28-13 : 自惚れ
シェルミアは、ただへたりと座り込んだまま、垂れた金と黒の前髪の下に身を隠そうとするかのように俯くばかりで、何も応えようとはしなかった。
応えられなかった。
そんな余裕も、決意も、覚悟も、まるで溶けた鉄のように芯と形を忘れてしまっていた。
……。
始めに在ったのは、“第1王女”としての義務感だった。“騎士団団長”としての使命感だった。
――私が、王になる。誰も傷つかなくて済む場所を、私が必ず作ってみせる。
……。
裏切り者と断されたその身と心を繋ぎ止めていたのは、“騎士”としての義憤だった。“罪人”の枷を嵌められたことへの怒りだった。
――こんなことが許されてはならない。貴方の過ちは、私が正してみせる。
……。
止められると、思っていた。止めなければならないと、信じて疑わなかった。
――私が、それを為さなければならない。私には、その資格がある。
……。
……。
……。
それは、“妹”としての過信と、“明星のシェルミア”としての――自惚れだった。
……。
……。
……。
――誰にも傷ついてほしくないという私の願いが……貴方をそんなにまで傷つけてしまったのですか……。
――許されてはならないと断じた貴方の過ちは……私の信じた正義の影で、貴方に押し着せてしまっていたものだったのですか……。
――私が、為さなければならないと思っていたものは……。
――私が、願っていたものは……。
――私が、取り戻したかったものは……。
……。
――兄上……私は貴方に……“貴方”でいてほしかった……。
――優しくて、聡明で、努力家の“貴方”に……。
――私の傍に何も言わずいてくれて、頭を撫でてくれる、“貴方”のままでいてほしかった……。
……。
――そんな私の願いが、貴方のことをそんなに暗い場所へ落としてしまったのだとしたら……。そこに私の差し伸べた、“貴方”への幻想が、貴方から目を背けていた私の弱さが、貴方の中に凶王を宿らせてしまったのだとしたら……。
……。
――私が、貴方を止めようとすればするほど……貴方が、遠くへ行ってしまうのだとしたら……。
……。
――私が藻掻けば藻掻くほど、凶王の器に貴方が沈んでいってしまうのなら……。
……。
――私の覚悟は……何だったの……?
……。
――私は、どうして……ここにいるの……?
……。
――私は……何も……できません……。
……。
――私には、何の資格も……ありません……。
……。
「そうだよ、シェルミア……いい子だ……」
兄の声が、ぽっかりと空いた胸の穴に染み込んでいく。それは言葉の意味だけを装った歪んだ意思の声だったが、道を照らす光を見失った妹の耳に、それは何よりも優しい声に聞こえた。
「もう、何もしなくていいんだよ……ただ、そこで見ていておくれ……私とお前が生んだ、凶王のゆく道を……私とお前がもたらす、終わりの光景を……」
己の無力を許容されることの、何と安らかなことか。その言葉のままに身をもたせかけることの、何と甘美なことか。そうして暖かな泥の中に、自らの重さを知った身体が沈んでいくに任せていると、ふっと心が軽くなっていく。
「何も心配しなくていいよ……あとは、任せておくれ……」
そっと、俯けた頭を撫でられた。懐かしいその感触に、腹の底がじんわりと熱を帯びていく。
穏やかな微睡みのような安息は、たとえ紛い物であったとしても、どうしようもなく嬉しく、切なく、抗い難かった。
「う゛……うぁ゛ぁぁ……っ」
萎んで固くなったシェルミアの意思は、己の身体の指先1本動かすこともできず、ただへたり込んで訳も分からず嗚咽を漏らすことしかできなかった。
「――ウフフ」
「――ンフフッ」
「――クスクス」
「――フフフ」
“4人の侍女の形をした呪い”が、幻惑するような笑い声だけを残して、ドロリと形を失い、溶けて消えた。
そこは“大回廊の守護者”によって閉ざされた無限回廊の果て。この世のどことも繋がっていない、無音の孤独に満ちた場所だった。
「お初に、お目にかかる……」
その扉のない玉座の間に降りる沈黙を破って、凶王の器を宿した“王子アランゲイル”が1歩前に歩み出た。
その傍らには、膝をつき、力の抜けた肩をがくりと落とした“明星のシェルミア”が呆然となって俯いている。
「ここまで……長く、険しく、爛れた道のりだった――」
死相を浮かべた顔を上げて、淀んだ光の宿る茶色の瞳をぎょろりと向けて、兄のその視界の中に、宵闇に溶けて一際昏い輪郭を纏った玉座の影が映り込む。
「ようやく……ようやく、辿り着いたぞ――」
どこから届いてくる何の光なのかもわからない、青白く冷たい明かりが月光のように降り注ぎ、最果ての地に据えられた玉座を足元からゆっくりと照らし出していく。
一瞬、そこには何者の影も座してはいないように見えた。これほどの無音と孤独に囲われた場所になど、そんな場所に置き去りにされた玉座になど、誰もいるはずがないと、それを見た者は誰であろうとそう信じ、そう願う。そこにあるのは、そんな光景だった。
それほどの、虚無だった。
しかしその場にあって、“王子アランゲイル”は迷うこともなく、ただその名を呼んだ――。
「“宵の国”の王よ……“淵王リザリア”よ」
――その白く冷たい、貴き者の名を。
……。
……。
……。
「……何用ぞ。血濡れた人の子よ」
そしてアランゲイルの言葉が静寂を破り、黄昏の光が玉座の影を照らし出したとき――そこには“明けの国”の王子がリザリアと呼んだ、“少女の姿をした何か”がただ座していた。
それは装飾を廃しながらも至高の気品を帯びる白と黒だけからなるドレスを纏い、頭頂に王たる証しの冠を頂いて頬杖を突き、雪のように白い髪と、大理石のように真っ白な肌をしていた。そして能面のように何の表情も浮かばぬ少女の顔が、無感情な声でぽつりと零す。
「余を前にして、その頭の高いことを知れ」
真っ白な肌とは対照的な金属光沢をした金色の瞳をじっと向けて、“宵の国”の絶対君主のその言葉は、玉前にただ立つアランゲイルの居住まいを、それだけで罪深いと咎めているようだった。
「余を、まこと“淵王”と心得ての振る舞いか」
それはともすると、幼ささえ垣間見える少女の声だった。しかしその少女の声は、耳に聞くままの少女のそれではない。それは背筋が震えるほどに凍てついて、全身の汗が干上がるほどに無慈悲で、そして直視できないほどに侵し難く、貴かった。
「……」
有無を言わさず、言外にひれ伏すことを命じるリザリアに対して、アランゲイルはただ直立したまま無言を返答とした。
「如何様ぞ。何も言わぬでは分からぬ」
頬杖を突いたままのリザリアの言葉は問い咎める意を含んだ音の連なりであったが、その態度はアランゲイル自身にはまるで興味を抱いていない様子だった。
「頭が高いのは、どちらの方であろうな……“淵王”」
鞘を持たぬ真紅の剣をだらりとぶら下げたまま、アランゲイルが沈黙を破り、ぽつりと言った。
――ニヤ……。
そして、そのやつれて隈の刻まれた顔がグニャリと歪み、凶王の嗤い顔が浮かび上がる。
「我が名は、アランゲイル……此処な我が異母妹、シェルミアに取って代わり、“明けの国”の王位を継ぐ者である――」
兄の見てきた世界に触れ、その失意と傷心に脱力したままでいるシェルミアを横目に口上を述べた“王子アランゲイル”が、玉座の間の数段高い壇上に玉座を据えるリザリアを見上げた。
「王たる者が、同じ王を見下げることも見上げることも、道理ではない」
「……」
「……」
……沈黙。
数秒間、リザリアが真っ白な瞼を閉じて何かを思う間があった。
「……なるほど。一理、あるやもしれぬ」
……。
……。
……。
「一理あるのやもしれぬが――それがどうだと申すのだ」
再び開いたリザリアの金色の瞳は、不快であることを示すように細められていた。




