28-21 : 宵の玉座
――“淵王城”、正門直下。大回廊。
激戦の跡が色濃く残るその場所に、昏い沈黙が降りていた。
城内を照らす燭台の灯りは消え落ちていて、窓から差し込む冷たい月の白い光だけが、大理石の構造物たちを物悲しく浮かび上がらせている。
……。
……。
……。
――コッ……コッ……。
大回廊の巨大な空間の中に、その軽快な音が小さく反響していった。
サッ、サッ。と、瓦礫が山積した白亜の床を掃く箒の音がそれに重なる。
――……カッ。
細いヒールの先端が大理石を踏む音が途切れ、両手に提げた桶の中で拭き掃除の為に汲んだ水が揺れるチャプリという音が続いた。
「――……」
大回廊の果てに顔を向けて、ベールで目許を隠したまま、侍女が虚空をじっと見つめた。
「――“淵王”様」
水桶を置いた1人目の侍女が、鈴の音のような美しい声で言った。
「――陛下」
掃き掃除をしていた2人目の侍女が、箒を持つ姿すら優雅に見せて顔を上げた。
「――城主様」
拭き掃除をしていた3人目の侍女が、長い裾の給仕服も真っ白な手も一切汚さないまま立ち上がった。
「――リザリア様」
床に散乱した調度品を元の位置に戻していた4人目の侍女が、“烈血のニールヴェルト”との戦闘の痕跡の全くない可憐な容姿のまま、他の3人と同じように虚空に目をやった。
「――……」
“大回廊の4人の侍女”が、ベール越しに互いに目線を交わし合う。
「――“第5結界:明けの国”には異常ありません」
1人目の侍女が、何かを確認するようにしてから報告した。
「――“第4結界:宵の国”……東方に綻びが見られますが、動作に問題はありません」
2人目の侍女が、東の方角にしばらく顔を向けてから目線を戻して告げた。
「――“第3結界:淵王城”、物理的な損壊が発生していますが、術式は安定しています」
3人目の侍女が、こくりと頷きながら言った。
「――“第2結界:玉座の間”も、空間隔絶は継続中です」
4人目の侍女が、他の3人に順番に目配せしながら呟いた。
そして再び、“大回廊の4人の侍女”が、城内へと続く道の1点にじっと目をやった。
全く同じ4つの美しい声が、完全に単一な声となって、虚空に語りかける。
「――“第1結界:昏き淵の者”、結界術式の異常を確認。早急な修復が必要にございます、“淵王リザリア”陛下――」
***
「……ふぅぅ……」
玉座へ深く腰掛け、背もたれに背中と首を預け、両翼の肘掛けに腕を乗せた“王子アランゲイル”が、目を閉じ感慨深げに吐息を漏らした。
「……私は……宵の玉座へ至った……。“明けの国”の誰も為し得なかったことを、ここにやり遂げた……。この身に王たる器のあることを、ここにようやく証明することができた……」
そう呟きながら、アランゲイルがもう1度深く息を吸い込んだ。
「ああ……やっと、満たされた……。やっと、自分を認めることができた……。やっと、救われた……。やっと……やっと……」
心の底から安堵するように息を吐き出しながら、アランゲイルが小さくコホコホと咳き込む。
「ゴホッ、ゴホッ……。あぁ、そんな顔で睨むな、シェルミア」
億劫そうに見つめる王子の視線の先で、傷だらけの“明星のシェルミア”が壁に寄りかかって座り込んだまま、玉座をじっと見上げている。
「“明けの国”も、滅ぼすつもりだったが……ゴホッ……お前は、本当に強く育ったな……“ゲイル”は健在だが、凶王の鎧は、もう創れん……私の、負けだな……」
「負、け……? 負けた、のは……私の方です……貴方を、玉座へ至らせてしまった、私の……」
静かに呟くシェルミアを見やりながら、アランゲイルが口許を嗤わせた。そこには出来過ぎた妹への嫌みが含まれていたが、これまでの凶気の色は抜け落ちていて、それは酷く穏やかで落ち着いている嘲笑だった。
凶王の鎧を纏うために自らの手でつけた傷が癒えている筈もなく、玉座に身をもたせ掛けた王子の四肢と脇腹と喉からは、血が止まる様子もなく流れ続けている。
「ふんっ……この期に及んで、謙遜とはな……だが、まぁ、いい……もう、長くない身だ……せめて、しばらく……この玉座の上で、休ませろ……ふぅぅ……」
そういうと、アランゲイルは今一度玉座に深く深く身を沈めて、全身の力を抜くように静かな溜め息を吐きながら目を閉じた。疲れきった身体に安息を得て、心の底からほっとしているような、静かな顔つきだった。
「……っ……!」
最後の最後でアランゲイルに目的を果たさせてしまった無念と悔しさに、シェルミアが顔を歪めた。その身体もアランゲイルと同様に、もう一切の力が入らなくなっていた。脱力した視界の端には、首のなくなった“淵王リザリア”の亡骸が倒れている光景が写り込んでいる。
シェルミアがぎゅっと目を瞑り、剥き出しにした歯を噛み締めて、頭を壁面にコツンと打ち付けた。
「……どうする、シェルミア……まだ、抗うか……?」
己の身体が死にゆくに任せて玉座に座したまま、目を閉じたままのアランゲイルが気配だけを頼りに語りかけた。
「もう、私にできることは、ありません……貴方がその玉座の上で、孤独の内に死にたいと言うのなら……私には、それを聞き届けるぐらいのことしか、できません……」
シェルミアの方も目を閉じて、ボロボロの身体を投げ出したまま、魂の抜けるような溜め息をつくことしかできなくなっていた。
「ああ、そうさせて、もらうよ……。そのまま、楽なように、しているがいい……私の方が、先に逝くだろうが、看取る必要は、ない……独りきりで、死なせろ……。最期の話し相手が、お前で……まぁ、悪くは、なかったのかもな……」
「……。さようなら、アランゲイル……凶王ではなく、貴方と最期の言葉を、交わせたのが……私の唯一の、勝利でした……」
目も開けられない倦怠感に包まれて、シェルミアが囁くように言う。
「馬鹿な、ことを、言う奴だ……。“向こう”では、同席は、ごめんだからな……私の、ところへは……堕ちてくるなよ……」
「ええ……貴方の、審判が、決まる前に……私も、追いついてしまう、でしょうけれど……」
重たく力の抜けた身体を横たえて、シェルミアもアランゲイルも、それ以上はもう言葉を交わさなかった。
全身が溶けていくような、どこまでも深い眠りが身体を包み込んでいく。
全て終わったのだと、ぼんやりとなっていく意識の中で、シェルミアは静かに思った。
……。
……。
……。
何かが、コトリと転がる音がした。
「――汝の望むものを得たか、人の子よ」
感情の欠落した冷たい声が、2度と覚めることのない眠りに沈もうとしていたシェルミアとアランゲイルの耳に届いた。




