28-14 : 貴き者
「余は至高の王なるぞ。この座より見上げねばならぬものなどない。並び立つ者もおりはせぬ。余が見下げるのではない――余の前に立つ者が皆、等しく頭を垂れておるだけのこと」
リザリアのその言葉は、威圧でも虚勢でもなく、ただただ事実を告げていた。
「その傲慢さが、“宵の国”の王の宿す器か……」
アランゲイルが、一切の物怖じもなく、鼻で笑い飛ばすようにして言った。
「傲慢ではない。余を前にして頭を垂れる者は皆、このリザリアの名の下に全てこれ平等である。魔族最高位の守護者であろうと、人の子の赤子であろうと、罪人であろうと、余の言葉は跪く者たちへ等しく響き渡ろう」
“淵王”の感情のない声が、至極当然のこととして答えた。
その言葉に、アランゲイルの表情が曇る。
「で、あるならば……ここに頽れた我が妹も、その“平等”とやらに含まれるのだろうか?」
「無論ぞ」
アランゲイルの試すような口の利き方に、リザリアが即答する。余りにも当然の、本来ならば答えることすら愚かしい問いであるとでも言うふうに、“少女の姿をした何か”は半ば呆れてさえいるようにも見えた。
「はは……はははは……」
凶王の相を浮かべた王子が額に左手をやり、「これは参った」とでも言いたげに首を振った。思わず、冷たい失笑が口許から零れ落ちていく。
「くくくく……ははははは……。……。……。ならば、“淵王”よ……貴様の座すその玉座の前にひれ伏さぬ我が身は、果たして何なのであろうな……?」
その声は、怒りと破滅への衝動とで、震えていた。
「自明の問いに答える務めはない。余は、同じことを2度は言わぬ」
リザリアのその言葉が、アランゲイルを突き放した。
……。
……。
……。
「……ははははははは!」
突然、アランゲイルが頭を仰け反らせ、狂ったように高笑いした。
「はははははは! 私は! 私は……! こうまでして、ここまで屍を積み上げてさえ、糾弾はおろか相手にもされないのか……ははははは! これは、これは傑作だ!」
王子の掠れた声が、大きな笑い声に塗り潰されていく。
「“淵王”! 貴様がどれほど貴い者であるか、それの分からない私ではない! 否! 貴様のその王の器、畏怖せず尊びもしない者など、この世のどこにもいはすまい! その玉座の前に、リザリアという王の名の下に頭を垂れる、ただそれだけで平等の恩寵に与れるのならば、それならば――」
リザリアの神聖性としか言いようのない気配に当てられ、気の触れたように捲し立てた“王子アランゲイル”が、食い縛った歯の隙間からフーッ、フーッと激しい吐息を吐き出す。抑えきれない感情が凝固して、それは支離滅裂な言葉へと形を変えていく。
「――それならば……私の為してきたことは何だったのだ! 私の絶望は! 私の劣等感は! 私のこの、破滅への衝動は! 国同士を争わせ! 魔族の紫血を啜り! 己が民の赤い血までもこの身に浴びて! その全てを凶王の器に注いでまでここへと至った私は……何だったのだ! 何だったのだっ!!」
ぐるぐると渦を巻いた兄の瞳が、隣で無言のまま頽れている妹をギロリと睨みつけた。
「こんなにまでしたというのに……! あの貴き者は! お前という者を平等に寵愛したとしても! この私には……私には……何も与える物などないという!」
取り乱したアランゲイルが、うなだれた妹の肩を鷲掴みにして前後に乱暴に揺すった。シェルミアは抵抗も抗議もしないまま、ただ頭の後ろに1本に結った髪を揺さぶられるままにガクガクと震わせるばかりである。
「何のために……何のために……! ははっ! はははっ! はははははははっ!! “第2王子”だった私なら! あの無力と孤独と自己嫌悪に腸を捻り返していたあの男なら! 今頃は貴様の前にひれ伏していたろうな、“淵王”! ただそれだけのことで! どれだけあの男は救われたろうな!」
そして天を仰ぎ見たアランゲイルが、見知らぬ場所へ取り残された幼子のように、ぐわと口を開けて怒りの声で叫ぶ姿がそこにはあった。その悲鳴は無様で、狂おしく、空虚で凄惨で、どこまでも物悲しかった。
「私は……私は……! 見返してやりたかっただけだったのに……! この虚しさを埋めたかっただけなのに……! こんな孤独を、求めたわけではなかったのに……! くそぉ……くそぉ……! くそぉぉぉおおおおおっ!!! あぁぁぁああぁぁぁぁあああぁぁああっ!!!」
ただ胸元に噴き上がってくる感情に任せて、“王子アランゲイル”は叫び続けた。
凶王の器を得た代償のその果てに、救いを求めるように歩き続けた末に、“宵の国”の最果てで見出したものは、何も与えられない孤独だった――吐き捨ててきた過去の記憶さえ暖かく感じられるほどの、真紅に塗り潰れた虚無だった。
「――憐れよな」
玉座の上で頬杖を突く“淵王リザリア”が、ただそうとだけ、冷たい声で呟いた。
「黙れぇぇえええ!!!」
ズチャリ。と、アランゲイルの右手に垂れ下がる“人造呪剣ゲイル”が弾けるような水音を立て、真紅の刃から呪いの枝葉が芽を吹いた。その先端に実った“魔族兵の形の呪い”が巨躯を振り回し、手にした戦斧を頭上に振り上げて、破壊衝動のままに“淵王リザリア”へ襲いかかり凶刃を叩き下ろした。
……。
……。
……。
無音と静止だけが、どこにも繋がっていない玉座の間に満ちる。“少女の姿をした何か”の苦痛の声も、斃れる音も、血の滴る気配も、何もなかった。
「……」
身じろぎひとつせず、顔色ひとつ変えないまま、ただ頬杖を突いた姿勢のままでいるリザリアの眼前、その紙一重の距離で、“魔族兵の形の呪い”がビタリと動きを止めていた。
「……」
“宵の国”の絶対君主は、口を噤んだまま、瞬きもせず、その光景をじっと見つめている。
そしてふわりと開いた真っ白な口許から、貴き者の言葉が零れていった。
「――斯様な姿に堕ちてまでのその忠義、大儀である」
「グ……グル、ヴ……」
“人造呪剣ゲイル”に取り込まれ意思を持たない道具に堕ちた“魔族兵の形の呪い”が、気づけば玉座の前に跪き、深く深く頭を垂れていた。
「イ……ア、ギラ……エイ、ガ……」
“少女の姿をした何か”への忠節を最後に示してみせた魔族兵が、呪いと成り果てたその身を自らの意思で崩壊させて、玉座を照らす黄昏の中に溶けていく。
“淵王リザリア”はその忠誠に応えるように、“魔族兵の形の呪い”がただの赤黒い染みに変わり果てるまで、金色の瞳を片時も逸らしはしなかった。
「……余とこの玉座は虚ろなれど、汝ほどの孤独ではない。空の器の凶王よ」
リザリアが玉座の上から見下ろす先で、真紅の剣を突いてその柄に額を縋りつけたアランゲイルが、口許を叫び声の形にしたまま目を丸く見開いて、呆然と足下を見下ろしていた。




