終 : 宵の国戦記
ここから語られるのは、それから後の、少しのお話――。
……。
……。
……。
それから何があったのか。掻い摘まんで話すとしよう。
“明星のシェルミア”と“右座の剣エレンローズ”との別れからおよそ3ヶ月後。最初の和平が結ばれた。
“宵の国”極東地域“イヅの大平原”と、“明けの国”との間で相互不可侵の協定が正式に調印。これが魔族と人間との間で交わされた、初の明文協定となった。
調印の式典は、魔族側の要望により“明けの国”王都での開催となり、100騎余りの魔族兵が王都の目抜き通りを行進した様は、当時王都市民たちの間で語り草になったという。
“明けの国”を統べる老王の御前。そこへ設けられた調印台に立ち、“宵の国”の大使として和平協定書に筆を走らせたのは――言わずもがな、“魔剣のゴーダ”であった。
そしてその署名の隣に人間代表として名を並べたのは、“明星のシェルミア”。
宰相ボルキノフの巡らせた奸計が白日の下に晒されると同時に、“明けの国”への謀反という無実の罪が晴らされたシェルミアの、それが新生王位継承者としての最初の仕事だった。
戦時下の心労に病を患わせていた老王が崩御したのは、それから一年後のこと。
王位を継いだ“明星のシェルミア”と“魔剣のゴーダ”の奔走によって、その後間もなく実現することになった、両国間の全地域和平協定。その調印はシェルミアのたっての希望によって、“淵王城”玉座の間、絶対君主“淵王リザリア”の玉前にてひっそりと執り行われた。
そしてそれが、王としてのシェルミアの、最後の仕事だった。
いや、正確に言えば……前王である彼女の父君が息を引き取ったと同時に王位継承権を“再び返上”し、戴冠式も固辞して、空の王座の隣に据えた簡素な執務椅子へしか座ることのなかったシェルミアは、最初から最後まで“明けの国”の王を名乗ることはなかった。
“明けの国”と“宵の国”の全面和平が結ばれると同時に、王権の代行者として振る舞ってきたシェルミアは王室の解体を宣言。王宮を市民へ開放し、王都へ一極集中していた権力構造を一変させた。
その大変革による“明けの国”の混乱は大きかったと聞く。
それまでの既得権益に固執する、“旧王室派”と呼ばれる王族の遠縁貴族と一部大臣一派。それに対して、“明けの国”領を大小様々に分割して多数の小国家建設を掲げたシェルミアたち“明星派”。
全く正反対の在り方を主張する二大勢力の衝突は、数年に渡って続いた。
……。
度重なる論争と散発する暴動の末、旧王都で開かれた“旧王室派”と“明星派”の要人会談の折……シェルミアが凶刃に斃れたという報が、“明けの国”全土を駆け巡った。
二大勢力の抗争末期、かの“明星”はまるで人が変わったかのように強権的であったという。当初は小国家群建設に賛同していた“明星派”の構成員たちも、その頃になると造反して“旧王室派”へ寝返ることも珍しくなかったと。
ゆえにシェルミアが事切れると同時に、二大勢力の対立は収束。新たな体勢の下で人間の国は安定を取り戻した。
元王位継承者という経歴を持っていたこともあり、一部の人々はそんな彼女のことをこう呼んでいたらしい。
――“凶王”と。
……。
……。
……。
そんな激動の時代を語る話にも、うっすらと埃が被りだそうかという時節……。
……。
……。
……。
――“明けの国連邦”、辺境。
「――ここまでが、あのお方について、私が知っている限りのお話です」
“連邦”の成り立ちを一通り語り終えると、女は粗末な作りの茶器に口を付けて喉を潤した。
「……そうですか……」
茶器に似て随分と質素な造りの食卓を挟んで、神妙な面持ちで女の話を聞いていたのは、1人の男。風を凌ぎ雨を避け、時には何もない原野での寝床にもなる頑丈な外套を、今は招き入れられた小屋の壁際に引っかけて、一時の休息にありついている様は旅人のそれ。
「シェルミア様がお亡くなりになったというお話は、貴方のお国でも知らぬ者はいない、とお聞きしましたが?」
旅の男の空いた茶器へ、女が身を乗り出して野草で淹れた茶を注ぎ足す。
女は継ぎを当てた上下一体のロングスカートに革帯を巻いて、頭には縫い目のほつれた頭巾を被っている。農村の女然とした出で立ち。
「ええ、まぁ……よくそんなことまで御存じで」
軽く会釈して茶を受け取りながら、旅人の男が言う。その声音は、始めにこの小屋を訪ねてきたときのものより重苦しい。
「この村には、魔族の方も大勢いらっしゃいますから。“宵の国”のお話は、よく耳に入ってきます」
そう言いながら、女がふっと木窓の外に目を向ける。旅人の男が釣られて目をやると、人間の幼子たちに纏わり付かれながら畑に向かう、魔族の農夫の後ろ姿が見えた。
「……良い村ですね」
どこかもの悲しそうに、独り言のように旅人が零す。
「ふふ、何もない村ですが。何分、拓かれて時が浅いので、日々の暮らしで手一杯です。魔族だ人間だと、言っている暇もありません」
謙遜ではなく事実としてそう応える女の顔は土埃で汚れていたが、人間の子を肩に載せる魔族の農夫たちを見送る横顔は、穏やかな色をしていた。
……。
「――ときに」
しばしの沈黙を置いてから、旅人が切り出した。
「この村に……その“明星のシェルミア”の墓があると聞き及んだのですが」
「……」
それまで落ち着いた表情をしていた女が、ほつれた頭巾の下でピクリと口許を震わせた。
「……どちらでそんなお話を?」
言いながら、女は自分の茶器をさりげなく食卓の中央へ押し出した。まるで旅人との間に壁を作るように。
「シェルミア様のことは、王族であられた時分から私もお慕いしてはおりましたが…… 一部では、やっと魔族との和平が結ばれたのに、国を再び掻き乱した“凶王”と呼ばれているお方でもあります。そんなお人のお墓など、この小さな村にはございません、縁起でもない……迷惑な噂が流れているのですね、外では」
女の声には、突き放すような冷たさが混じるようになっていた。賢姫として慕われたシェルミアも、最後には力と野心に呑まれて醜く果てた。ああであってはならない――幾つもの旅先で“明星”について聞いて回った旅人が、決まって話の最後に抱く印象はそれである。
“明けの国連邦”が、選挙によって民衆の中から各独立都市の代表者を擁立し、そこに期限付きの権力のみを与える現在の制度へ至ったのは、末期の“凶王”の横暴が人々の記憶に未だ焼き付いているからだろう。
「……正確に言うと――」
だからこそ、旅人はたとえ女から静かに突き放されても、話を続ける。
「正確に言うと、『この村に“明星のシェルミア”の墓がある』なんてことを直接噂にしている者に会ったという訳ではないのです。様々に聞き集めた話から、そうではないかと私が推測した、というだけのことです」
男は振る舞われていた茶器を、食卓の脇へ押しやった。先の所作で口を閉ざそうとした女とは逆に、こちらにはまだ話し足りないことがあるのだと無言に示す。
「私の推測――いや、“明星”亡き今となっては、確かめようのないただのお伽噺に過ぎませんが、お話ししても?」
「ええ、まぁ、構いませんが……お茶はもう、お出しできませんけれど」
言外に「お引き取り下さい」と言われながらも、旅人は気づかぬ振りをして語り始める。
……。
「――どうにも私には、“明星のシェルミア”という人物が、ただ力に呑まれた愚かな女だとは思えないのです」
「どうぞ、そのままお続けに」
食卓の上から茶器一式を引き揚げて、山水を引いた流しへ持っていきながら、女が関心もなさそうに言う。旅人に背を向けて茶器を洗う背中が、随分とよそよそしい。
「こう考えると、面白いとは思いませんか――」
それでも旅人は、懲りずに続けた。
「“明星のシェルミア”は、“明星派”という勢力を組織したその時点で、近い将来に自身が孤立することと、構成員が“旧王室派”へ寝返ることを計画していたのだとしたら?」
「……仰っていることが、私にはよく……」
「彼女は、殺されることを望んでいたと、そういうことです。だから敢えて、意識して強権的に振る舞い、自ら進んで周囲の反感を買っていた」
「はぁ……すみません、益々分からないお話ですね……」
「それでは、もう少し私の推測を進めましょう。その方が意味を理解していただき易い筈」
茶器を洗いながら、興味もなさそうに生返事を返す女の背中へ、旅人はテーブルの上に乗り出して持論を展開し続ける。言葉は饒舌に。けれども口調は一言一言ゆっくりと。
「『“凶王”シェルミアのようであってはならない』という合い言葉の下、“明星派”と“旧王室派”の和解によって作られた“明けの国連邦”――それこそが、彼女が理想とした国の形であったのだとしたら?」
「……」
旅人の論説に、女はもう生返事すら返さない。ただ黙って背を向けたまま、洗い終えた茶器を順番に水切り台へ移していく。
「政治力はあるが考え方が凝り固まっている“旧王室派”。柔軟な行動力はあるが経験不足の若者が多い“明星派”。幾つもの地方都市を同時に独立させ、連邦として機能させる為の多数の指導者を短期間で輩出させるには、この二大勢力の抗争がどうしても必要だったのだとしたら?」
「……」
女が背を向けたまましゃがみ込み、足下の戸棚を開ける。
「“明けの国”と“宵の国”の和平協定……その情勢の劇的変化は、それを逃せば二度と巡ってこない変革の大波でもあった。“明けの国連邦”を作り出すには、その好機の波が静まる前に、短期間で行動を起こさなくてはならなかった。その反動として、先の抗争が避けては通れなかった道であり、機を見計らって抗争の迅速な幕引きと二大勢力の和解を図る為には、シェルミア自身の――“凶王”の排除が必要だったのだとしたら?」
「……」
女が戸棚の奥に手を入れて、何かを探し回る。
「彼女はそうして、民一人一人の意識を変える為に自ら嫌われ役を演じた。力に溺れて横暴に振る舞っていた彼女ほど、民のことを想っていた者はいなかった――これが私なりに推測した、本当の“明星のシェルミア”の姿です」
旅人は話し終えると、浮かせていた腰を椅子に沈めた。細い脚の椅子が、キシリと軋む。
「…………」
女は流しの前で直立したまま、旅人に冷たい背中を向けたまま、ただ無言で立ち尽くしている。
そして旅人は、女の背中に問いかけた。
……。
「どうでしょうか、私の創ったお伽噺――“当たっているかね?”」
……。
……。
……。
小屋の中を漂う埃が柔らかな陽光を受けて、光の柱を引いている。
その中に二筋の、凜と鋭く硬い煌めき。
「……」
「……」
時が止まったかのように、女も旅人も微動だにしない。
いつの間にか向かい合っていた両者の首元にあったのは――刀の冷たい感触。
「……」
女が抜いた刀は、濡れたように美しい鉄の色。
「……」
そして旅人が抜いた刀は……深い水面の蒼だった。
……。
……。
……。
「……あまり……出来の良いお伽噺ではないですね」
「そうかね? 残念だな、割と力作のつもりだったのだが」
……。
「こんな辺境の村で吟遊詩人の真似事をしても、稼ぎにはなりませんよ?」
「生憎、唄も楽器もてんで駄目でね。その仕事は私には向いていない」
……。
「シェルミア様は……“明星のシェルミア”は、死にました」
「ああ、知っているよ」
……。
「では……何の為にいらっしゃったのです?」
「だから、『墓参り』に来たのだよ。かの“凶王”のな」
……。
……。
……。
「『生きている墓』なんて珍しいもの、参りに行かない手はないだろう?」
……。
……。
……。
「……はぁ……」
女の、細い溜め息の音。
「……。……あと、数年ほど経ったら……私の方からお訪ねしようと思っていたのに……」
カチン。と、無銘の刀が鞘に収まり、鍔のかち合う音。
「……上手く隠れた、つもりだったのに……」
そして、シュルッ。と、衣擦れの音を立てて、頭巾が解け落ちる。
……。
「……見つけるのが、早すぎますよ……ゴーダ卿」
纏っていた冷たい態度を溶かして、女が微笑んだ。
……。
彼女に合わせて、銘刀“蒼鬼・真打ち”を納刀した旅人――“魔剣のゴーダ”も緊張を解く。
「相変わらず、無茶をする。ここを突き止めるまでに随分骨を折らされたぞ、シェル――」
彼がその名を言いかけたところで、女は首を横に振った。
「そんな名前の女は、もうこの世にはいません」
頭巾を下ろした女は、うなじにかかる程度に髪をばっさりと切っていた。農村の暮らしで、汗と土に馴染んだ素朴な金髪。その中に混じる黒髪の筋。碧い右瞳と、瞳孔が細長く変形した無色の左目。
「今の私は……『生まれつき、少し変わった見た目をしている村女』です。ただそれだけの、何も持たない女です」
「……ああ。それは失礼した」
ゴーダが肩を竦めたのを見て、村女はクスリと笑いながら食卓の椅子に再び腰掛ける。
「――もういいですよ」
村女が、ゴーダの肩越しに玄関扉に向かって言った。
ギィと薄い扉の開く音に合わせて、ゴーダが振り返る。
「……驚いたな」
ゴーダはその言葉の通り目を丸くして、息を呑んだ。
「全く気配を感じなかった……」
そして、ひとしきり驚いた後……彼の顔は再会に微笑む。
「腕を上げたな――守護騎士」
「…………」
玄関先には、1人の騎士が立っていた。
隻腕の、人間の女騎士。
使い込まれた鎧は、魔族軍譲りの黒い鎧。かつては全身を覆う甲冑であった筈のそれは、今では軽量化の為に胸当てと脛当てと手甲だけになっている。
日射しを受けて輝くのは、銀色の髪。最後に見送ったあの日から伸ばし続けているのであろうそれは、毛先が腰にまで届いている。その長い銀髪を、彼女は頭の後ろで1本に結ってそよ風に揺らしていた。
そして腰には、“守護騎士の長剣”。
「元気そうだな、“お前たち”」
ゴーダの声に合わせて、女騎士の後ろから小屋の中を覗き込むように首を伸ばしてきたのは、丁寧に手入れされた艶のある毛並みの黒馬。親善大使第1号として送り出した、彼のかつての愛馬である。
「エレン。お客様です。良いお茶と、焼き菓子をお出ししましょう。手伝ってもらえますか?」
村女が手招きすると、エレンローズはこくりと頷き返す。声を失った守護騎士から直接今の暮らしぶりを聞くことは叶わないが、穏やかで幸せそうなその顔以上に物語れる言葉はない。
「今日はとても、穏やかな日和です――いつかの約束を、果たしましょう?」
ゴーダを見つめた村女が、にっこりと笑う。
「それから、貴方のことも聞かせて下さい。あれから、どんなことがありましたか?」
3人が掛けると、質素な食卓は少々手狭である。
茶の席を囲うには肩を寄せ合うようにしなければならなかったが、初めて訪れたその場所が、彼には自分の家のように居心地良く感じられた。
「ああ、こちらは至って平穏だったよ。随分と騒がしくて、慌ただしい平穏だった……――」
――“イヅの騎兵隊”は、独立部隊としては随分前に解散した。今では我々魔族にも制御できない北方と南方へ、人間との共同防衛戦隊へ、交代で人員を送っている。ベルクトは家が恋しいらしくてな、出張に出させても直ぐに帰ってきてしまう。あいつが戦隊から引き揚げてしまうと書類が片付かなくて困ると、現地からの苦情が私へ回ってくるのが悩みの種だ。
――“イヅの城塞”は、まだ建て直しの最中だ。ようやく半分、といったところかね。ローマリアの奴、こちらが人員不足なのを良いことに人形を貸してやると言って、あの戦いのどさくさで塔を転位させたきり、“イヅの大平原”に居座っているのだ。それなら転位魔法で資材運搬でもしてくれればいいものを、それだと工事がすぐに終わって面白くないとかなんとか……。
――ガランは……あいつは、1人でどこかへ行ってしまったよ。「刀でも鎧でもない物を造りたくなった」とだけ書き残してな。ここに来るまでに、角の生えた飲んだくれの女鍛冶に会ったという話を幾つかの街で聞いた。“連邦”を気の向くまま歩き回っているんだろう。その内ふらっと帰ってくるだろうから、それまでにあいつの要望通りの立派な工房を建てて待っていてやらんとな。
「――ただそれだけの話だが、詳しく聞きたいか?」
ゴーダが苦笑いしてみせると、自然と手を握り合った村女とエレンローズは、面白そうに身を乗り出した。
「ええ……是非」
『最強の暗黒騎士は定時で帰りたい!』……おし――
「……待つがよい」
「その名、改めよ。余の言葉は絶対である」
『■強の暗黒騎士は定時で帰りたい■』
『■■■暗黒騎士は定時で帰■■■■』
『■■■暗黒■■■定時で帰■■■■』
『■■■■黒■■■■■で■■■■■』
『■■■■■■■■■■■■■■■■』
『■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■』
『宵■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■帰りたい!)』
『宵の■■■■■■■■■■■■■■■■定時で帰りたい!)』
『宵の国■■■■■■■■■■■■騎士は定時で帰りたい!)』
『宵の国戦■■■■■■■■■暗黒騎士は定時で帰りたい!)』
『宵の国戦記■■■■■最強の暗黒騎士は定時で帰りたい!)』
『宵の国戦記(■旧題:最強の暗黒騎士は定時で帰りたい!)』
――おしまい




