27-13 : 因果
「……そんな野郎がイイのかよ……俺よりもよぉ」
濃い紫血の血溜まりが広がる大回廊に、“烈血のニールヴェルト”がゆらりと立ち上がった。
「――ウフフ」
「――ンフフッ」
「――クスクス」
捕食行為を終えた“侍女の形の呪い”たちが、外面だけの偽りの美しさを振りまいて、横一列に優雅に立ち並んでいた。
「――フフフ」
そしてその列の右端に、4体目の真紅の呪いに成り果てた“大回廊の侍女だったもの”の姿があった。
「どうせ喰われてグチャグチャになっちまうんなら……何で俺に壊させてくれなかったんだよぉ……俺ぁ、ただ……綺麗だと思ったものを、壊したいだけなのによぉ……何で誰も、こんな単純なことも分かってくれねぇんだぁ……」
思わず目許に手をやっている狂騎士の頬には、未だに涙が筋になって流れていて、涙の痕が乾くことなく大回廊を照らす燭台の灯りを反射している。
「それは貴様が――誰も貴様の言葉に耳を傾けないのは――貴様が、狂っているからだ……ニールヴェルト」
“4人の侍女の形の呪い”の向こう側から、“王子アランゲイル”が侮蔑の感情に乗せて言い捨てた。
「……ハッ」
失意の底に沈んでいるニールヴェルトが、涙を零しながら鼻で嗤い飛ばした。
「狂ってるだぁ? 違うぜぇ、アランゲイルぅ……俺ぁ、自分の気持ちに素直なだけだぁ。『私は普通のまともな人間です』ってぇ面ぶら下げてやがる連中より、ちょぉっとだけぇ、正直なだけだよぉ」
目許に当てていた手のひらを口許へと持っていきながら、狂騎士がぶつぶつと呟き始める。その瞳には暴力の色が踊っていたが、それと同時に紛れもない理性と聡明さの光が宿ってもいた。そのことが、ただ狂気だけを覗き見ることよりも、遥かに不気味なことのように思えた。
「壊すことが好きじゃない人間なんてよぉ、この世にはいねぇよぉ。でなけりゃぁ、何で騎士団なんてもんがあるぅ? 何で魔族を怖がるぅ? 何で戦争なんてするぅ? 何で男は女の股を開かせたがってぇ、女は男の寝床に夜這いするんだぁ?」
……。
「そりゃぁ、壊すことが気持ちいいからだぁ。ものが壊れるその瞬間がぁ、1番綺麗だって知ってるからだぁ。みんな……みぃんなよぉ……言葉にしないだけでさぁ、心のずっと奥のとこではそう思ってんだよぉ。俺ぁ、それを知ってるぅ……でもよぉ、だぁれも、そのことを正直に話そうとはしねぇんだぁ。あぁ、それも知ってるぜぇ……みぃんな、他人を壊すのは大好きな癖にぃ、自分が壊されるのは勘弁って奴らばっかりってことさぁ。ぜぇんぶ、俺ぁ分かってんだよぉ。なのに、だぁれも……俺の言葉を聞こうとはしねぇ。嗤えるよなぁ……」
「ふん……下らん妄想だ」
重い足取りでニールヴェルトに背を向けて、ガリガリと刃の切っ先を引き摺りながら、アランゲイルが“淵王城”の深部へ向けて歩き始める。気がつけば、“4人の侍女の形の呪い”はドロドロに形を失って、真紅の剣が孕んだ呪いの中に溶けて消えていた。
「……あと10年早く、貴様という人間と1度でも腹を割って話していれば、あるいは違った結果もあり得たのかも知れんな……」
「あ……? 聞こえねぇよぉ、呪われた王子様ぁ」
「……自惚れるな、下郎。貴様に言って聞かせる言葉など、ない」
「あぁ、そぉかよぉ」
そしてようやく涙の止まったニールヴェルトが、アランゲイルの背中を追いかけるというでもなく、“大回廊の守護者”を失った白亜の床を、踏み出した足でコツンと叩いた。
……。
……。
……。
――――。
――――。
――――。
……。
……。
……。
「……?」
“王子アランゲイル”が、ふっと背後を振り返った。
特に何か、理由があってそうしたわけではない。かといって、気まぐれでそんな真似をしたというわけでもなかった。
それは“違和感”としか言えない、無意識の領域が感じる何かの予兆によるものだった。人間としての理性ではなく、動物としての本能が、「後ろを向け」と囁いたのである。
……。
……。
……。
「……何だ、これは」
“王子アランゲイル”のその声が、ニールヴェルトの姿の消えた大回廊の荘厳な空間に反響していった。
***
「何だぁ……? こりゃぁ」
間延びした声で、“烈血のニールヴェルト”が、アランゲイルのいなくなった大回廊を見回しながら、訝しげに言った。
白亜の床を踏みしめた瞬間、狂騎士の“生き残る才能”が、暗い意識の底からヒソヒソと何事かを語りかけてきているのを感じた。
違和感。ただ、「違和感」としか呼びようのない、何かが間違っているという感覚。
「……」
ニールヴェルトが、大回廊の白亜に2歩目の足を踏み出した。
――コツン。
真っ白な大理石を踏んだ靴底が、大回廊の広大な空間に反響音を響かせる。
コツーン……コツーン………コツーン………………コツーン………………………………コツーン………………………………………………………………。
「……。アランゲイルよぉ、聞こえるかぁ?」
聞こえるかぁ?……聞こえるかぁ?………聞こえるかぁ?………………聞こえるかぁ?………………………………聞こえるかぁ?………………………………………………………………。
ニールヴェルトの声が、大回廊の果てに向かって無数の木霊となって、やがて何も聞こえなくなった。
「……」
狂騎士が、目をすっと細めて周囲を伺う。前後、左右、上下……あらゆる方向へ意識を向けて、そしてそれは、現状の些細な理解を得る。
「……“何処だ? ここぁよぉ”……」
どこだ?……どこだ?…………どこだ?……………………どこだ?…………………………………………どこだ?……………………………………………………………………………………。
***
……。
……。
……。
――――。
――――。
――――。
……。
……。
……。
広い広い空間に、自分の立てる音と声が、幾重にも重なって反響した。
どこまでも、どこまでも、どこまでも……立てた物音がどこまでも響き渡る。まるでそれは、発せられた全ての音が、聞こえなくなった後にもその空間に取り残され続けているのではないかと錯覚させるほどだった。
つまるところ、“その大回廊は、異常なほどに広すぎた”。
眼前に広がる高い天井を頂いた荘厳な造りの回廊は、その果てが点になって見えなくなるまで規則的な建築様式を無数に繰り返している。
振り返った背後にも同じ光景が広がっていて、むやみに振り返ることを繰り返していると、自分が前を向いているのかそれとも後ろを振り向いたままでいるのか、そんな単純なことも分からなくなってくるほどだった。
そも、その空間には“前後”という概念がなかった。
入り口はどこにもなく、出口はどこにも通じていない。今立っている足元が常に原点であり、1歩進んだ場所は最果てであると同時に始まりだった。
ここは、“4人の侍女”の司っていた“淵王城”は“大回廊”――合わせ鏡のごとき、無限回廊である。
……。
……。
……。
――――。
――――。
――――。
……。
……。
……。
手に持つ刃で、無限に続く繰り返しの中に目印となる傷をつけてみる。白亜の大支柱に、横方向の傷を1本と、その左端に斜めの傷をもう1本。それによって、自分の位置と歩いてきた方向が明白になる。
矢印の形に刻み込んだ傷を右手に見つつ、1歩、2歩と進んでいく。更に何歩か進んだ後に、歩いた距離を確かめるために振り返る。
その振り返った視界の左側に、矢印の先端をこちらに向けたあの目印が、大支柱の根本についているはずだった。
「……」
しかしその視界の先には、“矢印を前方に向けた目印が右側面の大支柱に刻まれている”光景があった。
「……」
確かにその目印を置いて前に進んだはずが、気づけば己の身体はその大支柱の目印よりも後方へと後退していた。
予測と事象が噛み合わず、理解が袋小路にはまり込み、道理が引っ込む不気味な静寂だけがあった。
目印を視界の端から追い出した途端、反対側の視界の隅に見覚えのある目印が目に留まる――視線を泳がせながら歩いていると、何度かそんな不条理にも出くわした。
まともな人間であれば、とうに半狂乱に陥っていても不思議ではなかった。
「……」
しかしそこに迷い込んだ者たちは、人智を超えた幾何学的な恐怖にくずおれることもなく、思考上の存在を飛び越えて具現化した“無限”を前に理性を飽和させることもなく、己の足で“そこ”に立ち、そして“前”に進み続けた。
……。
……。
……。
遠い遠い、巡り合わせのその果てに、再び相まみえるために。
……。
……。
……。
因果と宿縁に、決着をつけるために。
……。
……。
……。
……。
……。
……。
「……こうして2人きりになるのは、随分と久しいな――」
――。
――。
――。
「……よぉ……お前は、幻でも野郎の呪いでもねぇよなぁ?――」
――。
――。
――。
「――シェルミア」
――。
――。
――。
「――エレンん」
……。
……。
……。
……。
……。
……。
「……待っていました……アランゲイル……」
――。
――。
――。
「…………」
……。
……。
……。
……。
……。
……。
――無限の守護者“大回廊の4人の侍女”、“人造呪剣ゲイル”により、蹂躙。捕食。
……。
……。
……。
――守護者を失った、無限回廊の果て――。
……。
……。
……。
――“王子アランゲイル”……“明星のシェルミア”……。
……。
……。
……。
――“烈血のニールヴェルト”……“右座の剣エレンローズ”……。
……。
……。
……。
――再会。




