29-6 : “偽天使の翼”
一方。
「――ぬ゛ぅぅうん゛っ!!」
食い縛った歯の間から漏れる、ガランの力みの声が聞こえた。
「――――」
“ユミーリアの花”の振動音が、その声に威嚇を返す。
そして、ドゴンッと、拳と拳のぶつかり合う生々しい音。
二の腕に力瘤を盛り上げ、逞しい背筋を蠕動させ、血管を赤熱させたガランの正拳突きが、“ユミーリアの花”の巨大な拳を真正面から迎え撃った。
両者の力が拮抗して、その光景のまま束の間静止する。
「どぉうりゃ!」
異形の拳を蹴り飛ばしたガランが、その反動を使って後ろに飛び退く。
どちらにも、ダメージはない。
「何ぞ気のせいか……この前見たときよりも大きくなっとりゃせんか、此奴」
額に日除けの手をあてがって曇天を見上げる。“ユミーリアの花”の樹冠を視界に捉える為に、彼女はぐいと背を逸らさなければならなかった。
“イヅの城塞”を3つ……いや4つ重ねても高さが釣り合うかどうか。
そんな巨木と化した上層部に巨大な女の腕のようなものが何本も生えて、上空でわらわらと蠢いている。
ヌメヌメと粘液で湿った肉の幹に開いた無数の眼球が、ギョロギョロと周囲を見回す。その内の何個かは、先ほどからガランの姿をじっと睨み続けていた。
異形の肉体は常にドックン……ドックンと脈動していて、そのたびに必ず何処かで濃緑色の汁が噴き出している。肥大化し過ぎた身体に十分な体液を巡らせる為に、その鼓動は自己を破裂させるほどの圧力で動作しなければならなくなっていた。
肥沃な“イヅの大平原”の大地を犯すように張り巡らせた根で、地中の養分と魔力を見境なしに吸い上げているのか。一帯はガランの起こした爆発による焼け野原とは別に、草花がしわしわに枯れ尽くしている。
余りにも無秩序で、余りにも混沌としていた。
「――――!」
“花”の腕の内の1本が、体内に取り込みかけている“イヅの城塞”の瓦礫をむんずと掴み、ガランに向かって放り投げた。
小柄な女鍛冶師の背丈の倍はある大岩である。
「ガハハッ。『つぶて』というには、そりゃデカ過ぎやせんかのう!」
ガランがビキリと全身を力ませると、火を巡らせた血管がより鮮明に浮き出る。彼女の周囲の空気が加熱され、陽炎が揺れた。
助走をつけて走り出す。最高速度に達したところで、1、2、3と飛び跳ねて――。
「ほぁちゃぁああっ!」
右脚をぴんと突き出して、鋭い跳び蹴りが炸裂した。
燃える踵の芯で“ユミーリアの花”の投げた大岩を捉え、砕き割る。
炎の跳び蹴りの勢いはそれだけに留まらなかった。大岩を蹴り抜いても尚十分な破壊力を維持したまま、異形の目玉の1つにぐしゃりとめり込む。
潰れた眼球から体液が噴き出す。それが痛むのか、異形の幹が左右に揺れてのたうち回った。
「ひぇぇ……ばっちぃのう! エンガチョ!」
地面に着地したガランが、汚液の付着した自分の足の裏を覗いて顔をしかめる。ガシガシと地面を蹴って素早くそれを拭き取った。
「図体ばかりデコぉなっても、ぶん回す芸しかできんのではのう! ガハハッ、ただの気色悪い風車じゃ。やーいやーい! ベロベロォー!」
両手で顔を左右に引っ張り、白目を剝いて舌を振り回す。まるで悪戯好きの小鬼のようなガランの仕草は、ここまでの無念と悔しさからくる意趣返しである。
「……効果深度、最大射程――」
その声と、冷たく張り詰めた闘気を感じて、ガランのふざけた挑発顔がさっと真顔に戻った。
視線を向けると、ゴーダが抜刀の構えを取っているのが見えた。ちょうどボルキノフを挟んで彼と彼女とが向かい合う位置関係。2人の間は数十メートルほど離れている。
しかし、“イヅの城塞”専属鍛冶師であるガランは知っている――“六式”。その“魔剣”に、間合いなど無関係である。
「ほ、ゴーダの奴……あのイカレポンチキごとバケモンも斬り倒す気じゃな! こりゃ離れとった方がよさそう――」
――ギョロリ。
この場から離脱しようとしたガランの目に、異形の眼球がぐるりと回ったのが見えた。
肉の幹に空いた眼孔から覗く無数の目玉が、一斉に同じ方向を向く――ガランではなく、ゴーダの方を。
ブルリと、彼女の背筋に悪寒が走った。
「――“殲滅剣技”……」
「っ……待て! ゴーダ! 何ぞマズいぞ!」
――バサリッ。
地に深く根を張る“ユミーリアの花”が、飛べるはずもないであろうに巨大な翼を天に向かって大きく広げた。
3対6枚からなる、鳥の羽に似た、真っ白な翼。それが淡い光を放ちだす。
光の尾が伸び、翼をより大きく見せる。それが天を包み込むと、曇天の空がぐねりと捻れるのが見えた。
「ゴーダ! 止めぇい! ゴーダァァァ!!」
「……――“魔剣六式:屏虎断ち”」
ガランのその声が届くより先に、暗黒騎士が神速の居合い斬りを放ったのが見えた。
訳も分からぬうちに、ガランは地面を蹴って逃げ出した。
……。
……。
……。
――理論も何も、残ってはいない。
――“そこ”にあるのは、本能に溶けて消えてしまったかつての少女の記憶。
――肉の塊に変わり果てた“彼女”の無意識が、自らの危機を察知した結果。
――先の大爆発の際、ゴーダは1度、既にその波動を“彼女”に視せてしまっていた。
――独自に派生しているとはいえ、その源流は“彼女”が成れ果てる以前に研究していた“転位魔法”である。
――“三つ瞳の魔女ローマリア”がそうだったように、もう1度“それ”が起こったとしても、何ら不思議はなかった。
――演算過程も何もなく、自己防衛の条件反射が、唐突に“解”だけを弾き出す。
――……カイセキ、カンリョウ……。
「――きゃあぁぁぁぁあああああぁぁぁあああああっ!!!!」
“災禍の娘”が、絶叫を上げた。
……。
――斬。
……。
――斬――斬――斬。
……。
――斬斬斬――車斤。
“偽天使の翼”によって形成された魔力障壁が、ゴーダの“次元魔法”に干渉する。
絶対の切断能力を生じる空間断層が千々に千切れて、無秩序に飛散し、暴走した“魔剣”が牙を剝いた。




