28-4 : 血生臭く
無限回廊をただ当てもなく飄々と歩き進んでいた“烈血のニールヴェルト”の眼前に、その人影は無言のまま立ち塞がっていた。
「…………」
“宵の国”の兵の証しである黒い鎧に身を包み、左肩に羽織った外套で半身を覆い隠した1人の騎士が、肩幅に広げた両の足でしっかりと直立し、兜の奥からニールヴェルトの姿をじっと見やっている。
「……」
無限に続く大回廊の只中、全く同じ幾何学構造を繰り返す迷宮の中に現れたその唯一の変化を前に、ニールヴェルトが立ち止まる。黒い騎士と同じく無言の視線を送り返しながら、狂騎士は歩き疲れたとでも言いたげに、金属板に覆われた爪先で白亜の床をコンコンと蹴った。
「……ふぅ」
片脚に体重を乗せ、気怠げな体勢を取ったニールヴェルトが、ぼりぼりと首の後ろを掻き回して思案を巡らせるような仕草を取る。
そして俯いた顔が再び上げられたとき、ニールヴェルトの視線は黒い騎士の兜から流れ落ちている銀色の髪をじっと見つめていた。
「……よぉ……お前は、幻でも野郎の呪いでもねぇよなぁ?――」
狂騎士が顎を上げ、ぎょろりと下に向けた目で、黒い騎士にそう言葉を投げかけた。
「――エレンん」
「…………」
「エレンだろぉ、お前ぇ? 隠すなよぉ……俺とお前の仲じゃねぇかぁ」
「…………」
黒い騎士が、動じる様子もなく右腕をゆらりと上げる。手甲を嵌めた手が兜の顎先に指をかけ、片腕で顔を覆うその装甲を持ち上げると、投げ棄てられたそれが大回廊の床を転げ回り、カランカランと乾いた音を無限の彼方へ反響させた。
「…………」
兜の中から流れ落ちた銀色の長い髪を肩の上に踊らせて、しばしの間、何かへ思いを巡らせるように目を閉じていた“右座の剣エレンローズ”が、ゆっくりと瞼を開けて、灰色の瞳をニールヴェルトへ真っ直ぐに向けた。
「ハッ。どしたぁ? ちょっと見ない内にぃ、随分雰囲気が変わったじゃねぇかぁ、騎士崩れぇ」
エレンローズの灰色の視線を正面から受けて、ニールヴェルトが鼻で嗤った。
「…………」
「……」
「…………」
「……んっとに、剣も抜けずに泣きべそかいてるだけだったあの女はどこ行ったぁ? ひはは」
エレンローズの長い髪に縁取られて様変わりした顔つきと、侮蔑の言葉にも全く臆する気配を見せず真横に結ばれている口許と、そして何より無言の内に語りかけてくるその灰色の目を見たニールヴェルトが、もう1度嗤った。その嗤い声にはわずかながらに、感心しているような声音が含まれていた。
「…………」
「なぁ、何とか言えよぉ、エレンん」
「…………」
「野垂れ死ぬだけだったお前がよぉ、何で“宵の国”の甲冑なんて着て、俺の前に立つぅ?」
「…………」
「何でそうまでして、こんなとこにいんだよ、お前ぇ? あんなにボロッボロになってたくせによぉ、自分の足で立てないぐらい信念もポッキリ折っちまってたくせによぉ……喋れなくなってまでよぉ……」
……。
「何でまだ、剣を抜くんだぁ? お前はよぉ」
そう疑問を投げかけるニールヴェルトの見ている先で、エレンローズが右手に“守護騎士の長剣”を抜いていた。“明星のシェルミア”の捧げた血をその刃に受け、“守護騎士の契り”を交わしたその剣先が、狂騎士を真っ直ぐに捉えて放さなかった。
「……ひははっ……ひははははっ」
守護騎士のその佇まいを前にして、ニールヴェルトが顎を上げたままの自分の顔に、その目許に手のひらを覆い被せた。肩をふるふると震わせて、口許から潜み嗤いが零れ出る。
「ひはははは……ひははははははっ!!」
そして狂騎士が口角をニタリと吊り上げて、背中をグニャリと仰け反らせて、無限回廊の高い天井に向けて歓声を上げた。
「ひはははははっ! やっぱり……っ! やっぱりっ……やっぱりお前がっ! 1番イイ女だぜぇ!! エレンローズぅぅう! きははははははっ!!!」
「…………」
「わざわざ俺に会いに来てくれてぇ! ありがとうなぁ! 本当にっ、ありがとうなぁっ!」
「…………」
「騎士崩れなんてよぉ! 言っちまって悪かったぜぇ! 今度こそ俺の手でぇ! ちゃぁんとぶっ殺してやるかなぁ!! エレンんんんっ!!!」
ニールヴェルトの右腕が、そこに嵌められた“雷刃の腕輪”がぼぉっと光り、迸る稲妻がバチバチと空気を震わせた。
「きははははははっ!!」
肉を灼き、骨を貫く雷撃が、黒い甲冑を纏って立つエレンローズへ向けて迷いなく飛んだ。
――バチリッ。
稲妻がエレンローズの身体を貫いたかに見えたその瞬間、1本の槍のように束なって疾った雷が千々に飛散し、雷鳴だけを残して、何ものも撃ち抜くことなく消失した。
「ひははははっ! ひはははひはっ!!」
間髪入れずに風が唸りを上げて、ニールヴェルトの左腕の“風陣の腕輪”から真空の刃が無数に飛んだ。しかしその研ぎ澄まされたかまいたちも、パンッという甲高い破裂音だけを残して、どこにも傷跡を残すことなく消え失せた。
そして消えかけの旋風が、エレンローズの左半身を覆い隠す外套をひらりと舞い上げる。
「きひひっ……きはははははっ! いいねぇ……面白くなってきたじゃねぇかよ、なぁああ!!」
風に靡いた外套が、バサバサと音を立てて波打った。その衣の下に左腕はなく、それに取って代わるようにして、雷もかまいたちも打ち消した“封魔盾フリィカ”の物影があった。
「…………!」
長い髪を風に逆立てながら、エレンローズがニールヴェルトをきっと睨み付ける。それに呼応するように、左肩の外套から姿を現した“封魔盾フリィカ”の装甲に、古い古い魔方陣が浮かび上がった。
代々、“明けの国”の王家に継がれてきた2つの魔導器、“運命剣”と“封魔盾”。由縁も伝承もいつしか途絶え、組み込まれた術式も解析不能の魔導の盾から溢れ出した術式回路が光を帯びて、大回廊の床、壁面、天井に至るまで、封魔の魔方陣がびっしりと敷き詰められていく。
その太古の魔導文字が光を強めていくにつれ、ニールヴェルトの両腕に嵌められた“雷刃の腕輪”と“風陣の腕輪”から、魔方陣の光が消えていった。
ただそこにあるだけで、あらゆる魔法を無力と化す“封魔盾フリィカ”が、それ本来の術式を起動させ、封魔の結界が2人を覆い尽くす。
「ひははははははっ! 盛り上がってきたなぁあああっ!!! えぇっ!? きはははははぁああぁつ!!!」
封魔の結界に取り込まれたニールヴェルトが、興奮した叫び声を上げる。
「もう、こんな邪魔もんはいらねぇなぁ!」
狂騎士が、何の躊躇も見せずに、ここまでの道のりを切り開いてきた2つの腕輪を両腕から外し、背後に放り捨てた。そしてその両手が代わりに掴んで構えて見せたのは、長い柄を持つ斧槍である。
「最ッッッ……高の舞台だぜぇ! エレンんん!! 人間同士よぉ、殺し合いに身を捧げたもん同士よぉ……小細工なしの、血なまぐさい泥仕合といこぉやぁ……!」
「…………」
力を溜めるように膝と腰を屈めて重心を落としたエレンローズが、右腕を伸ばして“守護騎士の長剣”を横に構えた。
「あぁ……! イイねぇ、イイ目だぁ……! あのときよぉ、手元が狂ってお前を殺しきれなかったのは正解だったぜぇ……よく、生き延びてくれたぜぇ……エレンんん……!!」
狂騎士の声は高揚し、抑えきれない激しい感情が、声と吐息を震わせる。
「邪魔する奴は、もういねぇ……! 今度こそ……今度こそっ! お前を俺のもんにしてやるよぉお!! エレンロォオーズゥウウッ!!!」
「!…………」
大理石の床を蹴り、そして銀色の甲冑を纏った“烈血のニールヴェルト”と、黒い鎧に身を包んだ“右座の剣エレンローズ”が、同時に前に飛び出した。
金属同士がぶつかり合う、耳を刺す衝突音が鳴り響き、エレンローズの放った横薙ぎと、ニールヴェルトが叩き下ろした斧槍とが激しくかち合った。
「きひひっ……きひはははっ……!」
双方の押し出す刃がガリガリと擦れ合い、拮抗して行き場のなくなった力が剣先を震わせる。わずかな吐息の音も聞こえるほどに近づいたその先、凶刃の向こう側に、ニールヴェルトのぐにゃりと捻れた笑顔があった。
「……っ……」
「きはははっ……ああ、本当にイイ顔になったなぁ、エレンよぉ……!」
鍔迫り合いの渦中で、ニールヴェルトが押し出すように半歩前に進んだ。
「あのときのぉ、“もうどうでもいい”ってぇツラとは大違いだなぁ? そぉだよぉ……俺ぁ、あんな殺す価値もねぇ女と会いたかったわけじゃねぇ……俺ぁ、“お前”と、ずっとヤってみたくてよぉ……!」
更に半歩、狂騎士が斧槍を前に押し出す。その拍子に滑り動いたエレンローズの“守護騎士の長剣”が、ゴリッと刃こぼれする音を立てた。
「俺は、“お前”に会いたかったんだぁ……! “右座の剣”によぉ……! “お前”とこうしてぇ……ずっとずっと殺し合ってみたかったんだぁ……っ!」
ぐいと前に出されたニールヴェルトの顔が、目と鼻の先に迫る。
「ほら、俺…… 一途だからさぁあっ! きひははははひはははっ!!」
「…………!」
ドンッ、というその衝撃は、エレンローズが左半身に括り付けた盾で体当たりを放ったものだった。右腕1本では押されるに任せるままだった状況から、ニールヴェルトの斧槍を一気に押し返す。
「あぁ……! “お前”のそういうところぉ! そそられるんだよなぁあっ!!」
狂喜の声を上げたニールヴェルトが、その力勝負を嬉々として受けて立ち、ねじ伏せるように両腕に力を籠めた。
ぐらりと、エレンローズの身体が揺れる。
「ひはははははっ!」
大口を開けて、唾を飛び散らせながら、狂騎士が嗤い回す。
「エレン……エレンん……! エレンエレンエレンっ、エぇえレぇえンんんんんっ!!! きはははははははははぁああ!!!!」
かっと見開いた2つの眼、エレンローズをじっと見つめるニールヴェルトの瞳の中で、狂気の色がぐるぐると渦を巻いた。
「…………っ」
その悪魔のような形相を前に、本能的な恐怖が、“狩られる側”の恐慌が、全身の筋肉を強張らせ、流れる血潮を凍り付かせる。
「っ!…………」
ゆえにこのとき、鍔迫り合いの中、エレンローズが自分の意思で1歩後ろに引いてみせたのは、恐れに屈したのではなく、全くその逆、冷静さと勇ましさの為せる業だった。
“狩る者”を前に、その狂騒渦巻く目を覗き込んだまま、エレンローズがさっと後ろに身を引くと同時に、くるりと身体を翻した。
拮抗する力を支えていた相手が急にふわりと身をどかしたことで、ニールヴェルトの身体がぐらりと前方につんのめる。
「っ……! きはははははっ!」
倒れゆく狂騎士の横に身を返した守護騎士が長剣を振り下ろし、それに応えるように斧槍が振り上がる。
ニールヴェルトの頬から血が飛び散り、エレンローズの鼻先を掠めた斧槍が銀色の長髪を刻み飛ばした。
両者がぐらりと足下をよろつかせ、一瞬、全ての光景が無限回廊に溶け込むように静止した。
頬にざっくりと長い斬り傷を負ったニールヴェルトの血が、白亜の床にポタリポタリと滴り落ちる。それを見やるエレンローズの目許にも、糸のように細い掠り傷が刻まれて、そこからじわりと血が滲み出ていた。
……。
……。
……。
「……くく……くくく……くききき……っ!」
ドカッ。と、斧槍の柄を大理石に突き立てて、それにもたれるようにしながらゆらりと立ち上がった“烈血のニールヴェルト”が、俯いて目許を隠した体勢で肩を笑わせた。その身震いに、頬から流れる血が零れる量を増していくようだった。
「っ……ッ!…………たぁああっのッッッしぃいいイぃぃィいいいいイいっ!!!! あーぁああアはははハハははハはァァアあアアぁァあアっ!」
愉悦と快楽で脳が灼き切れでもしたかのように、狂騎士がグネリと背骨を反らせて、およそ人間のものとは思えない嬌声を上げた。




