26-16 : “守護騎士の契り”
「なるほど……事態は把握した」
螺旋階段を下りきり、“星海の物見台”最下層に降り立ったゴーダが、エレンローズ失踪の経緯をシェルミアから聞き終えて、ゆっくりと頷いた。
「……あるいは、私にも問題があったかもしれん……あいつに、ローマリアに柄にもないことを、私が言えた口ではない言葉を口にしてしまった。酷く気分を害した様子だったからな……しかし、まさかこの状況下で手を出してくるとは。情勢を1番知っているのは奴の筈だろうに」
そう零す暗黒騎士の声音に含まれている静かな怒りのような色は、魔女に向けられたものなのか、それとも自分に対するものだったのか。シェルミアには判然としなかった。
「何のつもりか知らんが、奴に問い詰めるしかあるまい……」
「魔女の――ローマリア卿の所在が分かるのですか……?」
そう問いかけるシェルミアの声音には、不安の色が浮き出ている。
「幸いにと言うべきか、あいにくと言うべきか……あいつの居場所なら知っている」
ボソリと小さな声で呟くゴーダのその声は、酷く歯切れが悪かった。
「? ゴーダ卿……?」
シェルミアが、訝しげに問いかける。
「いや、何でもない。こっちだ……ついてくるといい」
「???」
明らかに重い足取りで、ゴーダが“星海の物見台”最下層の奥まった場所へシェルミアを案内していく。
「この塔には何箇所か、隠し階段のようなものがあってな――正確には転位装置だが。それがローマリアの私室に繋がっている。向こうの出口側を閉じられていなければ、だが」
眼前にずらりと並ぶ巨大な書棚の一角へとやってきたゴーダが、兜の奥でふぅと大きな鼻息を漏らす音が聞こえた。背後に立つシェルミアから、暗黒騎士の肩がそれに合わせて上下に動くのが見えた。
「……何か問題でも……?」
長剣の柄に思わず手をかけながら、シェルミアが警戒するような声音で尋ねた。
「……いや……その、なんだ……酷く個人的な問題だ。貴公が気にすることではない」
そう言いながらゴーダが書棚へと手を伸ばしたとき――ゴトリとそれが、“内側から開いた”。
「む」
伸ばした手をぴたりと止めて、暗黒騎士が1歩後ろに下がる。
書棚に仕込まれた機械仕掛けが作動して、大重量がズルズルと音を立てて滑り動いていく。
……。
「……! エレン!」
書棚の内側に隠されていた転位昇降機に女騎士の姿を認めて、シェルミアが思わず声を上げた。ゴーダの横を追い越して、その下に駆け寄っていく。
ピタリ。と、シェルミアが足を止めたのは、その次の瞬間だった。
「……え……?」
シェルミアが、困惑した声を漏らす。
左腕を失い、短かった銀色の髪が肩にかかるまで突然伸びたエレンローズを前にして、姫騎士は言葉が喉で詰まるのを感じた。
シェルミアの強い戸惑いは、もちろんエレンローズの容姿の変貌振りに対して抱いたものでもあったが、それ以上に――。
「……。……エレン……なのですか……?」
――それ以上に、エレンローズの纏う空気の変化に、シェルミアは当惑していた。
「…………」
エレンローズが無言のままふわりと微笑んでみせ、そしてそのまま状況を飲み込めずにいるシェルミアとゴーダの横を通り通り過ぎていく。
女騎士の歩みに合わせ、彼女の腰に吊された“運命剣リーム”がカチャリカチャリと揺れる音を立て、空っぽの左袖が宙に舞う。
天に浮かぶ月に雲がかかりでもしたのか、塔の最上層から差し込む月光が女騎士の足元を照らし出すように床の上を舐めてゆき――その終点に、魔女の言葉の通り、1枚の盾が打ち捨てられていた。
「…………」
盾の前に膝をついたエレンローズが右腕1本でそれを手に取り、静かに胸に抱き寄せる。その背中を見やるばかりのシェルミアたちからは、女騎士がどんな表情を浮かべているのか窺い知ることはできなかった。
「…………」
幾らかの時間、魔導器“封魔盾フリィカ”に無言で語りかけるようにしてから、女騎士がゆらりと立ち上がり、振り返った先のシェルミアの下へゆっくりと帰ってくる。
「エレン……」
青い月光に照らされる中、数歩分の距離を空けて、“明けの国”の騎士が2人、正面から向き合った。“宵の国”の暗黒騎士はいつの間にかその場から離れていて、今は月の光の外でそれを見守るようにして佇んでいる。
「…………」
エレンローズが、シェルミアの前に跪き、深く深く、頭を垂れる。その足元には“封魔盾フリィカ”が、その右手には静かに抜かれた“運命剣リーム”があった。
運命剣の剣先が地を突き、真っ直ぐに伸ばされたエレンローズの右腕の先でその柄が天を指す。俯いて垂れた銀の髪の内側で、女騎士はそっと両目を閉じたまま、主君と定めたその人の声をじっと待つ。
「……。エレンローズ」
どんな言葉よりも強くはっきりと騎士の忠義を体現してみせた女騎士を前に、シェルミアが口を開く。その声にはもう戸惑いも迷いもなく、凛々しくその騎士の名を呼ぶ姿には、忠節を捧げられた者の決意と気高さが漂っていた。
「私は、何もできませんでした……王族でありながら、騎士団長でありながら、“宵の国”との衝突を止められませんでした……。多くの騎士を、死なせてしまった……。エレンローズ……貴女のたった1人の肉親を、ロランの命を奪ってしまったのも、本を正せば、この私が元凶です……」
……。
「私の命でそれを償えるのならどれだけ楽だろうと……何度も、何度も何度も、そんなことを考えてしまいました……」
……。
「ですが、ずっと分かってもいたのです……私の命などで、釣り合う筈などないのだと。そんなことを考えること自体が、死んでいった者たちへの侮辱であると」
……。
「だから、私は足掻こうと決めました。たとえ恥晒しと罵られたとしても、死んで詫びろと石を投げられたとしても……この命果てるまでは、醜く足掻いてみせようと決めました」
……。
「エレンローズ」
……。
「何もできなかった私に……“明けの国”にとっては、もう王族でも騎士でもない私に……藻掻き、足掻いて、醜態を晒して、それでも死ぬまで生きると決めたこのシェルミアに、それでも付いてきてくれるのならば……この剣と血を、受け取ってほしい」
そう言うと、シェルミアはその手に握っていた鞘からエレンローズの長剣を引き抜き、膝を突いてエレンローズと同じ目線に顔を下げた。そして月明かりに煌めくその剣に己の手首を押し当てて、流れる赤い血の筋で銀の刃を濡らしてみせた。
「…………」
シェルミアがその血をエレンローズの長剣に捧げてみせた目の前で、エレンローズもまた“運命剣リーム”の刃に己の血を奉じて無言の返礼を返していた。
……。
……。
……。
「我が血と刃を、汝の義とともに。汝の剣と忠誠を、我が道とともに」
「…………」
……。
……。
……。
「この“明星のシェルミア”とともに在るは、“右座の剣エレンローズ”――“守護騎士の契り”を、今、此処に」
「…………」
跪いて向かい合った2人が手を差し伸べ合い、互いの手に持つ剣と血を交わす。
“明星のシェルミア”の血と、“守護騎士の長剣”が、エレンローズへ。
“右座の剣エレンローズ”の血と、“運命剣リーム”が、シェルミアへ。
それは“明けの国”に伝わる、騎士と主君の間に結ばれる最上級の契りの儀式――形骸化し、いつの頃からか省略された、痛みを伴う血の交わしの儀礼まで経た、死後も決して切れない、誓いの証しである。
儀式が終わると、まずシェルミアが顔を上げた。その気配を知ったように、続いてエレンローズが顔を上げて主君の目を覗き込む。
「……私は、“守護騎士の契り”を誰かと結ぶなんてことは、生涯ないだろうと思っていました。ふふっ、王位継承第1位で、おまけに騎士団長だったのですから、強いて相手がいるとすれば、それは自分自身ということになってしまいますからね」
そう言いながら微笑を漏らすシェルミアの表情には、ずっと1人で背負ってきた重石のひとつがようやく肩から降りたというような、少女のように何の含みもない可愛らしい笑顔が浮かんでいた。その目許には、うっすらと涙が浮かんでいる。
「エレン――貴女が私の守護騎士になってくれて、私は、とても嬉しいです……『嬉しい』なんて、こんな単純な言葉しか思いつけないぐらい……本当に、嬉しい……」
その言葉を口にしたことで、感情の水底に沈んでいた黒い塊の一部が溶けていく感覚があった。
「……ああ……」
胸の奥が暖かくなって、目の前が見えなくなっていく。
「ごめんなさい……何故でしょうね、悲しいわけでもないのに……涙が、止まらないです……」
「…………」
ポロポロと静かに涙を流すシェルミアを、エレンローズは落ち着いた表情のまま何も言わずに抱き締めた。右腕だけの包容で、守護騎士が姫騎士の背中をまるで子供をあやすようにトントンと叩いている様子は、どちらの年齢が上なのか分からなくなる光景だった。
「ああ……私はきっと……ずっと誰かに……またこんなふうに、抱き締めてもらいたかったのでしょうね……」




