25-12 : 奥義“八式”
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圧縮された体感時間が、元の長さへと引き延ばされる。そこには有り得ぬ二振り目の大鎌を振り上げる死神と、剣を構え直した血塗れの暗黒騎士がいた。
「――“死を、畏れよ”……」
死神の羊の頭骨の奥底から死そのものの心象が溢れ出し、ゴーダを絡め取り、呑み込もうと影を伸ばした。
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「――“魔剣八式”……」
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「……“奥義”……」
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「……――“縁崩し”」
“運命剣リーム”の刀身が消失し、虚構の刃が空を斬った。
北の四大主と、東の四大主が交差した後、“不毛の門”の乾いた地の上で動く者はいなかった。
やがて、剣を振り抜いた姿勢から手首を返して、ゴーダがサッと刃を振った。魔女の呪いのようにその刀身に纏われていた虚構が祓われ、実体を取り戻した“運命剣リーム”が日食の影の中で煌めいた。
「……ゴーダ、貴様……――何をした――“何”を斬った――…………」
カラカラと骨の鱗の羽衣を揺らして、死神が暗黒騎士の背中を振り返った。ゴーダの放った虚構の斬撃は何ものも傷つけておらず、死神はその場に悠然と立っている。
「私が斬ったのは……存在確率……この世と結びつこうとする、縁そのもの……」
ただそうとだけ呟いて、ゴーダがゆっくりと、剣を鞘の中へと納めていく。
「存在確率、90%……」
サァーっと静かな音を立てて、刃が鞘の内側を滑っていく。
「存在確率、70%……」
「オオ――おお――ヲヲ――……」
階調の異なる声を漏らして、死神がゴーダの背中に向けて手を伸ばした。乾いた寒風が残った3つの羊の頭骨を吹き抜けて、声になりきらない無数の声が遠鳴きのように共鳴する。
「存在確率、50%………」
「ゴーダよ、どうするつもりか――魔族を――人間を――…………」
暗黒騎士が剣を鞘に収めるにつれ、死神の身体はくすみ、霞んでいった。骨の身体のみならず、その問いかける声も曖昧になっていく。
「存在確率、30%……」
「“災禍の血族”を――この争いを――どうするつもりか――…………」
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「どうもせん……ただ、私の目に映る限りの場所を、私の耳に聞こえる限りの世界を、私の手が届く限りの者たちを……私の好きなようにするだけだ」
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「存在確率、10%……」
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「それが“四大主”というものだと、私は理解している」
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――カチン。
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「……存在確率、0%……」
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――東の四大主“魔剣のゴーダ”。北の四大主“渇きの教皇リンゲルト”。魔族領、人間領との境界線、“不毛の門”にて衝突。そのようにして、“明けの国”は王都崩壊の危機を免れ、“宵の国”は守護の座を1つ失った。
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――ドサッ。
大きな音と乾いた砂埃を巻き上げて、日食の影の去った大地にゴーダが大の字になって倒れた。
「ゴホッ、ゴホッ……。……治療を、頼まれてくれると、助かるんだがな……」
「……うふふっ。えぇ、それは構いませんけれど……この貸し、高く付きましてよ?」
ゴーダの視線の先には、血を流しながら仰向けになっている暗黒騎士の姿を腰を屈めて覗き込んでいる“三つ瞳の魔女ローマリア”の顔があった。右の“星の瞳”に眼帯を嵌め、左の翡翠の瞳を嘲笑に歪ませながら、垂れた長い黒髪を片手で耳にかける仕草は幻惑的で、手を伸ばせばまた霧のように消えてしまいそうな危うさがあった。
しかし、今そこにいるのは、紛れもなく禁忌に身を捧げた魔女の実体だった。
「……いつから見ていた……?」
ゴーダが、咎めるようにローマリアに尋ねた。
「さぁ? 何のことか分かりませんわね?」
暗黒騎士の言葉に、魔女はわざとらしく首をかしげてクスクスと嘲笑を漏らすばかりだった。
「……嫌な女だ」
「うふふっ、ええ、それはお互い様ですわ、ふふっ……さぁ、傷を診て差し上げますわ、ゴーダ」
クスクスと笑いながら伸ばされたローマリアの細く白い指先が、血に塗れたゴーダの甲冑に触れる。
「……」
そこでゴーダは微かに鼻で笑ったが、ローマリアの手が震えていたことには何も言及しなかった。
「……。とても痛むかもしれませんけれど、我慢なさってね……何分わたくし、治癒魔法は専門外ですので、不可抗力ですわよね?」
耳元でそう囁きかけてくる魔女の声は、言外に沈黙と忘却を要求しているようだった。
「……お手柔らかに頼む……」
全身から力を抜いて目を閉じながら、ゴーダは先ほどの自分の態度を少しだけ悔やんでいた。
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――国境戦役、決着。




