29-2 : 交差
「ギシャァッ」
霧の中に影が浮かび上がった次の瞬間、そこへ真紅に塗り潰れた者が飛び出した。
“特務騎馬隊”、紅の騎士――祝福を受けた者たち。ユミーリアの異形の血液と、無数の人間の屍と屍血とを練り上げて創り出された戦士。それが猛獣のように四つ足を着いて飛びかかった。
「……」
霞の中で四散する陽光。そこにきらりと光る、一筋の蒼い煌めき。
それはうっすらと、蒼の中に紫色を湛えている。生まれ出た業火の色、紫炎をそこに溶かし込んだかのように。
わずかの乱れもない直刃は、まるでそれを打ち鍛えた者の信念を写し込んだように美しい刃紋をしている。
銘刀“蒼鬼・真打ち”――鍔もなく、さらし布を柄へ無骨に巻き付けただけの抜き身の刀は、ただそこにぴたりと構えられるばかりで微動だにしない。
「ギギャギャッ!」
反撃の兆候を見せない相手に、紅の騎士はそのまま正面から襲いかかる。兜の口許がぐばりと開き、その甲冑と一体化している中身が牙を剝く。
「……」
“蒼鬼・真打ち”の剣閃は、終ぞ疾らない。
なぜならば――至上の一振りであるその刀にとって、目の前の敵を斬るに、刃を振るうことすら不要だったからである。
妖のような雄叫びはいつの間にか消え、そこには静止した“蒼鬼・真打ち”に自らの跳躍の勢いのみで真っ二つに両断された紅の残骸が転がっていた。
「“不毛の門”で、北の亡者たちを迎え撃ったとき……私は1つ上の高みへと届いた……ざっと200年越しの、久方振りの“成長”だった……」
「ウヴァァッ!」
側面から、新たな紅の騎士が喰らい付く。
それまで揺れもしていなかった“蒼鬼・真打ち”の刃が、今度は目にも止まらぬ疾さで振られた。太刀筋は見えず、蒼い閃光だけが残影を引く。
「グヴァァ! グギャギャッ!」
しかし先とは打って変わり、その直刃は何も斬っていなかった。まるで棒切れを押し当てでもしたかのように、突撃してきた紅の騎士を阻むばかりである。
敵はそのまま獲物を求めて手を振り回している。
「ギギィィッ!」
「シャァァッ!」
背後から更に2体。それを見計らってか、最初の1体がなまくらと化した“蒼鬼・真打ち”を両手で掴んで動きを封じた。
三方からの同時挟撃。
「剣の疾さと、鋭さ……私はとかく“動”を究めようとした。が、高みへ至るには、その上があった……」
スッ。と、わずかばかりに足を運ぶ。
「“動”を制すのは、“静”――積み上げるのではない、削ぎ落とす。無駄な動作は無論、必要な動作も……死線の先へ転がり落ちない為の、絶対の1歩すら無用なのだ」
……。
「その全てを削ぎ落とした“静”の流れこそ……私の剣士としての到達点」
古い神事の舞のように、その動きは緩慢で、必要最低限の動作すら排除していた。
音もなく、摺り足で平原を歩く。“蒼鬼・真打ち”は既に、鞘に収まっていた。
そして彼が後にした場には、新たに3体の骸が積み重なっていた。
斬られたことに気づかぬまま絶命することはおろか、それらはとうに斬られた後になってから、彼に飛びかかっていたのである。
「私を、誰だと思っている――東の守護者の立つ舞台に、貴様らでは役不足。せめて身の程を知れ……」
……。
「私の視界に入りたいのなら、あと300年は修行してこい」
“魔剣のゴーダ”――「最強」の称号を置き去りにして、剣の高みへと至る、暗黒騎士。
「――どけい、ゴーダ!」
その声は後方、頭の上から聞こえた。
1歩、彼が横へ歩を運ぶ。
――ゴッ。
真っ赤に燃える流星が、ゴーダの脇を掠めて落ちた。新緑の生い茂る平原に黒く丸い焦げ跡が現れる。
“火の粉のガラン”――赤い髪に褐色の肌、さらしと腰布に羽織を掛けただけの奔放な女鍛冶師。額に生えた2本の短い角から火柱を立て、草原に身を伏していた敵を燃え盛る拳で消し炭に変えていた。
「ふふんっ。ガハハ」
ガランが鼻の下を擦る。そら見たかと言わんばかりである。
「ガラン、暴れたい気持ちは分かるが……度を超えているぞ」
ゴーダが背後を振り返る。ガランの烈火の拳が打ち込まれた道中には火柱が何本も上がり続けていて、視界の利かない霧の中であってもそれらがはっきりと見えた。
「はんっ、カチコミはこんぐらい景気よくやらにゃあ、こっちが舐められるわい! お主が静かすぎるんじゃ!」
「しかしこれでは、こちらの位置が丸裸だぞ」
点々と灯る火柱は、まるで誘導灯のように2人の移動経路を照らし示してしまっている。
「おっと、こりゃ確かに」
今更になってそのことに気を回したガランが、誤魔化すように頭を掻いた。口の端からぴょろりと舌が覗く。
「じゃがのう、ゴーダや――」
舌を引っ込めて、暗黒騎士を見上げる。
「――ワシらの居場所がバレることが、そこまで問題かのう?」
「ふむ……言われてみればそうだな」
ゴーダが顎に手をやって、なるほど確かにと頷き返す。
「各個撃破で城塞まで向かうのも、そろそろ面倒に感じていたところだ」
「そうじゃろそうじゃろ? ワシはちゃぁんと考えとんじゃ」
「いや、あんたはもう少し慎重になるべきだ――」
ふらりと周囲に目を向けて、言葉を継ぐ。
「――幾ら面倒とはいえ、この数は集め過ぎだろう」
……。
ダッ、ダッ、ダッ……と、一帯に地鳴りが聞こえた。
大地を介して足下を伝ってくる振動。大気を揺らす軍靴の足音。無数の気配。
ゴーダとガラン、たった2人の魔族を中心に、真紅の同心円の軍列が平原を埋め尽くしていた。その数、数千。
「狂化の術式か、あるいは錬金術の類いか……大体1体につき、人間の兵士10人から100人分といった戦闘力だぞ、こいつらは」
「ほぉか。そんならえぇと……例えば千人おったら“明けの国騎士団”に数え直すと……うぬぬ?」
ガランが両手の10本の指を動員して換算しようとしていたが、どうにも計算が苦手らしく、ものの数秒でその試みは放棄された。
「ま、よぉけおるっちゅうことじゃな! ガハハッ」
「……あんたに金の計算をさせるのは今後控えさせよう」
「は?! 何を言い出す、馬鹿にするでないわい!」
溜め息を漏らすゴーダに向かって、ガランがぷりぷりと口を尖らせた。
地鳴りは見る見るうちに大きくなり、霧の向こうに長城のように長く連なる紅い人影がぼぉっと浮かぶ。
「まぁ、ない物について憂いていてもしようがないか……あんたに算数を教える手立ては、私たちの“家”を取り返してからゆっくり考えるとしよう」
鞘に収めた“蒼鬼・真打ち”の柄に手を添え、ゴーダが抜刀の構えを取る。
「勉強は嫌いじゃ……そんなことよりワシは、ぶっ壊された工房を早う直したい」
両手を頭の後ろで組んで、ガランがぐっと背筋を伸ばした。
「……ベル公は、生きとるよの? 騎兵隊も、大丈夫じゃよな……?」
ずびりと鼻をかむ。常に豪快に強がってみせる彼女の声に、湿っぽいものが混ざる。
「やめろ、ガラン……そんなことを言うな」
ギシリ。と、柄を握るゴーダの拳に力が入った。
「西方でベルクトたちのことを聞いてから、努めて考えないようにしているのだ……情に流されて剣が鈍るようなことがあっては、取り返せるものも取り返せなくなる……あいつらの上司として、そんな惨めなところを見せられるか」
「ううっ、ゴーダぁ……ワシゃぁ、また悔しくなってきてしもうた……自分が情けのうなってきた……」
ガランの声が、弱気に震える。
「ガラン……私がついているだろう。あんたに覇気がないと、私も士気が下がってしまう」
「もぉぉ……じゃからぁ、何でお主はいっつもそうたわけなんじゃぁ……そういうのはローマリアの奴に言うてやれと、何度も言わすなぁ……落っこちてくる前に散々イチャついとったくせにぃ……」
ふいに優しい言葉をかけられたせいか、感情が一杯になったガランが思わず両目を手で塞ぐ。“イヅの大平原”への空中降下の直前、“星見の鐘楼”での“三つ瞳の魔女ローマリア”とゴーダとのやりとりを蒸し返した。
「なっ……! 今あいつは関係ないだろう……!」
「関係ないことあるかいっ」
にわかに2人の語気が強くなる。
「ええい、気が散るからよせ! ガラン」
「はぁ?! お主が悪いんじゃろが!」
「戦場だとわきまえろ!」
「ワシがどんな気持ちでお主と魔女のことを見とったかも知らんくせに!」
「は? どういう意味だ?」
「くそたわけの小僧には言っても分からんわい! ふんっ!」
『『『――ギシャラァァッ!!!』』』
何故か口喧嘩が勃発し、仲間割れの体を成した2人を待つ筈もなく、全周から紅の騎士たちが雪崩れ込んだ。
「「――うるさい、黙れ」」
ゴーダとガラン、一時的な不仲によって生じた2人の怒りと暴力が、その矛先をギラリと“特務騎馬隊”へと向けた。
「――“魔剣五式:朧重ね・――……」
「――“炎鬼、爆裂――……」
ゴーダが抜刀技を放った気配と、ガランが炎の色と光を帯びる自分の髪の毛を引き千切る音。
「「――……歪炎”」」
ゴーダがその場で身体を一捻りして、全周にぐるりと横薙ぎを放った。
その横でガランが、両手に摘まんだ自身の髪の毛をふぅと吹き飛ばす。
暗黒騎士の“魔剣”、“五式”――空間をねじ曲げ、見えない残像を質量としてその場に発生・固定させる隠密剣技。それが斬り、作り出したのは……“空気の残像”。
“空気の残像”は、本来その場に存在する筈の気体を押しやり、凝縮させ、密度と濃度を跳ね上げさせる。全く以て不可視であるそれはドーナツ状に広がって、ゴーダたちと無数の“特務騎馬隊”の間に濃密な空気の層を形成した。
そこに向けて放たれたのは、ガランの燃える髪の毛。それは1本1本が、耳を澄ませばまるで導火線のようにジリジリと危なげな音を立てている。
祭り囃子の音頭でも取るように、ガランが両腕を左右に広げた。
“空気の残像”はある種の「危険な濃度」まで気体を凝集させ、小さな爆薬にも等しい“燃える髪の毛”が、その空間へふわりと流れ込む。
「それぃ!」
パンッ。と、ガランが両手を打って軽快な音を立てた。
……。
……。
……。
――そして、耳をつんざき空気を燃やす炸裂音が轟いた。
濃縮された空気の層で、髪の毛がポッと一瞬燃え上がったかと思った瞬間、それは高濃度の反応性気体と化していた周囲を巻き込み、巨大な火の玉へと姿を変えた。
高温と瞬間的な膨張による衝撃波が周囲一帯の形ある物をなぎ倒し、空気を押しやり、刹那の間そこに真空に近い環境が生まれる。
空っぽとなった空間へ向かって、次の瞬間やってくるのは周囲の空気の激しい流入である。爆風が途端にそれまでとは逆方向へ向かって吹き込みだして、嵐が渦巻いた。
それはさながら、重爆撃。その後に広がるのは、当然の如く……焼け野原。
「……けほっ」
ガランが小さく咳き込むと、口の中から爆発の名残のような煙がもくりと輪になって昇った。
「ごほっ……いかん、加減を誤った……だから気を散らせてくれるなと……」
「すまん……ワシもちぃとやり過ぎた……ガハ、ガハハ……」
爆風で砂埃塗れになったゴーダがむくりと立ち上がるのを見やりながら、ガランがはぐらかすように頭をポリポリと掻く。
「ああ、本当に……今回は何もかも、度を超えている……」
頭を振って気付け直ったゴーダが辺りに視線を向けると、2人を爆心とした大爆発を受けて、辺り一面は焦げてバラバラになった“特務騎馬隊”の残骸で埋め尽くされていた。
次に、空を見上げる。濃い霧も先の爆風で消し飛んで、厚く垂れ込めた雲がはっきりと見えた。
“イヅの大平原”に、最早遮る物は何もない。
……。
「……やぁ……」
そして、背後にゾクリと、薄ら寒い視線があった。
それはいつのことだったか――ずっと昔のことのように思える、開戦を止めようと躍起になったゴーダが“明星のシェルミア”の下を訪れたときのこと。
「……はじめまして、と言うべきなのだろうか……」
王都は騎士団兵舎ですれ違った、人ならざる気配。
「……何故だろうか……そう、ずっとずっと大昔から、君とは顔見知りのような気がするよ……」
……。
……。
……。
「――……“魔剣のゴーダ”……体調は万全かね?」
……。
……。
……。
――バサリ。
霧の晴れた視界に見た“イヅの城塞”は――見る影もなかった。
翼を広げた“ユミーリアの花”……それが無秩序な肥大化の過程で、城塞を既に半分以上肉塊の中に取り込んでいた。
“イヅの大平原”の清涼な大地も、地下に根を張ったその怪物に毒され、垂れ流れ続ける汚液に地表も汚染されている。
ゴーダたちの“故郷”は、その歪んだ“理想郷”に塗り潰されていた。
「そうでなくては、私が困る……君が、最後の実験台なのだからね」
――“魔剣のゴーダ”。
――“火の粉のガラン”。
――“災禍の娘ユミーリア”。
――“忘名の愚者ボルキノフ”。
因果と因縁。宿命と必然。
ただ平穏を望んだ者と、全てを犠牲に理想を求めた存在が、巡り巡ってこの東の地で向かい合う。
それぞれが望んだ「終わり」と「始まり」が、ここに交差する。




