化けると言うが……剣を交えたときとは、随分と印象が変わるものだ。王族の品格というやつか」
それを聞いて、シェルミアが不機嫌そうにと横を向いた。
「……そういった目で見られるのは、不愉快です……」
ゴーダが「やれやれ」と肩を上げた。――気むずかしい姫騎士様だ。
「……随分と思い切ったことをされて、こうして貴方は私の目の前にいるわけですが、私に話、とは……?」
背けていた顔をゴーダに向け直して、シェルミアが冷たい声で尋ねた。その声は、わずかに震えていた。たった1日の間で噴出した問題の多さに、心中穏やかではないといった様子である。
「何、まぁ、世間話がしたくなったものでね。これが茶の席であれば、言うことはなかったな」
ゴーダがからかうように言った。
シェルミアが、無意識にずっと握りしめていた茶葉の入った瓶の存在にようやく意識が向かい、無造作に棚の中にそれを押し込んだ。
「……生憎と、騎士の姿を偽って忍び込んでくるような方に出すほど、この茶葉は安くはありません」
――やれやれ参ったな。随分と御機嫌斜めだ……。
「お構いなく。実は茶は余り飲まないのだ。猫舌なものでね」
ゴーダがとぼけるように言った。
「いらぬ気遣いは不要。ああ、不作法な来訪者と思っていただいて結構。私の望みは1つだけ……何度も言うが、シェルミア殿、貴公と話がしたい。席に着いていただくわけにはいかないだろうか?」
椅子に座ったまま、ゴーダが真剣な目でシェルミアを見た。
それまでずっと立ったままでいたシェルミアだったが、ゴーダの態度にとうとう折れて、ゆっくりと椅子に腰を下ろした。机を挟んで、シェルミアとゴーダが向かい合う形となる。
「……いいでしょう……御用件を、窺いましょう」
美しい姿勢で椅子に座ったドレス姿のシェルミアが、静かに言った。そういった仕草が、身体に染み着いているのが分かる。
「最近の明けの国について、幾らか教えてもらいたい」
ゴーダのその言葉に、シェルミアが口元をわずかに引き攣らせた。
「……。私が言える範囲のことであれば」
シェルミアが慎重に言葉を選びながら言った。
「明けの国の民たちは、人間たちは、魔族のことをどう思っている?」
ゴーダの質問は、曖昧な内容から始まった。
「……。明けの国の民の多くは、宵の国を、あなた方魔族を、遠い余所の存在と認識しているでしょう。とりわけ、内地に住まう民は」
「貴公もそうだった?」
ゴーダが質問を重ねる。
「……そう、ですね……。越境してきた魔族の盗賊を討伐に出たのが、14歳の夏でした……。魔族というものを、そのとき初めて、この目で見ました」
ゴーダが感心したように、ほぉと声を漏らした。
「詳細に覚えているのだな」
「……」
――忘れようはずがない。あの夏の暑さ……あの断末魔……そしてあの、紫色をした血……。忘れられるはずがない。
「だが、貴公は私の質問に答えきれていない、シェルミア殿。私は『どう思っているのか』と訊いたのだ。人間が魔族に抱く感情の部分を、私は知りたい……」
「……」
シェルミアが沈黙し、言葉を選んでいる。ゴーダの次元魔法によって外界と隔絶された部屋の外から、どこからともなくカラスの鳴き声が聞こえてきていた。
「……魔族とは、遠い余所の地に住む存在。それはつまり、人間からすれば、何も分からない存在……」
そう口を開いたのは、ゴーダである。
「どんな姿をしているのか? どんな文化を持っているのか? 言葉を話すのか? 仮に話すとして、人間の言語が通じるのか? 遠い場所の、人間ではない未知の存在……人間にとって、これほど恐ろしく、また都合のいい存在はないな。違うかね?」
「……何を仰りたいのか、分かりかねます」
ゴーダと面と向かうシェルミアの目は、まっすぐにゴーダの目を覗き込んでいたが、ほんのわずかだけ、その目が左右に泳いだ。
「詩人が可笑しい歌を詠えば、好意的に思うだろう。飢饉に苦しんでいると噂に聞けば、同情心も湧くかもしれん。高度な魔法を使うと知れば、好奇心がそそられはずだ。――そして、人智の及ばぬ彼の地で何人もの騎士が命を落とせば、憎悪の感情が広がっていく」
ゴーダはシェルミアを見つめ続けていたが、シェルミアの目は、ゴーダの視線から逸らされていた。
――やはり、貴公は誤魔化すのが下手だな、シェルミア殿。
「回りくどくなってしまったな……単刀直入に訊こう、シェルミア殿。……明けの国は、宵の国と戦争をする気なのかね?」




